第五章
夢小説設定
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
杏寿郎の腕の中、
琴音は幸福に満ち溢れていく感覚に、一人静かに笑みをこぼしていた。
記憶を取り戻して以来、琴音は幾度となく自分の過ちを悔いて来た。
あの時、自分にも痣が出せていたら。いや……、痣に頼らなくとも、自分にもっと力があれば……と。
そして、自分を待っていてくれている彼を、悲しませてしまった事に胸を痛めた。
歳を重ねていってもその想いは、色褪せることなどなかったが、少しずつ自分に嘘をつくのが上手くなっていった。
もしかしたら自分と同じように、記憶を持っている者に会えるかも知れない。それが杏寿郎かも知れないが、もう彼は自分のことを想ってはいないだろう。名前すら覚えていないかも知れないと、何度も自分に言い聞かせ、自分の想いに蓋をして来た。
今思えば、あの頃の思い出に取り憑かれていたのだろう……
だがこうして杏寿郎に笑いかけられるだけで、心にぽっかり空いていた穴が不思議となくなっていくようで………ただ彼に抱きしめられているだけで、こんなにも幸せで溢れていく。
そんな幸福感に包まれて、杏寿郎の腕の中、嬉しそうにすりすりと頬擦りする琴音の姿に、杏寿郎も優しく笑みを溢す。
だがそんな穏やかな空間をぶち壊すかのように、突如〝ぐぅぅ〜〜〜〟と杏寿郎の腹の虫がなった。
それには思わず琴音もクスクスと笑い出し、杏寿郎も恥ずかしそうに頬をぽりぽりと掻いていたのだが、
「そういえば母上に言われて琴音を呼びにきたんだ!!朝食を用意してくれたから、皆と頂こう!!」
彼の口から出てきた言葉に琴音はピタッと動きを止めた。
「いえ、あの……突然押し掛けてしまった上に、お食事までなんてっ!軽くご挨拶だけさせて貰ったら、今日はお暇させて頂きます」
「そんなこと気にしにしなくていい!それに必ず連れて来るようにと、父上から言われている!!」
まるで彼女が逃げる事を分かっていたかのような愼寿郎の言葉に、琴音は思わず口元を引き攣らせた。だがやはり「こんな形で後厄介になる訳には……」と口を開く。
「それに……あの、もう今更すぎますが……杏寿郎さんのお母様に会うのは初めてなのに、酔い潰れた挙句、朝食まで後厄介になるなんて……あまりにも印象が悪くないですか?」
「ぐふっ!ふははっ、」
それから続けて本音をポツリと小さく呟いて、あからさまにシュンと肩を落とした琴音に、杏寿郎は思わず吹き出した。
そしてひとしきり笑った後に、とびきりの笑顔でこう言い放った。
「そんな事気にするような母上ではないから安心するといい!!それに折角用意してくれた朝飯を食べずに残してしまう方が良くないだろう?」
杏寿郎はそう口にするや否や、固まる琴音の手を引いて、部屋を飛び出し歩き出した。
長い廊下を手を引かれ歩く琴音は、その手を見ながら小さくため息を漏らす。
〝残すって……杏寿郎さんがいれば私の分くらいペロッと食べちゃうくせに……〟
駄々を捏ねる子供に諭すような、そんな言葉を並べた杏寿郎に、琴音は困ったように眉を下げた
******
そこからの展開は、あれよあれよという間に進んでいった。
杏寿郎に手を引かれ、恥ずかしそうに姿を現した琴音だったが、あんなに渋っていた癖に、愼寿郎と千寿郎の姿を見た途端に涙腺を崩壊させた。
「愼寿郎様、千寿郎君っ、ご無沙汰しておりますぅぅっ、……」
それに釣られるように、千寿郎も目を潤わせ「琴音さんにまた会えて、俺も嬉しいです」と眉を下げて笑って見せた。
そんな二人を前に、愼寿郎は呆れたように声をかけた。
「久しぶりに顔を見せたと思えば……随分と泣き虫な娘になったものだ」
言葉とは裏腹に、優しく笑いかけた愼寿郎は、目の前でポロポロと涙を流す琴音に思いを巡らせる。
あの頃、涙すらひた隠しにして、戦いに身を置いていた少女が、素直に感情を出せるようになったのかと、我が子の事ように嬉しく感じてしまう。昔のように彼女の頭に手を乗せてやれば、潤んだ瞳で見上げてきて、自然と口元に弧を描く。
「琴音、良く戻ったな」
「……はいっ、」
涙でぐしゃぐしゃになりながら何度も頷いた琴音は、そこで漸く愼寿郎の隣に立つ杏寿郎の母、瑠火の姿に気づいた。
「杏寿郎さんのお母様っ、……春野 琴音ですっ、えっと、よろしくお願いしますぅ〜……」
ぐすん、と鼻を鳴らしながら深く頭を下げた琴音に、今まで表情を変えずことの経緯を見守っていた瑠火は、思わずキョトンと彼女を見つめた。そして、ふっと小さく笑みを浮かべた瑠火は、琴音に向かって口を開いた。
「杏寿郎の母の瑠火です。貴方の事は夫や息子達から、前世で世話になったとよく聞いていました。母としてお礼を言います。」
「い、いえ!お世話になったのはこちらの方で……お礼だなんて……」
「いいえ。貴方の話を聞いた時、母として近くにいられなかった分、杏寿郎に寄り添ってくれる存在がいた事に安心したのです。息子のそばに居てくれて、ありがとう」
そう口にした瑠火は、目元を優しく細めた。そして「さあ、皆も揃った事ですし、朝食を頂きましょう」と静かに口にして、食卓の前へと腰を下ろした。
暫くして、やっとの事で泣き止んだ琴音は、朝食を口にしながら恥ずかしそうに口を開いた。
「あの、昨日に引き続き、今日もお恥ずかしい姿をお見せしました……」
それには瑠火だけでなく、愼寿郎までもが一瞬ぽかんと彼女を見つめたが、二人は口々に「気にする事はない」と笑って見せた。
「それに、杏寿郎があんなに年甲斐もなく浮かれている姿は初めて見ました」
「は、母上!!」
そんな瑠火の一言に、杏寿郎も眉を下げて声を上げる。
それにクスクスと琴音も笑みを漏らせば「またいつでも遊びに来て下さい」と瑠火は優しい言葉をかけた。
******
その後、当たり前のように「送っていこう!!」と口にした杏寿郎に、琴音は素直に甘える事にした。
何度も皆に頭を下げて、煉獄家を後にした琴音は、帰りの車内、運転をする杏寿郎を眺めて笑みを漏らした。
「素敵なお母様ですね」
にこにことそう口にした琴音に、杏寿郎は嬉しそうに口を開く。
「うむ!母上は立派なお方だ!!……それに琴音の事をとても気に入ってくれたようだしな!!またいつでも遊びに来てくれ!!」
「ふふっ、ありがとうございます。愼寿郎様や、千寿郎君にも久しぶりに会えて嬉しかったです。杏寿郎さんのご家族は素敵な方達ばかりですね」
「ああ!ありがとう!!」
そう言って笑いかける杏寿郎に、琴音は考えを巡らせた。
昔に比べ、愼寿郎も千寿郎も、随分と穏やかに笑みを浮かべていた気がする。それはきっと、瑠火の存在が大きいのだろう。凛とした印象の彼女だが、時折目元を和らげる表情や、家族を想うその言葉から、素敵な母なのだろうなと、琴音は思って頬を緩めた。
そして今世ではこんなにも素敵な家族に囲まれている彼の姿に、ほっと胸を撫で下ろす。
「でも今度会うときは、酔い潰れていないように気をつけますね?」
そう言ってクスクスと笑った彼女に、杏寿郎も釣られて豪快に笑うのだった。