番外編
夢小説設定
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
杏寿郎が蝶屋敷から退院し、正式に柱を引退してから数日ーー。
あれから杏寿郎が担当していた地区は、継ぐ子でもある琴音が、炎柱の代理として夜間の警備を務めていた。
「では杏寿郎さん、任務にいってきますね?帰りは遅くなりますから、先にお休みになっていて下さい」
「うむ、分かった!!くれぐれも気をつけてな!!」
「ふふっ、大丈夫ですよ。今日はまだ任務も舞い込んできませんし……担当地区の警備だけですから!」
そう言って微笑んだ琴音を見送ったのは、もう六時間ほど前になる。
そんな杏寿郎は、時刻は真夜中を過ぎ、日付が今日から明日へと変わろうかという時間帯に、漸く床へと就いていた。
〝今まで考えもしなかったが、琴音を一人、任務へと送り出す事がこんなにも不安なものだとは……〟
枕に頭を預けながらも、杏寿郎の脳裏によぎるのは、今も何処かで戦っているかも知れない彼女のことばかりである。
元々援護が得意な琴音は、沢山の隊士から慕われている。それに加えて実力は勿論、医学の知識も持ち合わせているのだから、時期炎柱として彼女に期待を寄せている者も少なくはない。
その分気苦労も尽きないだろうから、明日は甘味処へでも連れて行ってやろう。
そんな事を考えながら、杏寿郎が漸く目を瞑った、
その時……、
襖の奥に鴉が降りたつ気配を感じた。
『煉獄杏寿郎ニ伝令!伝令ッ!』
その言葉を耳にした瞬間、布団から飛び起きた杏寿郎に、鴉は琴音の名を繰り返した。
そしてー……、
『琴音ガ鬼トノ戦闘時ニ血鬼術ヲ受ケタ……直チニ蝶屋敷ニ迎エ!!』
その言伝に、杏寿郎は冷や汗を流した。
慌ただしく身なりを整え、千寿郎を叩き起こした杏寿郎は、事情を説明するや否や、飛び出すように家を出た。
全速力で蝶屋敷を目指せば、久しぶりに動かした身体が、肺が、悲鳴をあげる。すぐに息も上がるし、体力も随分と落ちてしまったが、それでも今持てる全ての力で蝶屋敷へと駆け抜けた。
******
しかし、漸く蝶屋敷へと辿り着けば、何故かしのぶが玄関先で待っていて「あらあら。えらく早かったですね?」なんて言うものだから、杏寿郎は呆気に取られてしまった。
しかし次の瞬間にはハッと我に帰り、杏寿郎は時間も気にせず大声でしのぶへと詰め寄った。
「胡蝶…… 琴音は!?琴音の怪我の具合はっ、……大丈夫なのだろうか!?」
「はぁ……煉獄さん、もう少し声を抑えて下さい。………あと、あの子は全く怪我を負っていませんので安心なさって下さい。先程、漸く閉じ込めた所です」
笑顔で告げられたその言葉に、はて?と杏寿郎は首を傾げた。
閉じ込めた……とは何の事だ。
無事ならば何故このような時刻に呼ばれたのだろう。
そんな事を考えていれば、説明するよりも見た方が早いと口にしたしのぶが、くるりと背を向け歩き出した為、杏寿郎も慌ててその後に続く。
暫く廊下を進めば、しのぶはある病室の前で歩みを止めた。それから幾分か声を落として口を開く。
「煉獄さん、なるべく琴音を刺激しないようにお願いします。逃げてしまいますから」
「む?逃げる、とは……?」
「文字通りの意味ですよ?漸くこの部屋に閉じ込めたはいいんですが、お陰で怪我人が多数出ています」
「怪我人?…… 琴音がやったのか?」
「ええ、血鬼術のお陰で興奮状態ですから……引っ掻かれたり、噛みつかれた者もいます。充分に注意して下さいね?……と言っても、煉獄さんなら大丈夫でしょう」
そう言ってしのぶは、困ったように苦笑いを浮かべた。
しのぶの言葉に更に疑問は増すばかりだが、血鬼術を食らった彼女が心配なのも確かである。
杏寿郎は意を決して、部屋の中へと足を踏み入れた。
******
杏寿郎が部屋に入れば、数台並んだ寝台の一番奥に布団の塊を見つけた。
小さく丸まったその塊に小さく苦笑を漏らしながら、杏寿郎は静かに歩みを進めていく。
「血鬼術を食らったと聞いたが…… 琴音、身体は大丈夫か?」
そう言って、そっと優しく名を呼べば、布団の隙間からこちらを伺う瞳に気がついた。
未だに布団の中から出てこない様子からして、何かに怯えているのだろうか。そんな事を考えながら、寝台の目の前まで歩みを進めた杏寿郎は、布団から何かが飛び出ていることに気がついた。
「胡蝶……あれは何だ?」
部屋の入り口でこちらを見守るしのぶに尋ねれば、杏寿郎の指差すものに気がついて、ああ…と合点がいったように呟いた。
「あれは尻尾ですね」
「……尻尾っ!?」
聞き慣れない単語に杏寿郎が思わず大声で聞き返せば、驚かせてしまったのだろう。琴音が潜む布団から、う"〜と威嚇するような呻き声が聞こえ始める。
それに動きをピタリと止めた杏寿郎は、少し考える様な仕草を見せてから、徐に布団へと手を伸ばした。
「怖がらせてすまなかった。此処には、君を傷つける者はいないから、安心するといい」
そう言って、布団の上から優しく撫でれば、びくりと彼女は反応を見せた。だが、杏寿郎はそれに構わず、何度も布団を撫でてやる。
暫くそれを繰り返すと、強張っていた体から力が抜ける様に、段々と布団を握りしめていた部分が緩み出す。
その隙間からは隊服が見え隠れしているだけだが、ぱっと見る限りしのぶが言ったように怪我は負っていなさそうだ。杏寿郎はそれを確認して、静かにふう、と息を吐く。
「出来れば琴音の無事を確認したいから、布団から出てきてくれないか?」
優しく笑いかけた杏寿郎に、恐る恐る顔を覗かせた彼女は、戸惑いながらも杏寿郎にそっと手を伸ばした。
それを優しく掬い上げた杏寿郎に、琴音は小さく声を上げた。
ニャー……
琴音の口からで出たまさかの鳴き声に、杏寿郎が動きを止めた時、頭にかかったままだった布団が重力に従いずり落ちる。
「なっ、……!」
一瞬見えた光景に、杏寿郎が今度こそ驚き思考を停止させた瞬間、自身の腰回りに彼女はぎゅーっとしがみついた。
だが、働かない頭でも、彼女を無意識に受け止めるあたり、流石は元柱というべきだろう。
そしてゆっくりと視線を下へと移した杏寿郎は、琴音の頭から生えた黒い耳を確認して、しのぶへと勢いよく振り返る。
「胡蝶!!これはどういう事だ!!」
「あらあら、流石は煉獄さん。こんなにすぐに手懐けてしまうとは、天晴れです」
それに全く驚く事もせず、にこりと笑ってみせたしのぶは、漸く事の真相を口にした。
******
しのぶからの説明では、昨晩、警備を行なっていた琴音の元に、緊急要請が入ったらしい。
鴉に先導されるまま、現場に駆けつけた琴音が目にしたのは、鬼が仲間に向かって血鬼術を放った瞬間だったそうだ。
それに物凄い勢いで割って入った琴音は、鬼の頸を斬り落とすとほぼ同時に、仲間が食らうはずだった血鬼術を身代わりに受けてしまった……、との事である。
なんとも琴音らしい行動だと、困ったように視線を下げれば、不安そうに見上げる彼女の頭には、やはり猫の様な愛らしい耳がついているし、揺れる尻尾は彼女のスカートの中から伸びている。
「漸く落ち着いた様ですね……やはり煉獄さんを呼んで正解でした」
そう言って近づいてきたしのぶは、琴音の目線に合わせて腰を下り、安心したように微笑んだ。
どうやら、杏寿郎が来るまで蝶屋敷の中を逃げ回っていたようで……、漸く診察を行えると、しのぶは小さくため息を漏らした。
******
「はい、あーん。」
手際良く診察をしていくしのぶを、杏寿郎も琴音を膝に乗せた状態で静かに見守る。
「はい、いいですよ。口を閉じて下さい」
「胡蝶、……どうだ?」
腕を組んで考え込むしのぶに、杏寿郎が問いかければしのぶはそうですね……と口を開いた。
「耳と尻尾、それから牙も確認できました。鳴き声からしても、彼女は猫になる血鬼術をかけられてしまったようですが……
既に鬼の頸は斬り落とされていますし、完全に術にもかかった訳ではなさそうですから、1日もあれば元の姿に戻るかと思われます。」
「そうか、大事がない様で安心した」
「ええ、本当に。……これ以上、被害者が出ては大変でしたから」
「ははは!胡蝶、それは大袈裟で、は……」
しのぶの言葉に豪快に笑い声を上げた杏寿郎は、何故か笑顔を貼り付けたままの表情で固まった。
不自然に途切れたその言葉に、しのぶは不思議そうに首を傾げる。
「煉獄さん、どうかされましたか?」
「胡蝶、一つ確認したいのだが……」
「ええ。私に分かる事であれば」
雰囲気の変わった杏寿郎に、しのぶは戸惑いながも返事を返す。すると 被害者が出ていると言っていたな、と彼は静かに話だし
「引っ掻かれた者、噛まれた者がいるとも言っていた筈だが、その者達は今、どうしているのだろう……」
と、怒りに声を震わせた。
そんな杏寿郎の豹変ぶりに、腕の中の琴音も、心配そうにオロオロと視線を彷徨わせた。
……だが要は、可愛らしい姿をした恋人が、他の隊士へと噛みついた事へのヤキモチである。
それには流石のしのぶも呆れたような視線を送るが、杏寿郎はカッと目を見開いたままである。
どうしたものかと、しのぶが面倒くさそうな表情を浮かべ始めた時、
ミャー……、ミャー……
杏寿郎の腕の中の琴音が、不安そうな声で鳴き出した。そして膝の上で器用に体制を入れ替えた彼女は、何処にも行かないで!とでも言う様に、杏寿郎にぎゅーっとしがみついた。
そのまま徐に上げられた顔には、不安の色がありありと見て取れる。それを表すかの様に、シュンと下げられた耳に、杏寿郎は思わず頬を染めた。
「う"っ……よもや、その様な仕草、反則ではないだろうか」
どうやら血鬼術のおかげで、いつもよりも大胆になった琴音に、杏寿郎は上げかけていた腰を寝台へと再び下ろした。
それを見ていたしのぶは、あらあら〜と笑みを浮かべながら口を開いた。
「安心して下さい。噛まれた隊士は、驚きのあまり失神してしまいましたので、もう制裁は受けていますよ?……と言っても、彼は何も悪くないのですが」
「むう……しかし、」
「……それよりも、今日はもう遅いですので此方に泊まっていって下さい。これ以上、琴音の姿を他の隊士には見せたくないでしょう?」
そう言って笑ったしのぶに、杏寿郎はがくりと力なく頷いた。
******
その後、病室を出て行くしのぶを見送った杏寿郎は、自身の腕に収まったままの可愛らしい恋人の姿に思わず頬を緩ませた。
「…… 琴音に怪我がなくて良かったが、あまりの愛らしさに戸惑ってしまうな」
そう言って頭をゆっくり撫でてやれば、嬉しそうに彼女は喉をゴロゴロと鳴らした。
本当に猫の様な仕草に、くすりと笑みを浮かべた杏寿郎は、そのまま琴音を抱きしめて、ゴロンと寝台へと寝転がる。
「今日は色々と疲れただろう?朝まで琴音のそばから離れないから、一眠りするといい!」
血鬼術のおかげか、幾分か暖かい体温の琴音を抱きしめれば、嬉しそうに擦り寄ってきた琴音は、安心した様に目を瞑る。
その寝顔を確認したと同時に、どっと体の疲れを感じて杏寿郎は小さく息を吐いた。
思えば、これ程までに全力で走った事は久しくなかったし、琴音を抱きしめて眠りにつくのも久しぶりである。
そんな事を思いながら、ふと腕の中で眠る琴音を見つめれば、自然と笑みが溢れだす。
「くくっ!此方の苦労も知らないで、無邪気なものだな……」
暫くその寝顔を見つめていた杏寿郎だったが、その温もりに誘われるかのように、段々と瞼が重くなっていく。
引退した自分に代わり、柱の仕事をこなす琴音が、多忙を極める事くらい理解していたつもりだったが……
〝君が側にいるだけで、これ程心が安らぐとは〟
微睡む思考に小さく笑みを落とした杏寿郎は、今度こそ、睡魔に従い目を閉じる。
その夜、二人は仲良く一つの布団で眠りについた。
******
翌朝、杏寿郎が目覚めた時には、腕の中の琴音は元の姿に戻っていた。
だが、どうやら猫になっていた数時間の記憶ははっきりと覚えていた様で、
「杏寿郎さん、すみませんでした……あのっ、できれば……忘れてください……」
目を覚ました琴音は、これ以上ない程に顔を赤らめて、恥ずかしそうに呟いた。