貴方と私の約束(JD)

 
「ん……私……どうしてここに……」


 いつもより不明瞭な声で疑問を口にし、腕を伸ばす。
 身体を支えるふかふかのベッドに柔らかいシーツ。
 ここがジェイド邸の自室だということに気づくまで時間が少しかかった。

 いつの間に眠ってしまったのだろう。
 それよりも、私はいつ研究所から帰ってきたのだろう。全く記憶がない。
 覚えているのは先生たちと過ごした素晴らしい夢の内容だけ。


「先生……」


 どこか懐かしい夢を思い出しながら涙を拭う。
 あの後、久しぶりに先生と話をした私は今の研究を説明した。
 先生は褒めてくれたし、ネフリーは喜んでくれた。ジェイドやピオニーは何も言ってくれなかったが、それでも本当に幸せだった。

 もう、あの時代に戻れないのは分かっている。あれは私の夢でしかないということも理解しているつもりだ。
 けれど、だからこそ幸せだった。生きて会うことはできないかもしれないが、こうやって夢で逢うことができたのだから。
 最後に先生が言ってくれた「研究、頑張ってね」という言葉が頭から離れない。
 私は本当に幸運な人間だ。


「もう一度……」


 もしできるのなら、この音機関が全て完成した時。
 一度だけでもいいからあの夢を見たい。
 そうすれば先生に報告できる。
 世界を支える音機関を作る研究に関わったのだと。
 自分でもジェイドの力になれたのだと、自信を持って言える。


「……早く研究所に戻らなければ」


 今の私にできることは音機関を完成させることだけ。
 私は身体をゆっくり伸ばし、眼鏡をかけて柔らかなベッドから降りた。
 一瞬、浮くような感じがした。けれど次の瞬間には沈み込むような感じがした。
 少しふらつく。だが身体を支えられないほどではなかった。


「あ、ジェイド」


 ふと扉の方を見るとジェイドが立っていた。
 腕を組み、扉にもたれて私の方を見ている。――恐らく、過去を懐かしんで泣いたところも見ていたのだろう。
 別におかしなことをした訳ではないが、少し恥ずかしかった。


「あの、夢で先生が……ジェイド?」


 私は夢の内容を話しかけてみたが、ジェイドは黙ったままで何も言わなかった。
 もしかしたら私が職務中に眠っていたことを怒っているのだろうか。表情はいつもと変わらないが、私にはよく分からない。


「……あの、すぐに研究所に戻りますから……」


 私は小さな声でそう呟いた。できるだけ視線を合わせないようにしてジェイドの横を通ろうとする。
 謝った方がいいのかもしれないが、今の私にはその勇気がなかった。


「――貴方は自分の体調も管理できないのですか?」


 私だけに向けて放たれる、冷たいジェイドの声。
 その声に後ろを振り向く。
 ジェイドは私を見ていない。壁に背をつけたままだ。
 ジェイドを無視して研究所に行けなくなった私はわざわざ部屋に戻った。


「そんなことありません! 確かに、いつの間にか寝ていたみたいですが……」
「……それが管理できていないということなんですよ」


 言い訳のような言葉を紡ぐ私をジェイドは一言で切り捨てた。
 私の話を聞くつもりはないらしい。今のジェイドは誰がどう見ても苛々している。


「今日は休みなさい。これは命令です」
「で、でも! もう少しで完成しますし、完成した後に休めば……!」
「……完成した後、ねぇ」


 だが、私の言葉を反芻して呟くジェイドはため息を吐いた。
 苛ついたジェイドに鋭い視線を向けられる。


「貴方――昨日も同じこと言っていましたね」
「……え?」


 昨日も。
 そんな言葉に思わず疑問の声が漏れた。

 私にはジェイドの言っていることが分からなかった。
 ジェイドは何か勘違いしている。――私は最近ジェイドに会っていない。何日も、だ。
 それなのに同じことを言えるはずがない。


「ネイス博士は色々と忘れているようですから、私が教えて差し上げましょうか」


 ジェイドが私に詰め寄った。聞き慣れた靴音はカーペットに吸収されていく。
 名前の『サフィール』ではなく『ネイス』と呼ぶジェイドが少し怖かった。


「貴方は昨日も、一昨日も、それ以前も同じことを言っていましたね。『後少しで完成するから完成したら休む』と言って私の提案を無視した」


 そして今日、ついに倒れた。
 ジェイドはそう言って一歩近づき、私との距離を縮めた。
 形の良い唇から、倒れた私を運んだのはジェイドだということが説明されていく。

 ――全て、初めて聞いたことだった。
 自分がした行動のはずだが、全く覚えがない。私はもうずっとジェイドに会っていないはずだ。
 研究所と自分の部屋を行き来する毎日で、ジェイドと話はしていない。ここ最近は大好きな声が私を呼ぶことはなかった。
 ましてや会話なんてしていないはずだったのに、どうして。



 
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