敵だとしても、心配させて(JD)
「もういいですよ」
十分お仕置きしましたし――私としてもこれ以上は危ないですからね。
新しい包帯を巻き、途中まで出かけた言葉を飲み込んだ私は傷口を捕えていた指を離した。
痛みの中それを確認したディストが慌てて腕を引っ込める。
彼は痛みで痺れているだろう手で涙を拭った。
「っ、う……酷い、じゃないですか……!」
文句を言うディストは私を涙目で見上げた。それでも涙が止まらないのか、眼鏡を取って目を擦っている。
ディストが最もしてはいけないこと。
フォミクリーの研究、泣きながら私を見ること、名前を呼ぶこと、誘惑すること。
流石に誘惑はしないにしろ、ディストはフォミクリーの研究以外を無意識にするから困る。
「な……っ」
私はディストを洗面台に押しつけ、一気に距離を詰めた。その弾みでディストの眼鏡が床に落ち、小さな音を立てる。
私は互いの唇が微かに触れるギリギリの位置まで近づいた。
派手な色の口紅が塗られた唇に、確かに触れた。
だが、感覚もなく、一瞬のことで熱すら感じられなかった。
キスとも言えない接吻で無理やり自分を満足させた私はディストの指に触れた。手袋越しに、けれど夢では感じられなかった熱を、指先の反応を感じる。
私の微笑で正気に戻ったのか、圧倒されていたディストは慌てて手を引いた。普段白い頬は湯上がりのように赤かった。
「なっ、何を……!」
「天才音機関技師を名乗るなら手を大切にしなさい」
「……何故、ジェイドが」
ディストに落ちた眼鏡を渡す。
巻かれた包帯を押さえるディストは不思議そうな表情をしていた。
敵であるジェイドが、どうして。そんな表情だった。
「こちらに……」
こちらに、戻ってきなさい。
形成されかかった音は声にならず消散した。
「……私には関係ないからですよ。関係ないなら治療しても問題ないでしょう?」
手首を押さえたまま立ち尽くすディストはまだ呆然としていた。
普段なら「関係ない」と言えばヒステリックに叫び出すのに、それすらしなかった。
私は心の中で舌打ちした。
ディストが叫べば笑ってからかえるのに、何故今日に限って黙り込むのだろう。
「あの……ジェイド、ありがとうござ……」
「もう来ないでくださいね。鬱陶しいですから」
お礼を言いかけたディストを洗面所の外に放り出した。
僅かな間の後、扉の向こうからキーキーした声が聞こえる。
だがその声はすぐに小さくなり、ディストの気配はなくなった。
「何をやっているんだ、私は……」
ディストが大人しく帰ったことに安堵していた私はため息交じりに呟いた。
敵なのだから遭わない方が良い。
寧ろ、遭わずに結末を迎えたいと思う自分がいた。
考えが違うのだから遭ってしまえば互いを傷付けずにはいられない。
けれど、このまま遭わずに世界を変えられれば、もしくは――。
「そんなこと、できるはずがない」
ディストが――サフィールが望んでいるのは決着だ。
それが命を奪い合うという結末か、二人で昔に戻る結末か、サフィールは知らない。
それでもサフィールはディストとなってジェイドの答えを待っている。
「……そろそろ戻らなければいけませんね」
自分に言い聞かせるように呟く。
私はジェイドだ。マルクト軍の大佐で、六神将ディストの敵。
いくら幼馴染とはいえ敵に寄り添うことなど有り得ない。
私は残された包帯と共に愚考を捨て、洗面所を後にした。
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