アスバル×主人公♀
雨は嫌いだ。
土と混じったカビくさい匂いも、身体を重く冷たくする感触も、全て。
アスバルは幼い頃、雨が叩きつける城外へと追い出されたことがある。
無論、母親の機嫌を損ねる行いをした罰として、だ。
滝見の広場にひとり閉じ込められた彼は、雨が自身の身体を冷やしていくのをじっと耐えていた。
音楽の稽古の時間にほんの少し興味が湧いて、他の楽器を触ってしまった。そんな些細な子どもの好奇心は、ゼクレスの王太后を憤慨させるには十分だった。
「さむい……」
ここから出してほしいと叫んだり、赦しを乞うことを幼いアスバルはしなかった。
そうやって大きな声を出したとしても、何も変わらない。ただいたずらに体力を消耗するだけだと幼いながらに理解していたからだ。
為す術のないアスバルは、濁った色をした滝に視線を向ける。雨で勢いを増したそれは、やがて湖へと流れ込む。決して、広い海へ流れ着くことはない。
まるで、自分みたいだ。そう思うと心の奥まで凍てついてしまいそうで、膝を抱いてうずくまる。雨は止まず、行き着く先は行き止まりの未来。
雨に紛れて、涙が頬を伝う。誰か、助けて。誰か。
言葉の代わりに出たのはただの嗚咽で、それも雨音に混ざり——かき消された。
◇◇◇
「アスバル! 早く早く!」
突然の雨に降られたというのに、大魔王はアスバルの数歩先をスキップで歩いている。
滑るから危ないよ、というアスバルの声が届いているのか定かではない。
一応返事がわりに片手をひらひらと挙げたと思えば、目の前の水たまりに躊躇なく飛び移った。
……傘は無い。近くの商店で買って行こうかとアスバルが聞いたが、たまには濡れるのも悪くないでしょ?などと言って、外に飛び出したのだ。
軒先で切り取られた空を見上げると、厚い雲で覆われている。一歩踏み出してしまえば、その先は雨の世界だ。
アスバルが雨に濡れたくないと言えば、きっと彼女も傘を買いに立ち寄ってくれることだろう——だけど。
アスバルは一度深呼吸すると、雨の中に飛び出して大魔王の背を追った。
「あはは! アスバルもうびしょびしょ!」
前髪がすっかり額に張りついてしまってなお、笑いが絶えない大魔王を見ると、心のざわつきを覆い隠すように、別の感情が流れ込む。
このネズミ色の空とは裏腹に上機嫌な大魔王と一緒なら、こんな雨でも平気かもしれない。そんな予感が、アスバルの中には宿っていた。
◇◇◇
アスバルと大魔王は、恋人同士となって久しい。
お互い忙しい中でもどうにか時間を割いて、予定を合わせてはこうやって二人きりで過ごすのだ。
そして今日は、このジュレットの町で楽しいひとときを過ごしていた。もちろん、アスバルはウェディに変装して。
そしてこの町の酒場の名物だという、ジュレット近海で獲れた海鮮に舌鼓を打った二人だったが、お腹が膨れた頃には外はすっかり土砂降りになっていた。
「なかなか止みそうにないし、風邪ひいちゃう前に家に帰ろう」
さすがの大魔王でも、雨で身体を冷やすことには抵抗はあるようだ。
ちなみに彼女の言う"家"というのは、ジュレットに程近い島に建つ、大魔王の所有する家のことだ。
アスバルがルーラストーンを取り出そうとすると、大魔王は制止した。
「せっかくだし、今日は違うルートで帰ろっか」
そう言って微笑むと、そのまま駅のある桟橋の方へと向かっていく。傘をさした人々とすれ違いつつ、駅の手前を左に曲がった。
そこから住宅地のある小さな島への舟が出ているのだ。
大魔王は渡し守に何か話しているが、雨の音が遮ってアスバルには聞こえない。ちょうどピースサインの要領で人差し指と中指を挙げると、渡し守が頷いた。
「舟に乗るのかい?」
「そ。たまには悪くないでしょ? しかも運が良かった。すぐに出してくれるって」
大魔王は慣れた様子で舟に乗ると、アスバルに手を差し伸べた。こんな雨の中でも、やっぱり舟は心が躍る。大魔王の手を取りゆっくり足を踏み入れると、その重みで舟が少し沈んだ。
「おや、兄ちゃん。なんだかぎこちねぇが、舟は初めてか?」
渡し守は二人が座ったのを確認すると、船着場に繋げられた縄を外した。
「ええと、あまり乗り慣れていなくて……」
アスバルが返すと、渡し守は安心しなと親指を立てる。
「この舟はヴェリナード製でね。こんな雨の日でも全く揺れないって評判なんだ。短い間だが、安心して舟旅を楽しんでくれよ」
そう言うと、渡し守はパドルで水をかいた。舟はゆっくりと船着場から離れていく。
「舟はあんまり乗らない?」
大魔王がアスバルの顔を覗き込む。
「元々リソルが用意したメガルーラストーンを使うことが多くてね。君の家に行く時だって、君がくれたのを使っていたし」
「なるほど……」
少し前、大魔王はアスバルにルーラストーンを手渡した。それには彼女の自宅が登録されていて、アスバルは改めて恋人となった実感を噛み締めた。
「お前さんたち冒険者の中にはそういう奴も多いんだ。なんたって一瞬でどこへでもひとっ飛びだからな。だがこうやって、たまには利用してくれると嬉しいよ」
大魔王とアスバルが、もちろんと頷くと、渡し守も二人の方に振り返って微笑んだ。
ジュレットの町が遠ざかっていく中、大魔王はアスバルが視線を送る先を見た。
おもちゃのように小さいが、あれは大地の箱舟だ。
「——駅で見るとあんなに大きい列車が、こんなに小さく見えるんだね」
ぽつりと言うと、アスバルは目を輝かせた。
「ああ。なんだか不思議な気分だよ。まるでジュレットの町もジオラマみたいだね」
駅に停まった列車は、ヴェリナードに向けて再び走り出す。
それが遠ざかって見えなくなった後も、アスバルはその水平線をしばらく見つめていた。
◇◇◇
「ふぅ、こんなもんでどう?」
湯気に包まれた脱衣所で、大魔王は椅子に座ったアスバルの髪を梳いた。
「うん、バッチリだよ。次は君の番だ」
アスバルが立ち上がり、その椅子に今度は大魔王が腰掛ける。
ドライヤーのスイッチを入れると、彼よりも少し長い大魔王の髪がはらはらと風に舞った。
舟を降りて大魔王の家に着いた二人は、まず湯船で身体を温めることにした。
アスバルが来た時のために取っておいたという入浴剤には保温効果があったようで、雨で冷えた二人の身体は湯冷めすることなくすっかり温まった。
濡れてしまった衣服はというと、今は洗濯機の中で回っている。
着替えは大魔王が密かに揃いで買っていたらしい、ペアの部屋着だ。
タオル地で着心地が良く、その上アスバルにとってはあまり馴染みのないものだった為、彼は何度も感嘆の声を上げ、色違いを着た大魔王に何度も感謝を述べたのだった。
一方で大魔王は、見るからに高価そうなアスバルの私服を濡らしてしまったことを今さら後悔している様子だった。
すっかり上機嫌なアスバルは気にも留めるはずもなく——むしろ乗り気という感じで洗濯機に投げ入れた。
大魔王の髪に風を当てながら、アスバルは自身の服が濡れてしまったことに何の不快感も無かったことに驚きを隠せなかった。
洗濯機から、終了を告げる音が鳴る。
不快感よりもむしろ——大魔王と一緒にずぶ濡れになったこと、その服が一緒に洗われたことがアスバルにとっては何より幸せに思えたのだった。
「はい、乾いたよ。さて、これからどうする?」
「ありがと。うーん、どうしようか……あ、そうだ」
自身の髪を手で梳きながら、大魔王はにやりと口角を上げる。
「ふふ。何か企んでるようだけど」
「ふふん。まぁね。とりあえず、まずは洗濯物!」
そこから二人はカゴに洗濯物を入れ、手際よく干し終えた。
雨はまだ降り続いている。
部屋の傍らにあるハンガーラックに、二人が今日身につけていた服が仲良く並べられた。
「昼寝、最高!」
洗濯物を干し終えた大魔王は、そう言って大きなベッドに飛び込んだ。
「何をするのかと思えば……もしかして、昼寝をするつもりだったのかい?」
「当たり。あったかいからさ、眠くなってこない? ふあぁ」
大魔王は大きなあくびをした後、おいでというように自身の横のスペースを手でぽんぽんと叩いた。
アスバルがベッドに入ると、大魔王は自身と彼を包みこむように掛け布団を被せた。
「もう、仕方ないなぁ」
「でもアスバルだって、ちょっと嬉しそうじゃん」
「だって、ゼクレスではこんなことしたことないよ。ふふ、こんなにワクワクすることが、他にあるかい?」
あまりにあっけらかんとした表情で言う様子に、思わず大魔王が吹き出すと、アスバルも釣られて笑った。
「それにしても——雨、止まないね」
大魔王が窓の方に目をやると、未だにぽつぽつと雨粒が窓ガラスを濡らしているのが見えた。
「ふふ。まさかこんな雨の中、傘も差さずにに走り出すなんて」
「ごめんごめん、つい浮かれちゃって」
そう言って苦笑いを浮かべる大魔王の身体を引き寄せるように、アスバルは彼女の背に片腕を回した。
「君は——雨が好きなのかい?」
「うん、好き。ウェディって結構雨に濡れても平気なところあるじゃない?」
大魔王から「好き」という言葉を口にされると、アスバル自身に向けられた言葉ではなくても胸の奥が強く跳ねる。
だけど、単純に好きな人の好きなことを知れるのは嬉しい。
「ああ。ジュレットの町でも傘を差さないウェディを何人か見たね。でも君は——」
「うん。小さい頃から好きだったんだ。姉と一緒に水たまりで遊んで、よく叱られてたし」
「なるほど。じゃあウェディになって、もっと好きになったんだね」
「そうかも。こうやって、家の中で暖まりながら聴く雨音も好き」
大魔王のスラリと伸びた脚が、アスバルの脚に絡められていく。
「——アスバルは?」
「僕は——」
そう口にした時、アスバルが何かを考えるより先に、するりと続きが紡がれた。
「うん、僕も雨が好きだ」
自身の言葉に、また胸の奥が強く跳ねた。
「ふふっ。うん、雨が好きなんだ、すごく。今日好きになった、と言った方が正確かもしれないけど」
「えぇ、今日?」
大魔王は不思議そうな表情を浮かべた後、何やら一段と楽しそうにしているアスバルを愛おしそうに見つめた。
「うん。やっぱり君は、いつだって僕の世界を色付けてくれる。本当に——ありがとう」
アスバルが大魔王の額に口付けをすると、彼女はくすぐったそうに微笑む。
「もう、急にどうしたの? 変なアスバル」
アスバルは返事の代わりに、ただ見つめるだけだ。そうしていると目の奥がじんとしてきて、それが大魔王にバレないように、今度はきつく抱きしめた。
「なんだか……眠くなってきたね」
雨の音が響いている。
大魔王は身じろいで、小さくあくびをした。
「おやすみ。大魔王」
「うん、おやすみ。アスバル」
雨は好きだ。
恋人の肌から伝わる体温が、一段と温かく感じるから。
窓を打つ雨音が、優しく寄り添ってくれている気がした。
土と混じったカビくさい匂いも、身体を重く冷たくする感触も、全て。
アスバルは幼い頃、雨が叩きつける城外へと追い出されたことがある。
無論、母親の機嫌を損ねる行いをした罰として、だ。
滝見の広場にひとり閉じ込められた彼は、雨が自身の身体を冷やしていくのをじっと耐えていた。
音楽の稽古の時間にほんの少し興味が湧いて、他の楽器を触ってしまった。そんな些細な子どもの好奇心は、ゼクレスの王太后を憤慨させるには十分だった。
「さむい……」
ここから出してほしいと叫んだり、赦しを乞うことを幼いアスバルはしなかった。
そうやって大きな声を出したとしても、何も変わらない。ただいたずらに体力を消耗するだけだと幼いながらに理解していたからだ。
為す術のないアスバルは、濁った色をした滝に視線を向ける。雨で勢いを増したそれは、やがて湖へと流れ込む。決して、広い海へ流れ着くことはない。
まるで、自分みたいだ。そう思うと心の奥まで凍てついてしまいそうで、膝を抱いてうずくまる。雨は止まず、行き着く先は行き止まりの未来。
雨に紛れて、涙が頬を伝う。誰か、助けて。誰か。
言葉の代わりに出たのはただの嗚咽で、それも雨音に混ざり——かき消された。
◇◇◇
「アスバル! 早く早く!」
突然の雨に降られたというのに、大魔王はアスバルの数歩先をスキップで歩いている。
滑るから危ないよ、というアスバルの声が届いているのか定かではない。
一応返事がわりに片手をひらひらと挙げたと思えば、目の前の水たまりに躊躇なく飛び移った。
……傘は無い。近くの商店で買って行こうかとアスバルが聞いたが、たまには濡れるのも悪くないでしょ?などと言って、外に飛び出したのだ。
軒先で切り取られた空を見上げると、厚い雲で覆われている。一歩踏み出してしまえば、その先は雨の世界だ。
アスバルが雨に濡れたくないと言えば、きっと彼女も傘を買いに立ち寄ってくれることだろう——だけど。
アスバルは一度深呼吸すると、雨の中に飛び出して大魔王の背を追った。
「あはは! アスバルもうびしょびしょ!」
前髪がすっかり額に張りついてしまってなお、笑いが絶えない大魔王を見ると、心のざわつきを覆い隠すように、別の感情が流れ込む。
このネズミ色の空とは裏腹に上機嫌な大魔王と一緒なら、こんな雨でも平気かもしれない。そんな予感が、アスバルの中には宿っていた。
◇◇◇
アスバルと大魔王は、恋人同士となって久しい。
お互い忙しい中でもどうにか時間を割いて、予定を合わせてはこうやって二人きりで過ごすのだ。
そして今日は、このジュレットの町で楽しいひとときを過ごしていた。もちろん、アスバルはウェディに変装して。
そしてこの町の酒場の名物だという、ジュレット近海で獲れた海鮮に舌鼓を打った二人だったが、お腹が膨れた頃には外はすっかり土砂降りになっていた。
「なかなか止みそうにないし、風邪ひいちゃう前に家に帰ろう」
さすがの大魔王でも、雨で身体を冷やすことには抵抗はあるようだ。
ちなみに彼女の言う"家"というのは、ジュレットに程近い島に建つ、大魔王の所有する家のことだ。
アスバルがルーラストーンを取り出そうとすると、大魔王は制止した。
「せっかくだし、今日は違うルートで帰ろっか」
そう言って微笑むと、そのまま駅のある桟橋の方へと向かっていく。傘をさした人々とすれ違いつつ、駅の手前を左に曲がった。
そこから住宅地のある小さな島への舟が出ているのだ。
大魔王は渡し守に何か話しているが、雨の音が遮ってアスバルには聞こえない。ちょうどピースサインの要領で人差し指と中指を挙げると、渡し守が頷いた。
「舟に乗るのかい?」
「そ。たまには悪くないでしょ? しかも運が良かった。すぐに出してくれるって」
大魔王は慣れた様子で舟に乗ると、アスバルに手を差し伸べた。こんな雨の中でも、やっぱり舟は心が躍る。大魔王の手を取りゆっくり足を踏み入れると、その重みで舟が少し沈んだ。
「おや、兄ちゃん。なんだかぎこちねぇが、舟は初めてか?」
渡し守は二人が座ったのを確認すると、船着場に繋げられた縄を外した。
「ええと、あまり乗り慣れていなくて……」
アスバルが返すと、渡し守は安心しなと親指を立てる。
「この舟はヴェリナード製でね。こんな雨の日でも全く揺れないって評判なんだ。短い間だが、安心して舟旅を楽しんでくれよ」
そう言うと、渡し守はパドルで水をかいた。舟はゆっくりと船着場から離れていく。
「舟はあんまり乗らない?」
大魔王がアスバルの顔を覗き込む。
「元々リソルが用意したメガルーラストーンを使うことが多くてね。君の家に行く時だって、君がくれたのを使っていたし」
「なるほど……」
少し前、大魔王はアスバルにルーラストーンを手渡した。それには彼女の自宅が登録されていて、アスバルは改めて恋人となった実感を噛み締めた。
「お前さんたち冒険者の中にはそういう奴も多いんだ。なんたって一瞬でどこへでもひとっ飛びだからな。だがこうやって、たまには利用してくれると嬉しいよ」
大魔王とアスバルが、もちろんと頷くと、渡し守も二人の方に振り返って微笑んだ。
ジュレットの町が遠ざかっていく中、大魔王はアスバルが視線を送る先を見た。
おもちゃのように小さいが、あれは大地の箱舟だ。
「——駅で見るとあんなに大きい列車が、こんなに小さく見えるんだね」
ぽつりと言うと、アスバルは目を輝かせた。
「ああ。なんだか不思議な気分だよ。まるでジュレットの町もジオラマみたいだね」
駅に停まった列車は、ヴェリナードに向けて再び走り出す。
それが遠ざかって見えなくなった後も、アスバルはその水平線をしばらく見つめていた。
◇◇◇
「ふぅ、こんなもんでどう?」
湯気に包まれた脱衣所で、大魔王は椅子に座ったアスバルの髪を梳いた。
「うん、バッチリだよ。次は君の番だ」
アスバルが立ち上がり、その椅子に今度は大魔王が腰掛ける。
ドライヤーのスイッチを入れると、彼よりも少し長い大魔王の髪がはらはらと風に舞った。
舟を降りて大魔王の家に着いた二人は、まず湯船で身体を温めることにした。
アスバルが来た時のために取っておいたという入浴剤には保温効果があったようで、雨で冷えた二人の身体は湯冷めすることなくすっかり温まった。
濡れてしまった衣服はというと、今は洗濯機の中で回っている。
着替えは大魔王が密かに揃いで買っていたらしい、ペアの部屋着だ。
タオル地で着心地が良く、その上アスバルにとってはあまり馴染みのないものだった為、彼は何度も感嘆の声を上げ、色違いを着た大魔王に何度も感謝を述べたのだった。
一方で大魔王は、見るからに高価そうなアスバルの私服を濡らしてしまったことを今さら後悔している様子だった。
すっかり上機嫌なアスバルは気にも留めるはずもなく——むしろ乗り気という感じで洗濯機に投げ入れた。
大魔王の髪に風を当てながら、アスバルは自身の服が濡れてしまったことに何の不快感も無かったことに驚きを隠せなかった。
洗濯機から、終了を告げる音が鳴る。
不快感よりもむしろ——大魔王と一緒にずぶ濡れになったこと、その服が一緒に洗われたことがアスバルにとっては何より幸せに思えたのだった。
「はい、乾いたよ。さて、これからどうする?」
「ありがと。うーん、どうしようか……あ、そうだ」
自身の髪を手で梳きながら、大魔王はにやりと口角を上げる。
「ふふ。何か企んでるようだけど」
「ふふん。まぁね。とりあえず、まずは洗濯物!」
そこから二人はカゴに洗濯物を入れ、手際よく干し終えた。
雨はまだ降り続いている。
部屋の傍らにあるハンガーラックに、二人が今日身につけていた服が仲良く並べられた。
「昼寝、最高!」
洗濯物を干し終えた大魔王は、そう言って大きなベッドに飛び込んだ。
「何をするのかと思えば……もしかして、昼寝をするつもりだったのかい?」
「当たり。あったかいからさ、眠くなってこない? ふあぁ」
大魔王は大きなあくびをした後、おいでというように自身の横のスペースを手でぽんぽんと叩いた。
アスバルがベッドに入ると、大魔王は自身と彼を包みこむように掛け布団を被せた。
「もう、仕方ないなぁ」
「でもアスバルだって、ちょっと嬉しそうじゃん」
「だって、ゼクレスではこんなことしたことないよ。ふふ、こんなにワクワクすることが、他にあるかい?」
あまりにあっけらかんとした表情で言う様子に、思わず大魔王が吹き出すと、アスバルも釣られて笑った。
「それにしても——雨、止まないね」
大魔王が窓の方に目をやると、未だにぽつぽつと雨粒が窓ガラスを濡らしているのが見えた。
「ふふ。まさかこんな雨の中、傘も差さずにに走り出すなんて」
「ごめんごめん、つい浮かれちゃって」
そう言って苦笑いを浮かべる大魔王の身体を引き寄せるように、アスバルは彼女の背に片腕を回した。
「君は——雨が好きなのかい?」
「うん、好き。ウェディって結構雨に濡れても平気なところあるじゃない?」
大魔王から「好き」という言葉を口にされると、アスバル自身に向けられた言葉ではなくても胸の奥が強く跳ねる。
だけど、単純に好きな人の好きなことを知れるのは嬉しい。
「ああ。ジュレットの町でも傘を差さないウェディを何人か見たね。でも君は——」
「うん。小さい頃から好きだったんだ。姉と一緒に水たまりで遊んで、よく叱られてたし」
「なるほど。じゃあウェディになって、もっと好きになったんだね」
「そうかも。こうやって、家の中で暖まりながら聴く雨音も好き」
大魔王のスラリと伸びた脚が、アスバルの脚に絡められていく。
「——アスバルは?」
「僕は——」
そう口にした時、アスバルが何かを考えるより先に、するりと続きが紡がれた。
「うん、僕も雨が好きだ」
自身の言葉に、また胸の奥が強く跳ねた。
「ふふっ。うん、雨が好きなんだ、すごく。今日好きになった、と言った方が正確かもしれないけど」
「えぇ、今日?」
大魔王は不思議そうな表情を浮かべた後、何やら一段と楽しそうにしているアスバルを愛おしそうに見つめた。
「うん。やっぱり君は、いつだって僕の世界を色付けてくれる。本当に——ありがとう」
アスバルが大魔王の額に口付けをすると、彼女はくすぐったそうに微笑む。
「もう、急にどうしたの? 変なアスバル」
アスバルは返事の代わりに、ただ見つめるだけだ。そうしていると目の奥がじんとしてきて、それが大魔王にバレないように、今度はきつく抱きしめた。
「なんだか……眠くなってきたね」
雨の音が響いている。
大魔王は身じろいで、小さくあくびをした。
「おやすみ。大魔王」
「うん、おやすみ。アスバル」
雨は好きだ。
恋人の肌から伝わる体温が、一段と温かく感じるから。
窓を打つ雨音が、優しく寄り添ってくれている気がした。
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