ペルソナ3
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夕食を作ろうと自室からラウンジへ向かうと久しぶりに全員が揃っていた。とはいえ今日も有里は遅く、たった今帰ってきたところだ。
岳羽も美鶴も、伊織も皆元気が無い。
「どうした、みんな。腹でも減ってるのか?」
真田はそんな事を言うが、分かっていない訳ではないだろうに。
「い、いえ……」
「真田先輩、夕食なら今から作りますから少し待ってください」
相変わらず寮内の空気が重い。アマネがキッチンへ向かうと山岸が頑張って空気を変えようとする声が聞こえた。
ラウンジとキッチンとでは扉が無いので、少し大きい声で会話をしてくれればキッチンに居ても何の話をしているかは分かる。山岸がアマネのことを意識して声を大きくしている訳ではなく、単に場の空気を少しでも明るくしようとして声が大きくなっているのだろう。
「も、もうすぐ夏休みですね。皆さん、何しようかとか考えてますか?」
「そらまぁ、夏と言えば海っしょ。ビーチに、水着に、ひと夏の思い出。ああーっ、気晴らしにどっか海とか行きてぇー! なんかこう、南の方のメチャクチャ透き通ってるっぽいトコ!」
伊織の言葉にアマネはふとイタリアの海を思い出して、フライパンを持ったままラウンジの皆には聞こえないように笑う。
いや、別に落ち込んでいないアマネがテンションを上げてどうするのだ。
「つか、明日から期末だよ。あー、マジだりぃぃー……」
「まぁまぁ。けど、キレイな海っていうと、沖縄とか、一度行ってみたいな」
イタリアが良い。今でこそアマネは日本人だが、心のどこかではやはりイタリアを恋しいと思う。
「沖縄じゃあないけど、『屋久島』って選択肢ならアリかもね」
「理事長。いらしてたんですか」
「いや、前を通りかかったんで、来週の予定をちょっと知らせにね」
幾月の声。こんな時間に来たのかと一応顔を見せて挨拶すべきか考え、結局止めた。
炒め物をするので少し会話が聞こえなくなる。一応幾月の分も考えて作り直しだ。今日はリクエストが無いので、冷蔵庫にある食材から人数分作れる物を適当に考えて作るつもりだった。
「マジッ!? それ、旅行って事ッスよね!? キタァー! 海! 海! 水着! 水着!」
伊織のそんな声が聞こえて、持っていた菜箸を落としかける。フライパンを置いた直後だったからいいが、伊織が屋久島と聞いて海だ水着だと騒ぐ理由がピンとこなかった。
屋久島はどんなところだったか。今までに行った覚えがないが、世界遺産の場所だった覚えはある。
世界遺産というとアマネはやはりコロッセオだ。ちなみにローマへ行ったことはあるが観光した覚えは無かった。
「センパァイ! おねがいしやっすうぅ!」
伊織の懇願の声に続いて桐条の声。そこまで大きくないのでなんと言っているかは分からないが、すぐに再び伊織が雄叫びを上げたのでどうやら屋久島へ行くことが決定したのだろう。
出来上がった料理を運びにキッチンを出ると、美鶴と岳羽以外が旅行の話に花を咲かせていた。いつの間にか二人はいなくなっている。
「結局どうなったんですか?」
「海だよ海! 斑鳩も楽しみだろ⁉」
テンションの高い伊織が駆け寄ってきて、料理の皿を運び始める。最近何も言わずともそういう事は手伝ってくれるようになったのだ。
幾月を除く他のメンバーも料理を運び出してくれるのを見ながら思い出す。
「俺、水着買わねぇと無ぇ……」
***
「佐藤、試験終わったら買い物付き合ってくれねぇ?」
「あー買い物? 珍しいじゃん」
期末試験最終日。人に散々ノートを借りたり教えを請うてきたりしてきた佐藤も、試験という緊張からの開放による高いテンションで笑顔だった。これなら以前より高い順位が取れるのではないかとアマネは自身の結果より期待してしまう。
アマネの場合解答出来る出来ないという話ではなく、全部を埋めて時間を潰すという状況なので余計に。
「で、何買うの?」
「寮の皆で旅行に行くんだけど、水着が無い事を思い出した」
「へぇー旅行」
「土産は買ってくるぜぇ?」
「いや、寮の皆でって仲がいいと思ってさ。……ん? 寮の皆って事は、桐条先輩も?」
「むしろあの人が出資ぃ」
「ああぁああ! 写真! 写真で良いから水着姿お願い! 本当は私服姿も欲しい!」
「土下座止めろぉ」
まだ教室にいたせいで残っていたクラスメイトが何事かと振り返ってこちらを見ている。コイツの頭を踏みつけてやろうかと思った。
校門へ向かうと有里達も帰るところだったらしく、珍しく揃っている。伊織の騒がしい声は多分試験明けのテンションなだけだ。
けれどもここ数日のようなぎこちなさが無く、自然に有里へ声を掛けているのを見て試験と一緒に悩みも少し吹っ切れたのだと思った。
「先輩」
「お、斑鳩じゃん。お前も今帰り?」
「買い物して帰ります。なので少し遅くなるかと」
「ああ。分かった」
真田に見送られて佐藤と一緒に歩き出す。有里と山岸が小さく手を振っていたのに手を振り返して前を向くと、隣を歩いていた佐藤がアマネを見た。
「なんていうか、どういう集まりの寮かいっつも不思議に思うんだけど。男女共同だし」
「……そうだなぁ」
佐藤お勧めの店に到着して、水着とついでに新しい服もいくつか買い揃える。
自分では気付かなかったが、どうもアマネは長袖や厚着のものを選ぶ傾向がある様だ。佐藤に言われて気付いたのだが、そういえば今までの服もそういうものが多い。
「でも、寒くねぇ?」
「今は夏だってのに黒い長袖とか、見てるこっちが暑いっての! いいか! 夏は開放的になれ! しかも海だ! 水着だ! 男のロマンだ!」
「佐藤、伊織先輩と同じこと言ってるぅ」
「普通なの! ホラ、せめて上着は白」
「汚れが……」
「お前ちょっと家庭的過ぎ。なんなの? とりあえず今手に持ってるソレは戻せ」
呆れられてしまったので、仕方なく持っていた黒のタートルネックを戻す。
この時期にそれがあるこの店もどうかと思うが、アマネみたいなヤツが買うからある訳で、だとすれば需要はあるのだから買ってもいいだろうに。
「選ぶセンスがなんかアレなんだよ。動きやすければいいみたいなさ。何かと戦ってんの?」
今のところシャドウと。
***
屋久島へ向かうフェリー船内で、船首へ集まった先輩達に連れられてアマネも進行方向に見えてきた目的地を見やる。
「おー、ようやくハッキリ見えてきた、すげー! ヤ、ク、シ、マー!」
「わ、わー、珍しい木がいっぱい! 見て、あれなんて……」
ぎこちないながらに騒ぐ伊織とそれに合わせてやはりはしゃぐ山岸と違い、普段なら彼らと一緒に騒ぎそうな岳羽は大人しい。船首に来てこそいるが美鶴もやはり先日のことが気に掛かっているのかよそよそしくて、せっかくの旅行だというのに相変わらず空気が悪かった。
「えっと……」
「す、すげーよなー? おー、すげー。まじヤベェ」
場を盛り上げようとする二人が可哀想で逆に何も言えない。
仕方なく場の空気は無視をすることにして、アマネも普段では味わえない船上に意識を向けた。
波の音。潮の匂い。両方ともイタリアではなく日本のそれではあるけれど懐かしい気がする。そういえば『昔』住んでいたのは海の傍だったなと遠い記憶が甦ったのは、イタリアだろうと日本だろうと海であることに違いが無いからだろうか。
手摺りに寄り掛かって海を見渡せば、水面に魚影が見えた。
伊織が結局溜め息を吐いたのが背後から聞こえる。
「海、好きなの?」
ふと尋ねられて振り返れば、有里が近付いてきた。
「そうですね。好きかもしれません。潮の匂いは嫌いじゃねぇし。先輩はどうですか?」
「気持ち良いとは思う」
「ヴェネチアとかもいいですね。水に浮かぶ建物って感じが」
「行ったことがあるの?」
「――昔に。その頃は移動が面倒だと思ってばかりでしたけど、今考えると結構好きだったかもしれません」
本当に面倒だった。『昔』の話だがアマネは仕事で行っているのに移動速度は遅いは船に乗らないといけない場所はあるはで、仕事が終わる度にもう二度とこの街の仕事は請け負わないと強く決意したのに、『弟』がそこの土産を喜ぶものだから結局何度も足を運んだ。そういえばその内慣れて何も考えなくなっていた気もする。
「知ってますか? あそこみたいにカモメがいる場所の水面下に、魚群がいるんですよ」
「どれどれ? うわっ、カモメ多いな!」
寄ってきた伊織が隣で手摺りに寄り掛かって海面を見た。もうあちらの美鶴達の空気を変えることは諦めたのだろう。
「あ、今跳ねた!」
同じくやってきた山岸が伊織の隣へ並ぶ。
「水面は太陽の光が反射して見辛いだろうに、良くもまぁ、ああも綺麗に魚を獲れますよねぇ」
「魚食べたいな」
「湊、まだ昼じゃないからっ」
「伊織先輩潜って獲ってきてください。俺捌きますから」
「オレ⁉」
「じゃあ真田先輩にしますか?」
「呼んだか?」
近付いてくる島を眺めていたらしい真田が振り返る。
「ああもう来なくていいですっ。斑鳩! お前のせいでちょっとオレ疲れたっ」
「俺、魚より貝がいいなぁ」
「私も、貝がいいかな」
「イカ食べたい」
「オレも腹減ってきた……」
ガクリとうなだれた伊織に背後からクスリと笑い声が聞こえた。思わずといった風に山岸と伊織が振り返った先で、岳羽が口元を押さえ美鶴が顔をそらしている。
驚きの表情でアマネを見る山岸と伊織の二人に、アマネは岳羽達には見えないように親指を立てた。狙ってやった訳ではないが、結果が良かったので自分の手柄にさせてもらうことにする。
到着した桐条財閥の持ち物らしい別邸は、たまにしか来ないのだろうに豪華な屋敷だった。思わずといった様子で山岸が感嘆の声を上げる。
「リアルに『世界の豪邸訪問』だな……」
「そうですか?」
首を傾げてしまったのは仕方が無い。アマネは『昔』の経験でこれ以上の豪邸を知っているし、王城にだって入った事があるのだ。
思い出すのは『親友』の住んでいた屋敷。ところで隠し通路はこの屋敷にもあるのだろうか。
礼儀正しく並ぶメイドの挨拶を受けて美鶴が頷く。萎縮もせず堂々とした態度に、現代のお嬢様なのだなと再認識した。
むしろ連れの岳羽達が緊張して萎縮しまくっている。
「メイドって実在してんだな……」
「やっぱり先輩、スゴい人なんだ……改めて実感」
色々な意味で感動しているらしい先輩達を見て、アマネが少し戸惑ったのは秘密にしておこう。
『親友』がいた屋敷にもメイドというか使用人は居たし、その後の黒い組織の本部も一見は古塔や古城だった。更にその後は思いきり王城や宮殿だ。
知り合い達も貴族が多くて住居には当然のようにいた使用人のことを思い出し、それに慣れきっていた自分がおかしいのだと気付く。アマネ自身は貴族ではなかったが、客人という立場が多かったので丁重な扱いをされていたし、そういうものだと思っていた節がある。
どうやら長い『人生』で普通の感性がずれているようだ。
奥の扉から一人の男性が出てきて、こちらに気付いて立ち止まる。右目を眼帯で覆った威圧感のあるその人物に、メイドだけではなく美鶴も姿勢を正した。
「お久しぶりです」
美鶴が声を掛けるも、男性はその隻眼でアマネ達を一瞥するとそのまま行ってしまう。頭を下げるメイド達と、少しだけ緊張していたらしい美鶴の態度に、アレがここの主人かと理解した。
つまり彼こそが桐条の父親なのだろう。アマネが“父親”という存在を苦手にしていることを抜きにしても、娘に声を掛けられても何も言わずに去るというのは少し気に食わなかった。
「短い休暇だが、まぁ存分にくつろいでくれ」
声を掛けられ、アマネは美鶴の父親が去っていった方向を睨むのをやめる。
未だに『父親』へのコンプレックスが根深いらしい。原因は父親なのだから、いい加減忘れれば良いのに。
「おし! 楽しませてもらうッスよ! となりゃ、すぐそこだし、まずは海だな。やっべ、テンション上がってきた! 早速ビーチに突撃⁉」
「ちょっ、もう海? てか、行くのはいいけど、そんなすぐ仕度なんて無理だよ?」
「ならオレたち、先行ってるぜ。つか、一秒もムダに出来ねーからなッ!」
テンションの高い伊織に有里共々腕を掴まれ、そのまま引きずられる様に歩き出した。
***
「んー、このビーサンに足の指の付け根が食い込む感じ……ようやく夏実感だぜ!」
「沖に目印になるような物は無いな。泳ごうかと思っていたが」
砂浜でまだ来ていない女性陣を待つ間、夏に感動している伊織といい遠泳計画を考えていたらしい真田といい、こうも思考が違うのは面白いと思いながら二人を眺める。砂浜から照り返される日光に普段はズボンで守られている脚が熱い。
「ちょっ、なんスかその水着! 斑鳩も!」
「何がだ?」
「俺もですか?」
振り返った伊織が真田とアマネを見て驚いている。真田はともかく自分もなのかと、アマネが首を傾げるとポニーテールにした髪が首筋をくすぐった。
「先輩ブーメランって、んなピッチピチの、エグいっすよ!」
確かに真田はいっそ競泳用なのではないかと思う、ブーメランタイプの水着だ。けれどもこれで真田が柄物の派手な海パンを履いていても伊織は何か言ったとアマネは思う。
「それから斑鳩。お前もなんだよその格好。ポニーテールに白いパーカーって、女子か!」
指を差してまで指摘されて、アマネは改めて自分の姿を見下ろした。
泳ぎやすいように髪はポニーテールにしているが、日焼け防止にと薄手長袖のパーカー。泳ぐ時は脱ぐつもりだ。
ちなみにこれは佐藤ではなく、店員が選んでくれたのをそのまま買って着ているだけである。選んでいる時何故か佐藤はその店員と言い争っていたが。
「店員に勧められました」
「その店員女?」
「男でしたよ」
「とりあえず前閉めるな。開けとけ」
パーカーの前を開けようが閉めようがアマネの勝手だ。水着になっても野球帽を脱がない伊織には少し言われたくなかった。
「泳ぎやすいだろ」
「ああ、出ました。こっちはこっちで遊びに海来たのに、『黙々と泳ぐ』タイプ」
「悪いか。お前こそ何して過ごす気だ」
「そりゃあ、夏で海と言ったら、お楽しみは決まりっしょ! ほら、来た来た!」
「え、なに?」
振り返れば着替え終えたらしい岳羽達が歩いてくる。その姿を見てやはりテンションを上げる伊織。
「おーっ、ゆかり選手、想像よりけっこう強気のデザインですな! やっぱ、部活でシボれてるって自信が大胆さに繋がってるんでしょうか⁉」
「パラソル、空いてるとこ勝手に使っていいのかな?」
「ああ、それならこっちに……」
「斑鳩邪魔だ! 続いては風花選手ですなー。つーか……風花オマエ、メッチャ着痩せするタイプ……⁉」
山岸の荷物を受け取ろうと差し出した手が半端に止まってしまったのは、山岸が伊織の言葉に驚いたからだ。
恥ずかしがる山岸に伊織はご機嫌である。そんなに水着の女性が好きか。
「ムフフって、変態かっつの!」
「そんで、トリを務めますのは……」
「ん……どうした?」
最後にやってきた美鶴を山岸が褒める。
「ホントすっごい、白くて、キレイ! 日焼け止め、もう塗りました?」
「い、いや……」
褒められて恥ずかしがる美鶴はなるほど綺麗だとは思った。真田もどうやら少し見惚れているらしい。
カメラはパラソルの下の荷物の中なので、佐藤の為にも後で写真を撮らせてもらおう。
「荷物、こっちです」
「ああ……って、斑鳩か?」
「はい。髪型変えたんで分からねぇですか?」
「髪型というか……」
何故かアマネを見て驚いている女性三人の荷物を受け取って首を傾げた。マジマジとアマネを見る視線は何かに驚いているようだが、そんなに驚かれる理由が分からない。
「あの、何か?」
「斑鳩君その格好……」
「流行とか分からなかったんで店員のお勧めなんです。似合いませんか?」
「に、似合っては、いるかな」
「むしろ似合いすぎ、というか……」
どうもハッキリとしないが、これは無視していいのだろうか。とりあえず荷物を置きにいくと背後で何か言っていた。
「……なんですか?」
「お前がなんだか女子みたいだな、という話だ」
「ちょっ、明彦!」
慌てて美鶴が真田を止めようとするも一度出てしまった発言は既にアマネの耳へ入る。
嗚呼そういうことかと理解して日に焼けそうな首を掻いた。
「……元々女顔ですけど、そんなにアレですか?」
そういえば『昔』は弟がよく男に声を掛けられていたなと思い出す。弟は可愛いから仕方がないと思っていたが、あれは女性に勘違いされていたのか。アマネ自身も何度かはあったが、そいつ等が同性愛者なのだと思って気にしていなかった。
しかし美鶴達がそう思うという事は、『昔』とほぼ見た目の変わっていないアマネも弟同様、女性と見られていたのだろう。
ショックである。
「足も細いな。探索中の戦闘でよく蹴っていたが、折れないのか?」
「折れた事は無ぇですよ。それに岳羽先輩達の方が細いでしょう」
セクハラ発言だったかな、と三人を見れば、顔を赤くして俯いたりそっぽを向いたり。真田はそうかと呟きながらアマネの脚と美鶴の脚を見比べて、気付いた美鶴に慌てて止められていた。
少し離れた所では伊織と有里が何かひそひそと話している。ここまでは聞こえない。それでも伊織のテンションが高く、何故か喜んでいるのが分かる。
「いいなぁ、こういうの。ホント、来てよかったよなぁ。よっしゃ、そいじゃ、そろそろ水に浸かるとしますか! 行くぜっ!」
「待てっ、一位は譲らん!」
走り出した伊織とその後を追い駆ける真田。だから目的が合っていない。
真田はともかく伊織は準備運動も無しに海へ飛び込んで、足でも攣って溺れてしまったら大変だなとアマネも後を追おうとして、ふと視線を感じて振り返った。同じく海へ向かおうとしていた有里も振り返って周囲を見回している。
「……今」
「誰か見てました、ね」
「うん」
何処からだ、と思いながら気配を探ろうにも何故かよく分からない。殺気があれば確実に分かっただろうが、その視線に殺気が込められている様子は無い。人の視線に近い高さからだとは分かるものの、人のそれだとも言い難い気配だ。かといって獣のそれではない。
そうしている間に気配は消えてしまった。
***
夜になって、大切な話があるとアマネ達は応接室へ集められた。話があるのは美鶴の父親だというからか、どうしても無意識に身構えてしまう。
「美鶴から、大体は聞いているな」
「あ、はい……」
「左様、全ては大人の……我々の罪だ。私の命ひとつであがなえるなら、とうにそうしていたところだが……今や、君らを頼る他はない。父『鴻悦』が怪物の力を利用してまで造り出そうとしたもの。それは、『時を操る神器』だ」
「時を、操る……?」
「言葉の通りさ。時の流れを操作し、障害も例外も、全て起こる前に除ける。未来を意のままにする道具と言ってもいい」
「す、すげぇ。野望のサイズがデカい……」
小さく伊織の呟きが聞こえたが、それは世界征服とどちらが大きいのだろうか。
「だが研究は父の指示によって、おかしな方向へ進んでいった。……晩年の父は、何かとても深い虚無感を胸の奥に持っていたようだ。今にして思えば、父の乱心はそれを打ち破るために始まったのかも知れん。君らが全てを知りたいと望むのは当然の事だ。私にも伝える義務がある」
部屋が暗くなり、大型モニターに映像が写し出される。古いのか荒れた画像だ。
「これは……?」
「現場に居た科学者によって残された、事故の様子を伝える唯一の映像だ」
「……映像?」
映し出されている何処かの事故現場に目を細める。男性の顔も詳細には判別出来ないその映像に、何故か違和感を覚えた。
覚えがある違和感なのに、咄嗟に思い出せない。
『この記録が、心ある人の目に触れる事を、願います』
「この声……⁉」
映像と共に流れてきた声に岳羽が反応する。
『ご当主は忌まわしい思想に魅入られ、変わってしまった。この実験は、行われるべきじゃなかった! もう未曾有の被害が残るのは避けられないだろう。でもこうしなければ、世界の全てが破滅したかもしれない』
「世界の……破滅?」
一人の男が企てた研究から、一気に世界の破滅とはまた大きい話だ。
大きい話過ぎてありきたりで、いっそ笑えてくるが。
声は続く。
『この記録を見ている者よ、誰でもいい、よく聞いて欲しい! 集めたシャドウは大半が爆発と共に近隣へ飛び散った。悪夢を終わらせるには、それらを全て消し去るしかない! ……全て、僕の責任だ。全てを知っていたのに、成功に目が眩み、結局はご当主に従う道を選んでしまった。全て僕の……責任だ』
はっきりと写る男性に、岳羽が息を呑む。直後爆発音と共に映像は終わった。
「お父さん……」
岳羽が震える声で、そう呟く。
「お父さんって、今の人が……?」
「お父様、これは……」
驚く山岸と動揺する美鶴の質問に、美鶴の父親は淡々と答える。
「彼は岳羽詠一郎。当時の主任研究員だ。実に有能な人物だった。その彼を見出して利用し、こんな事件にまで追いやってしまったのは、我々グループだ。詠一郎は……桐条に取り殺されたも同然だ」
「ま、まさか……」
「つまり、わたしのお父さんが、やったって事……? 影時間もタルタロスも、たくさんの人が犠牲になったのも……みんな父さんのせいって事?」
「お、おい」
「じゃあ色々隠してたのって、ホントはこれが理由? わたしに気遣って隠してたってこと? そういう事なの⁉」
「岳羽、それは違う。私は……」
「かわいそうとか、やめてよッ!」
「岳羽っ!」
叫ぶようにそう言って応接室を出て行った岳羽を、美鶴に頼まれ有里が追い駆けて行った。
静かに閉まった扉の向こうに有里がいなくなる。
残された皆は驚きや動揺で何も言葉に出来ないらしく、俯いて黙り込んでいた。今の映像から分かった事実を飲み込むのに苦労しているのかもしれない。
その沈黙を無視して、アマネは美鶴の父親へと話しかけた。
「すいませんご当主。ひとつお聞きしても?」
「なんだね」
「この映像、記録媒体は」
「HDだ。それがなにかあるのか?」
「いえ……」
先程感じた違和感の正体が掴めない。アマネがそんな質問をしたことを不思議がっているあたり、他の皆は誰も違和感を覚えなかったのだろう。そのあたりは経験の差かもしれないが。
おそらく何度も映像を見返しているだろう美鶴の父親も気付いていない違和感。それでは初めて見ただけのアマネが分かる事など何も無い。
『×××』が使えれば良かったと思いつつ考える。
違和感。映像に。
映像といえば、高度の幻覚は機械すら騙せるという話だったが今は関係ないだろう。そもそもこの世界にそんな術者がいるとは思えない。
けれども騙す、というのは引っ掛かる。
『×××』に頼っていた弊害か、アマネはどうも自分で考えるということが不得手になっているようだ。前々からあれば良かったと無いものねだりばかりしている。以前は『×××』のことを鬱陶しいとさえ思っていたのに。
考えているとふいに伊織が顔を上げた。
「遅いっすね」
「……そう、だね」
「伊織先輩、迎えに行ったらどうですか?」
「オレ?」
「先輩同じクラスですし、外暗ぇから山岸先輩には危なくて行かせたくありません。もうすぐ影時間ですし」
「お前は?」
「こういう役目は伊織先輩だと思っています」
譲られたのだと理解したのか、伊織が立ち上がって部屋を出て行く。彼は有里に嫉妬していたが、こういう時そういう行動が出来るほうが、アマネとしてはいいと思った。
やがて戻ってきた岳羽は有里と伊織と何か話したのか、映像を見た直後よりは落ち着いている様だった。
岳羽も美鶴も、伊織も皆元気が無い。
「どうした、みんな。腹でも減ってるのか?」
真田はそんな事を言うが、分かっていない訳ではないだろうに。
「い、いえ……」
「真田先輩、夕食なら今から作りますから少し待ってください」
相変わらず寮内の空気が重い。アマネがキッチンへ向かうと山岸が頑張って空気を変えようとする声が聞こえた。
ラウンジとキッチンとでは扉が無いので、少し大きい声で会話をしてくれればキッチンに居ても何の話をしているかは分かる。山岸がアマネのことを意識して声を大きくしている訳ではなく、単に場の空気を少しでも明るくしようとして声が大きくなっているのだろう。
「も、もうすぐ夏休みですね。皆さん、何しようかとか考えてますか?」
「そらまぁ、夏と言えば海っしょ。ビーチに、水着に、ひと夏の思い出。ああーっ、気晴らしにどっか海とか行きてぇー! なんかこう、南の方のメチャクチャ透き通ってるっぽいトコ!」
伊織の言葉にアマネはふとイタリアの海を思い出して、フライパンを持ったままラウンジの皆には聞こえないように笑う。
いや、別に落ち込んでいないアマネがテンションを上げてどうするのだ。
「つか、明日から期末だよ。あー、マジだりぃぃー……」
「まぁまぁ。けど、キレイな海っていうと、沖縄とか、一度行ってみたいな」
イタリアが良い。今でこそアマネは日本人だが、心のどこかではやはりイタリアを恋しいと思う。
「沖縄じゃあないけど、『屋久島』って選択肢ならアリかもね」
「理事長。いらしてたんですか」
「いや、前を通りかかったんで、来週の予定をちょっと知らせにね」
幾月の声。こんな時間に来たのかと一応顔を見せて挨拶すべきか考え、結局止めた。
炒め物をするので少し会話が聞こえなくなる。一応幾月の分も考えて作り直しだ。今日はリクエストが無いので、冷蔵庫にある食材から人数分作れる物を適当に考えて作るつもりだった。
「マジッ!? それ、旅行って事ッスよね!? キタァー! 海! 海! 水着! 水着!」
伊織のそんな声が聞こえて、持っていた菜箸を落としかける。フライパンを置いた直後だったからいいが、伊織が屋久島と聞いて海だ水着だと騒ぐ理由がピンとこなかった。
屋久島はどんなところだったか。今までに行った覚えがないが、世界遺産の場所だった覚えはある。
世界遺産というとアマネはやはりコロッセオだ。ちなみにローマへ行ったことはあるが観光した覚えは無かった。
「センパァイ! おねがいしやっすうぅ!」
伊織の懇願の声に続いて桐条の声。そこまで大きくないのでなんと言っているかは分からないが、すぐに再び伊織が雄叫びを上げたのでどうやら屋久島へ行くことが決定したのだろう。
出来上がった料理を運びにキッチンを出ると、美鶴と岳羽以外が旅行の話に花を咲かせていた。いつの間にか二人はいなくなっている。
「結局どうなったんですか?」
「海だよ海! 斑鳩も楽しみだろ⁉」
テンションの高い伊織が駆け寄ってきて、料理の皿を運び始める。最近何も言わずともそういう事は手伝ってくれるようになったのだ。
幾月を除く他のメンバーも料理を運び出してくれるのを見ながら思い出す。
「俺、水着買わねぇと無ぇ……」
***
「佐藤、試験終わったら買い物付き合ってくれねぇ?」
「あー買い物? 珍しいじゃん」
期末試験最終日。人に散々ノートを借りたり教えを請うてきたりしてきた佐藤も、試験という緊張からの開放による高いテンションで笑顔だった。これなら以前より高い順位が取れるのではないかとアマネは自身の結果より期待してしまう。
アマネの場合解答出来る出来ないという話ではなく、全部を埋めて時間を潰すという状況なので余計に。
「で、何買うの?」
「寮の皆で旅行に行くんだけど、水着が無い事を思い出した」
「へぇー旅行」
「土産は買ってくるぜぇ?」
「いや、寮の皆でって仲がいいと思ってさ。……ん? 寮の皆って事は、桐条先輩も?」
「むしろあの人が出資ぃ」
「ああぁああ! 写真! 写真で良いから水着姿お願い! 本当は私服姿も欲しい!」
「土下座止めろぉ」
まだ教室にいたせいで残っていたクラスメイトが何事かと振り返ってこちらを見ている。コイツの頭を踏みつけてやろうかと思った。
校門へ向かうと有里達も帰るところだったらしく、珍しく揃っている。伊織の騒がしい声は多分試験明けのテンションなだけだ。
けれどもここ数日のようなぎこちなさが無く、自然に有里へ声を掛けているのを見て試験と一緒に悩みも少し吹っ切れたのだと思った。
「先輩」
「お、斑鳩じゃん。お前も今帰り?」
「買い物して帰ります。なので少し遅くなるかと」
「ああ。分かった」
真田に見送られて佐藤と一緒に歩き出す。有里と山岸が小さく手を振っていたのに手を振り返して前を向くと、隣を歩いていた佐藤がアマネを見た。
「なんていうか、どういう集まりの寮かいっつも不思議に思うんだけど。男女共同だし」
「……そうだなぁ」
佐藤お勧めの店に到着して、水着とついでに新しい服もいくつか買い揃える。
自分では気付かなかったが、どうもアマネは長袖や厚着のものを選ぶ傾向がある様だ。佐藤に言われて気付いたのだが、そういえば今までの服もそういうものが多い。
「でも、寒くねぇ?」
「今は夏だってのに黒い長袖とか、見てるこっちが暑いっての! いいか! 夏は開放的になれ! しかも海だ! 水着だ! 男のロマンだ!」
「佐藤、伊織先輩と同じこと言ってるぅ」
「普通なの! ホラ、せめて上着は白」
「汚れが……」
「お前ちょっと家庭的過ぎ。なんなの? とりあえず今手に持ってるソレは戻せ」
呆れられてしまったので、仕方なく持っていた黒のタートルネックを戻す。
この時期にそれがあるこの店もどうかと思うが、アマネみたいなヤツが買うからある訳で、だとすれば需要はあるのだから買ってもいいだろうに。
「選ぶセンスがなんかアレなんだよ。動きやすければいいみたいなさ。何かと戦ってんの?」
今のところシャドウと。
***
屋久島へ向かうフェリー船内で、船首へ集まった先輩達に連れられてアマネも進行方向に見えてきた目的地を見やる。
「おー、ようやくハッキリ見えてきた、すげー! ヤ、ク、シ、マー!」
「わ、わー、珍しい木がいっぱい! 見て、あれなんて……」
ぎこちないながらに騒ぐ伊織とそれに合わせてやはりはしゃぐ山岸と違い、普段なら彼らと一緒に騒ぎそうな岳羽は大人しい。船首に来てこそいるが美鶴もやはり先日のことが気に掛かっているのかよそよそしくて、せっかくの旅行だというのに相変わらず空気が悪かった。
「えっと……」
「す、すげーよなー? おー、すげー。まじヤベェ」
場を盛り上げようとする二人が可哀想で逆に何も言えない。
仕方なく場の空気は無視をすることにして、アマネも普段では味わえない船上に意識を向けた。
波の音。潮の匂い。両方ともイタリアではなく日本のそれではあるけれど懐かしい気がする。そういえば『昔』住んでいたのは海の傍だったなと遠い記憶が甦ったのは、イタリアだろうと日本だろうと海であることに違いが無いからだろうか。
手摺りに寄り掛かって海を見渡せば、水面に魚影が見えた。
伊織が結局溜め息を吐いたのが背後から聞こえる。
「海、好きなの?」
ふと尋ねられて振り返れば、有里が近付いてきた。
「そうですね。好きかもしれません。潮の匂いは嫌いじゃねぇし。先輩はどうですか?」
「気持ち良いとは思う」
「ヴェネチアとかもいいですね。水に浮かぶ建物って感じが」
「行ったことがあるの?」
「――昔に。その頃は移動が面倒だと思ってばかりでしたけど、今考えると結構好きだったかもしれません」
本当に面倒だった。『昔』の話だがアマネは仕事で行っているのに移動速度は遅いは船に乗らないといけない場所はあるはで、仕事が終わる度にもう二度とこの街の仕事は請け負わないと強く決意したのに、『弟』がそこの土産を喜ぶものだから結局何度も足を運んだ。そういえばその内慣れて何も考えなくなっていた気もする。
「知ってますか? あそこみたいにカモメがいる場所の水面下に、魚群がいるんですよ」
「どれどれ? うわっ、カモメ多いな!」
寄ってきた伊織が隣で手摺りに寄り掛かって海面を見た。もうあちらの美鶴達の空気を変えることは諦めたのだろう。
「あ、今跳ねた!」
同じくやってきた山岸が伊織の隣へ並ぶ。
「水面は太陽の光が反射して見辛いだろうに、良くもまぁ、ああも綺麗に魚を獲れますよねぇ」
「魚食べたいな」
「湊、まだ昼じゃないからっ」
「伊織先輩潜って獲ってきてください。俺捌きますから」
「オレ⁉」
「じゃあ真田先輩にしますか?」
「呼んだか?」
近付いてくる島を眺めていたらしい真田が振り返る。
「ああもう来なくていいですっ。斑鳩! お前のせいでちょっとオレ疲れたっ」
「俺、魚より貝がいいなぁ」
「私も、貝がいいかな」
「イカ食べたい」
「オレも腹減ってきた……」
ガクリとうなだれた伊織に背後からクスリと笑い声が聞こえた。思わずといった風に山岸と伊織が振り返った先で、岳羽が口元を押さえ美鶴が顔をそらしている。
驚きの表情でアマネを見る山岸と伊織の二人に、アマネは岳羽達には見えないように親指を立てた。狙ってやった訳ではないが、結果が良かったので自分の手柄にさせてもらうことにする。
到着した桐条財閥の持ち物らしい別邸は、たまにしか来ないのだろうに豪華な屋敷だった。思わずといった様子で山岸が感嘆の声を上げる。
「リアルに『世界の豪邸訪問』だな……」
「そうですか?」
首を傾げてしまったのは仕方が無い。アマネは『昔』の経験でこれ以上の豪邸を知っているし、王城にだって入った事があるのだ。
思い出すのは『親友』の住んでいた屋敷。ところで隠し通路はこの屋敷にもあるのだろうか。
礼儀正しく並ぶメイドの挨拶を受けて美鶴が頷く。萎縮もせず堂々とした態度に、現代のお嬢様なのだなと再認識した。
むしろ連れの岳羽達が緊張して萎縮しまくっている。
「メイドって実在してんだな……」
「やっぱり先輩、スゴい人なんだ……改めて実感」
色々な意味で感動しているらしい先輩達を見て、アマネが少し戸惑ったのは秘密にしておこう。
『親友』がいた屋敷にもメイドというか使用人は居たし、その後の黒い組織の本部も一見は古塔や古城だった。更にその後は思いきり王城や宮殿だ。
知り合い達も貴族が多くて住居には当然のようにいた使用人のことを思い出し、それに慣れきっていた自分がおかしいのだと気付く。アマネ自身は貴族ではなかったが、客人という立場が多かったので丁重な扱いをされていたし、そういうものだと思っていた節がある。
どうやら長い『人生』で普通の感性がずれているようだ。
奥の扉から一人の男性が出てきて、こちらに気付いて立ち止まる。右目を眼帯で覆った威圧感のあるその人物に、メイドだけではなく美鶴も姿勢を正した。
「お久しぶりです」
美鶴が声を掛けるも、男性はその隻眼でアマネ達を一瞥するとそのまま行ってしまう。頭を下げるメイド達と、少しだけ緊張していたらしい美鶴の態度に、アレがここの主人かと理解した。
つまり彼こそが桐条の父親なのだろう。アマネが“父親”という存在を苦手にしていることを抜きにしても、娘に声を掛けられても何も言わずに去るというのは少し気に食わなかった。
「短い休暇だが、まぁ存分にくつろいでくれ」
声を掛けられ、アマネは美鶴の父親が去っていった方向を睨むのをやめる。
未だに『父親』へのコンプレックスが根深いらしい。原因は父親なのだから、いい加減忘れれば良いのに。
「おし! 楽しませてもらうッスよ! となりゃ、すぐそこだし、まずは海だな。やっべ、テンション上がってきた! 早速ビーチに突撃⁉」
「ちょっ、もう海? てか、行くのはいいけど、そんなすぐ仕度なんて無理だよ?」
「ならオレたち、先行ってるぜ。つか、一秒もムダに出来ねーからなッ!」
テンションの高い伊織に有里共々腕を掴まれ、そのまま引きずられる様に歩き出した。
***
「んー、このビーサンに足の指の付け根が食い込む感じ……ようやく夏実感だぜ!」
「沖に目印になるような物は無いな。泳ごうかと思っていたが」
砂浜でまだ来ていない女性陣を待つ間、夏に感動している伊織といい遠泳計画を考えていたらしい真田といい、こうも思考が違うのは面白いと思いながら二人を眺める。砂浜から照り返される日光に普段はズボンで守られている脚が熱い。
「ちょっ、なんスかその水着! 斑鳩も!」
「何がだ?」
「俺もですか?」
振り返った伊織が真田とアマネを見て驚いている。真田はともかく自分もなのかと、アマネが首を傾げるとポニーテールにした髪が首筋をくすぐった。
「先輩ブーメランって、んなピッチピチの、エグいっすよ!」
確かに真田はいっそ競泳用なのではないかと思う、ブーメランタイプの水着だ。けれどもこれで真田が柄物の派手な海パンを履いていても伊織は何か言ったとアマネは思う。
「それから斑鳩。お前もなんだよその格好。ポニーテールに白いパーカーって、女子か!」
指を差してまで指摘されて、アマネは改めて自分の姿を見下ろした。
泳ぎやすいように髪はポニーテールにしているが、日焼け防止にと薄手長袖のパーカー。泳ぐ時は脱ぐつもりだ。
ちなみにこれは佐藤ではなく、店員が選んでくれたのをそのまま買って着ているだけである。選んでいる時何故か佐藤はその店員と言い争っていたが。
「店員に勧められました」
「その店員女?」
「男でしたよ」
「とりあえず前閉めるな。開けとけ」
パーカーの前を開けようが閉めようがアマネの勝手だ。水着になっても野球帽を脱がない伊織には少し言われたくなかった。
「泳ぎやすいだろ」
「ああ、出ました。こっちはこっちで遊びに海来たのに、『黙々と泳ぐ』タイプ」
「悪いか。お前こそ何して過ごす気だ」
「そりゃあ、夏で海と言ったら、お楽しみは決まりっしょ! ほら、来た来た!」
「え、なに?」
振り返れば着替え終えたらしい岳羽達が歩いてくる。その姿を見てやはりテンションを上げる伊織。
「おーっ、ゆかり選手、想像よりけっこう強気のデザインですな! やっぱ、部活でシボれてるって自信が大胆さに繋がってるんでしょうか⁉」
「パラソル、空いてるとこ勝手に使っていいのかな?」
「ああ、それならこっちに……」
「斑鳩邪魔だ! 続いては風花選手ですなー。つーか……風花オマエ、メッチャ着痩せするタイプ……⁉」
山岸の荷物を受け取ろうと差し出した手が半端に止まってしまったのは、山岸が伊織の言葉に驚いたからだ。
恥ずかしがる山岸に伊織はご機嫌である。そんなに水着の女性が好きか。
「ムフフって、変態かっつの!」
「そんで、トリを務めますのは……」
「ん……どうした?」
最後にやってきた美鶴を山岸が褒める。
「ホントすっごい、白くて、キレイ! 日焼け止め、もう塗りました?」
「い、いや……」
褒められて恥ずかしがる美鶴はなるほど綺麗だとは思った。真田もどうやら少し見惚れているらしい。
カメラはパラソルの下の荷物の中なので、佐藤の為にも後で写真を撮らせてもらおう。
「荷物、こっちです」
「ああ……って、斑鳩か?」
「はい。髪型変えたんで分からねぇですか?」
「髪型というか……」
何故かアマネを見て驚いている女性三人の荷物を受け取って首を傾げた。マジマジとアマネを見る視線は何かに驚いているようだが、そんなに驚かれる理由が分からない。
「あの、何か?」
「斑鳩君その格好……」
「流行とか分からなかったんで店員のお勧めなんです。似合いませんか?」
「に、似合っては、いるかな」
「むしろ似合いすぎ、というか……」
どうもハッキリとしないが、これは無視していいのだろうか。とりあえず荷物を置きにいくと背後で何か言っていた。
「……なんですか?」
「お前がなんだか女子みたいだな、という話だ」
「ちょっ、明彦!」
慌てて美鶴が真田を止めようとするも一度出てしまった発言は既にアマネの耳へ入る。
嗚呼そういうことかと理解して日に焼けそうな首を掻いた。
「……元々女顔ですけど、そんなにアレですか?」
そういえば『昔』は弟がよく男に声を掛けられていたなと思い出す。弟は可愛いから仕方がないと思っていたが、あれは女性に勘違いされていたのか。アマネ自身も何度かはあったが、そいつ等が同性愛者なのだと思って気にしていなかった。
しかし美鶴達がそう思うという事は、『昔』とほぼ見た目の変わっていないアマネも弟同様、女性と見られていたのだろう。
ショックである。
「足も細いな。探索中の戦闘でよく蹴っていたが、折れないのか?」
「折れた事は無ぇですよ。それに岳羽先輩達の方が細いでしょう」
セクハラ発言だったかな、と三人を見れば、顔を赤くして俯いたりそっぽを向いたり。真田はそうかと呟きながらアマネの脚と美鶴の脚を見比べて、気付いた美鶴に慌てて止められていた。
少し離れた所では伊織と有里が何かひそひそと話している。ここまでは聞こえない。それでも伊織のテンションが高く、何故か喜んでいるのが分かる。
「いいなぁ、こういうの。ホント、来てよかったよなぁ。よっしゃ、そいじゃ、そろそろ水に浸かるとしますか! 行くぜっ!」
「待てっ、一位は譲らん!」
走り出した伊織とその後を追い駆ける真田。だから目的が合っていない。
真田はともかく伊織は準備運動も無しに海へ飛び込んで、足でも攣って溺れてしまったら大変だなとアマネも後を追おうとして、ふと視線を感じて振り返った。同じく海へ向かおうとしていた有里も振り返って周囲を見回している。
「……今」
「誰か見てました、ね」
「うん」
何処からだ、と思いながら気配を探ろうにも何故かよく分からない。殺気があれば確実に分かっただろうが、その視線に殺気が込められている様子は無い。人の視線に近い高さからだとは分かるものの、人のそれだとも言い難い気配だ。かといって獣のそれではない。
そうしている間に気配は消えてしまった。
***
夜になって、大切な話があるとアマネ達は応接室へ集められた。話があるのは美鶴の父親だというからか、どうしても無意識に身構えてしまう。
「美鶴から、大体は聞いているな」
「あ、はい……」
「左様、全ては大人の……我々の罪だ。私の命ひとつであがなえるなら、とうにそうしていたところだが……今や、君らを頼る他はない。父『鴻悦』が怪物の力を利用してまで造り出そうとしたもの。それは、『時を操る神器』だ」
「時を、操る……?」
「言葉の通りさ。時の流れを操作し、障害も例外も、全て起こる前に除ける。未来を意のままにする道具と言ってもいい」
「す、すげぇ。野望のサイズがデカい……」
小さく伊織の呟きが聞こえたが、それは世界征服とどちらが大きいのだろうか。
「だが研究は父の指示によって、おかしな方向へ進んでいった。……晩年の父は、何かとても深い虚無感を胸の奥に持っていたようだ。今にして思えば、父の乱心はそれを打ち破るために始まったのかも知れん。君らが全てを知りたいと望むのは当然の事だ。私にも伝える義務がある」
部屋が暗くなり、大型モニターに映像が写し出される。古いのか荒れた画像だ。
「これは……?」
「現場に居た科学者によって残された、事故の様子を伝える唯一の映像だ」
「……映像?」
映し出されている何処かの事故現場に目を細める。男性の顔も詳細には判別出来ないその映像に、何故か違和感を覚えた。
覚えがある違和感なのに、咄嗟に思い出せない。
『この記録が、心ある人の目に触れる事を、願います』
「この声……⁉」
映像と共に流れてきた声に岳羽が反応する。
『ご当主は忌まわしい思想に魅入られ、変わってしまった。この実験は、行われるべきじゃなかった! もう未曾有の被害が残るのは避けられないだろう。でもこうしなければ、世界の全てが破滅したかもしれない』
「世界の……破滅?」
一人の男が企てた研究から、一気に世界の破滅とはまた大きい話だ。
大きい話過ぎてありきたりで、いっそ笑えてくるが。
声は続く。
『この記録を見ている者よ、誰でもいい、よく聞いて欲しい! 集めたシャドウは大半が爆発と共に近隣へ飛び散った。悪夢を終わらせるには、それらを全て消し去るしかない! ……全て、僕の責任だ。全てを知っていたのに、成功に目が眩み、結局はご当主に従う道を選んでしまった。全て僕の……責任だ』
はっきりと写る男性に、岳羽が息を呑む。直後爆発音と共に映像は終わった。
「お父さん……」
岳羽が震える声で、そう呟く。
「お父さんって、今の人が……?」
「お父様、これは……」
驚く山岸と動揺する美鶴の質問に、美鶴の父親は淡々と答える。
「彼は岳羽詠一郎。当時の主任研究員だ。実に有能な人物だった。その彼を見出して利用し、こんな事件にまで追いやってしまったのは、我々グループだ。詠一郎は……桐条に取り殺されたも同然だ」
「ま、まさか……」
「つまり、わたしのお父さんが、やったって事……? 影時間もタルタロスも、たくさんの人が犠牲になったのも……みんな父さんのせいって事?」
「お、おい」
「じゃあ色々隠してたのって、ホントはこれが理由? わたしに気遣って隠してたってこと? そういう事なの⁉」
「岳羽、それは違う。私は……」
「かわいそうとか、やめてよッ!」
「岳羽っ!」
叫ぶようにそう言って応接室を出て行った岳羽を、美鶴に頼まれ有里が追い駆けて行った。
静かに閉まった扉の向こうに有里がいなくなる。
残された皆は驚きや動揺で何も言葉に出来ないらしく、俯いて黙り込んでいた。今の映像から分かった事実を飲み込むのに苦労しているのかもしれない。
その沈黙を無視して、アマネは美鶴の父親へと話しかけた。
「すいませんご当主。ひとつお聞きしても?」
「なんだね」
「この映像、記録媒体は」
「HDだ。それがなにかあるのか?」
「いえ……」
先程感じた違和感の正体が掴めない。アマネがそんな質問をしたことを不思議がっているあたり、他の皆は誰も違和感を覚えなかったのだろう。そのあたりは経験の差かもしれないが。
おそらく何度も映像を見返しているだろう美鶴の父親も気付いていない違和感。それでは初めて見ただけのアマネが分かる事など何も無い。
『×××』が使えれば良かったと思いつつ考える。
違和感。映像に。
映像といえば、高度の幻覚は機械すら騙せるという話だったが今は関係ないだろう。そもそもこの世界にそんな術者がいるとは思えない。
けれども騙す、というのは引っ掛かる。
『×××』に頼っていた弊害か、アマネはどうも自分で考えるということが不得手になっているようだ。前々からあれば良かったと無いものねだりばかりしている。以前は『×××』のことを鬱陶しいとさえ思っていたのに。
考えているとふいに伊織が顔を上げた。
「遅いっすね」
「……そう、だね」
「伊織先輩、迎えに行ったらどうですか?」
「オレ?」
「先輩同じクラスですし、外暗ぇから山岸先輩には危なくて行かせたくありません。もうすぐ影時間ですし」
「お前は?」
「こういう役目は伊織先輩だと思っています」
譲られたのだと理解したのか、伊織が立ち上がって部屋を出て行く。彼は有里に嫉妬していたが、こういう時そういう行動が出来るほうが、アマネとしてはいいと思った。
やがて戻ってきた岳羽は有里と伊織と何か話したのか、映像を見た直後よりは落ち着いている様だった。