その他
この世界を肯定したい。
少年のそんな願いとは裏腹に、彼を取り巻く世界は悪意で満ちていた。
「あなた聞いた? 昨日の晩餐でまた毒味役が倒れたって」
「ええ、しかもアスバル様の目の前でだなんて。まだ幼いのにお可哀想に……」
少年——アスバルが書庫で魔導書を読んでいると、廊下から侍女たちの話し声が聞こえてきた。
居心地の悪さを感じて、深いため息を吐く。魔導書を閉じると、椅子にもたれて天井を見上げた。
毎日顔を合わせる従者たちの中に、自分の命を狙う者がいる。そうやって常に疑いの目を向けるのは、もう沢山だった。
どうにも居心地が悪くなり、魔導書を抱えて席を立つ。自室で静かに読もう——そう思い、廊下へと続く扉に手をかけたその時だった。
「わぁっ!」
勢いよく扉が開く。アスバルは飛び込んできた人物とぶつかって、そのまま倒れ込んだ。
「い、てて……」
「わっ、ごめん! ケガは無い!?」
ぶつかってきた人物は、慌てて起き上がってアスバルを心配そうに見つめる。アスバルが頷くと、ホッとした表情で微笑んだ。
見慣れない旅装束を身にまとったその人は、アスバルよりも少し大人びた顔立ちをした少女だった。背も自分より頭一つくらい高い。となると五十……いや、もっと年上かもしれない。そんなことよりも——アスバルは息を呑んだ。
「あのさ。ひとまず……ちょーっと匿ってほしいかも——」
少女がそう言うと、それとほとんど同じタイミングで、扉をノックする音が響いた。
「やばっ」と呟くや否や、彼女はものすごい素早さで長机の下に隠れてしまった。
アスバルは何が何だか分からないまま廊下の向こうに返事をし、恐る恐る扉を開けた。
「どう、したんだい?」
見上げると、焦った様子の兵士が立っていた。
「ああ、アスバル様! 今し方、こちらに怪しげな者が侵入しませんでしたでしょうか?」
怪しげな者——思わず長机の方に意識が向きそうになる。けれど動揺を気取られぬよう、なるべく表情を変えずに口を開いた。
「いや。しばらくここに居るけど、誰も入ってきていないよ」
「おかしいな、確かに——あ、いや。それなら良いのです。大変失礼致しました。それでは——」
兵士は首を傾げつつ、一礼して去っていった。足音が聞こえなくなった時、アスバルは肩を撫で下ろして吐息を漏らした。
「ふう、もう大丈夫だよ」
長机の下から顔を出した少女は「ありがとう」と礼をしてすぐ、何か焦った様子で辺りを見渡した。そして「あ、あった!」と声を上げたと思えば、先ほど入ってきた扉の前でしゃがみこんで何かを拾い上げた——大体アスバルの両手におさまるほどの、銀色の箱だ。少女はその表面を服で拭い、傷が無いことを確認して安堵した。
大事そうにしているそれが何なのか、アスバルが尋ねるより先に、少女はそそくさとカバンに仕舞った。
「ええと、改めて……さっきは本当にありがとう。あ、あの、怪しいヤツじゃないよ。いや、怪しいヤツではあるのか……でも、ええと、その——」
「大丈夫、平気だよ。そんなことよりさ、君ってアストルティアから来たんでしょう?」
口ごもる少女に、アスバルは目を輝かせながら尋ねた。本当は飛び跳ねて喜びたいくらいだ。けれど彼女が兵士に見つからないように、出来るだけ声を抑えた。
「な、何でそれを……?」
「だって君、ウェディだよね? 本に書いてあったから分かるんだ。本当に、美しい肌の色をしているんだね」
——しまった。少女は、いかにもそう言いたげな表情を浮かべた。
「ねぇ、一体どうやって魔界まで? それにこの城に忍び込むなんてどんな手段を使ったのかな? そもそも君は一体何者なんだい!?」
矢継ぎ早に質問をしようとするアスバルに、少女は思わず吹き出した。
「ふふっ。おんなじだ」
少女はアスバルの頭をくしゃくしゃと撫でると、同じ目線になるようにしゃがんだ。
「あのね、君に会いに来たんだ。ずぅっと遠くからね」
「僕に? でも、どうして!?」
「君と、友だちになりたいから」
「君が……僕の友だちに?」
友だち。そう言ってアスバルに近づく者は、親からそうするようにと言い聞かされているような、打算的な者ばかりだった。
だけど彼女は違う——アスバルは何故かそう感じていた。
「友だちに、なってくれるかな?」
「もちろん!」
少女が手を差し出すと、アスバルは迷わずその手を取る。
「ありがと、アスバル」
握手を交わしながら、アスバルは首を傾げた。名乗っていないはずなのに、少女が自分の名を呼んだからだ。
「ええと、君は——」
「あのね、アスバル」
少女は遮るように口を開くと、少し悲しげな表情を浮かべた。
「わたしたちは、ずっと友だちだよ。離れてても、ずっと。——約束だよ」
まるで、離ればなれになることが分かっているようだ。アスバルが口を開きかけた時、再び扉を叩く音が響いた。
「アスバル様。度々失礼致します!」
兵士は、今度はアスバルが扉を開けるのを待たなかった。
アスバルが慌てて扉に駆け寄ると、兵士は入ってくるなり辺りを見渡した。
「あ、あの、えっと……」
「ふむ……。何やら話し声が聞こえたような気がしたのですが。あなた様しかいらっしゃらないようですね」
兵士の言葉に振り返ると、先ほどまでいたはずの友は忽然と姿を消していた。
「アスバル様、何か異変がありましたらお声がけください。何せ、昨日の今日ですからね」
どうやら昨晩の出来事から、兵士たちは神経を尖らせているようだった。いや、そんなことより——
兵士が立ち去るや否や、アスバルは長机の方に駆け寄った。
「君! もうだいじょ——」
きっとまた、隠れているのだろう。そう期待して長机の下を覗き込んで、アスバルは唇を噛んだ。
君も。君までそうやって、僕を置いていくのか——視界が滲んで、冷たいものが頰を伝う。
『約束だよ』
少女の言葉を思い出して、先ほど繋がれた手を握りしめる。
「本当に……本当に、君を信じていいのかな」
もしも叶わない約束だったとしても、信じずにはいられなかった。この魔界の向こうには、自分が知らない世界がたくさんある。心から肯定できる世界が、きっと。
アスバルは、そう信じていたかったのだ。
◇◇◇
「——と、これがゼクレス七不思議の最後のひとつ。〈書庫のゆうれい〉さ」
「へぇ。今までの六つとはちょっと違う雰囲気だね」
「ふふっ。ここ以外は結局僕のイタズラだったからね。けど、書庫のゆうれいは……」
「うーん、何だろうね。幻術か、本当に曲者が侵入していたか……でも、だとしたらどうやって——」
「いいや、そんなに難しい話じゃないさ」
「え、アスバルは分かるの? ゆうれいの正体!」
「知りたい?」
大魔王は目を輝かせ、大きく頷いた。
「うーん。タネ明かしは……まだやめておこうかな」
「なんで!? 気になるじゃん。教えてよ」
あの日の不思議な友との出会いは、アスバルがこの世界を肯定するための種火となった。
その種火は絶えず燃え続け——そう、アスバルは親愛なる友と、再会を果たしたのだ。
「きっと、君にもいつか分かるよ」
その時は、とびきりの感謝を友に伝えよう。むくれる大魔王を見て、アスバルは微笑んだ。
少年のそんな願いとは裏腹に、彼を取り巻く世界は悪意で満ちていた。
「あなた聞いた? 昨日の晩餐でまた毒味役が倒れたって」
「ええ、しかもアスバル様の目の前でだなんて。まだ幼いのにお可哀想に……」
少年——アスバルが書庫で魔導書を読んでいると、廊下から侍女たちの話し声が聞こえてきた。
居心地の悪さを感じて、深いため息を吐く。魔導書を閉じると、椅子にもたれて天井を見上げた。
毎日顔を合わせる従者たちの中に、自分の命を狙う者がいる。そうやって常に疑いの目を向けるのは、もう沢山だった。
どうにも居心地が悪くなり、魔導書を抱えて席を立つ。自室で静かに読もう——そう思い、廊下へと続く扉に手をかけたその時だった。
「わぁっ!」
勢いよく扉が開く。アスバルは飛び込んできた人物とぶつかって、そのまま倒れ込んだ。
「い、てて……」
「わっ、ごめん! ケガは無い!?」
ぶつかってきた人物は、慌てて起き上がってアスバルを心配そうに見つめる。アスバルが頷くと、ホッとした表情で微笑んだ。
見慣れない旅装束を身にまとったその人は、アスバルよりも少し大人びた顔立ちをした少女だった。背も自分より頭一つくらい高い。となると五十……いや、もっと年上かもしれない。そんなことよりも——アスバルは息を呑んだ。
「あのさ。ひとまず……ちょーっと匿ってほしいかも——」
少女がそう言うと、それとほとんど同じタイミングで、扉をノックする音が響いた。
「やばっ」と呟くや否や、彼女はものすごい素早さで長机の下に隠れてしまった。
アスバルは何が何だか分からないまま廊下の向こうに返事をし、恐る恐る扉を開けた。
「どう、したんだい?」
見上げると、焦った様子の兵士が立っていた。
「ああ、アスバル様! 今し方、こちらに怪しげな者が侵入しませんでしたでしょうか?」
怪しげな者——思わず長机の方に意識が向きそうになる。けれど動揺を気取られぬよう、なるべく表情を変えずに口を開いた。
「いや。しばらくここに居るけど、誰も入ってきていないよ」
「おかしいな、確かに——あ、いや。それなら良いのです。大変失礼致しました。それでは——」
兵士は首を傾げつつ、一礼して去っていった。足音が聞こえなくなった時、アスバルは肩を撫で下ろして吐息を漏らした。
「ふう、もう大丈夫だよ」
長机の下から顔を出した少女は「ありがとう」と礼をしてすぐ、何か焦った様子で辺りを見渡した。そして「あ、あった!」と声を上げたと思えば、先ほど入ってきた扉の前でしゃがみこんで何かを拾い上げた——大体アスバルの両手におさまるほどの、銀色の箱だ。少女はその表面を服で拭い、傷が無いことを確認して安堵した。
大事そうにしているそれが何なのか、アスバルが尋ねるより先に、少女はそそくさとカバンに仕舞った。
「ええと、改めて……さっきは本当にありがとう。あ、あの、怪しいヤツじゃないよ。いや、怪しいヤツではあるのか……でも、ええと、その——」
「大丈夫、平気だよ。そんなことよりさ、君ってアストルティアから来たんでしょう?」
口ごもる少女に、アスバルは目を輝かせながら尋ねた。本当は飛び跳ねて喜びたいくらいだ。けれど彼女が兵士に見つからないように、出来るだけ声を抑えた。
「な、何でそれを……?」
「だって君、ウェディだよね? 本に書いてあったから分かるんだ。本当に、美しい肌の色をしているんだね」
——しまった。少女は、いかにもそう言いたげな表情を浮かべた。
「ねぇ、一体どうやって魔界まで? それにこの城に忍び込むなんてどんな手段を使ったのかな? そもそも君は一体何者なんだい!?」
矢継ぎ早に質問をしようとするアスバルに、少女は思わず吹き出した。
「ふふっ。おんなじだ」
少女はアスバルの頭をくしゃくしゃと撫でると、同じ目線になるようにしゃがんだ。
「あのね、君に会いに来たんだ。ずぅっと遠くからね」
「僕に? でも、どうして!?」
「君と、友だちになりたいから」
「君が……僕の友だちに?」
友だち。そう言ってアスバルに近づく者は、親からそうするようにと言い聞かされているような、打算的な者ばかりだった。
だけど彼女は違う——アスバルは何故かそう感じていた。
「友だちに、なってくれるかな?」
「もちろん!」
少女が手を差し出すと、アスバルは迷わずその手を取る。
「ありがと、アスバル」
握手を交わしながら、アスバルは首を傾げた。名乗っていないはずなのに、少女が自分の名を呼んだからだ。
「ええと、君は——」
「あのね、アスバル」
少女は遮るように口を開くと、少し悲しげな表情を浮かべた。
「わたしたちは、ずっと友だちだよ。離れてても、ずっと。——約束だよ」
まるで、離ればなれになることが分かっているようだ。アスバルが口を開きかけた時、再び扉を叩く音が響いた。
「アスバル様。度々失礼致します!」
兵士は、今度はアスバルが扉を開けるのを待たなかった。
アスバルが慌てて扉に駆け寄ると、兵士は入ってくるなり辺りを見渡した。
「あ、あの、えっと……」
「ふむ……。何やら話し声が聞こえたような気がしたのですが。あなた様しかいらっしゃらないようですね」
兵士の言葉に振り返ると、先ほどまでいたはずの友は忽然と姿を消していた。
「アスバル様、何か異変がありましたらお声がけください。何せ、昨日の今日ですからね」
どうやら昨晩の出来事から、兵士たちは神経を尖らせているようだった。いや、そんなことより——
兵士が立ち去るや否や、アスバルは長机の方に駆け寄った。
「君! もうだいじょ——」
きっとまた、隠れているのだろう。そう期待して長机の下を覗き込んで、アスバルは唇を噛んだ。
君も。君までそうやって、僕を置いていくのか——視界が滲んで、冷たいものが頰を伝う。
『約束だよ』
少女の言葉を思い出して、先ほど繋がれた手を握りしめる。
「本当に……本当に、君を信じていいのかな」
もしも叶わない約束だったとしても、信じずにはいられなかった。この魔界の向こうには、自分が知らない世界がたくさんある。心から肯定できる世界が、きっと。
アスバルは、そう信じていたかったのだ。
◇◇◇
「——と、これがゼクレス七不思議の最後のひとつ。〈書庫のゆうれい〉さ」
「へぇ。今までの六つとはちょっと違う雰囲気だね」
「ふふっ。ここ以外は結局僕のイタズラだったからね。けど、書庫のゆうれいは……」
「うーん、何だろうね。幻術か、本当に曲者が侵入していたか……でも、だとしたらどうやって——」
「いいや、そんなに難しい話じゃないさ」
「え、アスバルは分かるの? ゆうれいの正体!」
「知りたい?」
大魔王は目を輝かせ、大きく頷いた。
「うーん。タネ明かしは……まだやめておこうかな」
「なんで!? 気になるじゃん。教えてよ」
あの日の不思議な友との出会いは、アスバルがこの世界を肯定するための種火となった。
その種火は絶えず燃え続け——そう、アスバルは親愛なる友と、再会を果たしたのだ。
「きっと、君にもいつか分かるよ」
その時は、とびきりの感謝を友に伝えよう。むくれる大魔王を見て、アスバルは微笑んだ。
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