ペルソナ3
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学校の帰りにイヤホンを耳へ当てて歩く。聞いている曲は自分を『外』と遮断して、いつも人間関係もどんな問題もどうでもいいものにしてくれた。
巌戸台へ来る前からずっとそうだった。両親が死んでから面倒を見てくれた親戚達はいい顔をしていた事なんてなかったし、通っていた学校の同級生にも友達と呼べる者はいない。
それを寂しいとは思わなかったし、そもそも寂しいとか悲しいとか、そういった感情も何処か遠くにある様な、そんな風に生きていた気がする。今更それを普通だとは思わないけれど、月光館に転入してからはもしかしたら変だったのかなとは思うようになった。
モノレールの入り口付近に立って眺める外には海が広がっている。それを『綺麗だ』とか思うようになったのはいつだったか。イヤホンから流れる歌声はそんなことを教えてはくれない。
いっそ目も見えなくなってしまえたら良いのにと思ったことがある。せめてイヤホンで塞いだ耳みたいに、見たいものだけが見られるようになればと。
けれどももしそんな願いが叶ったら、きっと何も見えなくなっていただろう。
モノレールを降りて寮への帰り道を歩く。今日はタルタロスへ行く前にポロニアンモールへ行って、傷薬を買い足しておこうと考える。怪我をしたら『痛いだろうな』とか『可哀そうに』と思うのは自分のエゴかも知れないけれど、少なくとも仲間の誰かが少しでも怪我をしたら、多分アマネが悲しむのだ。
口に出しては何も言わないけれど。
黒髪の、綺麗な紫色の眼をした後輩は、自分の感情を押し隠す。湊は『どうでもいい』と無関心なのに対して、アマネは無理矢理作った笑みの内側で色々考える者だった。
考えて考えて、きっと答えが出ただろうに考えて。そうして出てきた言動は不思議と湊の心を揺さぶって、あの眼を何度も『綺麗だ』と思わせるのだ。
「――湊さん!」
イヤホンから流れる曲にかき消されず、ここ数ヶ月でほぼ毎日聞いている声が響く。足を止めて振り返れば雑踏の中からアマネが軽く駆けてくる。
それがいつも、とても不思議な感覚だった。
湊の名前を呼んで、湊を見て、湊の傍へ近付こうとする存在なんて今まで一人も居なかったし、これからも居るのだなんて想像出来なかったのだ。なのに、アマネは湊のそんな考えを簡単に取り去ってしまい、こんな世界の全てを『どうでもいい』と思っていた湊へ笑いかける。
そんなアマネの見ている世界が見てみたかった。きっと一度も『どうでもいい』なんて無関心でいられないほど『綺麗』な世界なのだろうなと、思えたのだ。
「今帰りですか?」
「うん」
「お腹空いてます? 今日は帰ったらプリンを作ろうって思ったんですけどぉ」
「食べたい」
並んで歩き出すアマネの、紫色の眼が綺麗な色をしている。きっとあの眼には湊も綺麗に映っているのだろう。
***
泣いて全部を吐き出すアマネの事を抱き締める自分の腕が、こんなに弱々しいものだったことに酷く驚いた。驚いて、自分が“驚いている”事にもっと驚いた。
どうでもよかった筈の世界には、とっくにアマネやSEESの皆のお陰で少しずつ色が着いていて。なのに、湊の世界へ色を付けた一人であるアマネは泣いていた。
荒垣さんが亡くなった事を切掛けに、考え続けることへ疲れたのだろう。挫折とか諦観とかそういうものではなく、ただ、疲れたのだ。
湊はアマネのことを殆ど知らなかった。家族関係とか生い立ちだとかだけではなくて、もっと色々な事も知らない。だからアマネが見てきた世界がどれだけ汚かったのかなんて、想像すらしていなかった。アマネの眼は綺麗だから、アマネは今まで湊とは違って綺麗な世界しか見てこなかったのだと、何処かで勝手に思ってすらいたかもしれない。
けれども本当は違っていて、むしろ真逆なくらいで、アマネは汚い世界から必死に綺麗なものを探して生きてきただけだった。
それを知って湊が思ったのは『どうして眼を逸らさなかったんだろう』ということで。
同時に『眼を逸らさなかったからこそ』とも思った。湊のように世界から音で隔離して、世界から眼を逸らさなかったから、アマネの眼は綺麗なものをまだ映している。
羨ましいと思って、同じくらいアマネを抱き締める自分の胸へ不思議な感覚を覚えた。
例えアマネのそんな信念が自己満足でしかないとしたって、自己満足は決して悪い事じゃない。もし悪い事であるのなら、自分のほうが先に謝罪をするべきだとさえ思える。
それが湊の、世界を『どうでもいい』だなんて思えなくなった瞬間だった。
荒垣の事もいつかの過去で死んだ弟の事も、今まで知り合った人達のことも、自分以外の全てを『綺麗』だと思う心を持っているアマネには、湊のことだって綺麗に見えていたのだろう。本当はそんなことを思ってもらえるような人間じゃないのに。
「笑っててよ。そのほうが嬉しい」
無理矢理笑えと命じる湊に、アマネは泣きながらそれでも笑おうとする。失敗して変な顔になりながらも、流れる涙さえ綺麗で。
この涙が湊の為に流れたとしても、きっと湊は嬉しい。そう思えた。
抱き締めたアマネの体温が、湊をとても不思議な気分にさせる。色の付いた世界でアマネが透明な涙を流していることが不思議でしょうがなくて、その不思議な気分を示す言葉はまだ、世界が完全には“綺麗”に見えない湊には、到底見つけられる気がしなかった。
『……湊さんのことは、俺が覚えてますよ』
『それだとオレがアマネのこと忘れる。それはイヤだ』
『俺が絶対、貴方の事を覚えてますよ。今後、どんな人生を歩んだってずっと』
『だって未来は無限だってことでしょう? 想像出来ねぇのなら想像出来ねぇ数だけ選択肢があるんですから。それは、決められた未来があるってのよりも絶対に、いいと思いますよ』
『……だから、アマネは自分が名乗り出たの? 自分の未来は無いかもしれないって、思わなかった?』
『土壇場になったら、結構自分のことは考えませんでしたよ』
泣いているアマネを見て、自分の為に泣かれるのはこんなに『痛い』のかと知った。ニュクスからの圧力はたった一人の人間なんて簡単に押し潰してしまいそうなのに、それに抗って泣いているアマネを見下ろして思う。
湊の服を掴んでいる手は力が入りすぎて白くなっていた。それでも泣きながら見上げてくるアマネのことが、どうしようもないくらい可愛いと思う。
荒垣さんとは違うけれど、これでいいと思ったのだ。これから先も皆が、アマネが、このどうでもよくない世界で一つでも多くの綺麗なものを見つけられるように。
どうしようもないくらい綺麗な世界を、湊の分ももっと好きになってほしかった。
「湊さん、おいてかないで」
見下ろした先のアマネの、わがままを初めて聞いた気がする。こんな時でなければ叶えてあげたかった。
するりとアマネの手は離れてしまったけれど、離れてしまったのは手だけだから心配はない。だってアマネは湊のことを忘れないと言ってくれた。
それはきっと、とても大切なことだ。未来を一つ潰すより、未来を一つ救うより、もっとずっと。
屋上でアイギスに膝を借りて横になる湊の手を、アマネが握っている。
アマネの向こうに見える風景も空も潮の匂いも、ほんの一年前までは全部なんとも思っていなかったのに、今では酷く綺麗に見えた。アマネの紫の眼なんてやっぱり相変わらず綺麗で、ただその紫色を見つめる。
やっと今まで分からなかった不思議な感覚の名前が分かったのだけれど、伝えるには少し遅いだろうか。ああでももう時間がないのかと思うとするりと言葉が漏れた。
『弟』はそれを聞いて強く湊の手を握り締める。それだけでも返事としては充分だった。
「約束します。ちゃんとずっと、覚えていますよ。……大好きです。『兄さん』」
眼を閉じる。
巌戸台へ来る前からずっとそうだった。両親が死んでから面倒を見てくれた親戚達はいい顔をしていた事なんてなかったし、通っていた学校の同級生にも友達と呼べる者はいない。
それを寂しいとは思わなかったし、そもそも寂しいとか悲しいとか、そういった感情も何処か遠くにある様な、そんな風に生きていた気がする。今更それを普通だとは思わないけれど、月光館に転入してからはもしかしたら変だったのかなとは思うようになった。
モノレールの入り口付近に立って眺める外には海が広がっている。それを『綺麗だ』とか思うようになったのはいつだったか。イヤホンから流れる歌声はそんなことを教えてはくれない。
いっそ目も見えなくなってしまえたら良いのにと思ったことがある。せめてイヤホンで塞いだ耳みたいに、見たいものだけが見られるようになればと。
けれどももしそんな願いが叶ったら、きっと何も見えなくなっていただろう。
モノレールを降りて寮への帰り道を歩く。今日はタルタロスへ行く前にポロニアンモールへ行って、傷薬を買い足しておこうと考える。怪我をしたら『痛いだろうな』とか『可哀そうに』と思うのは自分のエゴかも知れないけれど、少なくとも仲間の誰かが少しでも怪我をしたら、多分アマネが悲しむのだ。
口に出しては何も言わないけれど。
黒髪の、綺麗な紫色の眼をした後輩は、自分の感情を押し隠す。湊は『どうでもいい』と無関心なのに対して、アマネは無理矢理作った笑みの内側で色々考える者だった。
考えて考えて、きっと答えが出ただろうに考えて。そうして出てきた言動は不思議と湊の心を揺さぶって、あの眼を何度も『綺麗だ』と思わせるのだ。
「――湊さん!」
イヤホンから流れる曲にかき消されず、ここ数ヶ月でほぼ毎日聞いている声が響く。足を止めて振り返れば雑踏の中からアマネが軽く駆けてくる。
それがいつも、とても不思議な感覚だった。
湊の名前を呼んで、湊を見て、湊の傍へ近付こうとする存在なんて今まで一人も居なかったし、これからも居るのだなんて想像出来なかったのだ。なのに、アマネは湊のそんな考えを簡単に取り去ってしまい、こんな世界の全てを『どうでもいい』と思っていた湊へ笑いかける。
そんなアマネの見ている世界が見てみたかった。きっと一度も『どうでもいい』なんて無関心でいられないほど『綺麗』な世界なのだろうなと、思えたのだ。
「今帰りですか?」
「うん」
「お腹空いてます? 今日は帰ったらプリンを作ろうって思ったんですけどぉ」
「食べたい」
並んで歩き出すアマネの、紫色の眼が綺麗な色をしている。きっとあの眼には湊も綺麗に映っているのだろう。
***
泣いて全部を吐き出すアマネの事を抱き締める自分の腕が、こんなに弱々しいものだったことに酷く驚いた。驚いて、自分が“驚いている”事にもっと驚いた。
どうでもよかった筈の世界には、とっくにアマネやSEESの皆のお陰で少しずつ色が着いていて。なのに、湊の世界へ色を付けた一人であるアマネは泣いていた。
荒垣さんが亡くなった事を切掛けに、考え続けることへ疲れたのだろう。挫折とか諦観とかそういうものではなく、ただ、疲れたのだ。
湊はアマネのことを殆ど知らなかった。家族関係とか生い立ちだとかだけではなくて、もっと色々な事も知らない。だからアマネが見てきた世界がどれだけ汚かったのかなんて、想像すらしていなかった。アマネの眼は綺麗だから、アマネは今まで湊とは違って綺麗な世界しか見てこなかったのだと、何処かで勝手に思ってすらいたかもしれない。
けれども本当は違っていて、むしろ真逆なくらいで、アマネは汚い世界から必死に綺麗なものを探して生きてきただけだった。
それを知って湊が思ったのは『どうして眼を逸らさなかったんだろう』ということで。
同時に『眼を逸らさなかったからこそ』とも思った。湊のように世界から音で隔離して、世界から眼を逸らさなかったから、アマネの眼は綺麗なものをまだ映している。
羨ましいと思って、同じくらいアマネを抱き締める自分の胸へ不思議な感覚を覚えた。
例えアマネのそんな信念が自己満足でしかないとしたって、自己満足は決して悪い事じゃない。もし悪い事であるのなら、自分のほうが先に謝罪をするべきだとさえ思える。
それが湊の、世界を『どうでもいい』だなんて思えなくなった瞬間だった。
荒垣の事もいつかの過去で死んだ弟の事も、今まで知り合った人達のことも、自分以外の全てを『綺麗』だと思う心を持っているアマネには、湊のことだって綺麗に見えていたのだろう。本当はそんなことを思ってもらえるような人間じゃないのに。
「笑っててよ。そのほうが嬉しい」
無理矢理笑えと命じる湊に、アマネは泣きながらそれでも笑おうとする。失敗して変な顔になりながらも、流れる涙さえ綺麗で。
この涙が湊の為に流れたとしても、きっと湊は嬉しい。そう思えた。
抱き締めたアマネの体温が、湊をとても不思議な気分にさせる。色の付いた世界でアマネが透明な涙を流していることが不思議でしょうがなくて、その不思議な気分を示す言葉はまだ、世界が完全には“綺麗”に見えない湊には、到底見つけられる気がしなかった。
『……湊さんのことは、俺が覚えてますよ』
『それだとオレがアマネのこと忘れる。それはイヤだ』
『俺が絶対、貴方の事を覚えてますよ。今後、どんな人生を歩んだってずっと』
『だって未来は無限だってことでしょう? 想像出来ねぇのなら想像出来ねぇ数だけ選択肢があるんですから。それは、決められた未来があるってのよりも絶対に、いいと思いますよ』
『……だから、アマネは自分が名乗り出たの? 自分の未来は無いかもしれないって、思わなかった?』
『土壇場になったら、結構自分のことは考えませんでしたよ』
泣いているアマネを見て、自分の為に泣かれるのはこんなに『痛い』のかと知った。ニュクスからの圧力はたった一人の人間なんて簡単に押し潰してしまいそうなのに、それに抗って泣いているアマネを見下ろして思う。
湊の服を掴んでいる手は力が入りすぎて白くなっていた。それでも泣きながら見上げてくるアマネのことが、どうしようもないくらい可愛いと思う。
荒垣さんとは違うけれど、これでいいと思ったのだ。これから先も皆が、アマネが、このどうでもよくない世界で一つでも多くの綺麗なものを見つけられるように。
どうしようもないくらい綺麗な世界を、湊の分ももっと好きになってほしかった。
「湊さん、おいてかないで」
見下ろした先のアマネの、わがままを初めて聞いた気がする。こんな時でなければ叶えてあげたかった。
するりとアマネの手は離れてしまったけれど、離れてしまったのは手だけだから心配はない。だってアマネは湊のことを忘れないと言ってくれた。
それはきっと、とても大切なことだ。未来を一つ潰すより、未来を一つ救うより、もっとずっと。
屋上でアイギスに膝を借りて横になる湊の手を、アマネが握っている。
アマネの向こうに見える風景も空も潮の匂いも、ほんの一年前までは全部なんとも思っていなかったのに、今では酷く綺麗に見えた。アマネの紫の眼なんてやっぱり相変わらず綺麗で、ただその紫色を見つめる。
やっと今まで分からなかった不思議な感覚の名前が分かったのだけれど、伝えるには少し遅いだろうか。ああでももう時間がないのかと思うとするりと言葉が漏れた。
『弟』はそれを聞いて強く湊の手を握り締める。それだけでも返事としては充分だった。
「約束します。ちゃんとずっと、覚えていますよ。……大好きです。『兄さん』」
眼を閉じる。