風邪と対価と貴方の証(JD)
――落ちる。
残った荷物を強く抱きしめ、瞼を閉じる。
だが、それとほぼ同時に襟を掴まれ引き戻された。
強く引き寄せられた衝撃で誰かの身体に背中をぶつける。
「ぐ……っ!」
「相変わらず情けないですねぇ」
軽く咳き込む私に向けられた、聞き覚えのある声。背中から伝わる温もり。その全てが私の幼馴染を思い出させた。
だが、そんなはずはない。彼がここにいるはずはない。けれど、私が彼を間違うはずもない。
恐る恐る振り向くと、そこには階段に座り込んだジェイドがいた。
昔は毎日見ていた金髪が夕焼けに照らされて眩しく輝いている。
「ジェ……ジェイド?!」
私が疑問を投げかけると、ジェイドは鬱陶しそうにため息を吐いた。
ジェイドの上に座るような姿勢の私を軽く突き飛ばして立ち上がる。
――間違いない。本物のジェイドだ。
風に揺れる金髪も、その赤い眼も、蒼い軍服も、態度も、全てがジェイドだった。
「ほら、さっさと拾いなさい」
「……どうしてジェイドがいるんですか?」
あまりにも突然すぎる再会に私は突き飛ばされた文句も言わず立ち上がった。
紙袋を階段に置き、軽くなった身体で食材を拾い集める。
ジェイドに助けてもらったからか、駄目になった食材は上に積んでいたものだけだった。椅子の部品も壊れていない。
何段か下から私を見上げるジェイドが目を細めて口を開いた。
「巨大な荷物を抱えた妙な格好の男がいたので監視していたのですよ。部品も持っているようでしたし、何か悪だくみでもしているのではないかと思いましてね」
すぐ後に「見逃していれば良かった」と嫌味を言ったジェイドは残った食材を袋に詰めた。その上食材の整理までしてくれている。
「仕方なくやっていることですから、勘違いしないでください」。そんな心中を態度で的確に表しているジェイドを見るのは決して嬉しいことではない。嫌々だと言われているようなものだから当然だ。
けれど、十年近く一人で神託の盾にいた私には――そんな何気ない光景が懐かしかった。
「あ……」
緊張が解けたのか、私の目からは涙が零れ始めた。
そんな私を見たジェイドは怪訝そうな表情をしている。落ちかけた直後ではなく急に泣き出した私が理解出来ないのだろう。
「ごめん、なさい……」
涙を止められない私はジェイドに謝った。
ジェイドに迷惑を掛けてしまったことへの謝罪と、戸惑わせてしまったことへの謝罪だ。
もしジェイドが助けてくれていなければ一番下まで落ちて怪我をしただろう。
そう考えると嬉しくて、少し申し訳なくて、けれどやはり嬉しかった。
偶然だったとはいえジェイドが私を助けてくれたのだ。あのジェイドが、私を。多少不謹慎だとは思うが喜ばずにはいられない。
「全く。いい歳してよく泣きますね」
呆れた、と態度で示したジェイドは私から眼鏡を奪った。
涙で滲んでいた視界が余計に見えにくくなる。
私は零れていた涙を拭い、境界がぼやけた世界でジェイドを見つめた。
「それで? 六神将は自分で買い出しをしなければならないほど地位が低いのですか?」
「ち、違います! ライナーが風邪をひいたので何かしようと思っただけです!」
私を馬鹿にしたようなジェイドの質問に少し涙が治まった。
ジェイドを見たついでに宿屋が目に入る。
そうだ。こんなことをしている場合ではない。早く帰らなければ。
「ライナー? あぁ、あの男ですか」
だが、ジェイドは私の眼鏡を指先で回したまま適当な様子で話を続けた。
以前ライナーから飛行譜石を取り上げたというのに気にもしていない様子だった。それどころか私の眼鏡を奪っていることにさえ平然としている。
眼鏡がなければ帰れないというのに、一体いつ私に返すなのつもりだろう。
私がもう泣いていないのはジェイドが一番よく分かっているはずだ。ジェイドは眼鏡なんてなくても視力が良いのだから。
「ですが、貴方の部下でしょう?」
「そうですよ。ただ、普段良くしてくれているので」
妙な表情で聞いていたジェイドは眼鏡を回すのを止め、意外そうな表情を見せた。
私は何かおかしなことを言っただろうか。もしかしたら、部下であるライナーの面倒をみようと考えていることだろうか。
表情の真意を理解出来なかった私はただジェイドを見つめた。
「……やめた方が良いのではありませんか? 料理、それほど得意でもないでしょう」
形の崩れた紙袋に視線を向けたジェイドは眉を顰めて忠告した。
つまり『お前の料理は上手くない。病人に食べさせるな』ということだろう。以前と比べると丁寧なところはあるが――やはりジェイドは失礼だ。
ただ、その言葉のおかげか涙は完全に止まった。
「そんなことありません!料理は気持ちです! ……気持ちを受け取ってくれない人もいますけど、ライナーは違います」
悔しくなった私はジェイドを睨みつけた。
私が作った料理を適当に扱ったのは一体誰だっただろう。ジェイドだけを想って作ったというのに、あの扱いは本当に酷かった。
「……そんなに料理を作りたいのでしたら、私が教えて差し上げましょうか?」
だが、意外にもジェイドは料理を教えてくれると言い出した。
流石に言い過ぎたとでも思ったのだろうか。こんな風に親身な態度を取ってくれるのは珍しい。
それに、ジェイドに教えてもらうのも悪くはない。寧ろ嬉しかった。
「ジェイドが?」
「ええ。その代わり、私に何かお礼をしてくださいね」
眼鏡を光らせて微笑んだジェイドはお礼を要求した。
詳しく説明してもらえなかったが、労力に見合うだけの礼をしろということだろう。
けれど、それで料理を教えてもらえるのであれば悪くない条件だった。
今の私ならば礼には困らない。買い過ぎた食材を持っていってもらっても良いし、多少なら持ち合わせもある。
「――分かりました。ちゃんと教えてくださいよ!」
私はジェイドの手から眼鏡を奪い元のようにかけた。
僅かに乱れた髪の毛を整えながらこれで良かったのかを考える。
少し不安だが、どうしても料理を作りたいのだから――この条件を呑むしかない。
「もちろんですよ。貴方が食べるものではありませんからね」
「それはどういう意味ですか!」
あまりにも酷いジェイドの言葉に私は憤慨した。
私が食べるものならば適当に教えるかもしれない、ということなのだろうか。
いや、間違いなくそういうことだろう。何せ相手はジェイドなのだから。
私は紙袋を抱えるジェイドを睨みつけたが、ジェイドは先に歩いていってしまった。
「っ……」
階段で一人ぼっちにされた私はどうするか迷った。
このままジェイドの後を追いかけるか、約束を破って部屋に戻るか。
だが、取り残された私が出来る行動は一つしかない。
私と同じように取り残された椅子の部品を抱えながらジェイドを追いかけることだけ。
何歳になってもジェイドの背を追いかけてしまう私はよく躾けられた愛玩動物のようだ。
けれど、そんな些細なことを気にしている場合ではない。早くジェイドを追い掛けなければ。
「ジェイド!」
片腕で部品を抱え、もう片方でジェイドに手を伸ばす。
転びそうになりながらも駆け出した私は消えそうなジェイドの背中を目指して走り始めた。