アスバル×主人公♀
なるべく考えないようにしていた。
だって——考えたところで、寂しくなるだけだから。
目覚めてしまったものの起き上がる気になれず、ベッドで寝返りを打つ。
もうじき侍女が来る時間だ。だけど、もう少し。
隊長——彼女がそう呼ばれていた頃から、どれほどの時が過ぎただろう。
燈火の調査隊として、共に過ごした時間はかけがえのない思い出となった——けれど。
ひんやりとした部屋に、ため息が響く。
頭では理解しているつもりだ。彼女は、世界を救う大きな使命を背負う人。
手が届きそうで、やっと掴んだと思えばすり抜けて、いつの間にか遠くへと行ってしまうような、そんな人だ。
寝そべったまま、天井に向けて手を伸ばす。
けれど、また共に過ごしたい。また彼女と一緒に旅をしたい。そして出来ることなら——
「おはようございます、アスバル様」
アスバルが伸ばした手のひらを握る。それと同時に扉をノックする音が響き、扉越しのくぐもった侍女の声が聞こえた。
いつもと変わらない朝の挨拶——けれど、不思議と胸が跳ねた。
「あの、アスバル様……? まだお休みになられますか?」
しばらく返答が無い部屋に向かって、侍女は尋ねる。
その声に、アスバルは自身の胸の高鳴りの理由をようやく理解した。
「……いや、すまない。起きているよ」
身体を起こして軽く息を整える。それからなるべく普段と変わらない口調で、おはようと付け加えた。
「朝食をお持ちしましたが、いかがされますか?」
「うん、頂くよ。今、支度を——」
支度をするから、少し待っていて——そう告げるつもりだった。
けれどふと考えれば、今のアスバルには着替えをして身なりを整える時間すら惜しいように思えた。
ベッドから出て歩みを進めると、扉の前で立ち止まる。
そして何か覚悟を決めたように一呼吸して、ドアノブを回した。
「アスバルさ……あ」
目の前の扉が突然開いて、侍女はぽかんと口を開けて部屋の主を見上げた。
「すまないね。朝食の前に、少しいいかな?」
そう言うと侍女の手を引いて、扉を閉めた——湯気がたちのぼる朝食の品々が並んだワゴンだけを、廊下に残して。
「え、あ、その……」
侍女は俯いて、浮いた色の髪や着慣れない黒のロングスカートをいじいじと触っている。
「……君、見ない顔だね」
「あ……は、はい。本日よりこちらで働くことになりまして……」
「なる、ほど。それなら、新人の君にはひとつ、教えてあげなければならないことがあるね」
アスバルは侍女に悟られないほど小さく微笑んだ。微笑むというよりは、魔王らしい仄暗さを孕んだ笑みだったが。
「な、何でしょうか? ……ッ!?」
侍女の顎に手を添えると、アスバルはその唇を塞いだ。
普段化粧をしない彼女の唇は、今日はほんのりと艶のある紅色をしている。アスバルが唇を離すと、彼の唇は同じ色に染まった。
侍女は自身の口元を両手で塞ぎ、耳まで赤くして言った。
「え、あ、アスバル!? 急にな、に……あ! いえ、そ、その……」
しまった、というように侍女は目を泳がせる。わざとらしく咳払いをし、両手をヘソの位置で重ね合わせ、会釈をした。
「も、申し訳ございません……。少々取り乱してしまい……」
「ふふ、構わないよ。顔を上げて」
アスバルは心底愛おしそうに彼女の頬を撫でながら、それにしても、と続けた。
「その口調も悪くないね。普段と違う魅力があって、素敵だ」
「な、何をおっしゃるのやら……」
「ああそうだ。さっき言っていた、君に教えなきゃいけないことなんだけど——」
それから、侍女の真っ赤に染まった耳元で囁いた。
「……実は、君のあるじは耳が良くてね。分かってしまうんだよ。もし愛する人が、侍女として現れたとしても——ね?」
そう言うと、侍女に扮した彼女の顔を見てウインクをした。
「え、あ……」
「おはよう、大魔王」
「お、はよう……」
取り繕う必要が無くなった侍女——いや、大魔王は驚きを隠せないといった口調で言った。
「じゃあ……最初から、分かってたの……?」
「もちろん。でも、どうしてそんな姿に?」
「わたしが侍女さんたちにお願いしたの。最近アスバルに会えてなかったから、久しぶりに会いに行くなら驚かそ……わ!」
言い終わるより先に、アスバルが大魔王の背に腕をまわした。彼女の身体は少し浮いて、履き慣れない黒いパンプスが半分脱げ落ちそうになる。
「会いたかった……」
「ごめん、なかなか時間が取れなくて」
「良いんだ。こうやって会いに来てくれただけで、僕は……」
「ふふ。そんなに喜ぶこと?」
大魔王は同じように彼の背に腕をまわし、あやすようにぽんぽんと叩いた。
「ああ、もちろんだとも」
アスバルが腕を解くと、二人は同時に見つめ合う。そして——示し合わせたように、再び唇を重ねた。
いつまでもこうやって共に過ごしたい。
どこまででも一緒に旅をしたい。
でもきっと、叶うことはないのだろう。
それなら——
唇を離すと、アスバルはそのままの距離でつぶやいた。
「今だけは、僕だけの君でいて」
だって——考えたところで、寂しくなるだけだから。
目覚めてしまったものの起き上がる気になれず、ベッドで寝返りを打つ。
もうじき侍女が来る時間だ。だけど、もう少し。
隊長——彼女がそう呼ばれていた頃から、どれほどの時が過ぎただろう。
燈火の調査隊として、共に過ごした時間はかけがえのない思い出となった——けれど。
ひんやりとした部屋に、ため息が響く。
頭では理解しているつもりだ。彼女は、世界を救う大きな使命を背負う人。
手が届きそうで、やっと掴んだと思えばすり抜けて、いつの間にか遠くへと行ってしまうような、そんな人だ。
寝そべったまま、天井に向けて手を伸ばす。
けれど、また共に過ごしたい。また彼女と一緒に旅をしたい。そして出来ることなら——
「おはようございます、アスバル様」
アスバルが伸ばした手のひらを握る。それと同時に扉をノックする音が響き、扉越しのくぐもった侍女の声が聞こえた。
いつもと変わらない朝の挨拶——けれど、不思議と胸が跳ねた。
「あの、アスバル様……? まだお休みになられますか?」
しばらく返答が無い部屋に向かって、侍女は尋ねる。
その声に、アスバルは自身の胸の高鳴りの理由をようやく理解した。
「……いや、すまない。起きているよ」
身体を起こして軽く息を整える。それからなるべく普段と変わらない口調で、おはようと付け加えた。
「朝食をお持ちしましたが、いかがされますか?」
「うん、頂くよ。今、支度を——」
支度をするから、少し待っていて——そう告げるつもりだった。
けれどふと考えれば、今のアスバルには着替えをして身なりを整える時間すら惜しいように思えた。
ベッドから出て歩みを進めると、扉の前で立ち止まる。
そして何か覚悟を決めたように一呼吸して、ドアノブを回した。
「アスバルさ……あ」
目の前の扉が突然開いて、侍女はぽかんと口を開けて部屋の主を見上げた。
「すまないね。朝食の前に、少しいいかな?」
そう言うと侍女の手を引いて、扉を閉めた——湯気がたちのぼる朝食の品々が並んだワゴンだけを、廊下に残して。
「え、あ、その……」
侍女は俯いて、浮いた色の髪や着慣れない黒のロングスカートをいじいじと触っている。
「……君、見ない顔だね」
「あ……は、はい。本日よりこちらで働くことになりまして……」
「なる、ほど。それなら、新人の君にはひとつ、教えてあげなければならないことがあるね」
アスバルは侍女に悟られないほど小さく微笑んだ。微笑むというよりは、魔王らしい仄暗さを孕んだ笑みだったが。
「な、何でしょうか? ……ッ!?」
侍女の顎に手を添えると、アスバルはその唇を塞いだ。
普段化粧をしない彼女の唇は、今日はほんのりと艶のある紅色をしている。アスバルが唇を離すと、彼の唇は同じ色に染まった。
侍女は自身の口元を両手で塞ぎ、耳まで赤くして言った。
「え、あ、アスバル!? 急にな、に……あ! いえ、そ、その……」
しまった、というように侍女は目を泳がせる。わざとらしく咳払いをし、両手をヘソの位置で重ね合わせ、会釈をした。
「も、申し訳ございません……。少々取り乱してしまい……」
「ふふ、構わないよ。顔を上げて」
アスバルは心底愛おしそうに彼女の頬を撫でながら、それにしても、と続けた。
「その口調も悪くないね。普段と違う魅力があって、素敵だ」
「な、何をおっしゃるのやら……」
「ああそうだ。さっき言っていた、君に教えなきゃいけないことなんだけど——」
それから、侍女の真っ赤に染まった耳元で囁いた。
「……実は、君のあるじは耳が良くてね。分かってしまうんだよ。もし愛する人が、侍女として現れたとしても——ね?」
そう言うと、侍女に扮した彼女の顔を見てウインクをした。
「え、あ……」
「おはよう、大魔王」
「お、はよう……」
取り繕う必要が無くなった侍女——いや、大魔王は驚きを隠せないといった口調で言った。
「じゃあ……最初から、分かってたの……?」
「もちろん。でも、どうしてそんな姿に?」
「わたしが侍女さんたちにお願いしたの。最近アスバルに会えてなかったから、久しぶりに会いに行くなら驚かそ……わ!」
言い終わるより先に、アスバルが大魔王の背に腕をまわした。彼女の身体は少し浮いて、履き慣れない黒いパンプスが半分脱げ落ちそうになる。
「会いたかった……」
「ごめん、なかなか時間が取れなくて」
「良いんだ。こうやって会いに来てくれただけで、僕は……」
「ふふ。そんなに喜ぶこと?」
大魔王は同じように彼の背に腕をまわし、あやすようにぽんぽんと叩いた。
「ああ、もちろんだとも」
アスバルが腕を解くと、二人は同時に見つめ合う。そして——示し合わせたように、再び唇を重ねた。
いつまでもこうやって共に過ごしたい。
どこまででも一緒に旅をしたい。
でもきっと、叶うことはないのだろう。
それなら——
唇を離すと、アスバルはそのままの距離でつぶやいた。
「今だけは、僕だけの君でいて」
