敵だとしても、心配させて(JD)


 目を開けると、白い壁と天井が見えた。

 私はあの時代の研究室ではなく、泊まっていた宿屋にいた。
 部屋が暑い訳でもないのに少し汗をかいている。
 太陽はまだ昇っていないのか、部屋はまだ暗かった。


「……やはり夢でしたか」


 少し掠れた声で呟き、身体を起こす。
 元々夢だと思っていたこともあって別段驚きはしなかった。
 けれど、心に妙なもやもやが残る。
 ――「お前に心があるのか」と問われてしまえば「ある」と断言はできないが。


「後味の悪い夢ですねぇ。今度会ったらお仕置きです」


 私は普段あまり夢を見ないほうだ。
 それなのに夢でまで私を不快にさせるとは、呆れや怒りを通り越して感心する。

 ディストと私は過去のいざこざで敵対しているが、元々私はディストのものではない。
 音機関はともかく、どうやっても私を失うことなどできない。
 それなのに「生きていけない」とは甚だ馬鹿馬鹿しい。
 ――ディストは本当に馬鹿で、愚かだ。

 いつもの軍服に着替えた私は不快感を取り除こうと散策に出かけた。
 早朝ということもあってルークたちは誰も起きていない。
 揺れた心を静めてゆっくりするくらい時間はあるだろう。

 そう思って散策に出かけたのに、その考えはあっという間に根底から否定された。

 
「――はーっはっはっは!」


 騒々しい声と共に空中から舞い降りてきたのはディストだった。
 何が楽しいのか、浮遊音機関に乗って偉そうに笑っている。
 恐らく私を迎え撃とうとして早朝にここまで来たのだろう。全くご苦労なことだ。


「おや、洟垂れディストですか」
「き――っ! 誰が洟垂れですか!薔薇ですよ、薔薇!」


 昔のあだ名を混ぜてからかうと、憤慨するディストがお約束の回答をする。
 明らかな挑発なのだから無視すればいいのに、ディストは丁寧に返事をした。


「ジェイド! 今日が年貢の納め時ですよ!」


 偉そうに大声を出すディストが「年貢の納め時」だと告げる。
 だが、今のディストに何が出来るのだろう。
 例の何とかディストとかいう馬鹿げた音機関を連れていないディストに。

 一瞬、今朝見た夢を思い出したが、軽く唇を噛んで振り払った。
 ――相手は敵なのに、何を馬鹿なことを。
 自分にもディストにも呆れていると、白い手袋の下に包帯が見えた。


「貴方は私に敗れ……ひぃっ!」


 愚かなのは一体どちらだろう。
 私は静かにため息を吐いた。
 気が付いた時には既にディストの腕を引っ張っていた。


「痛……っ、なっ、何するんですか!」


 自分より上空から落ちてくるディストを一瞬支え、そのまま地面に落とす。
 足を地面にぶつけたディストはよろよろ立ち上がり、涙目になって私を睨みつけた。


「見せなさい」
「な、何を……」


 シャツの袖を捲くり、手袋を取り上げる。手袋の下には包帯が乱雑に巻かれていた。


「この怪我は?」
「べ、別に……音機関の不調で……」


 視線を上下させながら、ディストが口籠る。
 とりあえず巻きつけただけ、といった状態を見ると自分で巻いたのだろう。
 包帯の適当さから大したことなどないと思っているらしいことが読み取れた。


「何故治療していないのです」
「治療する時間がなかったんですよ!」


 時間がなかった、と言うディストを横目に私はため息を吐いた。
 早朝に私を襲う暇があっても治療する時間がないなど馬鹿らしすぎる。一体この男は何を基準に生きているのだろう。
 そこまで考えて、私はもう一度ため息を吐いた。――間違いなく、ジェイド・カーティスが基準だ。
 そう考えると複雑な気持ちに支配された。
 だが、危険な思想はすぐ振り払った。
 ディストが勝手にすることだ。私は好きにさせておけばいい。
 昔の私たちが終わりを迎える時まで泳がせておいて、自滅させればいい。

 冷たくディストを眺めると、彼は私を睨んで言い放った。


「別に、貴方には関係ないでしょう?」


 鼓膜を震わせる傲慢な言葉。
 悔しそうなディストは不遜な表情をしていた。


『ジェイドっ、その怪我どうしたの?!』
『サフィールには関係ない』


 傲慢なディストの姿に遥か昔の自分が重なる。
 怪我をした私を心配するサフィールと、サフィールを軽くあしらう私。
 昔の私はサフィールに心配すらさせてやらなかった。


「……そう、ですね」


 呟きと共に、思わず自嘲的な笑みが零れた。
 ディストはそれに気づかなかったらしく、依然偉そうに私を見つめている。


「全く、いい加減な治療をしていますね。来なさい」
「ジェイドっ?! ちょっと、椅子が!」
「あんなもの誰も盗りませんよ」


 手袋を椅子の上に投げ、怪我をしていない方の手首を掴んで歩き出す。
 ぎゃあぎゃあと騒ぐディストを宿屋に連れ込み、自室の洗面所に押し込んだ私は「待て」を命じて洗面所をあとにした。

 応急処置用の消毒液と包帯を用意して戻ると、ディストは思いのほか大人しく待っていた。落ちつかなさそうに辺りを見回していたが、私に気づくとすぐに表情を取り繕う。
 そんなディストに満足しながら扉を閉める。


「包帯を取りなさい。早く」
「あ、はい!」


 ディストに考える暇を与えず命令する。
 どうやらそれは成功したらしく、ディストは慌てて包帯を外した。
 焦るディストに鋭い視線を向けながら、ディストが包帯を外し終わるのを待つ。
 解かれる白い包帯は微かに赤く染まっていた。


「痛っ! ジェイド、優しくしてくださいよ!」
「化膿したらどうするつもりだったのですか」


 上がる悲鳴には構わず、長時間放置された傷口を消毒しながら叱りつける。
 ディストは一瞬びくりとしたが、すぐに私を睨みつけた。


「貴方には関係ありません! 離してください!」


 涙で滲んだ紫の瞳が私を睨む。
 かつてのサフィールならそんなことは絶対にしなかっただろう。
 だが自分はディストだという自覚があるのか、ディストは歯を食いしばって私を睨んでいた。

 私に歯向かうなど良い度胸だが、これはこれで面白いかもしれない。
 手首を掴んだままの私は挑発的な笑みを浮かべた。
 それが気に障ったのか、ディストが更に騒ぎ出す。
 うるさい声を耳に入れた私は口の端を吊り上げた。

 大人しいのも悪くはないが――苛める側としてはこれくらい抵抗されるほうが楽しめる。


「ぎゃあぁっ!」


 傷口を強く押さえると聞き慣れた悲鳴が上がった。
 指先に力を加えたままディストを見る。相当痛むらしく、半泣きどころか、半分以上泣きかけていた。

 姿と名前が変わってもサフィールは変わらない。
 紫の瞳に溜まる涙も、無駄に高いプライドも、叫び声も。

 そこまで考えた私は何故かディストに近づきたいという衝動に駆られた。
 


 
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