第五章
夢小説設定
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
母親と並んで夕飯の支度をし始めた琴音を見て、彼女の父は口を開いた。
「では晩御飯は女性陣にお任せするとして、杏寿郎君を私の秘密基地に案内するとしよう」
そう言って、目尻に皺を寄せながら呟いた彼に、杏寿郎はキョトンと首を傾げた。
「秘密基地、ですか…?」
「ははっ、そうだよ?と言ってもそんな大したものではないが、一緒に行かないか?」
その問いかけに杏寿郎が大きく頷いたのを確認して、彼は徐に立ち上がった。
******
目の前を歩く彼の後に続き、玄関から靴を履き中庭へと回って来た杏寿郎は、自宅横に隣接された病院のすぐ脇を通り過ぎる。
秘密基地と聞いて、年甲斐もなくわくわくしてしいる自分に苦笑を漏らしながら歩みを進めて行けば、さほど広くはないスペースに木製のベンチと、その向かいに古びたブランコがぽつりと置かれた場所に出た。
「今の時期ではまだ葉っぱしかないが、秋になると金木犀の花が咲いてね……此処ら一帯は甘い香りに包まれるんだ」
そう呟きながらベンチに腰を下ろした琴音の父に、此処が彼の言っていた場所なのだろうと杏寿郎は辺りを見回した。
そんな事を考えていれば、とんとんと隣を叩いて座るように促した彼は、昔から琴音は手がかからない子でね?と口を開き、どこか懐かしむように目を細めながら、杏寿郎に語りかけるように話し出した。
「……娘がまだ小さい頃に独立して、この病院を立ち上げたから、あの子には甘えたい時期に沢山我慢をさせてしまったんだ。
優斗…、琴音には弟がいるんだが、祖母が亡くなってからは忙しい私達に代わって、弟の面倒をよく見てくれてね……」
そう言ってブランコを指差した彼は、よく琴音はあそこで弟と遊んでいたと教えてくれた。
「きっと寂しい思いをした事も多いだろう。……授業参観などもいつも欠席で、碌に旅行すら行った事もない。せめて庭で少しでも遊べるようにと思って、このブランコを作ったもんだよ……
だけどね、そんな環境にあの子は一度も我儘を言う事はなかったよ……それどころか、率先して家の事を手伝ってくれたんだ。
親バカではあるが、本当に優しい子だよ、あの子は……」
「………ははっ、そうですね……実は不甲斐ない話ですが、琴音の優しさには何度も助けられて来ました。……誰にも言えず抱えていた不安も、彼女はそれに気づいて寄り添ってくれた……いつも側で支えてくれた、笑ってくれた……それだけでどんなに心が救われたことか……」
「……杏寿郎君」
「だからこそ、これからは俺が琴音の笑顔を守りたい……いや、守ってみせる!俺が琴音を幸せにしてみせます!!」
はっきりと琴音との将来を口にした杏寿郎に、彼は嬉しそうに笑みを浮かべた。
「ああ。琴音が選んだ相手だ。君にしか琴音は任せられないと思っているよ?……それに感謝もしているんだ。
あの子があんなに嬉しそうにしているところは、久しぶりに見るよ。やっと甘えられる存在が出来たんだと、安心したんだ……」
「いえ、そんな大そうな事はしていません!それどころか彼女の優しさに甘えてしまっているのは俺の方で……」
「杏寿郎君、それでいいんだ。一人では出来ない事も、誰かの力を借りて一緒に積み上げていけばいい。
互いに思い合い、時には相手を思う故の衝突もあるだろうが、その度絆を深めていく……夫婦とはそういうものだからね?」
そう言ってにこりと笑った彼に、杏寿郎は胸の奥が温かくなった。
母親似の琴音とはあまり似ていないと思った彼だが、その笑顔は何処か彼女と似ているように思えた。他人を思い、寄り添う優しさは、きっと父親譲りなのだろう。
そんな事を考えて、杏寿郎は昔彼女が言っていた言葉を思い出していた。
「……琴音は、お義父様にそっくりですね!昔、彼女が教えてくれました。
自分には手が二つしかない事を、、だから助けるにも自分だけでは限界があるのだという事も……でも、その手に誰かが手を貸せば、二つだったものが四つに。それにまた誰かが手を貸せば、六つに……そうやって人は助け合い生きていると。
だから誰かに手を差し伸べる事の出来る人になりたいと、琴音が話してくれたことがあります」
遠い昔の記憶に、ふっと小さく笑みを溢した杏寿郎に、彼女の父は目を見開いて動きを止めた。
「……杏寿郎君、私の勘違いなら聞き流してくれっ」
「む?なんでしょう!?」
突然、弱々しく呟かれた言葉に杏寿郎が彼へと視線を移せば、続けられた言葉に今度はこちらが動きを止める番だった。
「君の言う昔とは……いつの時代の話だろう?」
「時代っ……?よもや、お義父様は……」
〝何か覚えていらっしゃるのですか?〟
続けられたその言葉に、彼はくしゃりと顔を歪めた。