かけがえのない花(翡翠様リクエスト)
夢小説設定
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
昼休みの図書室とは実に静かなものだ。
沢山の笑い声に溢れている校舎の中でも、この空間に一歩足を踏み入れれば聞こえてくるのは紙を捲る音だけである。
そもそもこの時間に図書室を使う生徒はごく僅か。長い髪を一つに纏め、伏し目がちに手元の本へと視線を落としている彼女もその内の一人である。
そんな彼女の向こうからそっと近づく気配に、名前は手元の本から視線を上げる。
「なんじゃ、……今日は名前に先を越されたか」
小さな声で口を開いた青年は、慣れた様子で名前の向かいの椅子に腰掛ける。
「積怒先輩こんにちは。……あれ?可楽先輩も今日は一緒に来るって言ってなかったですか?」
「ふんっ。可楽が勝手に言っていただけじゃ……あんな煩い奴、図書室から締め出されるわ」
「ふふっ、確かに……可楽先輩は、あまり読書をされるイメージはないですね」
「そうじゃろう?」
彼の言葉に小声で返事を返した名前は、彼の兄弟を思い浮かべ、クスクスと小さく笑みを漏らす。
そんな名前の姿をじっと眺めていた積怒も、彼女に釣られて無意識に口元を吊り上げる。
その表情は積怒の兄弟達でも滅多に見ることのできない穏やかなもので。
その優しい微笑みに名前はほんのりと頬を染めた。
******
ここは小中高一貫の私立校、きめつ学園。
その高等部に通う苗字名前は、学園の中でもかなり有名な生徒である。
……というのも入学当初、整った顔立ちの少女がいると騒がれていた名前。
凛とした佇まいで誰にでも礼儀正しい彼女は、他の一年生と比べれば随分と大人びてみえたものだ。
それでいて成績優秀ときたものだから、才色兼備の彼女に密かに想いを寄せる者も少なくはなかった。
しかし、そんな絵に描いたような優等生である名前が、学園で有名になった理由は他にもある。
真面目で大人しい性格の名前だが、その一方で彼女の友人達はかなり個性的な者が多い。
恋雪や、梅といった親友達は勿論、恋雪の婚約者の狛治や胡蝶姉妹を始めとした華道部の生徒達。それから先輩である積怒達兄弟や妓夫太郎といった少し強面な面々にまで可愛がられている姿をよく見かける。
普段凛とした振る舞いの名前が、真っ赤な顔で必死に言葉を探している。そんなギャップに、何人の男子生徒がハートを撃ち抜かれた事だろう。
しかし実際は、梅やしのぶといった名前を特別可愛がっている者達によって、名前と〝あわよくばお近づきを〟なんて考える不届き者が陰ながら成敗されているー……
とは、名前は全く気づいていないわけである。
「積怒先輩がおすすめしてくれた本、三冊ともとても面白かったです」
「む?もう読んだのか?……全く、相変わらずお主は本の虫じゃのぅ」
そんな名前は、今日も昼休みに図書室へと足を運び、大好きな読書に没頭している。
因みに、ここには彼女の趣味で訪れている為、友人達の姿はない。
しかしその代わりに、名前と向かい合わせに座る積怒が、他の生徒達に目を光らせているのだ。
「だってどれもとても面白くて……気づいたら、あっという間に三冊を読み終えてしまいました」
そう言ってクスクスと小さく笑みをこぼす名前に、積怒も優しく眉を下げる。
「今度は名前のおすすめを教えてくれんか?」
「ふふっ、勿論です」
******
彼らの出会いは、今より少し前ー……。
名前がこの学園に入学したばかりの頃である。
あの日名前は、初めてやって来た図書室で沢山の本に目を輝かせていた。
夢中で本のタイトルを目で追っていれば、ふと気になった一冊の本。
「…っ、あと少し……」
自分の背丈より少し高いところに位置するそれに、名前が背伸びをしていると、ふいにそこへと伸びた影。
それに驚き、名前が慌てて振り返れば……
「これが欲しかったんじゃろう?」
「えっ、…あ、ありがとうございます」
「礼には及ばんが……そんな無理せず踏み台を使えば良かろう」
眉を下げ呆れたような笑みを浮かべた彼がそこにいたのだ。
あの日以来、彼らは度々図書室で顔を合わせては、互いに本を勧め合ったり、積怒の兄弟の話をするようになっていった。
そうして過ごすうちに、気づけば当たり前のように昼休みは二人でいるようになったし、名前にとっては彼と一緒にいられるこの時間が大切なものに変わっていった。
「そう言えば、名前はいつもその髪飾りをつけておるな。何か思い入れのある物なのか?」
「え?ああ、これは……小学生の頃に両親に買って貰った物なんです」
そう言って髪飾りに手を伸ばした名前は、彼にも見やすいようにと、髪からそれを外して彼の前へと差し出した。
「桔梗の花がモチーフなんですが、とっても可愛いでしょう?」
「……確かに可愛らしい花だな」
「ふふっ、そうなんです。どうしてもこれが欲しくて……両親に我儘を言ってしまいました」
懐かしむように笑みをこぼした名前は大切そうに髪飾りを両手で握りしめると、慣れた手つきで再び髪へとそれを戻す。
その一連の動作を眺めていた積怒は、ふっと口元を緩めると、身を乗り出して小さな声で呟いた。
「名前によく似合っておる」
耳元で名前にしか聞こえないように囁かれたその言葉ー……。
「……あ、ありがとうございます」
赤く染まった頬を隠すように、俯きながら礼を口にした名前に、積怒は満足そうに笑みを落とすと、そっとその髪飾りへと視線を移す。
〝あの頃と変わらず…… その花は名前に、よう似合っておるわ〟
名前を見つめ、愛おしそうに目を細めた彼の視線に、俯いたままの名前は気づく余裕もないのであった。