ペルソナ3
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「斑鳩明けましておめでとう! 今年も宜しくお願いします。……何驚いてんの?」
「何でもない。明けましておめでとう」
佐藤のことだから『アケオメ!』とか『コトヨロ!』なんて礼儀もへったくれも無い言葉が来ると思っていたが、予想外に普通だった。むしろ高校生にしては礼儀正しいくらいである。
冬休みが終わり、始業式を迎えた学校で佐藤と久しぶりに会った。とはいえ休みの間も佐藤からはしつこいくらいのメールが来ていたのだが。
約二週間の連休で、アマネも学校の様子も随分と違っている。普通であれば冬休みの間にあったことなどを話すものだろうが、今年は殆どの話題が冬休みの自慢ではなく世間を騒がせているカルト集団のことだった。
もうすぐ終末が来る。信じていれば救われると嘯くカルト集団のチラシは、学校の敷地内へも落ちていた。その一枚を拾った訳でも無さそうだが、何故か手に入れていたらしい佐藤がそれを紙飛行機にしている。
それを侮蔑するように見るクラスメイトも数人居て、アマネは溜息を吐いて机へ頬杖を突きながら佐藤を見た。
「意外と度胸あるよなぁ」
「何が?」
「このクラスにだって信者がいるかも知れねぇのに、よくそのチラシを折れるよって話だぁ」
「? だってこれただの紙じゃん」
几帳面に爪でこすってしっかりと折り線を漬けている佐藤は気にした様子も無い。
「婆ちゃんが言ってたけどさ、『信じるだけじゃ救われない。信じて行動に移したものこそ救われるに値する』んだって。信じるだけじゃ何もならないってのはオレもその通りだと思うよ。それに妄信しちゃ駄目。それって自分に都合が良くて、見たいものだけを見てるだけの話だろ?」
折りあがった紙飛行機を座ったまま佐藤が飛ばす。
思ったよりも飛距離を稼いだ紙飛行機は、狙ってなのか偶然なのか教室の隅にあったゴミ箱へと収まった。クラスの女子が不機嫌そうにゴミ箱へ手を突っ込んでそれを拾い、丁寧に広げる。それから大事そうにファイルへ収めた彼女へアマネは佐藤と顔を見合わせ、肩を竦めた。
佐藤の言う通りあのチラシは結局のところただの紙で、何が書いてあっても紙飛行機にする程度以外の最終的な使い道は無い。重要視するべきはチラシではなく書いてあることだ。
職員室へ行っていたらしい伏見が戻ってくる。アマネと佐藤を見て何か思い出したように自分の席へと向かい、何かを持って近付いてきた。
「あ、あの、これ……お正月に行った神社の、お、お土産っていうか」
「おお、ありがとー! お守りを贈り物にするっていいセンスしてるねー!」
「だ、駄目……だった?」
「逆だよ良いんだよ。お守りは人へ買ってあげるものだって婆ちゃん言ってた。……だからなのか旅行行くと毎回土産がお守りだけど。しかも何故か交通安全とかじゃなくて子宝なんだよね」
「お前それ、早くひ孫を見せてくれって言う……いや、うん。今度健康守りあげると良いんじゃねぇのぉ」
成人の日を過ぎて、期限の日も着実に近付いてくる。まるでクリスマスや夏休みを指折り数える子供のようなのに、日を追うごとに近付いてくるものをアマネ達以外は知らない。
カルトが流行していようとのどかなものだ、と思えれば良かったのだが学校帰りにポロニアンモールで買物をしている途中、すれ違った主婦が話している井戸端の内容にアマネは足を止めた。
入試試験会場で暴れた男が、『ニュクス』と叫んでいたらしい。
息子が今年受験だから心配だの何だのとすぐに移り変わっていく話題に、アマネは再び歩き出しながら考える。
来たる三十一日に倒すべき相手。アマネ達はその名前を望月から聞いたのだが、何故その名前を試験会場で暴れた男が知っていたのか。
その答えは本屋で判明した。
今日発売されたらしい雑誌の見出しには『救世主、ついに現る⁉ 話題のカリスマ、本誌に激白!』の文字。
雑誌自体は、普段は真面目な記事を取り扱っている物のようだ。しかし最新号であるこれは、殆どのページでカルト集団がどうのとか終末が訪れるだの、カストリ雑誌染みたものへと変貌している。
アマネがそれを立ち読みしている間にも、四人ほどの客が手を伸ばして買っていった。五人目が来たところでアマネはそれを持ってレジへと向かう。
本屋を出て適当な喫茶店へ入り、本屋へ行く目的だった料理雑誌ではなく先程の雑誌を取り出した。
「……随分と小賢しい真似を」
思わず呟いてしまうほど内容は笑えない。『救世主』と持て囃されているストレガのタカヤの写真は相変わらず上半身が裸だった。
どうやって知ったのか分からないが、タカヤは雑誌の中でニュクスを『救い』だと評し、ニュクスが降り立つ日を嬉々として待ち望めとある。ペルソナ能力をニュクスからの恩恵だと言い表し、そのニュクスを倒そうとしているアマネ達を『救いを理解できない哀れな者達』として、シャドウなどによる昨今の事件の犯人だと言い切っていた。
アマネはこめかみへ伸びかけた手へ気付いて舌打ちを零す。
『×××』は今、使えない。
それなのでストレガの居場所を知ることもおそらく無理だろう。それに人目のある場所で今のストレガと、雑誌へ顔を載せてしまったタカヤと会って言い争うことは危険だ。
もし民衆の目の前でアマネがタカヤを見つけて話をしたとして、既に雑誌で『救世主』とされたタカヤに歯向かう者、つまり記事の文章を借りれば『個人の目的の為に悪用している』哀れな者達の一人と認定されてしまうのだ。
となれば無駄に敵を作るだけである。何も知らないが故に。何も知らないくせに。
「……綾時さん、だったら」
世界の終わりを悲しんだあの人がこれを知ったらどう思うのだろう。
寮へ帰ると真田と岳羽と伊織が話していた。
「あ、おかえりー。ねえアマネ君、アタシ達これからはがくれ行くんだけど、一緒に行く?」
「はがくれ、ですか」
「おうよ。夏に屋久島でナンパしたの覚えてんだろ? そん時真田サンが負けたってやっと認めてさ」
つまり真田の奢りらしい。そういえばそんなことを言っていた気もするが、半年近く前のことを今更と思った。
遅すぎる約束だと思うが、とはいえこれもある意味、未練を残さないようになのかもしれない。
買ってきた雑誌の入っている通学鞄を持ち直すと望月から貰ったキーホルダーが揺れた。
「せっかくですけど、俺はあの時参加してませんでしたし」
「遠慮しなくていいんだぞ? お前はいつも寮の事をやってくれているしな」
「参加してないって言ったら、アタシとアイギスだってそうでしょ」
「いえ。遠慮はしてません。……ところで今日はタルタロス行く予定ですかね」
真田の申し出も断って今夜の予定を尋ねる。けれども真田達はタルタロスへ行くかどうかは知らないらしい。
まだ帰ってきていないらしい有里に電話で聞こうかとも考えたが、そこまでの問題じゃないかと思い直した。
アマネが行かないことが残念そうなアイギスの視線を振り切って二階の自室へと向かう。私服に着替えてから通学鞄の中から件の雑誌を取り出し、私用の鞄へ召喚器と武器と雑誌を詰め込んで部屋を出れば、真田達はもう出たのかラウンジには伊織しかいない。
アマネ以外の全員が葉隠れに行くのかと尋ねれば、そうではないと返ってくる。少しどうしようかと迷ったが、余ったら夜食へ回せばいいかと厨房へ入って数人分の夕食を作っておいた。
その途中で帰ってきた有里は伊織と一緒にはがくれへ行くようだったが、厨房でアマネが料理を作っていることに気付くとわざわざ厨房へと入ってくる。
「アマネは行かないの」
「ちょっと出掛けてこようと思ってますから。あ、今夜タルタロス行きます?」
「まだ決めてない」
「行くようだったら携帯に連絡ください。寮へは戻らずに直接タルタロスへ行きますから」
「分かった。……それ」
「余ったら夜食にしますから、小腹が空いたら食べていいですよ」
作っている途中だった汁物を見つめていた有里へそう言えば、嬉しそうに頷いて厨房を出て行った。
はがくれで奢ってもらうのに更に食べるつもりなのかと思うものの、案外大食漢であることを思い出して、奢りだけでは足りないのかと納得する。
ストレガの構成員の話になるが、伊織を庇って死んだチドリはおそらく戦闘員だった。雑誌に『救世主』として顔を出したタカヤがリーダーであることは間違いない。
となると残るジンが頭脳派だろう。実際ネット上では『ジン』というハンドル名はそれなりに有名らしかった。お前本名そのまま使っているのかよとアマネは思わなくもなかったが、そもそもの『ジン』が本名かどうかを知らないと思い出す。
ネットカフェに入り雑誌の出版社を一応調べてから、ネット掲示板でカルト集団についてのスレッドを探して適当に目を通した。それから巌戸台ならびに辰巳ポートアイランドが関わっている騒動について調べ、それに関する記事を読み漁っていく。
今度は『ジン』が過去に出没した掲示板やチャットを覗いて、アマネは一度飲み物を補給した。ドリンクバー式だった飲み物を持って戻ってくれば、覗いていたチャットへ『ジン』が現れている。
「さて、俺とお前じゃどっちが有能なんだろうなぁ?」
一人ごちて座り直しキーボードをいくつか叩いた。途端画面にいくつも開かれるウィンドウとその窓の中で、ひたすら流れていく数字と英字の羅列を目で追いかけ指を動かす。
数十分後。最終的に三つのウィンドウを開いているだけで落ち着いた画面の中、何が起こったのかも分かっていなそうな『ジン』が、未だに先程のチャットの続きを書き込んでいる。
先程持ってきたグラスの中身を半分ほど飲み干して、キーボードを叩いた。
『なんきゃムキャつくきゃら奢った分金返せ。 腕平気なのきゃ』
『……誰や』
『あれれれ~ 俺が分かんにゃいかにゃ~? それとも若年性痴呆症かにゃ~? 失血多量で脳が上手く動いてねぇのかもにゃ~』
『……お前っ⁉』
『そうだ俺が伝説のウサギ追い師、鹿野山だ! タルタロスじゃネット繋がんねぇもんなぁ』
『どうなっとる⁉ なんで抜けれんのや⁉』
『昔取った杵柄だひょ。お前をこのチャット上に閉じ込めたんだひょ。ただ副作用って言うか、設定ミスってコッチの書き込みがバグるんだひょ』
『……お前、ナイフ野郎か』
『正解正解。…………やっぱりちょっと待てやっぱりちょっと待て』
開いているウィンドウのうちの一つを書き直す。再読み込みすれば通常の状態へ戻った。
『っていうかナイフ野郎って失礼だろぉ。んな事言うなら今後お前を頭皮危険野郎って呼ぶぞぉ』
『やめい。……わしがここにくるってよう分かったな』
『いやそれ勘。やっぱりネットカフェのパソコンじゃ流石にお前の居場所までしか分からないよ。俺四つ隣の個室にいるから、ワック行かねぇ?』
「同じ店かいっ!」
ネット上ではなく現実で四つ隣の個室から突っ込みを頂いたが、少し考えればタルタロスの近くで足がつき難く、ネットが繋げる場所といったら、そうそう無いことぐらいすぐ分かるだろう。
「禁煙席がいい」
「何でや」
「喫煙席は窓際だから。今日先輩達がはがくれ行ってんだぁ。お前と一緒に居るとこ見られたら、何言われるか分かったモンじゃねぇ」
ネットカフェをジンと出てファストフード店へと移動する。外から見える窓際を避け、壁際の周りに人気のない席を選んだ。
相変わらずノートパソコンでも入れているのかアタッシュケースを提げていたジンの目付きは、寝不足だと言わんばかりに隈が出来て据わっている。おそらくジンのほうもアマネ同様、タカヤへ見つかるのはイヤなのだろう。
店員が注文したセットをタダ扱いの笑顔を浮かべて持って来ては去っていった。それを見送ってポテトを摘んでから、アマネは動こうとしないジンへ目を向ける。
「食えよぉ。奢るから」
「……金くらい持っとるわ」
「だろうなぁ。この取材費はいくらだったのか知らねぇけど、これであの半裸野郎は前にも増して堂々と往来歩けねぇよなぁ」
鞄へ入れてあった雑誌を取り出してテーブルの上へ投げた。その音にジンが大げさに肩を竦ませる。
冷や汗の浮かぶ額。血走った目がアマネを探るように眺め、ジンの手が自身の腕を掴む。
それを見て、ジンが『怯えている』のだと気付いた。
きっとムーンライトブリッジでアマネに刺されたことが流石に少しトラウマになっているのだろう。自分を殺しかけた相手と一対一で飯を食べるなんて、普通よほどの事でもなければありはしない。
「怖ぇなら逃げりゃいいのにぃ」
「……したらお前は追って来んのやろうが」
「そりゃなぁ。ライオンだってウサギを全力で追うって言うし」
「わしはウサギかい」
「まさかぁ。俺もライオンなんて柄じゃねぇつもりだよ。ライオンよりは……そうだなぁ。後ろから同族を突き落とすペンギンかもなぁ」
「動物雑学はいらん」
どうでもいい話としてジンは一蹴したが、アマネとしては上手いことを言ったつもりだった。突き落した結果その同族が死んでも死ななくても構いやしない。それは殺し屋と名乗っていた『昔』のアマネと何が違うのか。
実際には殺し屋として目標が死なないというのはいけないことだが、目標でない相手の生死に関しては問題ない。
ジンはバーガーを食べることに集中していて、アマネがそんな事を考えているなど思いもしていなさそうだった。そうして見ていればジンだって『ただの子供』なんだよなぁと思っているとジンが食べ終える。
「んで?」
「んぁ?」
「んぁ? とちゃうわ。わしに用があったんとちゃうんかい」
「……ああ、忘れてたぁ」
「おっまえ……」
激高しかけたジンの口にポテトを放り込んで喋らせず、アマネはバーガーの包み紙を丁寧に折る。
「と言っても大した用事じゃ無ぇよ。あの雑誌……これなぁ。この記事に書かれてる『哀れな者達』って俺等なのかなぁって確認をしようと思ってぇ」
テーブルの上の雑誌の問題の文章を指差すと、ジンはポテトを飲み込んで視線を逸らした。沈黙は肯定ととっていいのだろう。とはいえ他にストレガの思想を邪魔する『敵』というのも思いつかなかった。
記事の中でタカヤはペルソナ能力を大衆より一足先に手に入れた『力』だと言っている。同じペルソナ能力の使い手であるアマネ達を『その力を個人の目的の為に悪用している』とも。
だがニュクスを、シャドウを倒す為に使うことは『悪用』なのだろうか。だとすれば何故ペルソナは『もう一人の自分』と称されるのか。『力』の使い方など人それぞれだろうし、本当に『悪用』であるのならそれこそ破滅するものだとアマネは思う。
思考がずれたと考え直してジンを見た。
「俺達を『哀れむ』権利があると思ってんのかぁ?」
「……相容れないならな」
「だったら『覚悟』しとけぇ。こうしている間にもお前等は俺に『憐れまれて』いる」
「……っ」
アマネを睨むジンの殺気などアマネには生ぬるい。
「でも同時に『俺』は、侮蔑もしてる」
「……どういう事や」
「ムーンライトブリッジで最後の巨大シャドウを倒した次の日、お前等がねぐらにしてたと思われる場所へ行ったんだぁ。そこから色々調べさせてもらったけど……」
テーブルへ肘を突いて手を組み、その上へ顎を乗せる。
「――たかが適合実験程度で、自分達が一番不幸だって粋がんじゃねぇよ」
目を見開くジンを無視してポテトを摘んだ。
それはアマネが言える義理は無いし、むしろ経験もしていないお前が言うなと反論されて当たり前の立場にいる。けれど言わずにはいられなかった。
アマネの知り合いには、右目を無理やり移植された被験者だった者や、一度死んだというのに無理やり再び人間として復活させられた者や、復讐の道具として無理やり作り出された者だっていたのだ。
一人こそ自身を被験者にしていたマフィアを撲滅するなんて事を明言していたが、他の者達は自分が不幸だと考えているところをアマネは見たことが無い。
「て、程度って……」
「片目を抉られて血液型さえ違う他人の眼を入れられたことは? 死体から脳を移植されてクローンとして作られたことは? 最初から劣化した消耗品として産み出された事は? 訳の分からねぇ奴によって殺されて、そいつへの恨みだけで半分以上腐り落ちて変形した身体で一世紀以上生きたことは? 血縁者だというだけで適合しねぇと死ぬと分かっている実験の被験者にされたことは?」
「……な、何を、んな馬鹿げた話」
「俺はそういう奴等を全員見たことがある。なぁジン、お前なんか一番不幸じゃねぇよ」
見下すようにそう言うと、ジンは言葉を飲み込んだようだった。
「……言い過ぎたなぁ。ごめん」
曲がりなりにも飲食店で話す内容ではなかったなと、誤魔化すように笑いながら謝ってポテトへ手を伸ばしたが、紙パックの中身は既に無い。仕方なしにストローへ口を付ける。炭酸が抜けかけの、甘いだけの飲み物だ。
「……お前、何者や」
「似たような台詞を幾月理事長からも聞いたなぁ。あの人は俺のことを桐条総帥が招いた『少年兵』だと思ってたみてぇだけど」
幾月の名前が出た時、僅かにジンの肩が揺れた。それに気付かないフリをする。
「実際は?」
「今は普通の、いや、ただのペルソナ使いな高校生だぁ」
「嘘やな」
「失礼だなぁ」
「普通の高校生はネットハッキングもユーザーの居場所を探ることも、ましてや躊躇無く人の腕にナイフぶっ刺せへんやろ」
「えー、俺の知り合い赤ん坊でもバンバン銃撃ってたりしたぜぇ? 常識って言葉を川に投げ捨てたような奴等だったけど」
「それがそもそもありえへんやろ! なんや赤ん坊が銃撃つって! 水鉄砲かい!」
「いや本物。召喚器ですら無ぇからなぁ」
アマネは至って本気だったのだが、ジンはテーブルへ突っ伏す勢いで脱力した。敵同士の筈なのに軽いなぁと思いながら紙コップの中身を飲み干す。
信じられなくて当たり前だ。何せ今のアマネの話はこの世界でのことではないのだから。
この世界ではないその場所では、大小様々な問題はあってもニュクスによる滅亡なんてアマネが生きていた間は無かったし、滅亡するかもしれないという話だってアマネが弟分の役割を奪って片付けた。そういえば『二年以内に戻る』と約束していたが、現状は戻るとか戻らないといった話では無いので仕方なく放置している。
のろのろと身体を起こしたジンが深い溜息を吐いた。
「……わしにはお前が理解出来ん」
「理解して欲しいとは思ってねぇよ。相互理解は大事だけど、今まで俺のこと理解できた人は数人しかいねぇし」
「話はそれだけか」
「うん。分かりやすく一言で言うなら『深淵を覗き込む時、深淵もまたこちらを覗き込んでいる』だなぁ」
地味に有名な名言を口にしてアマネが笑うと、ジンはもう一度深く息を吐き出して立ち上がる。アタッシュケースを忘れずに持って、ゴミだけとなったトレイを手にしてジンが座ったままのアマネを見下ろした。
「次会うときは、わしがお前を倒したる」
「おお怖ぇ。出来るものならやってみろぉ」
「……フン」
きちんとゴミを分別して捨てていったジンが店を出て行く。
それを座ったまま見送って、アマネはテーブルの上へ広げていた雑誌を鞄へ戻した。
「何でもない。明けましておめでとう」
佐藤のことだから『アケオメ!』とか『コトヨロ!』なんて礼儀もへったくれも無い言葉が来ると思っていたが、予想外に普通だった。むしろ高校生にしては礼儀正しいくらいである。
冬休みが終わり、始業式を迎えた学校で佐藤と久しぶりに会った。とはいえ休みの間も佐藤からはしつこいくらいのメールが来ていたのだが。
約二週間の連休で、アマネも学校の様子も随分と違っている。普通であれば冬休みの間にあったことなどを話すものだろうが、今年は殆どの話題が冬休みの自慢ではなく世間を騒がせているカルト集団のことだった。
もうすぐ終末が来る。信じていれば救われると嘯くカルト集団のチラシは、学校の敷地内へも落ちていた。その一枚を拾った訳でも無さそうだが、何故か手に入れていたらしい佐藤がそれを紙飛行機にしている。
それを侮蔑するように見るクラスメイトも数人居て、アマネは溜息を吐いて机へ頬杖を突きながら佐藤を見た。
「意外と度胸あるよなぁ」
「何が?」
「このクラスにだって信者がいるかも知れねぇのに、よくそのチラシを折れるよって話だぁ」
「? だってこれただの紙じゃん」
几帳面に爪でこすってしっかりと折り線を漬けている佐藤は気にした様子も無い。
「婆ちゃんが言ってたけどさ、『信じるだけじゃ救われない。信じて行動に移したものこそ救われるに値する』んだって。信じるだけじゃ何もならないってのはオレもその通りだと思うよ。それに妄信しちゃ駄目。それって自分に都合が良くて、見たいものだけを見てるだけの話だろ?」
折りあがった紙飛行機を座ったまま佐藤が飛ばす。
思ったよりも飛距離を稼いだ紙飛行機は、狙ってなのか偶然なのか教室の隅にあったゴミ箱へと収まった。クラスの女子が不機嫌そうにゴミ箱へ手を突っ込んでそれを拾い、丁寧に広げる。それから大事そうにファイルへ収めた彼女へアマネは佐藤と顔を見合わせ、肩を竦めた。
佐藤の言う通りあのチラシは結局のところただの紙で、何が書いてあっても紙飛行機にする程度以外の最終的な使い道は無い。重要視するべきはチラシではなく書いてあることだ。
職員室へ行っていたらしい伏見が戻ってくる。アマネと佐藤を見て何か思い出したように自分の席へと向かい、何かを持って近付いてきた。
「あ、あの、これ……お正月に行った神社の、お、お土産っていうか」
「おお、ありがとー! お守りを贈り物にするっていいセンスしてるねー!」
「だ、駄目……だった?」
「逆だよ良いんだよ。お守りは人へ買ってあげるものだって婆ちゃん言ってた。……だからなのか旅行行くと毎回土産がお守りだけど。しかも何故か交通安全とかじゃなくて子宝なんだよね」
「お前それ、早くひ孫を見せてくれって言う……いや、うん。今度健康守りあげると良いんじゃねぇのぉ」
成人の日を過ぎて、期限の日も着実に近付いてくる。まるでクリスマスや夏休みを指折り数える子供のようなのに、日を追うごとに近付いてくるものをアマネ達以外は知らない。
カルトが流行していようとのどかなものだ、と思えれば良かったのだが学校帰りにポロニアンモールで買物をしている途中、すれ違った主婦が話している井戸端の内容にアマネは足を止めた。
入試試験会場で暴れた男が、『ニュクス』と叫んでいたらしい。
息子が今年受験だから心配だの何だのとすぐに移り変わっていく話題に、アマネは再び歩き出しながら考える。
来たる三十一日に倒すべき相手。アマネ達はその名前を望月から聞いたのだが、何故その名前を試験会場で暴れた男が知っていたのか。
その答えは本屋で判明した。
今日発売されたらしい雑誌の見出しには『救世主、ついに現る⁉ 話題のカリスマ、本誌に激白!』の文字。
雑誌自体は、普段は真面目な記事を取り扱っている物のようだ。しかし最新号であるこれは、殆どのページでカルト集団がどうのとか終末が訪れるだの、カストリ雑誌染みたものへと変貌している。
アマネがそれを立ち読みしている間にも、四人ほどの客が手を伸ばして買っていった。五人目が来たところでアマネはそれを持ってレジへと向かう。
本屋を出て適当な喫茶店へ入り、本屋へ行く目的だった料理雑誌ではなく先程の雑誌を取り出した。
「……随分と小賢しい真似を」
思わず呟いてしまうほど内容は笑えない。『救世主』と持て囃されているストレガのタカヤの写真は相変わらず上半身が裸だった。
どうやって知ったのか分からないが、タカヤは雑誌の中でニュクスを『救い』だと評し、ニュクスが降り立つ日を嬉々として待ち望めとある。ペルソナ能力をニュクスからの恩恵だと言い表し、そのニュクスを倒そうとしているアマネ達を『救いを理解できない哀れな者達』として、シャドウなどによる昨今の事件の犯人だと言い切っていた。
アマネはこめかみへ伸びかけた手へ気付いて舌打ちを零す。
『×××』は今、使えない。
それなのでストレガの居場所を知ることもおそらく無理だろう。それに人目のある場所で今のストレガと、雑誌へ顔を載せてしまったタカヤと会って言い争うことは危険だ。
もし民衆の目の前でアマネがタカヤを見つけて話をしたとして、既に雑誌で『救世主』とされたタカヤに歯向かう者、つまり記事の文章を借りれば『個人の目的の為に悪用している』哀れな者達の一人と認定されてしまうのだ。
となれば無駄に敵を作るだけである。何も知らないが故に。何も知らないくせに。
「……綾時さん、だったら」
世界の終わりを悲しんだあの人がこれを知ったらどう思うのだろう。
寮へ帰ると真田と岳羽と伊織が話していた。
「あ、おかえりー。ねえアマネ君、アタシ達これからはがくれ行くんだけど、一緒に行く?」
「はがくれ、ですか」
「おうよ。夏に屋久島でナンパしたの覚えてんだろ? そん時真田サンが負けたってやっと認めてさ」
つまり真田の奢りらしい。そういえばそんなことを言っていた気もするが、半年近く前のことを今更と思った。
遅すぎる約束だと思うが、とはいえこれもある意味、未練を残さないようになのかもしれない。
買ってきた雑誌の入っている通学鞄を持ち直すと望月から貰ったキーホルダーが揺れた。
「せっかくですけど、俺はあの時参加してませんでしたし」
「遠慮しなくていいんだぞ? お前はいつも寮の事をやってくれているしな」
「参加してないって言ったら、アタシとアイギスだってそうでしょ」
「いえ。遠慮はしてません。……ところで今日はタルタロス行く予定ですかね」
真田の申し出も断って今夜の予定を尋ねる。けれども真田達はタルタロスへ行くかどうかは知らないらしい。
まだ帰ってきていないらしい有里に電話で聞こうかとも考えたが、そこまでの問題じゃないかと思い直した。
アマネが行かないことが残念そうなアイギスの視線を振り切って二階の自室へと向かう。私服に着替えてから通学鞄の中から件の雑誌を取り出し、私用の鞄へ召喚器と武器と雑誌を詰め込んで部屋を出れば、真田達はもう出たのかラウンジには伊織しかいない。
アマネ以外の全員が葉隠れに行くのかと尋ねれば、そうではないと返ってくる。少しどうしようかと迷ったが、余ったら夜食へ回せばいいかと厨房へ入って数人分の夕食を作っておいた。
その途中で帰ってきた有里は伊織と一緒にはがくれへ行くようだったが、厨房でアマネが料理を作っていることに気付くとわざわざ厨房へと入ってくる。
「アマネは行かないの」
「ちょっと出掛けてこようと思ってますから。あ、今夜タルタロス行きます?」
「まだ決めてない」
「行くようだったら携帯に連絡ください。寮へは戻らずに直接タルタロスへ行きますから」
「分かった。……それ」
「余ったら夜食にしますから、小腹が空いたら食べていいですよ」
作っている途中だった汁物を見つめていた有里へそう言えば、嬉しそうに頷いて厨房を出て行った。
はがくれで奢ってもらうのに更に食べるつもりなのかと思うものの、案外大食漢であることを思い出して、奢りだけでは足りないのかと納得する。
ストレガの構成員の話になるが、伊織を庇って死んだチドリはおそらく戦闘員だった。雑誌に『救世主』として顔を出したタカヤがリーダーであることは間違いない。
となると残るジンが頭脳派だろう。実際ネット上では『ジン』というハンドル名はそれなりに有名らしかった。お前本名そのまま使っているのかよとアマネは思わなくもなかったが、そもそもの『ジン』が本名かどうかを知らないと思い出す。
ネットカフェに入り雑誌の出版社を一応調べてから、ネット掲示板でカルト集団についてのスレッドを探して適当に目を通した。それから巌戸台ならびに辰巳ポートアイランドが関わっている騒動について調べ、それに関する記事を読み漁っていく。
今度は『ジン』が過去に出没した掲示板やチャットを覗いて、アマネは一度飲み物を補給した。ドリンクバー式だった飲み物を持って戻ってくれば、覗いていたチャットへ『ジン』が現れている。
「さて、俺とお前じゃどっちが有能なんだろうなぁ?」
一人ごちて座り直しキーボードをいくつか叩いた。途端画面にいくつも開かれるウィンドウとその窓の中で、ひたすら流れていく数字と英字の羅列を目で追いかけ指を動かす。
数十分後。最終的に三つのウィンドウを開いているだけで落ち着いた画面の中、何が起こったのかも分かっていなそうな『ジン』が、未だに先程のチャットの続きを書き込んでいる。
先程持ってきたグラスの中身を半分ほど飲み干して、キーボードを叩いた。
『なんきゃムキャつくきゃら奢った分金返せ。 腕平気なのきゃ』
『……誰や』
『あれれれ~ 俺が分かんにゃいかにゃ~? それとも若年性痴呆症かにゃ~? 失血多量で脳が上手く動いてねぇのかもにゃ~』
『……お前っ⁉』
『そうだ俺が伝説のウサギ追い師、鹿野山だ! タルタロスじゃネット繋がんねぇもんなぁ』
『どうなっとる⁉ なんで抜けれんのや⁉』
『昔取った杵柄だひょ。お前をこのチャット上に閉じ込めたんだひょ。ただ副作用って言うか、設定ミスってコッチの書き込みがバグるんだひょ』
『……お前、ナイフ野郎か』
『正解正解。…………やっぱりちょっと待てやっぱりちょっと待て』
開いているウィンドウのうちの一つを書き直す。再読み込みすれば通常の状態へ戻った。
『っていうかナイフ野郎って失礼だろぉ。んな事言うなら今後お前を頭皮危険野郎って呼ぶぞぉ』
『やめい。……わしがここにくるってよう分かったな』
『いやそれ勘。やっぱりネットカフェのパソコンじゃ流石にお前の居場所までしか分からないよ。俺四つ隣の個室にいるから、ワック行かねぇ?』
「同じ店かいっ!」
ネット上ではなく現実で四つ隣の個室から突っ込みを頂いたが、少し考えればタルタロスの近くで足がつき難く、ネットが繋げる場所といったら、そうそう無いことぐらいすぐ分かるだろう。
「禁煙席がいい」
「何でや」
「喫煙席は窓際だから。今日先輩達がはがくれ行ってんだぁ。お前と一緒に居るとこ見られたら、何言われるか分かったモンじゃねぇ」
ネットカフェをジンと出てファストフード店へと移動する。外から見える窓際を避け、壁際の周りに人気のない席を選んだ。
相変わらずノートパソコンでも入れているのかアタッシュケースを提げていたジンの目付きは、寝不足だと言わんばかりに隈が出来て据わっている。おそらくジンのほうもアマネ同様、タカヤへ見つかるのはイヤなのだろう。
店員が注文したセットをタダ扱いの笑顔を浮かべて持って来ては去っていった。それを見送ってポテトを摘んでから、アマネは動こうとしないジンへ目を向ける。
「食えよぉ。奢るから」
「……金くらい持っとるわ」
「だろうなぁ。この取材費はいくらだったのか知らねぇけど、これであの半裸野郎は前にも増して堂々と往来歩けねぇよなぁ」
鞄へ入れてあった雑誌を取り出してテーブルの上へ投げた。その音にジンが大げさに肩を竦ませる。
冷や汗の浮かぶ額。血走った目がアマネを探るように眺め、ジンの手が自身の腕を掴む。
それを見て、ジンが『怯えている』のだと気付いた。
きっとムーンライトブリッジでアマネに刺されたことが流石に少しトラウマになっているのだろう。自分を殺しかけた相手と一対一で飯を食べるなんて、普通よほどの事でもなければありはしない。
「怖ぇなら逃げりゃいいのにぃ」
「……したらお前は追って来んのやろうが」
「そりゃなぁ。ライオンだってウサギを全力で追うって言うし」
「わしはウサギかい」
「まさかぁ。俺もライオンなんて柄じゃねぇつもりだよ。ライオンよりは……そうだなぁ。後ろから同族を突き落とすペンギンかもなぁ」
「動物雑学はいらん」
どうでもいい話としてジンは一蹴したが、アマネとしては上手いことを言ったつもりだった。突き落した結果その同族が死んでも死ななくても構いやしない。それは殺し屋と名乗っていた『昔』のアマネと何が違うのか。
実際には殺し屋として目標が死なないというのはいけないことだが、目標でない相手の生死に関しては問題ない。
ジンはバーガーを食べることに集中していて、アマネがそんな事を考えているなど思いもしていなさそうだった。そうして見ていればジンだって『ただの子供』なんだよなぁと思っているとジンが食べ終える。
「んで?」
「んぁ?」
「んぁ? とちゃうわ。わしに用があったんとちゃうんかい」
「……ああ、忘れてたぁ」
「おっまえ……」
激高しかけたジンの口にポテトを放り込んで喋らせず、アマネはバーガーの包み紙を丁寧に折る。
「と言っても大した用事じゃ無ぇよ。あの雑誌……これなぁ。この記事に書かれてる『哀れな者達』って俺等なのかなぁって確認をしようと思ってぇ」
テーブルの上の雑誌の問題の文章を指差すと、ジンはポテトを飲み込んで視線を逸らした。沈黙は肯定ととっていいのだろう。とはいえ他にストレガの思想を邪魔する『敵』というのも思いつかなかった。
記事の中でタカヤはペルソナ能力を大衆より一足先に手に入れた『力』だと言っている。同じペルソナ能力の使い手であるアマネ達を『その力を個人の目的の為に悪用している』とも。
だがニュクスを、シャドウを倒す為に使うことは『悪用』なのだろうか。だとすれば何故ペルソナは『もう一人の自分』と称されるのか。『力』の使い方など人それぞれだろうし、本当に『悪用』であるのならそれこそ破滅するものだとアマネは思う。
思考がずれたと考え直してジンを見た。
「俺達を『哀れむ』権利があると思ってんのかぁ?」
「……相容れないならな」
「だったら『覚悟』しとけぇ。こうしている間にもお前等は俺に『憐れまれて』いる」
「……っ」
アマネを睨むジンの殺気などアマネには生ぬるい。
「でも同時に『俺』は、侮蔑もしてる」
「……どういう事や」
「ムーンライトブリッジで最後の巨大シャドウを倒した次の日、お前等がねぐらにしてたと思われる場所へ行ったんだぁ。そこから色々調べさせてもらったけど……」
テーブルへ肘を突いて手を組み、その上へ顎を乗せる。
「――たかが適合実験程度で、自分達が一番不幸だって粋がんじゃねぇよ」
目を見開くジンを無視してポテトを摘んだ。
それはアマネが言える義理は無いし、むしろ経験もしていないお前が言うなと反論されて当たり前の立場にいる。けれど言わずにはいられなかった。
アマネの知り合いには、右目を無理やり移植された被験者だった者や、一度死んだというのに無理やり再び人間として復活させられた者や、復讐の道具として無理やり作り出された者だっていたのだ。
一人こそ自身を被験者にしていたマフィアを撲滅するなんて事を明言していたが、他の者達は自分が不幸だと考えているところをアマネは見たことが無い。
「て、程度って……」
「片目を抉られて血液型さえ違う他人の眼を入れられたことは? 死体から脳を移植されてクローンとして作られたことは? 最初から劣化した消耗品として産み出された事は? 訳の分からねぇ奴によって殺されて、そいつへの恨みだけで半分以上腐り落ちて変形した身体で一世紀以上生きたことは? 血縁者だというだけで適合しねぇと死ぬと分かっている実験の被験者にされたことは?」
「……な、何を、んな馬鹿げた話」
「俺はそういう奴等を全員見たことがある。なぁジン、お前なんか一番不幸じゃねぇよ」
見下すようにそう言うと、ジンは言葉を飲み込んだようだった。
「……言い過ぎたなぁ。ごめん」
曲がりなりにも飲食店で話す内容ではなかったなと、誤魔化すように笑いながら謝ってポテトへ手を伸ばしたが、紙パックの中身は既に無い。仕方なしにストローへ口を付ける。炭酸が抜けかけの、甘いだけの飲み物だ。
「……お前、何者や」
「似たような台詞を幾月理事長からも聞いたなぁ。あの人は俺のことを桐条総帥が招いた『少年兵』だと思ってたみてぇだけど」
幾月の名前が出た時、僅かにジンの肩が揺れた。それに気付かないフリをする。
「実際は?」
「今は普通の、いや、ただのペルソナ使いな高校生だぁ」
「嘘やな」
「失礼だなぁ」
「普通の高校生はネットハッキングもユーザーの居場所を探ることも、ましてや躊躇無く人の腕にナイフぶっ刺せへんやろ」
「えー、俺の知り合い赤ん坊でもバンバン銃撃ってたりしたぜぇ? 常識って言葉を川に投げ捨てたような奴等だったけど」
「それがそもそもありえへんやろ! なんや赤ん坊が銃撃つって! 水鉄砲かい!」
「いや本物。召喚器ですら無ぇからなぁ」
アマネは至って本気だったのだが、ジンはテーブルへ突っ伏す勢いで脱力した。敵同士の筈なのに軽いなぁと思いながら紙コップの中身を飲み干す。
信じられなくて当たり前だ。何せ今のアマネの話はこの世界でのことではないのだから。
この世界ではないその場所では、大小様々な問題はあってもニュクスによる滅亡なんてアマネが生きていた間は無かったし、滅亡するかもしれないという話だってアマネが弟分の役割を奪って片付けた。そういえば『二年以内に戻る』と約束していたが、現状は戻るとか戻らないといった話では無いので仕方なく放置している。
のろのろと身体を起こしたジンが深い溜息を吐いた。
「……わしにはお前が理解出来ん」
「理解して欲しいとは思ってねぇよ。相互理解は大事だけど、今まで俺のこと理解できた人は数人しかいねぇし」
「話はそれだけか」
「うん。分かりやすく一言で言うなら『深淵を覗き込む時、深淵もまたこちらを覗き込んでいる』だなぁ」
地味に有名な名言を口にしてアマネが笑うと、ジンはもう一度深く息を吐き出して立ち上がる。アタッシュケースを忘れずに持って、ゴミだけとなったトレイを手にしてジンが座ったままのアマネを見下ろした。
「次会うときは、わしがお前を倒したる」
「おお怖ぇ。出来るものならやってみろぉ」
「……フン」
きちんとゴミを分別して捨てていったジンが店を出て行く。
それを座ったまま見送って、アマネはテーブルの上へ広げていた雑誌を鞄へ戻した。