アスバル×主人公♀
「ねぇ、アスバルの一番大事なものってなに?」
それは異界アスタルジアでのこと。焚き火を囲んで一息つきながら、何気なく聞いた質問だった。
「もちろん、君との友情だよ」
穏やかな笑顔で、アスバルが言う。不意打ちを食らって、「え?」と気の抜けた声が漏れた。
「たくさんの宝物を僕にくれてありがとうね」
ポカンとしているわたしに、アスバルはそう言って優しく微笑む——その表情が、目に焼きついて離れなくなって。
一番大切なもの。例えば、幼少期の思い出の品だとか、自分の価値観を形作ったものだとか。そういうものを想定していたけれど、アスバルの一番大切なものとして挙げたのは——わたしとの友情だった。
もちろん嬉しい。それと同時に、安堵の気持ちがあったのは予想外だった。他の誰かじゃなく、わたしが一番。そっか、わたしはアスバルの一番なのか。
そうやって反芻するだけで落ち着かなくなる。胸がムズムズして、顔が熱くなる。その弊害はすぐに現れた。
先日、大魔王城で三魔王たちとの定例会があった時のこと。わたしはアスバルの顔を直視できなくなっていた。それどころか、生返事を繰り返してユシュカには心配され、ヴァレリアには叱責された。
今まで、アスバルとどう接していたんだっけ。そんな当たり前も見失って、気づけば彼を避けるようになってしまった。
◇◇◇
「し、至難の業すぎる……」
きっとこれは、神様の悪戯に違いない。アスバルに会いたくない時に限って、どの街に行っても彼にばったりと会ってしまう。
おとといはヴェリナード城下町。アクセサリー屋に向かう途中、駅から出てくる彼を発見。慌てて近くの民家に逃げ込んで、住人に通報されそうになる。
昨日はメギストリスの都のおしゃれストリート。行きつけの美容院での散髪中、店の外に彼の姿を見つけた。咄嗟に目を細めて顎を突き出し、そっくりさんを装う。が、鏡越しに怪訝な顔をした美容師さんの目が合った——もう二度と、あの美容院に行くことはないだろう。
そして現在はガートラント城下町。魔物の討伐依頼をこなし、討伐隊員に報告をしていたところだった。大通りを歩いてくる、遠くからも目を引く綺麗な淡い色の髪のウェディ——アスバルだ。
慌てて報酬を受け取り、宿屋へと伸びる階段を駆け降りる。そのまま宿屋を突っ切って、少し離れた場所にある酒場に逃げ込んだ。
「はぁ、はぁ……。あの魔王、アストルティアに来すぎだよぉ……」
酒場に入ってしまった手前、そのまま出るのも申し訳ないので飲み物をテイクアウトする。
ここで少し余談。近年は、こうやってふらっと立ち寄った冒険者のために、ノンアルコールの飲み物も売り出している酒場も多い。
大陸ごとに売っている飲み物も少しずつ異なる。ここガートラントの酒場でのお気に入りは、高原で伸び伸びと育った牛から採れた生乳を使ったカフェラテだ。
そういえば、アスバルに勧めたらしばらく気に入って毎日のように飲んでいたっけ。
彼の優しい笑顔が無意識によぎって、どきんと胸が跳ねる。アスバルはアストルティアに深い関心がある。だから、アストルティアのことに詳しいわたしと親しくしてくれている。それだけ。そう思っていたのに。
店を出て、先ほど買ったカフェラテを一口飲む。走ったせいで汗ばんだ身体を少しは冷やしてくれたけど、やっぱりまだちょっと暑い。ふと、城下町の下層へ続く路地が目に入った。日陰の涼しげな雰囲気に誘われるように歩みを進める。
それにしても、アスバルはすごい。まぁ彼のすごい所は色々とあるんだけど、アスバルは本当に器用な人だ。毎日のようにアストルティアに現れているのに、一国の王として政務もきちんとこなしている。ゼクレス魔導国は今まさに過渡期にあり、きっと大小様々ないざこざも少なくないはずなのに。
とまぁ、本来ならば大魔王として賞賛すべきことなのだけど、この状況においてはその有り余る活力は少々厄介だ。アスバルは、もう城下町を出て行っただろうか——
すると突然、後ろから腕を掴まれた。「ひぇっ」という情けない悲鳴が通路に反響して、思わずカフェラテを落としそうになった。
腕を掴む手の先に誰がいるのか、振り返らなくても察しは付く。
"やっと見つけてくれた"
そんな気持ちが胸を貫いて、手のひらに汗が滲んだ。自分でも信じられない。あんなに避けていたくせに、本当はずっと会いたかっただなんて。
そもそも本気で逃げたければ、ルーラストーンを使って遠くに逃げることだってできた。それなのに、こんな風に悠長に飲み物片手に留まっているだなんて。……はは、なんて茶番だ。
「大魔王! やっとつかまえた!」
きっとわたしの姿を見つけて、慌てて走ってきたのだろう。息を切らして、額には汗が滲んでいる。
その姿を見て申し訳なくなって、わたしは自分の身勝手さを恨んだ。
「良かった、ずっと会えなかったから……。久しぶり、だね」
「う、うん。久しぶり……」
アスバルはわたしが逃げてしまうと思ったのか、まだ腕を掴んだまま言った。
わたしは歯切れの悪い相槌をして——やっぱり、ダメだ。言葉が喉につっかえて上手く喋れないし、目を見ることすらできない。
気まずい沈黙の後、先に口を開いたのはアスバルだった。
「今、時間はあるかい?」
「あ、うん。大丈夫」
アスバルがホッとしたように小さく息を吐いた。
それから——やっと腕を掴んだ手を解いた次の瞬間、そのままわたしの指に自身の指を絡めるようにして手を繋がれてしまった。
「ちょ、ちょっと……!」
「ふふ。じゃあ、ちょっと歩きながら話そうか」
アスバルの手はひんやりとしていて、案外ごつごつとしていた。普段の柔らかい彼の印象からは想像もつかないほど、ちゃんと男の人の手だ。
ああ——手が熱い。身体中の熱が、今繋がれている手に集約しているような気さえする。変な汗をかいていて、きっとベタベタしてる。
それでもアスバルは、構わずわたしの手を引いて歩みを進めている。そして、城下町を出て少ししたところで立ち止まった。
「ここまで来れば、変装は必要ないかな?」
アスバルがそう言うと、彼の姿は一瞬のうちに魔族の姿に戻った。赤の外套をはためかせる姿がいつもよりも煌めいて見えて目に沁みる。
一方のわたしは、先ほどのカフェラテを飲むタイミングを完全に逃してしまった。アスバルに繋がれていない方の手を塞いだまま、ただ地面に水滴を垂らしている。
「ねぇ、大魔王」
「ん?」
「僕を避けていたのはどうしてか、聞いてもいいかい?」
「さ、避けてなんか……」
「……ヴェリナードで民家に逃げ込んだ時は?」
「!? さ、さぁ。何の話だか……」
「ふぅん。ああ、昨日の変顔はなかなかのものだったね」
「うっ……! ひ、人違いだと思うけど!?」
——さすがはあの曲者揃いのゼクレス魔導国の魔王。だけどこれ以上の言い訳は苦しいか……なんて思っていると、アスバルは不意に繋がれていた手を解いた。
「……分からないんだ」
アスバルは振り絞るようにして言葉を紡いだ。
「きっと僕は、君に避けられるようなことをしでかしたんだろう。でも、何も分からなくて……ごめん」
「ち、違う!」
ああ、わたしは何てバカなことを。こんな風にアスバルに謝られるまで、自分のことばかりしか考えていなかった。
「……ねぇアスバル。わたしの方こそごめん」
「どうして君が謝るんだい?」
「だって……アスバルは何も悪くないのに……!」
「あっ。ふふ、やっと目が合ったね」
「あ……」
だってそれは、アスバルに謝りたい一心だったから。思わぬ拍子に久しぶりに見たその瞳は、彼が愛して止まないアストルティアの空を映し出したかのように青く澄んでいた。
「ほら、僕と君の仲じゃないか。なんでも話してくれないかい?」
澄んだ青を細めて、アスバルはどこか安心したように微笑んだ。今までも見てきたはずのその笑顔が、今日は一段と眩しい。ああ——ぐるぐるメガネをかけてくるべきだった。
それにしても「僕と君の仲」だなんて、今のわたしにとっては十分すぎるほどの殺し文句だ。でも、そんな深い仲だからこそ話したくないことだってある——アスバルはそれを理解しているだろうか?
かといって、これ以上彼を不安にさせるような態度もしたくはない。
「よし!」
奮い立たせるように声を上げる。アスバルは一瞬驚いて、わたしの意図を読み取ったように頷いた。
「アスバル。わたし、全部ちゃんと話すから。聞いてほしい」
「ふふっ。うん、全部聞くよ。教えてくれるかい?」
「アスバルの言うとおり、わたしは君を避けてたわけだけど……その、あれは気まずかったからというか」
「気まずかった? どうしてだい?」
「えっと……前に話した、異界アスタルジアって覚えてる?」
「もちろん覚えてるよ! 何でも僕や君が出会った人物を模した幻影たちと、一緒に冒険出来るって話だったよね?」
「そうそう、それでね……」
「いやぁ、いつかぜひ僕も行ってみたいなぁ。あぁ今度、魔仙卿——君のお姉さんにお願いして——」
アスタルジアの話題を出した途端、アスバルは目を輝かせた。このまま放置してしまえば、日が暮れるまで異界アスタルジアの謎を解き明かすための考察を語り始めるだろう。
「アスバル、ストップストップ! その話は今いいから、とりあえず置いておいて」
「おっと、すまない。それで……もしかして僕の幻影と何かあった、とか?」
「……!」
「おや。その反応は、図星かな?」
全部見透かされているような笑みを向けられて、心臓が飛び出そうになった。
「一体僕の幻影は君に何をしでかしたんだい? 教えてほしいな」
「べ、別に何かしでかしたってわけでは……むしろ、わたしが聞いたんだ。アスバルの一番大切なものは何? って」
「大切な、もの……?」
アスバルは首を傾げた。改めて言葉にすると、やっぱり恥ずかしい。顔が熱くなって言葉に詰まってしまう。
そもそもわたしが可笑しいだけなんだ。幻影のアスバルは、わたしとの友情が一番の大切なものだと言っただけなのに。それが思っていた以上に嬉しくて——それはもう、その場で“始まりの大魔王の舞”を披露したくなるくらいには。
でも、そこで気づいてしまったのだ。嬉しいのと同時に、"友情"では物足りないという自分の気持ちに。
——アスバルが好きだ。
わたしのことが世界で一番大切で——わたしのことが世界で一番好きだと言ってほしい。
こんな気持ちのまま、アスバルと今までみたいに顔を合わせられる気がしなかったんだ。
「ふふっ、なるほどね。何となく話が分かってきた。あちらの僕が何と答えたかなんて、聞くまでもないよ」
余裕の表情の魔王は、異界の自分のことさえも全てお見通しのようだ。
「じゃあ、あえて聞くけれど——僕の大切なものを知って、どうして君は僕を避けていたのかな?」
「え、あっいや、その……」
わたしは思わず口籠ってしまった。するとそれまで隣を歩いていた魔王は、満面の笑みを浮かべながらわたしの正面に立った。
「全部、話してくれるって言ったよね? 僕に教えてくれないかな?」
アスバルは笑顔のまま、でも真剣な口調で問いかけてきた。しかも厄介なことに、屈んで目線をわたしに合わせてくるではないか。
ものすごい圧に負けて目線を逸らそうとすると、アスバルは「……ちゃんと僕を見て」と私の頬を両手で覆って固定した。あれ、わたし今日死ぬのかな。
「ひ、ひぃ……」
ものすごく顔が熱い。きっとアスバルの手のひらにまで、わたしの熱が伝わってしまっているに違いない。
こんな状況でも、やっぱりアスバルの瞳は綺麗で、その瞳に吸い込まれそうなわたしはついに本音が口から飛び出した。
「あのね、わたし……」
「アスバルの、世界で一番大切な人になりたい! 友達でも仲間でも無くて——わっ」
わたしは最後まで気持ちを吐き出すことが出来なかった——それより先に、せっかちなアスバルわたしを抱きしめたから。
突然のことに頭が真っ白になり、手に持っていたカフェラテは壮大に落下。無様に転がったカフェラテの容器は、フタのおかげで溢れずに済んだようだ。
アスバルはわたしを抱きしめたまま言った。
「——そうか、こんなに嬉しいんだね」
アスバルは、噛み締めるように言葉を紡いだ。
「好きな人が自分と同じ気持ちだと——こんなにも嬉しいんだ」
好きな人、同じ気持ち。ああ、言葉を噛み締めるたびに頭がふわふわする。溶けてしまいそうな気持ちの中、アスバルとの思い出が蘇った。
ある時は、アスバル自身の姿を模したギュッとちゃんをプレゼントしてくれた。これで離れていてもずっと一緒に居られるからと。
それに、燈火の調査隊でゼニアスに赴いた日の夜。慣れない環境と不安で眠れずにいたら、アスバルは一晩中雑談に付き合ってくれた。
“隊長”と呼ばずにわざと“大魔王”と呼んで、事情を知らない人たちを毎回驚かせていたのも、きっと——
「そっか。アスバルはわたしよりもずっと前から——わたしを想ってくれてたんだ」
アスバルがわたしにしているのと同じように、彼の背に手を回して抱き返した。
「ありがとう」とアスバルが小さくこぼした声は、少し震えていた。
◇◇◇
「アスバル! ほらほらこっち!」
「もう、そんなにはしゃいで……転ばないように気をつけるんだよ」
あれから数日が経った。アスバルを避けていた日々が嘘のように、二人きりの時間を楽しんでいた。
今までもアスバルと一緒にアストルティアを旅することはあったけれど——わたしがアスバルの方に手を伸ばすと、待ってましたという具合にアスバルがその手を握った。
今はもう、前とは違う。わたしたちは恋人同士になったんだから。
「今日は晴れてるから、ヴェリナードの城下町がよく見えるね」
「ふふっ、ここから手を振ったらオーディス王子も気づくかな?」
「あははっ! それは厳しいかも!」
今日のデートコースは、ヴェリナード領の西側。この周辺の魔物は、アストルティアの中では強い部類に入る。湖に浮かぶ白亜の城を見渡せる絶景スポットだけど、きっと並みの冒険者はデートどころではないはずだ。
当然、わたしたちに敵うような魔物は一匹もいないのだけれど。
「そういえば——あの美しい白亜の城がどうやって建設されたか、知っているかい? そもそも遥か昔は——」
今日も相変わらず上機嫌なアスバルは、早速ヴェリナードのうんちくを披露し始めた。ヴェリナードの建国に関わったリナーシェのことを熱く語っている彼に、わたしは本人に会ったことがあるなんて話したらどんな顔をするだろう。
でもとりあえず、今は気が遠くなるほど長くなりそうなアスバルのオタク語りに付き合うことにしようかな。
その後にでも、わたしからも彼が喜びそうなとっておきの話——この地で魔神族と戦った守護騎士団たちが、永き戦いの末勝利を勝ち取った話——でも披露しようと思う。
そんなことを考えてニヤリとしていると、アスバルに不意に名前を呼ばれた。今までだって何度も呼ばれていたはずなのに、思いが通じ合ってからはまだ何だかこそばゆい。
「ところで……異界の僕の言葉が、あんなに君の心を揺さぶってしまうなんてね」
わたしが照れくさそうに目を泳がせると、アスバルは肩をすくめて言った。
「ふふっ、なんだか妬けてしまうな」
そんなことを言いながら、アスバルはわたしにウインクを飛ばした。
「えー? そんなこと言って、なんだか随分と余裕そうじゃない?」
「だって、本物の僕が負けるわけがないだろう?」
「ふぅん、お手並み拝見といきましょうか」
アスバルがあまりにも得意げに言うので、ついと煽ってしまったのが良くなかった。
アスバルは、いたずらそうな笑みを浮かべてわたしの耳元でこう囁いた。
「君は僕の宝物さ。愛してる」
それは異界アスタルジアでのこと。焚き火を囲んで一息つきながら、何気なく聞いた質問だった。
「もちろん、君との友情だよ」
穏やかな笑顔で、アスバルが言う。不意打ちを食らって、「え?」と気の抜けた声が漏れた。
「たくさんの宝物を僕にくれてありがとうね」
ポカンとしているわたしに、アスバルはそう言って優しく微笑む——その表情が、目に焼きついて離れなくなって。
一番大切なもの。例えば、幼少期の思い出の品だとか、自分の価値観を形作ったものだとか。そういうものを想定していたけれど、アスバルの一番大切なものとして挙げたのは——わたしとの友情だった。
もちろん嬉しい。それと同時に、安堵の気持ちがあったのは予想外だった。他の誰かじゃなく、わたしが一番。そっか、わたしはアスバルの一番なのか。
そうやって反芻するだけで落ち着かなくなる。胸がムズムズして、顔が熱くなる。その弊害はすぐに現れた。
先日、大魔王城で三魔王たちとの定例会があった時のこと。わたしはアスバルの顔を直視できなくなっていた。それどころか、生返事を繰り返してユシュカには心配され、ヴァレリアには叱責された。
今まで、アスバルとどう接していたんだっけ。そんな当たり前も見失って、気づけば彼を避けるようになってしまった。
◇◇◇
「し、至難の業すぎる……」
きっとこれは、神様の悪戯に違いない。アスバルに会いたくない時に限って、どの街に行っても彼にばったりと会ってしまう。
おとといはヴェリナード城下町。アクセサリー屋に向かう途中、駅から出てくる彼を発見。慌てて近くの民家に逃げ込んで、住人に通報されそうになる。
昨日はメギストリスの都のおしゃれストリート。行きつけの美容院での散髪中、店の外に彼の姿を見つけた。咄嗟に目を細めて顎を突き出し、そっくりさんを装う。が、鏡越しに怪訝な顔をした美容師さんの目が合った——もう二度と、あの美容院に行くことはないだろう。
そして現在はガートラント城下町。魔物の討伐依頼をこなし、討伐隊員に報告をしていたところだった。大通りを歩いてくる、遠くからも目を引く綺麗な淡い色の髪のウェディ——アスバルだ。
慌てて報酬を受け取り、宿屋へと伸びる階段を駆け降りる。そのまま宿屋を突っ切って、少し離れた場所にある酒場に逃げ込んだ。
「はぁ、はぁ……。あの魔王、アストルティアに来すぎだよぉ……」
酒場に入ってしまった手前、そのまま出るのも申し訳ないので飲み物をテイクアウトする。
ここで少し余談。近年は、こうやってふらっと立ち寄った冒険者のために、ノンアルコールの飲み物も売り出している酒場も多い。
大陸ごとに売っている飲み物も少しずつ異なる。ここガートラントの酒場でのお気に入りは、高原で伸び伸びと育った牛から採れた生乳を使ったカフェラテだ。
そういえば、アスバルに勧めたらしばらく気に入って毎日のように飲んでいたっけ。
彼の優しい笑顔が無意識によぎって、どきんと胸が跳ねる。アスバルはアストルティアに深い関心がある。だから、アストルティアのことに詳しいわたしと親しくしてくれている。それだけ。そう思っていたのに。
店を出て、先ほど買ったカフェラテを一口飲む。走ったせいで汗ばんだ身体を少しは冷やしてくれたけど、やっぱりまだちょっと暑い。ふと、城下町の下層へ続く路地が目に入った。日陰の涼しげな雰囲気に誘われるように歩みを進める。
それにしても、アスバルはすごい。まぁ彼のすごい所は色々とあるんだけど、アスバルは本当に器用な人だ。毎日のようにアストルティアに現れているのに、一国の王として政務もきちんとこなしている。ゼクレス魔導国は今まさに過渡期にあり、きっと大小様々ないざこざも少なくないはずなのに。
とまぁ、本来ならば大魔王として賞賛すべきことなのだけど、この状況においてはその有り余る活力は少々厄介だ。アスバルは、もう城下町を出て行っただろうか——
すると突然、後ろから腕を掴まれた。「ひぇっ」という情けない悲鳴が通路に反響して、思わずカフェラテを落としそうになった。
腕を掴む手の先に誰がいるのか、振り返らなくても察しは付く。
"やっと見つけてくれた"
そんな気持ちが胸を貫いて、手のひらに汗が滲んだ。自分でも信じられない。あんなに避けていたくせに、本当はずっと会いたかっただなんて。
そもそも本気で逃げたければ、ルーラストーンを使って遠くに逃げることだってできた。それなのに、こんな風に悠長に飲み物片手に留まっているだなんて。……はは、なんて茶番だ。
「大魔王! やっとつかまえた!」
きっとわたしの姿を見つけて、慌てて走ってきたのだろう。息を切らして、額には汗が滲んでいる。
その姿を見て申し訳なくなって、わたしは自分の身勝手さを恨んだ。
「良かった、ずっと会えなかったから……。久しぶり、だね」
「う、うん。久しぶり……」
アスバルはわたしが逃げてしまうと思ったのか、まだ腕を掴んだまま言った。
わたしは歯切れの悪い相槌をして——やっぱり、ダメだ。言葉が喉につっかえて上手く喋れないし、目を見ることすらできない。
気まずい沈黙の後、先に口を開いたのはアスバルだった。
「今、時間はあるかい?」
「あ、うん。大丈夫」
アスバルがホッとしたように小さく息を吐いた。
それから——やっと腕を掴んだ手を解いた次の瞬間、そのままわたしの指に自身の指を絡めるようにして手を繋がれてしまった。
「ちょ、ちょっと……!」
「ふふ。じゃあ、ちょっと歩きながら話そうか」
アスバルの手はひんやりとしていて、案外ごつごつとしていた。普段の柔らかい彼の印象からは想像もつかないほど、ちゃんと男の人の手だ。
ああ——手が熱い。身体中の熱が、今繋がれている手に集約しているような気さえする。変な汗をかいていて、きっとベタベタしてる。
それでもアスバルは、構わずわたしの手を引いて歩みを進めている。そして、城下町を出て少ししたところで立ち止まった。
「ここまで来れば、変装は必要ないかな?」
アスバルがそう言うと、彼の姿は一瞬のうちに魔族の姿に戻った。赤の外套をはためかせる姿がいつもよりも煌めいて見えて目に沁みる。
一方のわたしは、先ほどのカフェラテを飲むタイミングを完全に逃してしまった。アスバルに繋がれていない方の手を塞いだまま、ただ地面に水滴を垂らしている。
「ねぇ、大魔王」
「ん?」
「僕を避けていたのはどうしてか、聞いてもいいかい?」
「さ、避けてなんか……」
「……ヴェリナードで民家に逃げ込んだ時は?」
「!? さ、さぁ。何の話だか……」
「ふぅん。ああ、昨日の変顔はなかなかのものだったね」
「うっ……! ひ、人違いだと思うけど!?」
——さすがはあの曲者揃いのゼクレス魔導国の魔王。だけどこれ以上の言い訳は苦しいか……なんて思っていると、アスバルは不意に繋がれていた手を解いた。
「……分からないんだ」
アスバルは振り絞るようにして言葉を紡いだ。
「きっと僕は、君に避けられるようなことをしでかしたんだろう。でも、何も分からなくて……ごめん」
「ち、違う!」
ああ、わたしは何てバカなことを。こんな風にアスバルに謝られるまで、自分のことばかりしか考えていなかった。
「……ねぇアスバル。わたしの方こそごめん」
「どうして君が謝るんだい?」
「だって……アスバルは何も悪くないのに……!」
「あっ。ふふ、やっと目が合ったね」
「あ……」
だってそれは、アスバルに謝りたい一心だったから。思わぬ拍子に久しぶりに見たその瞳は、彼が愛して止まないアストルティアの空を映し出したかのように青く澄んでいた。
「ほら、僕と君の仲じゃないか。なんでも話してくれないかい?」
澄んだ青を細めて、アスバルはどこか安心したように微笑んだ。今までも見てきたはずのその笑顔が、今日は一段と眩しい。ああ——ぐるぐるメガネをかけてくるべきだった。
それにしても「僕と君の仲」だなんて、今のわたしにとっては十分すぎるほどの殺し文句だ。でも、そんな深い仲だからこそ話したくないことだってある——アスバルはそれを理解しているだろうか?
かといって、これ以上彼を不安にさせるような態度もしたくはない。
「よし!」
奮い立たせるように声を上げる。アスバルは一瞬驚いて、わたしの意図を読み取ったように頷いた。
「アスバル。わたし、全部ちゃんと話すから。聞いてほしい」
「ふふっ。うん、全部聞くよ。教えてくれるかい?」
「アスバルの言うとおり、わたしは君を避けてたわけだけど……その、あれは気まずかったからというか」
「気まずかった? どうしてだい?」
「えっと……前に話した、異界アスタルジアって覚えてる?」
「もちろん覚えてるよ! 何でも僕や君が出会った人物を模した幻影たちと、一緒に冒険出来るって話だったよね?」
「そうそう、それでね……」
「いやぁ、いつかぜひ僕も行ってみたいなぁ。あぁ今度、魔仙卿——君のお姉さんにお願いして——」
アスタルジアの話題を出した途端、アスバルは目を輝かせた。このまま放置してしまえば、日が暮れるまで異界アスタルジアの謎を解き明かすための考察を語り始めるだろう。
「アスバル、ストップストップ! その話は今いいから、とりあえず置いておいて」
「おっと、すまない。それで……もしかして僕の幻影と何かあった、とか?」
「……!」
「おや。その反応は、図星かな?」
全部見透かされているような笑みを向けられて、心臓が飛び出そうになった。
「一体僕の幻影は君に何をしでかしたんだい? 教えてほしいな」
「べ、別に何かしでかしたってわけでは……むしろ、わたしが聞いたんだ。アスバルの一番大切なものは何? って」
「大切な、もの……?」
アスバルは首を傾げた。改めて言葉にすると、やっぱり恥ずかしい。顔が熱くなって言葉に詰まってしまう。
そもそもわたしが可笑しいだけなんだ。幻影のアスバルは、わたしとの友情が一番の大切なものだと言っただけなのに。それが思っていた以上に嬉しくて——それはもう、その場で“始まりの大魔王の舞”を披露したくなるくらいには。
でも、そこで気づいてしまったのだ。嬉しいのと同時に、"友情"では物足りないという自分の気持ちに。
——アスバルが好きだ。
わたしのことが世界で一番大切で——わたしのことが世界で一番好きだと言ってほしい。
こんな気持ちのまま、アスバルと今までみたいに顔を合わせられる気がしなかったんだ。
「ふふっ、なるほどね。何となく話が分かってきた。あちらの僕が何と答えたかなんて、聞くまでもないよ」
余裕の表情の魔王は、異界の自分のことさえも全てお見通しのようだ。
「じゃあ、あえて聞くけれど——僕の大切なものを知って、どうして君は僕を避けていたのかな?」
「え、あっいや、その……」
わたしは思わず口籠ってしまった。するとそれまで隣を歩いていた魔王は、満面の笑みを浮かべながらわたしの正面に立った。
「全部、話してくれるって言ったよね? 僕に教えてくれないかな?」
アスバルは笑顔のまま、でも真剣な口調で問いかけてきた。しかも厄介なことに、屈んで目線をわたしに合わせてくるではないか。
ものすごい圧に負けて目線を逸らそうとすると、アスバルは「……ちゃんと僕を見て」と私の頬を両手で覆って固定した。あれ、わたし今日死ぬのかな。
「ひ、ひぃ……」
ものすごく顔が熱い。きっとアスバルの手のひらにまで、わたしの熱が伝わってしまっているに違いない。
こんな状況でも、やっぱりアスバルの瞳は綺麗で、その瞳に吸い込まれそうなわたしはついに本音が口から飛び出した。
「あのね、わたし……」
「アスバルの、世界で一番大切な人になりたい! 友達でも仲間でも無くて——わっ」
わたしは最後まで気持ちを吐き出すことが出来なかった——それより先に、せっかちなアスバルわたしを抱きしめたから。
突然のことに頭が真っ白になり、手に持っていたカフェラテは壮大に落下。無様に転がったカフェラテの容器は、フタのおかげで溢れずに済んだようだ。
アスバルはわたしを抱きしめたまま言った。
「——そうか、こんなに嬉しいんだね」
アスバルは、噛み締めるように言葉を紡いだ。
「好きな人が自分と同じ気持ちだと——こんなにも嬉しいんだ」
好きな人、同じ気持ち。ああ、言葉を噛み締めるたびに頭がふわふわする。溶けてしまいそうな気持ちの中、アスバルとの思い出が蘇った。
ある時は、アスバル自身の姿を模したギュッとちゃんをプレゼントしてくれた。これで離れていてもずっと一緒に居られるからと。
それに、燈火の調査隊でゼニアスに赴いた日の夜。慣れない環境と不安で眠れずにいたら、アスバルは一晩中雑談に付き合ってくれた。
“隊長”と呼ばずにわざと“大魔王”と呼んで、事情を知らない人たちを毎回驚かせていたのも、きっと——
「そっか。アスバルはわたしよりもずっと前から——わたしを想ってくれてたんだ」
アスバルがわたしにしているのと同じように、彼の背に手を回して抱き返した。
「ありがとう」とアスバルが小さくこぼした声は、少し震えていた。
◇◇◇
「アスバル! ほらほらこっち!」
「もう、そんなにはしゃいで……転ばないように気をつけるんだよ」
あれから数日が経った。アスバルを避けていた日々が嘘のように、二人きりの時間を楽しんでいた。
今までもアスバルと一緒にアストルティアを旅することはあったけれど——わたしがアスバルの方に手を伸ばすと、待ってましたという具合にアスバルがその手を握った。
今はもう、前とは違う。わたしたちは恋人同士になったんだから。
「今日は晴れてるから、ヴェリナードの城下町がよく見えるね」
「ふふっ、ここから手を振ったらオーディス王子も気づくかな?」
「あははっ! それは厳しいかも!」
今日のデートコースは、ヴェリナード領の西側。この周辺の魔物は、アストルティアの中では強い部類に入る。湖に浮かぶ白亜の城を見渡せる絶景スポットだけど、きっと並みの冒険者はデートどころではないはずだ。
当然、わたしたちに敵うような魔物は一匹もいないのだけれど。
「そういえば——あの美しい白亜の城がどうやって建設されたか、知っているかい? そもそも遥か昔は——」
今日も相変わらず上機嫌なアスバルは、早速ヴェリナードのうんちくを披露し始めた。ヴェリナードの建国に関わったリナーシェのことを熱く語っている彼に、わたしは本人に会ったことがあるなんて話したらどんな顔をするだろう。
でもとりあえず、今は気が遠くなるほど長くなりそうなアスバルのオタク語りに付き合うことにしようかな。
その後にでも、わたしからも彼が喜びそうなとっておきの話——この地で魔神族と戦った守護騎士団たちが、永き戦いの末勝利を勝ち取った話——でも披露しようと思う。
そんなことを考えてニヤリとしていると、アスバルに不意に名前を呼ばれた。今までだって何度も呼ばれていたはずなのに、思いが通じ合ってからはまだ何だかこそばゆい。
「ところで……異界の僕の言葉が、あんなに君の心を揺さぶってしまうなんてね」
わたしが照れくさそうに目を泳がせると、アスバルは肩をすくめて言った。
「ふふっ、なんだか妬けてしまうな」
そんなことを言いながら、アスバルはわたしにウインクを飛ばした。
「えー? そんなこと言って、なんだか随分と余裕そうじゃない?」
「だって、本物の僕が負けるわけがないだろう?」
「ふぅん、お手並み拝見といきましょうか」
アスバルがあまりにも得意げに言うので、ついと煽ってしまったのが良くなかった。
アスバルは、いたずらそうな笑みを浮かべてわたしの耳元でこう囁いた。
「君は僕の宝物さ。愛してる」
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