第一章
夢小説設定
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
師範の家を出たのが昼前だったから
このまま行くと家に着くのは夜になるだろう。
さすがに任務でもないのに夜分に帰宅するのは
皆に迷惑をかけると思った琴音は
途中の宿で一泊してから煉獄家へ向かう事にした。
翌日、鎹鴉を通じ千寿郎に「昼前に帰る」と言伝した彼女は、朝一に宿を出て煉獄家へは予定通りに到着した。
千寿郎が彼女を出迎え、昼食を共に取った琴音は「後で愼寿郎様の所へ行ってくるね」と彼に伝えた。
千寿郎はこの三ヶ月で、彼女が父に対する姿を知っているので、然程気にする事なく「はい」と返事をした。
その後、千寿郎と片付けを済ました琴音は
愼寿郎の部屋まで来ていた。
「愼寿郎様、今よろしいですか?」
今まで襖越しに声をかけて返ってきた事は一度もないけれど、いつも琴音はこうして声をかけてから愼寿郎の部屋へと足を踏み入れていた。
、、、今日も今日とて返事はない。
ふぅ、と息を吐き出し、明るく努めて「失礼します」と襖を開けた。
******
襖を開ければ、此方に背を向けた状態で愼寿郎は座っていた。その横には酒が置いてあり、きっとそれを呑んでいたのだろう。
彼女はその見慣れた光景に、気に留める事もせず
部屋の中へと足を踏み入れた。
こちらに背を向ける愼寿郎の後ろに座り、姿勢を正した彼女は、彼に向かって静かに頭を下げた。
「愼寿郎様。私に稽古をつけてください」
いつもの軽口が始まると思っていた彼は、少し虚をつかれたような気がしたが、頭を下げ続ける琴音に心底鬱陶しいというように、大きなため息をつき「出て行け」と彼は声をかけた。
すると、頭を下げたままの少女は
「いつまで、そうしているのですか?」
と静かに呟いた。
その呟きに驚いた愼寿郎が振り向いて少女を見据えれば、琴音はゆっくり頭を上げ
「いつまで逃げるおつもりですか?」
と今度は、はっきり言葉を続けた。
愼寿郎は一瞬、何を言われたか理解出来なかった、、、
今まで口うるさく、体調の事は言われてきたが
それ以上、踏み込んできた事がなかった少女が、、、いきなり己の触れてほしくない〝核心〟に触れてきたのだ。
ぎろりと琴音を睨みつけ「なんだと?」と返した愼寿郎に、少女は言葉を続ける
「部屋に一人で閉じこもり酒に溺れて、、、それで何か変わるのですか?
師範も、千寿郎君も貴方を支えたくて。認めてほしくて。
必死に寂しさに耐えているのですよ?
貴方はいつ彼らに向き合うのですか?」
「うるさい!黙れ!お前みたいな小娘に何が分かる!」
愼寿郎が怒鳴ろうが、それでも彼女は口を開き続ける。
「分かりません!失ったものばかりに囚われて、寄り添ってくれる大切な存在から、、、
大事な息子から目を逸らすなど、私には分からない!」
怒鳴りつけるように声を荒げた琴音は、そこまで言って下を向いた。
少女に手を出すつもりはないが、、、
さすがにここまで言われては我慢の限界だった。
頭に血が上った愼寿郎は、少女を部屋から摘み出そうと足に力を入れた瞬間。
「私は貴方が羨ましい、、、」
ぽつり、、、。
と耳を澄ませなければ聞こえないような、小さな声が聞こえた。
顔を伏せていて分からないがその声があまりにも弱々しくて〝目の前の少女が泣いているのでは?〟と思った愼寿様は、自分の怒りも忘れて琴音を見つめる。
少しの静寂が二人を包んだ後、静かに顔を上げた少女は泣いてはいなかった。
眉を下げ笑っている、、、
その顔は今まで見たどの表情よりも悲しそうに見えて、琴音をよく知らない愼寿郎ですら〝何かあったのか?〟と心配になるほどだった。
だが思いの外しっかりとした少女の声が、優しく彼に問いかける。
「愼寿郎様。貴方には寄り添ってくれる人が、まだいるのですよ?手を伸ばせば抱きしめられる所にいてくれます。
でも、知っているでしょう?人の命は簡単に消える、、、
手を伸ばせば掴めた光が、気づいた時には消えてしまう事もあるんです。
だから、目を逸らさないで。
貴方は多くを失ったかもしれないけれど、まだ貴方には光がある事を。
貴方は立ちあがる足も、
差し伸べる手も、
思いやる心も、
何も失っていないでしょう?」
そう言って優しく微笑んだ琴音が立ち上がり、酒を手にする。「貴方が手を伸ばすのはこれじゃないですよ」といつもの調子で笑った彼女は、部屋を出る瞬間振り返り
「先に庭で待っています、稽古。お願いしますね?」
そこまで口にして、今度こそ部屋を後にする。
******
琴音が廊下を進めば少し行った所で、千寿郎が心配そうに此方を見ていた。
大声で怒鳴り合ってしまったから、心配して来てくれたのだろう、、、そう思った琴音は
出来るだけ明るく千寿郎に話しかける。
「千寿郎君、三日間も鍛錬をお休みしちゃったから、一緒に付き合ってくれない?」
それに少し驚いた千寿郎だが、きっと父との事を触れて欲しくないのだと察して、首を縦に振るのだった。