薔薇と監視者(JD)
様子がおかしいサフィールとは違い、仕事量は相変わらずだった。
会議で使用する書類の作成、部下の教育、認可する書類への署名――。サフィール関連の書類も持ち込まれたが、今日に限って別の者がやってきた。
普段は何があっても自分で届けに来る男だ。
サフィールが故意に避けているとしか思えなかった。
「そういえば……」
帰宅し、自室の扉を開けた私は寝室を見た。
最近は寝室の花瓶に薔薇がない。
以前はサフィールが育てた薔薇が半ば無理やり飾られていた。
ジェイドの為に育てた、と言って鬱陶しいまでの笑顔で活けている姿を見るのが日常だった。
それなのに、ここしばらく薔薇がない。
サフィールが水やりをしている姿を見た記憶はある。枯れてしまった訳ではないのだろう。
サフィールが薔薇を飾らなくなった理由として考えられるのは二つ。
私の為に育てる価値がなくなったか、他に渡したい相手が出来たかのどちらかだろう。
『少しでもジェイドを癒せたらと思って……』
そう言いながら微笑むサフィールが脳裏をよぎる。――随分と毒されてしまったものだ。
ため息を吐いた私は花瓶を書斎横の本棚の上に置いた。
着替える前にサフィールの部屋へ向かう。
「サフィール?」
ノックせずに扉を開ける。
普段なら帰ってきている時間だったが、サフィールの部屋には誰もいなかった。
数人の使用人に聞いても所在が分からない。どうやらまだ帰ってきていないようだ。
「どこで道草をくっているんでしょうねぇ」
監視者という立場上、罪人を野放しにする訳にはいかない。
面倒だとは思いながらも私は屋敷を出た。
サフィールにはまっすぐ帰るように言ってある。
罪人ということに負い目があるのか真面目なのか、サフィールがそれを破ったことはない。
それなのに帰っていないということは何かあったということなのだろう。
すっかり暗くなった道を歩きながら、白いシャツを着ている銀髪の男を探す。
サフィールは軍服を着ていない。着る許可を与えられていないのだ。
もう『六神将のディスト』ではない為赤色ではないが、白色のシャツを着ることになっている。
サフィールの白いシャツは、かつてディストだった証。
大きな過ちを犯した罪人である証拠だった。
今はマルクトの研究員として働いているが、全ての罪が許された訳ではない。
減刑されたのは事実でも、私の監視下にあっても、身柄が保証された訳ではなかった。
事実、サフィールとして軍に復帰することにも色々な条件がつけられている。
その一つとして『マルクトの軍服を着ないこと』が挙げられていた。
これはサフィールの復帰に反対だった者が考え出した条件であり、ディストが犯した罪を忘れないようにするため、といった理由だった。
一部の連中がサフィールを嫌っているのは知っている。
そうされる原因を作ったのがサフィール自身だということも理解している。
だが、復職させておきながら軍服を着せないなど馬鹿げている。
ピオニーと共にサフィールの減刑を支持し続けた私が言うのもおかしいが――。命令で渋々許可したとしても、軍隊の中で個人を出すべきではない。
「おや」
港に向かうと、船の近くに腰掛けている男を見つけた。
膝を抱え込むような猫背で時折月を見上げている。
「やれやれ、手間をかけさせてくれますね」
サフィールがいたことにどこか安堵しながら近寄る。
小気味よく響く靴音にサフィールが顔を上げた。
「サフィール」
「ジェイド……すみません、もう帰ります」
私に気づいたサフィールは小さな声で謝って立ち上がった。
また泣いているのかと思ったが、泣いていた様子はない。
綺麗なものを求める男だから、輝く月を観賞しながら潮風でも浴びていたのだろう。
「連れ戻しに来てくれたんでしょう? 監視する罪人がいなかったから」
私の傍に寄るサフィールは予想外の言葉を発した。
――罪人がいなかったから。
それは穏やかな口調だったが、その言葉には棘があった。
「……私に迷惑をかけたかったのですか?」
「いいえ。でも、すみません。有難う御座います。嬉しいです」
やはり穏やかな口調で喋るサフィールは嬉しそうに微笑んだ。
元々白い肌と髪が月明かりを受けてぼんやりと輝く。
闇に映える姿は故郷の雪のようだった。
「サフィール。最近様子がおかしいように思えますが」
「そんなことありません」
サフィールは表情を隠したまま答えた。
私を嫌っているからかどうかは知らないが、話す気はないらしい。
――気に食わない。