愛情60% 不純物40%(JD)


「ど、どうしましょう」


 どうしたら良いのか分からなくなった私はグラスを置いた。
 ジェイドが酔っている。それも一目見て分かるほど、ふらふらに。


「ふふ……」
「ジェイド? どうしましたか?」


 対応に迷っていると、突然ジェイドが笑いだした。それも随分楽しそうに笑っている。
 こんなにも楽しそうなジェイドの笑顔は久しぶりに見た。


「いえ。狼狽している貴方も可愛いですね」


 ジェイドの笑顔に見惚れていた私は一瞬にして愕然とした。
 ジェイドの答えが私の質問と噛み合っていない上に、内容が恐ろしい。
 私のことを「可愛い」という表現で表すのは非常に危ない証拠だ。
 普段ジェイドは私のことを「床の埃以下」とか「馬鹿」だと言っていた。私が傷付く程に。
 そのジェイドに褒められることなど有り得ない。


「……どうしましょう、本当に」


 一人取り残された気持ちになった私は困り果てた。
 いつもなら私が酔うことはあってもジェイドが酔うことはない。だから酔った相手の面倒など見たことがなかった。
 しかも酔ったジェイドの面倒を見るなんて、考えたことさえなかった。


「サフィール、私はもう一杯飲みます。付き合いなさい」
「駄目です!」


 私はジェイドの命令を素早く拒んだ。まだ半分以上残っているワインの瓶をジェイドから取り上げる。
 酔ったジェイドは明らかに不機嫌そうな目で私を見た。


「何故駄目なのです?」


 これは私の酒ですよ。ジェイドは文句を漏らしたが、突然「ああ」と言って納得したように頷いた。


「貴方の魂胆は分かりましたよ、サフィール。私が酒を飲むと妖艶さが増して敵わなくなるからでしょう?」
「ち、違います!」


 私は少しくらくらする頭で否定した。
 血色の良くなったジェイドは確かに妖艶ではあるが、こちらはそれどころではない。ただジェイドより酔っていないというだけのことで、酔っているのは私も同じだ。大声を出すと視界が僅かに揺れて危ない。


「ジェイド、もう飲まないでください。相当酔ってますよ」


 本棚にもたれ掛かった私はため息交じりにお願いした。

 ジェイドと一緒に酔えたらどれだけいいだろう。何も考えずジェイドと笑えたらどれだけ楽しいだろう。
 私は残ったワインを一気飲みしたい衝動に駆られた。
 けれど、それは危険すぎる。もしそうしてしまったら朝起きた時に自分はどうなっているのだろうか。
 私はふらふらする頭を振った。想像するのさえ恐ろしくて仕方がない。


「失礼ですね。酔っていませんよ。
 酔っていたら貴方が二人いるようになんて見えないでしょう」
「……ジェイド」


 本格的に本棚へともたれ掛かった私は目を閉じた。
 ジェイドには私が二人いるように見えているらしい。この状況を酔っていないというのなら、一体どんな酷い状況を『酔っている』というのだろう。


「と、とにかく! ジェイドの言うことでも駄目です!」
「……分かりました」


 ジェイドもやっと納得してくれたらしい。
 大声を出し過ぎた私は少しふらつきながら本棚から離れた。辛いのなら大声を出さなければ良いと自分でも思うのだが、どうも駄目だ。


「貴方が眠っている間に秘密の薬を飲ませるだけで我慢しておきます」
「えっ?!」


 安堵してジェイドに近寄った私は再び愕然とした。
 ジェイドの秘密の薬。病気の特効薬なら良いが、絶対にそんな『良いもの』ではないだろう。少なくとも私にとっては悪い薬だと容易に想像がついた。


「わ……私の聞き間違いですよね、恐らく。もし聞き間違いじゃなかったとしても、明日には忘れているでしょう」


 私は願いを籠めてそう呟いた。
 いくら記憶力の良いジェイドでも酔っていては覚えている訳がない。
 私は何かを探しているジェイドを見ながら自分にそう言い聞かせた。


「サフィールに開発途中の薬を飲ませる、と……」
「メ、メモしないでください!」


 ジェイドの言葉を聞いた私は慌ててメモを取り上げた。
 探していたのはメモ用紙だったと、この状況で誰が思うだろう。ジェイドは本当に油断ならない男だ。

 大きく息を吐き、メモ用紙を見る。
 用紙には確かに内容が書かれていたが、メモしたその字が既に普段と違っていた。ぱっと見た限りではいつもの綺麗な文字だが、細部が少しずつ歪んでいた。相当酔っているのは間違いない。


「もう……今日のジェイドは一体何なのでしょう。普段は全く酔わないのに」


 ジェイドのメモを折りたたみズボンのポケットに放り込み、ため息を吐く。
 「泥酔した貴方を世話するのは非常に面倒だった」と怒られるのは私の役目だ。間違ってもジェイドの役目ではない。


「何とか部屋に連れて帰りましょう。ジェイド、立てますか?」
「はーい」
「……無理そうですね」


 私はジェイドを部屋に連れ戻すことを断念した。
 返事が軽すぎる。あまりにも。
 ジェイドは本当に大丈夫なのだろうか。否応なく不安になった。


「とりあえずジェイドを支えて……あぁジェイド、動かないでください!運べないでしょう!」


 力なくジェイドの腕を持ったが、ジェイドが動くので思わず怒鳴ってしまった。
 酒のせいでぼんやりとする上に頭が痛い。大声を出したせいだ。


「サフィール……」


 俯いたジェイドが不意に私の名前を呼んだ。ジェイドは多少よろめきながら立ち上がる。
 これくらいのことで怒鳴った私に怒っているのだろうか。その声は普段より僅かに低かった。


「あ、あの、少し言い過ぎ……」
「……すみません」


 ジェイドに怒られるかもしれない。
 思わず身を固くしたが、意外にもジェイドは私に謝るだけだった。


「……いえ、私の方こそすみませんでした。こんなに酔うなんてジェイドも疲れているのですよね」


 これくらいのことで苛立った自分が恥ずかしい。
 ジェイドと同じように少しふらつきながらも素直に謝罪する。

 気分良く酒を飲みたいだけならバーに行けばいいだけの話だ。けれどジェイドはそうしなかった。恐らく、普段酒を飲まない私に飲ませてやろうと思って来てくれたのだろう。
 そして、ここまで酔っぱらってしまったのは疲労で早く酔いが回ってしまったから。私に迷惑を掛ける気はなかったはずだ。
 それに、普段は酔った私の面倒をジェイドが見てくれているのだ。いつもの恩返しだと思えばそう悪くもない。


「ジェイド、部屋まで一緒に……ぎゃ――っ!」


ジェイドを見上げた私は突然のことに悲鳴を上げた。


「ちょっ……ジェイド?」


 前触れもなく、ジェイドが突然倒れてきた。
 どうやら酔いが回って眠ってしまったらしい。無意識のジェイドに押し倒された私はベッドに倒れ込んだ。

 ジェイドの近くにいられるのは嬉しい。
 ただ、ここまで近いのは――少し、困る。
 ジェイドの体温。感じる重み。耳元で聞こえる穏やかなジェイドの息遣い。大好きな人を間近にして感じないはずがない。


「つ、疲れましたからしばらくこのままでいましょう」


 言い訳がましい言葉もつい早口になる。
 血液の循環を意識した私は間違いが起こらないよう深呼吸した。私に間違いなど起こせる気はしないが、一応念を入れておいた方がいいだろう。


「ん……」


 眠ったままのジェイドが何か言葉を口にしようとしている。
 珍しい、と思った。ジェイドの寝顔を眺める機会など今まで皆無だったのだ。
 そのジェイドの寝言は一体何なのだろう。


「サフィール、お仕置き……」


 ジェイドは口元を緩めることもなくそう言い放った。

 予想通りといえば予想通りだが――つまらない。
 夢の中でくらい私のことを褒めてくれてもいいのに、ジェイドにそんな気はないらしい。
 逆に、私相手に恐ろしいことを試そうとしているようだ。


「……ジェイドは何の夢を見ているのでしょう。実の私はこんなにも頑張っているというのに」


 ジェイドを何とか横に退けた私は小声で文句を言い、ベッドに身体を預けた。
 穏やかに沈んでいく感覚が心地良い。
 私は横に転がっているジェイドを眺めた。


「でも……ジェイドと一緒にいられて幸せですよ。どんな形でも」


 私は自分とジェイドの眼鏡を外し、そっと口づけた。

 ――私の想いが届きますように。
 数回唇を触れ合わせた私は軽く拙いキスに精一杯の想いを籠めた。


「ジェイド、大好き……」


 寝転がったまま腕を伸ばし、二つの眼鏡を置く。
 心地良い睡魔に誘われた私は「お休みなさい」と呟いて目を瞑った。



 
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