風邪と対価と貴方の証(JD)
「……どうでしょう」
銀色の金属を持ち上げた私は少しとろりとした液体を小皿に流し込んだ。
もわもわと白い湯気を立てる皿をジェイドに渡す。
受け取るジェイドは「どうでしょうね」と軽い返事を返した。
「……どうですか?」
多少の自信と巨大な不安を抱えた私はジェイドの横顔を見た。
目を閉じてスープを飲むジェイドは真剣な表情で味を確かめている。
一体どこで料理をするか。
私たちはその大きな問題を考え、結局は私が泊まっている宿屋に戻ることにした。
ジェイドが泊まっている宿屋には戻れない。レプリカたちと出遭うと厄介だからだ。
ただ、それでも調理場を借りられると決まった訳ではなかった。
丁度この時間は大勢の人間が宿屋に戻ってくる時間帯だ。夕食の下準備で借りられない可能性は十分あった。
だが、交渉は難航することもなく簡単に終わった。
宿屋の支配人にちょっとした金額のガルドを渡しただけ。それだけで厨房を借し切ることが出来た。
けれど、一番の課題だったのは調理場の手配ではなく神託の盾の兵士だった。
今回シェリダンに来ているのは私とアリエッタ。アリエッタは宿屋にいなかったが、兵士は宿屋の付近をうろついていた。
つまり、私の一存では全ての兵士を動かすことは出来ないということだ。
ただ、それを何とかするのが私の知性と地位だ。私が「少々危険な実験をしたい」と言うだけで兵士は全員どこかの部屋に入っていった。
「ふむ……」
味を吟味していたジェイドが目を開け、赤い瞳を小皿に向けた。
小さな鍋を前に私とジェイドが真剣な面持ちをする。
軽く私を見たジェイドが銀色のおたまで鍋を掻き混ぜた。
「もう少し塩を加えましょうか」
「はい。これくらいで良いですか?」
狙いを定めるように味見をしたジェイドは塩を指差した。
私はジェイドに言われるまま、少量の塩を小鍋の中に放り込む。ジェイドの言うことなら間違いはないだろうと考えての判断だ。
私がジェイドの料理を食べたことは殆どないが、数回食べたものはどれもおいしかった。
「ふむ……丁度良いと思いますよ」
「じゃあ完成ですね! ジェイド、有難う御座います!」
再び味見をし小さく頷いたジェイドは銀色のおたまを置いた。
私は半ば奪い取るような速度でおたまを取り、スープを別の小皿に流し込んだ。
上から皿を覗き込む。そこには満足そうに笑った私の姿が映った。
「おいしい……!」
火傷しないように気をつけながらスープを一口飲む。
美しい金色をしたスープはとてもおいしかった。
「私で役に立てたのなら良かったです」
そう言ったジェイドはあくまでも控えめに微笑んだ。
スープの味付けは殆どジェイドがしたといっても過言ではない。
だが、自分がやった、とは言わない。殆どの場合主張しない。
私はジェイドのこういうところが好きだった。
その時の状況にもよるが、ジェイドは特に自慢しないことが多い。
私なら誇らしくて言わずにはいられないだろう。それは他の人でも同じはずだ。
やはりジェイドは他の人間とは違う。ネビリム先生と同じように敬愛出来るのはジェイドだけだ。
「それよりサフィール、ご褒美は何をいただけるのでしょうか?」
私に一歩近づいたジェイドは控えめな笑顔のまま私を見た。
それほど欲のないジェイドでも努力した対価くらいは欲しいのだろう。
まぁ――対価を要求するに値する出来なのだから当然だ。
素晴らしい料理が出来たことに嬉々としていた私はすぐに買い物袋を指差した。
「残りの食材にしようかと思っていたのですが……」
「私には必要ありませんねぇ。他の者が買っていますので」
だが、ジェイドは肩を竦めて「要らない」と言った。
そう言われれば確かにそうかもしれない。レプリカたちと団体で行動しているのだからそれぞれの役割もあるだろう。食料担当ではないジェイドが山のような食材を持って帰るのは少し不自然だ。
「じゃ、じゃあ紅茶の茶葉は? 私に相応しいローズですよ」
「いえ、結構です」
私は食材の代わりに紅茶を勧めたが、それも断られた。
薔薇のディスト様自慢の紅茶だというのに本当に要らないのだろうか。しかし、ジェイドが「要らない」というものを押しつける訳にもいかない。
「あの……何なら気に入ってもらえますか?」
このままではジェイドの気に入る礼が出来ない、と思った私は直接尋ねた。
気に入ってもらうものを渡すのは難しいかもしれないが、ちゃんとお礼をしたい。
そう思った私はただジェイドの返事を待った。
「そうですねぇ……」
すっと目を細めたジェイドが私を見下ろす。
そんなジェイドの様子に何故か緊張が高まった。
「貴方、なんてどうですか?」
「は?」
肉食獣のような瞳で私を見つめるジェイドは静かに口の端を吊り上げた。
言葉の意味を理解出来なかった私が訊き返すとジェイドは一気に距離を詰めた。
気がついた時には、私は壁際に追い込まれていた。
ジェイドをゆっくり見上げる。ジェイドは凍りつくような笑みを私に向けていた。
「何か『六神将ディスト』の弱みをいただけませんか?」
「よ、弱み……例えば……?」
逃げるどころか逆らうことも出来ない私は恐る恐るジェイドに尋ねた。
ジェイドが壁に手をつく。細められた赤い瞳が私を見下ろした。
「何でも。神託の盾の極秘書類を渡してくださるとか、こちらの捕虜になるとか。あぁ、人には見せられない姿を見せてくださっても結構ですよ」
「なんで、そんな……」
横に引っ張られた唇が楽しそうに言葉を紡いでいく。
私にはジェイドが面白そうに話す理由が分からなかった。
「随分と良いネタになるでしょう? 六神将の死神の情けない素顔というのは」
「薔薇です! 薔薇!」
馬鹿にされた私は条件反射で悲鳴のように弱々しい声を張り上げた。
――実際、私の声は間違いなく悲鳴だったが、それを認めるつもりはない。