必要な距離(JD)
「私のことなんて……どうでもいいんでしょう」
ディストは背を向けたままジェイドに尋ねる。
その声は普段のように喚くといった感じのものではない。
「どうでもいい訳ないでしょう。貴方は私の管理下にあるのですから」
その言葉を聞いたディストは納得した。
――ジェイドの管理下にある以上、ディストが体調を崩しては困るということだろう。
ディストに何かあって作業が遅れた場合の責任はジェイドが取らなくてはならない。
その代わり、監視者という名目でディストを好きに使えるのだが。
今日の音機関運びがいい例だ。
「……分かりました。明日からはちゃんと取ります」
体調を崩さなければそれで満足なのだろう。
ならば、とディストは適当に返事を返した。
そうでなければ気遣うような言葉が理解できない。
ジェイドは私のことなんてどうでもいいはずだ。
だから私に重い音機関を運ばせた。そうに違いない。
「貴方に会いたかったんですよ。このままだと来てくれそうもありませんでしたから」
そんなディストの心を読んだかのようにジェイドが微笑む。
ジェイドの冷静な声が「今日は私を無視するんでしょう?」と尋ねた。
「どうして、知って……」
「今朝、貴方の研究室に行った時に声が聞こえたので。重要な考え事の時に独り言を言う癖、直した方がいいですよ」
揶揄するようにジェイドの手が動いた。
指先がディストの頬に触れ、そっと包み込む。
ジェイドの手がディストを振り向かせ、赤い瞳はディストを捕らえた。
「……じゃあ、教えてくれればいいじゃないですか」
「どうせ諦めるだろうと思っていたので」
悔しそうなディストがぶつぶつと文句を言う。
だが、不満を軽く流したジェイドは指を首元に移動させた。
熱を帯びた指で顎を持ち上げる。
「……ここまで粘ったのは計算外でした。そこまでして私の関心を引きたいのですか」
ジェイドは意外そうな表情をして言った。
聞きただす、と言うよりは呟くという風に尋ねる。
感情を表情に出さないジェイドは「理解できない」という表情を浮かべていた。
「……貴方には分からないでしょうね」
ディストは驚くほど冷静な声を発して答えた。
一瞬だけジェイドを見たディストが俯き、呟く。
嘲笑うような声は冷たく乾いていたが、その対象がディストとジェイドのどちらに向けられているのかは分からない。
「そうです。ジェイドには一生分かりませんよ。届かないのは理解しているのに……それなのに、どうしても諦めきれない感情なんて」
全く動かないディストは言葉の意味を自身で確認するように呟いた。
俯いている所為でディストの表情は読めない。
ただ、口元に笑みを浮かべているのはジェイドにも分かる。
その様子を見たジェイドは黙り込み、そして静かに口を開いた。
「……なら、見てほしいと言えば良かったじゃないですか」
二人しかいない執務室に静かな声が響く。
ジェイドもディストと同じくらい冷静だった。
けれど、ディストは嘲笑するように問いかける。
「言えば、取り合ってくれたんですか?」
眼鏡の位置を直したジェイドが再び黙り込む。
――それこそが答えだった。
たとえディストが言ったとしても軽く流していただろう。
尋ねはしたものの、予想はついていたのだ。
「もういいんです。はっきり分かりましたから……」
唇の端を吊り上げたディストはジェイドに背を向けドアノブに手をかけた。
ジェイドは私のことなんて気にも留めていないのだ。
いや、留めてはいる。監視者として。
個人としては全く興味がないのかもしれないが。