貴方と私の約束(JD)
「完成したら、ねぇ……」
私が何度も述べたらしいその言葉を嘲笑うようにジェイドが笑った。
一瞬だけだったが、戸惑っている私に蔑むような視線を向けたのが分かる。
「複雑な音機関がこの短期間で完成するのは有り得ない。一部、という意味であったとしてもキリのいいところまででしょう?」
私はジェイドの言葉に頷いた。
確かに、この短期間で完成させるのは無理だろう。それでも末端部分を仕上げるなど、ある程度まで完成させるのは可能だ。
だが、ジェイドは私の心を読んだかのように言葉を続けた。
「末端部は既に完成したという報告を受けています。貴方からね。――では、ネイス博士の『キリのいいところ』とは一体どのような状態のことなのでしょうか」
ジェイドは「是非ご説明願いたいものですね」と言って美しい微笑を浮かべた。
ジェイドが、怖い。
声も表情も怒ってはいない。だが、それがかえって恐ろしく感じた。
何よりも、自分の身に覚えがないということが一番恐ろしかった。
ジェイドに報告した覚えはない。そもそも、完成させた覚えがない。
毎日何時間も音機関に触れていて末端部が完成しないことなど有り得ない。末端部にかかる負荷などは既に計算してある。ただ単に組み立てるだけの作業なら数日で終わって当然だ。
けれど、私には完成させた覚えがなかった。
「研究熱心なのは結構ですが、はっきり言って迷惑です」
低い声色でそう告げるジェイドはもう一度私を切り捨てた。
そして、今にも縋りつきそうな私から一歩遠ざかった。
「ジェ、ジェイド……」
「あぁ、行きたいのなら行ってもいいですよ。もう少しで完成なのでしょう? 貴方は人に迷惑をかけることよりも研究をすることの方が大切みたいですからね」
そうじゃないと、違うと抗議したかったが、上手く声が出なくて抗議し損ねた。焦った私の口からは「ジェイド」や「違う」などの簡単な言葉しか出てこない。慌て過ぎて意味のある言葉を紡げず、ちゃんとした文章にならなかった。
「どうぞ。研究、頑張ってくださいね」
横に退いたジェイドは夢の中の先生と同じことを言った。
それでも言葉に籠められた感情は全く違う。ジェイドの応援はあくまでも表面的なもので、その言葉に心はない。
「ま、待ってください!」
何とか食い下がる私は必要以上に大声を出してジェイドに向き合った。
ジェイドに謝らなければいけない。早く謝らなければ。頭で考えるより早くそう思った。
「ジェイド、ごめんなさい!」
「謝っていただかなくて結構ですよ」
私の謝罪を聞いてなお、ジェイドの態度は冷たいままだった。
あの笑顔は浮かべていないが、相変わらず表情が読めない。
どうしていいか分からなくなった私は俯いたまま何度も謝り続けた。
「ごめんなさい……」
自分を信じてくれたジェイドを怒らせてしまった。
ジェイドは休むように言ってくれたのに、私は勝手な独断で提案を聞き入れなかった。
体調を崩したのも、ジェイドに切り捨てられたのも全て自分のせい。そう思うと涙が零れた。
「……何が悪かったのか分かっていますか?」
ため息を吐いたジェイドの声に顔を上げた。
私に向けられる、呆れたような表情。
失望しているようにも見えるジェイドの表情に心が沈んだ。
「ジェイド、に……迷惑をかけたことです」
私は泣きながら精一杯言葉を繋げた。
緩やかで、けれど息が詰まりそうな懺悔の時間。それでも謝る機会はこの時間しかない。謝罪しないまま音機関が完成したとしてもジェイドは喜んでくれないだろう。
「他には?」
まるで取り調べをしている時のようなジェイドが余罪を追及する。
ジェイドの顔を見ていられなくなった私は少し俯いて話し続けた。
「……ジェイドの提案を無視したことです」
「まだあるでしょう」
まだ、あるのだろうか。
声には出せなかったが、心の中でそう思った。
私はジェイドに促されるまま一生懸命それらしい理由を探し出していく。
「ミスをする可能性があるのに仕事をしたことです」
「まだあります」
まだ、と言い続けるジェイドが私を追い詰めていく。
しかしどれだけ頑張っても理由が思いつかない。
これ以上の追及がないことを願いながら、最後の一つを絞り出した。
「全部忘れていたことです」
「もう思いつきませんか?」
だが、私の祈りは空しく消え去った。
罪人を裁く神を思わせるジェイドは追及を止めようとしない。
本当に、まだあるのだろうか。
私には謝る理由が思いつかなかった。
けれどいつまでも黙っている訳にはいかない。私は勇気を出して言葉を紡いだ。
「……他の何よりも研究を大切にしたことくらいしか、思いつきません」
「でしたら……貴方に構っているだけ時間の無駄でした」
ジェイドは私に背を向けた。
その背中から強い拒絶を感じる。
私がどれだけ謝っても許してくれそうになかった。
「わ、私……私……!」
「好きなだけ研究してください。もう何も言いませんから」
ジェイドが部屋から出て行く。
何とか引き留めようとする私を一人部屋に残していった。
「ジェイ、ド……」
もう何も考えられない。
身体が重いと感じた瞬間、私はその場に崩れ落ちた。
どこまでも続く深淵に沈んでいってしまう。そんな感じがした。
だが、それも悪くないと思った。
ジェイドに嫌われてしまった。
音機関を完成させて喜ばせてあげたかっただけなのに、もうそれはできない。
研究をやり遂げられないのなら、約束を守れないのなら――。
「ジェイド……ごめんなさ……」
最後に謝った私はゆっくりと目を閉じた。
どこか遠くで自分の身体が浮遊していくような感じがする。
私は目を閉じ、浮いた身体が徐々に沈下するのを待った。