第一章
夢小説設定
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
夢の中で琴音が必死に手を伸ばしても〝その手には何も掴めなかった〟
******
長い夢から覚めた琴音は徐ろに視線を彷徨わせる。
ふと夢の中で、どんなに手を伸ばしても届くことのなかった自分の手が、今は温かな温もりに包まれていることに気づく。そしてその手の先にいる杏寿郎に琴音はゆっくりと視線を移し、口を開いた。
「師範?」
そう呟いて、自分の掠れた声に驚いた。
ケホッとむせれば、杏寿郎が水差しを持ってきてくれて
「飲むか?」と声をかけてくれる。
それに琴音が頷けば、体をゆっくり支えて起き上がらせてくれた彼が、水を飲ましてくれる。
水を口にすれば、喉を流れる感覚に満たされていく体。長いこと水分を欲していたのだろう事を察し口を開く。
「ありがとうございます。すみません、私、、、どれくらい眠っていましたか?」
そこまで言って彼を見上げれば
杏寿郎は徐に口を開いた。
「琴音が此方に運び込まれてから二週間程経った。任務で怪我を負った事は覚えているか?」
その問いに琴音は、静かに目を伏せ考える。
、、、任務の事は覚えている。多分、全て。
そして、きっと彼も琴音の任務の報告を通して〝弟〟の事を知ってしまったに違いない。
仲間想いの彼の事だ、沢山心配をかけてしまっただろう。そう思った琴音は眉を下げて口を開いた。
「覚えています。、、、継ぐ子として、あのような鬼も倒せず不甲斐ないです」
ご心配をおかけしました。と頭を下げれば、師範から大きなため息が聞こえた。
呆れられてしまっただろうか?と恐る恐る顔を上げれば、眉を下げ優しく微笑む彼と目が合う。
「心配はするだろう、当たり前だ。」
と口にした杏寿郎は、そこで頭を下げて言葉を続けた。
「だが、何も君が恥じる事などないだろう?それに謝るべきは俺の方だ。琴音の心の痛みに何も気づいてやれていなかった、、、
師範として弟子を支えてやれていない俺の方こそ、不甲斐ないだろう?」
「そんな!師範やめてください、頭を上げてください!
それに私別に心を痛めてなんかいないです。大丈夫です、ちゃんと弟の事も受け止めています。だから、師範が謝る事なんて何もないです」
慌てて琴音が口を開けば、
真剣な目をした杏寿郎にその先を制された。
******
「琴音は弟の死と向き合えていないだろう?」諭すような杏寿郎の声が静かな空間に落ちる。
向き合えていない?何を言っているの?と眉を顰めた琴音は黙り込んだまま彼を見つめる。そんな彼女を視界に捉えつつ、彼はまた言葉を続ける。
「悲しみから目を逸らしていては、前には進めない。君にとって何よりも大切な弟なのだろう?だからこそ、向き合わなくては「やめて!」
杏寿郎の言葉を遮るように、琴音の声が病室に響き渡る。見たことがない悲痛な顔をした彼女は、キッと杏寿郎を睨めつけ怒鳴りつける。
「分かっています!優斗は死んだっ、もういない、、、分かってますからっ!
だから、これからは弟の代わりに鬼を倒すの!鬼がいない世界にって、、、優斗の願は姉の私が」
叶えないと。そう続く筈の言葉は
彼女を包み込んだ温もりに消えていった。
琴音の悲しみに歪めた顔に、悲痛な言葉に。
これ以上傷つく彼女を見ていられなくて、
杏寿郎は思わず琴音を抱きしめたのだ。
驚きで動きを止めた彼女に、頭上から優しい声が降ってくる。
「そうじゃないだろう?悲しみに蓋をするな。
琴音のたった一人の家族だったのだろう?
君の弟はどんな人だった?姉が自分の敵討ちの為に生きようとするのを、喜ぶような者なのか?」
その言葉にぐっと唇を噛み締めていれば
「泣いていいんだ。誰も見ていない」と、さらに彼の胸に優しく抱え込まれる。
その優しさに、今まで蓋をしていた感情が波のように押し寄せてきて、次から次へと流れる雫が杏寿郎の隊服を濡らしていく。そして最愛の弟を思い浮かべ、彼女はぽつりぽつりと言葉を紡ぐ。
「弟は、、、とても優しい子でした。
いつも、人のことばかりで。
手紙なんて残すなら、
最後くらい自分のことを書けばいいのにっ、、
最後まで私の幸せを願ってるって、、
本当に馬鹿みたい」
今まで我慢していた涙も言葉も止まる事はない。
それを黙って聞いていた杏寿郎は静かに口を開く。
「俺たちは立ち止まってはいられない、、、
だが、こうして亡くなった者たちに想いを馳せる事は悪いことではないだろう?
彼にとっても君だけが唯一の家族だったのだから、、、彼を想って泣いたり、怒ったりしてあげられるのは姉である琴音だけだ。それは、今を生きている者しか出来ないことだろう?」
その言葉に遂に我慢しきれなくなった琴音は
年甲斐にもなく、ボロボロと大粒の涙を流して杏寿郎にしがみつくように泣き喚く。
「私っ、どうしたらいいかっ、分からないんです。一人ぼっちに、なってしまったからっ、。」
そう言って、わんわん泣き続ける彼女に
杏寿郎はそれ以上何も言わなかった。
代わりに赤子にやるように、ぽんぽんと背中を優しく摩ってやり、彼女の気が済むまで、胸を貸してやるのだった。
******
暫くして涙が落ちついた琴音は
恥ずかしそうに口を開いた。
「師範、もう大丈夫です。ありがとうございます」
その言葉に、ゆっくりと琴音を離した杏寿郎は心配そうに彼女の顔を覗き込む。そして眉を下げ、困ったように笑い口を開いた。
「琴音は気づいてないようだが」
そこで言葉を区切り、杏寿郎は視線を彼女の横へ移す。それに気づいた琴音も自分の隣にある机に視線を移せば、山盛りの甘味が目に入りキョトンとしてしまう。そんな彼女に少し笑みを漏らしながら、杏寿郎は語りかける。
「君には心配してくれる仲間がこんなにいるだろう?琴音は決して一人じゃない!
それに俺も琴音の側にいる!だから、一人で背負う必要はないだろう?」
そう言って優しく微笑む杏寿郎に、琴音は胸がじんわり暖かくなる。
〝そっか。一人じゃないんだ〟
ストンと心に落ちた言葉。
優しく弟の事を諭してくれて
何も言わずに気が済むまで胸を貸してくれた
杏寿郎の優しさに、知らぬ間に心が軽くなった気がした。あの暗闇の中から、太陽のように照らしてくれた彼に救われたのだ、、、
小さく笑みを漏らした彼女は、目の前で優しく微笑む杏寿郎を視界に捉え、想いを巡らせる。
いつでも仲間思いの彼を。
父や弟を支えようと
必死に悲しみに蓋をしていた彼を。
太陽のように心を照らしてくれた彼を。
〝支えたい、今度こそ私が守りたい〟と
琴音は彼を眺めながら決意するのだった。