貴方と私の約束(JD)


 私はジェイドと約束した。
 絶対に完成させてみせる、と。
 そして決意した。
 ジェイドの役に立ってみせると。

 だから休息を取っている時間などない。
 これくらいで休む訳にはいかない。
 頑張っているのは私だけではない。自分だけ休む訳にはいかない。


 私は絶対にやり遂げてみせる。
 ジェイドとの大切な約束を果たしてみせる。
 ――絶対に。


【貴方と私の約束】


 一体、今は何時なのだろう。
 静寂に包まれた部屋で私は思ったが、顔を上げて時計を見ることさえ煩わしかった。

 今は研究だけに没頭していたい。
 私は誰にも邪魔されることのない静かな研究室で譜業に向き合っていた。
 事実、音機関を組み立てる音はしているが、それは気にならない。
 この音が私にとっての静寂。この大好きな音がなければ静寂ではない。少なくとも、作業中の私にとっては。


 私は音機関を組み立てている時間が大好きだった。
 現実味のあることを考えていながら、現実にいない感覚。
 重要性の有無ではなく、大切な譜業が音機関として完成していく姿に私は喜びを感じる。
 もしかしたら子供の成長を見守る親の立場が似ているのかもしれない。完成した時の感動は言葉では言い表せないほどだ。

 私にとって譜業や音機関というのは友人だった。
 与えられた役割を淡々と完璧にこなしていく、私の友人。
 音機関を作るのは私だが、作った後ずっと一人で仕事をするのは私ではない。
 だから自分の音機関が称賛された時は自分のことのように嬉しかった。


 他のことではこの感覚を味わうことはできない。
 だから――私は譜業が大好きだった。


「サフィール」
「ぎゃ――っ!」


 背後から突然声をかけられ、私は組み立てていた音機関を落とした。

 普段よく聞くため息に慌てて振り向く。
 いつからいたのかは分からないが、私の後ろにはジェイドが立っていた。
 異様に分厚い書類を持って私を見下ろしている。


「ジェイドっ! 部屋に入る時はノックしてくださいよ!」
「ノックはしました。貴方に話があります」


 ジェイドが何も言ってくれなかったせいで大切な音機関を落としてしまった。
 私はそう抗議したが、返事をするジェイドの雰囲気が違っていたのですぐに黙った。
 ジェイドは詳しく言わなかったが、きっと大切な話なのだろう。
 拾った音機関を近くのテーブルに置いて立ち上がり、ジェイドが話し始めるのを待った。


「これが何か分かりますか?」


 ジェイドは分厚い書類をテーブルに置き、その一部を私に見せた。
 ページをめくり、見せられた書類について考えてみる。
 やはり――何かの音機関の書類だろう。
 小さな文字の中に今までに使ったことのある部品名がいくつか書かれている。
 音機関の設計図を描くのも私の仕事だが、書類には既に簡単な図面が描かれていた。

 『この世界の音素を集めて何万倍にも増幅させ放出する』――。
 書類にはそういった意味の内容が書いてあった。


「今まで見たことのない書類ですが……新しい音機関の設計図ですか?」
「そうです。ですが、これはただの音機関ではありません」


 ジェイドは私から書類を奪い机の上に戻した。
 ただの音機関ではない、ということは何か特別な音機関なのだろう。
 だが、それがどうして私のところに回ってくるのだろう。
 マルクトの研究員として復帰してからは大した音機関を作っていない。私に回ってくるような音機関はそれほど珍しくないものが多かった。


「それに――この計画に参加するかどうかは自分で決めてもらいます」
「……私が?」


 参加するかどうかは自分で決める。
 聞き間違いかと思ったが、ジェイドは「ええ」と言った。


「これは今までの音機関とは比べ物にならないほど重要なものです」


 ジェイドは私の目を見て諭すように言葉を続けた。

 二人で仕事についての話をすることはよくあるが、普段とは雰囲気が違う。この研究は本当に重要なものなのだろう。
 私は鼓動が少し速くなるのを感じながらジェイドを見つめた。


「この音機関はプラネットストームの代替物の地盤となる。意味は分かりますね? 重要な音機関なので貴方に任せるのはまだ早いと反対する者もいますが……」


 ジェイドは何か言っているが、私の頭には殆ど入ってこなかった。
 言葉の切れ端が僅かに処理されていくだけで内容を理解することができない。

 プラネットストームはかつて惑星燃料を供給していた永久機関のことだ。
 この燃料があるからこそ私たちは音機関や譜術を使うことができる。
 しかし、ジェイドたちが世界を救った際に殆ど使えなくなってしまったのだと聞いた。
 それなら――何故、プラネットストームの話が私に持ちかけられているのだろう。
 情報は頭に入っているのに上手く整理することができなかった。


「サフィール。責任者としての立場で取り組む気はありますか?」


 ジェイドは手に持った大切な紙切れをひらひらと揺らした。
 その向こうにジェイドの真剣な表情が見える。
 眼鏡越しに見つめる冷静な赤い瞳がぼんやりとしていた私の意識を元に戻した。


「ま、まさか……そんな重要な研究を、私が……」


 ようやく話の重大さを理解した私はうろたえた。
 軽い眩暈がして机に手をつく。先程拾った音機関を落としてしまった。
 まさか、この私が。信じられない。

 普段なら私の態度を見て呆れたような表情をするジェイドだが、今日は小さく頷くだけだった。
 落ち着いて考えろということなのだろう。

 もしこの計画に関わって失敗すれば、間違いなくただでは済まない。プラネットストームの代替品を作るのだから、関わるのはマルクトだけではないはずだ。
 しかも私は罪人だ。後々何か重大な欠陥が発見されれば「故意に欠陥を生じさせた」と疑われることだろう。
 そして――私を任命した者が責任を背負わされる。


 自信がない訳ではないが、もしかしたらジェイドに迷惑をかけるかもしれない。それは一番避けたいことだった。
 けれど――もう答えは決まっていた。
 ジェイドは世界を変える研究に関わるかどうかの選択肢を私に与えてくれている。
 恐らく大勢いるであろう上層部の反対を退けて、ジェイドが私に選ばせてくれている。


「……あります! 絶対にやり遂げると約束します!」


 私は机から手を離してジェイドに向き合った。
 ジェイドの赤い瞳が私を見つめている。
 本当にするのかどうかを問うような冷徹な瞳が私を捕えた。
 ここで最終的な答えを出してしまえば、もう後戻りできない。

 それでも私は責任を負うことに決めた。
 ジェイドをまっすぐ見据えて何度も頷く。


「ジェイドっ……有難う御座います……」


 ジェイドが私を信じて選ばせてくれた。
 そう思うと感極まって涙が出た。

 まさか、ジェイドと触れ合うこと以外で嬉し泣きすることができるなんて。
 歓喜の涙を零す私をジェイドの手のひらが撫でていく。
 滲む視界の中、ジェイドは満足そうに微笑んで「結構」と言った。



 
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