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さよならサンドリヨン

 わたしもドレスが着たい。英国に来てから、そう思うことが増えた。日本ではお金持ちの兄さん姉さんに贈り物として貰って着ていたから、そこまで嫉妬いうわけではないけれど。馬車の窓から、街ゆく人々の切なさに貫く痛みに、私はカーテンを引こうとして手を留めた。まただ。一瞬見た美しい男。社交界で見たことがないからきっと平民なんだろう。けれども、歩く姿はどの男よりも美しい。大股で歩いて、そのあと人を避けようとしてテンポがずれる。踊るよりも美しい歩き方。美しい男。暗い勝色の茶味がかる髪色、想像する名前は…そうね、キース、カイ、ジョージ…でもどれもお友達でいてる。それなら…聞かなくちゃ。なんとなく、今日は国立図書館が閉まっていることに期待感を寄せた。いつか、あの人がほしい。

「ライリー、今日は裾を直してほしいの。貴方の誕生日が近いでしょう。仕立て屋は大忙しなの」
「エリィのドレスはすぐに裾がほつれちゃうのね」
「脱ぐのって大変だから、着物が羨ましいわ」
「そう? わたしはエリィのドレス姿は色っぽくて好きよ。甘美ってまさにこれね」
寝間着ですら着替えるのが大変なエリザベス。わたしは自分を着飾る姿を想像して、帯の乱れを直した。エリザベスには夫がいて、息子もいてる。わたしがなぜか家庭教師として雇われていて、二人と一人、つまり秘密の子にも会ったことがある。けれども、わたしを恋人として扱うあたり、きっとわたしは彼女の夢の王子さまなのだろう。旦那さんのフォードはどこか冷徹…いいえ、他の女が、人のものが欲しくなるだけの男。わたしは少ししか喋ったことがないので、よく知らないけれど。
「エリィは綺麗よ。わたしエリィのふわふわな肌が好き。いつも身綺麗にして、努力して好き」
「ありがとう。人が来たら、出ていいわよ。そろそろジョニが会いたくなる頃ね…彼、普段は海の上でしょう」
「わかった。裾を直しとくね。今日は誰と?」
「あら、嫉妬?」
「女にはないからねぇ」
「なによ、それ」
「ほら、大きな胸はコルセットの上に仕舞わなきゃ」
「あ、うん…」
エリザベスの着替えが終わり、わたしは窓の外を見た。また雲が空を覆い、きっと小雨が降るだろう。

 のろまのジョニ、本名はジョナサン。苗字は忘れた。今は海軍の偉いさんとして海の上で生活している。と言っても、命令と計算が主な仕事。わたしはジョナサンの声が好き。わたしの好きだったお兄さんに少し似ているから。と言っても、顔はどちらかというと、好みじゃない。甘ったるくて塩をのっけたとしても美味しくない。けれど、面白い話ができるから、お気に入りと言えば上から目線だけれど、好き。
「今日は着物?」
「まだ着替えてないだけよ」
「胸大きいのにもったいない」
「何よそれぇ」
「あ、そう。オレ、誕生日の贈り物一緒に見に行きたいんだけど」
「いいわよ。行きましょう」

 ジョナサンが手を握りしめたので、わたしは視線を前に向けて、彼を見つめる。今から向かうところは既成のドレスが売ってあるところ。平民でもお金持ちの、いわゆるブルジョアという人達に向けての店だ。わたしが英国貴族ではないという嫌味なのかしら、と思うけれど、店は貴族も見据えたウッド調のアンティーク…ロココあたりのイタリアかしら…とても素敵。
「ドレス、どんなのがいい? 言えば奥から出してもらえるんだ」
「美しいわね、どのデザインも」
奥のサロンに通されて、わたしはソファに座りながらパラパラとデザイン画を見る。ヒールのデザインを隠さない裾が少しだけ上擦ったものがあり、わたしは同じ考えの人がいてたのね、なんて嬉しくも…そして、わたしにはできないことをしている人に、羨ましさほどでもない、淡い虚しさを感じた。
「これがいいわ。色はグレイッシュのあるかしら」
「グレイッシュ? 誕生日なのに?」
「既製品につけすことはできるかしら」
「どんなだい?」
「グレイッシュパープルに、上から金糸のレースをつけるの。そしたら品良く華やかになるかしら、と思って」
「聞いてみるよ。想像しただけで素敵だ」
「そう? それなら嬉しいわ」
「勝てば官軍…されども…」
「憂うつね。Navy blue」
「いや、それならヘッドドレスはそれで。青色のバラの」
「ありがとう。注文よろしくね」
「ああ、うん。君は見てくるかい? 店内をぐるっと」
「ええ、そうね。そうするわ」
店内に飾られたアクセサリーにドレスを見て、いつの日か街ゆく人も買えるのかしら、だめかしら、なんて妄想に耽る。すると、目に止まったのが、外のウィンドウ越しに目が合った。いつも歩き方が美しい人。変な歩き方って思われてないかしら、わたしも真似したことがあったから。微笑む様を、にやつきに見えてなければ良いけれど……。手を振ってみたら無視された。気づいてたかどうかは知らないから…あの人の名前、なんだろう。彼の乗った馬車が、どこかのクラブ御用達のサロンのものだった。もしかして、そこのフットマンか何かかしら。
「終わったよ。君のバースデーパーティー前には届くし、一度それで予行演習でもしないかい?」
「あら、いいわね。どこで?」
「ローゼンタールっていうサロンクラブできたんだよ。皆、君の話ばかりしてる」
わたしはどう反応していいかわからず、なるだけにこやかにうなずいた。
「ちょうど、君の好きそうなチョコレート入手できた奴がいて…どう?」
「行きたいわ。さっき、そこの馬車を見たから」
「列車?」
「馬車よ」
「あー、ごめん。聞かないで」
「わかったわ」

カフェに訪れた。ジョナサンがまだ話し足りないと言うし、わたしも楽しいし、それで。
「ご注文はいかがされますか」
「いちごのタルト、ザッハトルテ、それから紅茶はブレンド。どちらもストレートで」
「いちごのタルトお一つ。ザッハトルテお一つ。そして、ブレンドティーのストレートをお二つで」
「ありがとう」
「あら、素敵。ありがとう」
「ここのウェイターは洗練されているだろう」
「そうね」
わたしたちからウェイターが離れてすぐ、大きな物音と年増の男性の怒号が響いた。
「嫌だね」
「あら、あの人……」
高身長のウェイターがどうしていいのか分からず、ただ怒鳴る男性を見ていた。彼の身のこなしは、三流もいいところ。向いていない。けれど、何か惹かれるものがあって、わたしは事の成り行きを眺めようと、そのウェイターの様子を伺った。
「タンザナイト…芸名か何かかしら」
「注意して逆に迷惑かけたね、あの子」
「そうね…。うるさいときは注文を聞いて、そのあとにティーカップを下げればいいのよ」
わたしはタンザナイトという名前で働いているその男を見つめた。ちょうど彼が怒鳴られていたミスターは後ろ姿しか見えない。タンザナイトが見ているのはわたしかしら。ずっと一点を見つめて、ぼーっとしているので、わたしは少し手をあげた。
「気に入ったの?」
「ええ、そう」
わたしがタンザナイトに目を向けて手を振ると、首を傾げた。そして、もう一度手を振ると、来た。やっとだ。
「何かご用でしょうか」
「ええ、貴方の名前は?」
「タンザナイトです。あの、先ほどは申し訳ございませんでした」
「いいのよ。あなた、ここはいつから?」
「一月前です」
「働いてそこまで経ってないのね。前は?」
「覚えてません。なんていうか、転々としているので」
「あなた、わたしの補助にならない?」
「どういう意味だい?」
「変わったのよ。気分が。きっと」
「あの、頑張ります。また、お越しください」
「急にごめんなさいね。ありがとう。わたしが来たときはついてくれる?」
「はい。ありがとうございます」
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