曦澄SSまとめ
この想いを継いで
突然差し出された、小さな箱。思わず江澄は瞬きを数回、そして目線を目の前にいる男、藍曦臣に向ける。にこにこと、よく見る表情を携えたままで江澄を見つめていた。
流石の江澄でも、これが何かは予想が付く。けれど、まさかな。そう思い、「これは何だ?」と一応問い掛けてみる。
「結婚しましょう、江澄」
受け取ってくれますよね? などと笑みは崩さず、いつも通りの調子でさらりと藍曦臣は答えた。
何も可笑しな事は言っていない、そんな自信すら感じてしまう程、至って普通に。
まさか、と思っていたのに。江澄は重いため息をひとつ。プロポーズを受けた側の反応としては、全く相応しくないだろうが。通常であれば、歓喜のあまり涙のひとつでも溢れるもの、かもしれない。少なくとも江澄の認識としてはそうだった。
しかし、今のお互いの状況では、そうもいかないだろう。
「……俺たちは昨日恋人同士になったばかりだが?」
そうなのだ。確かに、藍曦臣と江澄は恋人同士だ。藍曦臣からプロポーズされる事も、変な事ではない。
けれど、交際が始まったのは昨日の事。今日はまだ交際二日目だ。付き合い自体は長い。出会いは高校生の時だっただろうか。卒業後も交流があり、予定が合えば食事に出掛けたりなどもしていた。
初めから恋愛感情を抱いていた、と言うわけでもない。
江澄は、藍曦臣を人として尊敬していた。尊敬できる親しい友人の一人だと、ずっと思っていた。藍曦臣に対して抱いている感情が恋だと気付いたのは、ほんの些細なきっかけから。
藍曦臣からの告白。江澄が藍曦臣に恋人の有無を尋ねた際に、突然の告白。あなたのような人は、世の女性が放っておかないだろう。浮いた話の一つも聞いた事がない、実際のところどうなんだ、そう江澄が軽い気持ちで尋ねたら。藍曦臣は少し困ったように笑い、そして。
私はあなたを愛しています、出会った頃からずっとあなたしか見えません、と。
突然の事に驚き、江澄はすぐに返事が出来なかった。言葉に詰まる江澄に対し藍曦臣は、私が勝手に思っているだけですから気にしないで、と微笑む。少しだけ寂しそうに思えたその表情に思わず、俺もあなたが好きだ、と口にしていた。
咄嗟に出た言葉であったが、決して嘘ではなかった。もしもこのまま、返事をしないで有耶無耶にしてしまったら。
もしかしたら、この人を失ってしまうかもしれない。
それだけは嫌だと、強く感じたのだ。
そうして恋人同士になり、二日目、いきなりのプロポーズ。
「流石に早すぎると思うが」
「そうでしょうか?」
至極真っ当な江澄の言葉に怯む事もなく、藍曦臣は微笑みを絶やさない。寧ろ自分自身の発言に自信すら思えるほどであった。何も可笑しな事は言っていないと、昨日告白してきた時とは真逆すぎるその表情。
「私はあなたと出会ったときから、あなたと結婚すると思っていました」
「……どういうことだ?」
「どういうことも何も、言葉通りだけれど……」
あまりにも急な展開についていけず、江澄は若干頭痛すら覚えてしまう。藍曦臣はこんな男だっただろうか。長く一緒にいるが、こんな一面があるだなんて知らなかった。強引にも程がある、江澄は何度目かもう分からない重い溜息をひとつ。
「悪いが、流石に早すぎる」
受け取るのが嫌、という訳ではない。流石に早すぎる、というだけだ。江澄の断りの言葉にも藍曦臣は特に気にした様子も無く、差し出した小さな箱をしまい込んでいた。浮かべた微笑みはそのままに、そうですよね、なんて言いながら。
すんなり引いた事が江澄にとっては意外で、内心かなり驚いていた。早いなんて事はありません、とでも言われるかと思いきや。話題も別のものに変わり、プロポーズの事なんてなかったかのようにしている藍曦臣。
まあ、いずれは受け取る事にはなるだろう。今日ではないだけであって。江澄はそんな事を密かに思っていた。
しかし翌日。また藍曦臣に差し出されたのは、見覚えのある小さな箱。
見覚えがあるのは当然だ。
昨日、見たばかりなのだから。
「結婚しましょう、江澄」
江澄の目に映るのはいつも通りの表情、にこにこと優しそうな笑み。少しだけ楽しげにも思えるそれに、江澄は溜息をつく。
昨日と全く同じシチュエーション、全く同じ台詞。
「……昨日の俺の台詞を覚えているか?」
「ええ、勿論」
もしかしたら藍曦臣は昨日の事を忘れてしまったのかもしれない、何なら昨日の事は江澄の夢だったかもしれない。そんなのは有り得ない事だが、念の為一応確認をしてみる。
しかし、藍曦臣から返ってきたのは勿論との事。
「二日目で早いのなら、三日目なら大丈夫だと」
「そういう事じゃない」
「そうなんだね。受け取ってくれる?」
「俺の話をちゃんと聴いていたか?」
「江澄の言葉は一言一句、逃さず聴いているつもりだよ」
「どうやら理解は、出来ていないようだな」
藍曦臣の知らなかった一面を見てしまった気がする。段々と頭が痛くなり、江澄は額を抑えた。藍曦臣の突拍子もない行動の意味は分からないが、ひとつだけわかった事がある。
今日断った所で、また明日もプロポーズをされるに違いない。そして明日断っても、また翌日も同じ目に合うだろう。
きっと顔を合わせる度に、結婚しましょう、そう藍曦臣に言われる事は容易く想像できる。
どうして、こんなにも急なんだ。タイミングもあるだろう。
もっと、そう例えば一年後とか。それくらい後にもし藍曦臣から言われていたのであれば、江澄だってすぐに受け入れていたであろうに。
江澄はまた、重い溜息をひとつ。もう、どうしようもない。覚悟を、決めるしかないのだろう。
「……分かった」
差し出された小さな箱を受け取り、藍曦臣を見つめる。
「受け取ってやる。結婚しよう」
そう江澄が言えば、藍曦臣は少しだけ驚いたように瞬きをしていた。そして甘く、とろけるように笑う。嬉しそうに、幸せそうに。ほのかにじんわりと、江澄の胸の奥に温かいものが広がる。
仕方なく受け入れたつもり、であったが。その顔を見ると少しだけ、気分が良くなる。
まあ、いいか。遅かれ早かれ、きっとこうなる運命だったのだろう。この先もずっと藍曦臣と一緒にいられるのであれば、幸せなのだから。だが手元の小さな箱を開いた瞬間に、そう思った事を少しだけ後悔をした。
江澄の目に飛び込んできたのは、やけに光り輝く、指輪。中央に配置された大きなダイヤモンド、その周囲を取り囲む小さなダイヤモンド。プラチナのそれに散りばめられたダイヤモンド、ダイヤモンド、そしてダイヤモンド。給料三ヶ月分とはよく聞くが、明らかにそれ以上の物だろう。
絶対、これは高い。値段を知るのも恐ろしい。
「……どうしたの?」
指輪を見つめたまま固まってしまった江澄へ、藍曦臣が心配そうに声を掛けてくる。目線は指輪に向けたまま、江澄はぼそりと呟く。
「……愛が重い」
「え?!」
その夜。江澄は夢を見た。
夢に出てきたのは、藍曦臣。だが、随分と雰囲気が異なっていた。周りの風景も、服装も。江澄自身の服装も、やけに厳かである。全てが見慣れないもの、なはず。だが、不思議と江澄は何処か懐かしさを覚えた。これは、何の夢だろう。
(阿澄)
藍曦臣が、江澄を呼ぶ。そう呼ばれた事は一度もない、筈なのに。酷く懐かしく、そして聞き慣れた呼び名だと感じた。
(永遠をあなたと共に)
優しく温かい手が江澄の頬をゆっくりと、撫でる。
(次の世でも必ず、あなたを見つけます)
「……俺も必ず、あなたを探す」
藍曦臣に言葉を返しながら、少しづつ蘇る記憶。これは、いつかの思い出。遥か昔。ずっとずっと、昔の事。
(愛しています)
「愛している、藍渙」
そしてはっきりと、分かった事がある。
あのプロポーズは、決して突然でもなく、早すぎることもなかった。
こんなにも昔から、言われていた事だったなんて。
なんて藍曦臣は、律儀な男なのだろう。
かつての言葉通りに、江澄を見つけ出してくれたなんて。
(曦澄結婚おめでとう♡)