必要な距離(JD)
「は、ぁ……」
光が殆どない闇夜に、気味の悪い音がする。
誰かが息を切らす声と、何か大きな物が運ばれる音。
外出している人はあまりいなかったが、その音の所為で何度か視線が集まっていた。
「う、ぅ……っ」
疲れ切ったディストは大きな物を懸命に持ち上げていた。
マルクト軍基地内に入ったのだから、もう少し。後少し。
ディストは気力だけで音機関を運んでいた。
少しずつ動かしていく度にごとごと音がする。
何度か音機関を落としかけたが、何とか傷つけずに済んでいた。
痛む腕を伸ばし、ディストは待ち焦がれた扉を叩く。
「失礼、します……」
「どうぞ」
聞き覚えのある冷静な声に導かれるまま、ディストは中へ入った。
持ってくるよう命令したジェイドは座りながら何かの書類に目を通している。
ほんの僅かな時間だけディストを見て、視線を手元に戻した。
多分、今日は軍の方にいたのだろう。そうでなければジェイドがこんな時間まで執務室にいるはずがない。
ディストが研究室を出た時、八時は回っていたはずだ。
「音機関、持って……きました」
少し苦しそうなディストはできるだけ慎重に音機関を置いた。
元から体力のないディストには相当重かったらしく、吐き出される息は荒い。
「ご苦労様です。今日はもう帰っていいですよ」
「え……?」
ディストは何でもないようなジェイドの言葉に思わず唖然とした。
――もう帰っていい?
しかも、簡潔に告げるジェイドはディストを見てもいなかった。鋭い視線は書類に注がれ続けている。
「要件、は……ないのですか?」
「特にありません」
感情の籠っていない言葉がジェイドの口から紡ぎ出される。
本当に何もないらしい。ディストを呼んだのは、ただ運ばせたかったからだろう。
そう考えると悔しかった。
「……分かりましたっ!」
ディストはこちらを見ようとしないジェイドに背を向ける。
苛々したようなディストは大声で返事をするとドアノブを握った。
零れそうになる涙を堪えようと歯を食いしばる。
結局、ジェイドは――私がどんな態度を取ろうと関係ないのだろう。
私が何をしようと、ジェイドから離れようと。
「ディスト」
ディストが部屋から出ようとした時、ジェイドから不意に声をかけられた。
名前を呼ぶジェイドの声は優しいものだった。
「……何ですか」
ディストは心に色々な感情を混ぜたまま返事をした。
だが、ディストは振り向かない。
何を言われても振り向いてやらない。そう決めていた。
「食事はちゃんと取りなさい」
「は?」
ただ、聞こえてきた言葉は平凡なものだった。
ジェイドのことだから「偉そうな態度を取ってはいけない」だと思っていたのに。
ディストの涙は零れかけていたが、あっという間に乾いてしまった。
靴音を響かせて、ジェイドが近付いてくる。
「三食欠かさず食べなさいと言っているんです。今日は昼食を抜いたのでしょう?」
ジェイドの指がディストの首筋の髪に触れ、掻き分ける。
それでもディストは振り向かなかった。
昼食だけではなく夕食も取っていないという後ろめたさがあるからではない。