ペルソナ3
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鍋の中の牛乳をかき混ぜるアマネの後ろで、自分で作ったおにぎりを真田が食べている。ご飯に牛乳は合うのかという疑問は、別に真田が飲むわけではないので必要ない。
ガスの火を消して、自分のカップへポットから湯を注ぎ真田へは緑茶を淹れてアマネは真田の向かいへと腰を降ろした。
「手拭きも取りましょうか?」
「ん、いや大丈夫だ。すまないな、休めと言っておいて声を掛けて」
「いえ、どうせここへ来るつもりでしたし」
指先のご飯粒を舐めとる真田はアマネが取り出した錠剤を不思議そうに見る。
「鎮痛剤です。昨日の夜も痛かったので処方してもらったんです」
「幾月さんに、撃たれたんだったな」
「やっぱり背中向けたら避けれねぇですねぇ」
「銃弾なんて普通は見ていても避けられないだろ」
「動体視力が良けりゃ結構簡単にいけます。真田先輩も出来るんじゃないですかねぇ?」
「ボクシング部に入らないか?」
「お断りします」
薄いアルミ箔を押し破り、手の上に乗せた錠剤を口へ放り込んでお湯で飲み込んだ。味がするわけも無い。真田はそんなアマネを見やってから緑茶へ手を伸ばした。
「射撃の腕も、動体視力の問題か?」
「……いえ。集中力の問題です」
「お前から取り上げた銃な、召喚器と違って随分と重かったよ。それでも召喚器と同じく引き金を引くだけで人を殺せる。……怖いな」
その感性を、どうか忘れないでほしいとアマネは思う。本来なら真田は一生考える必要だって無かった事だ。
カップの縁を指先で撫でる。
「……どうして幾月さんを撃ったんだ?」
真田の声は随分と静かなもので、彼が冷静に聞いてきていることが分かった。必死に客観的になろうとしているでもなく、ただ、事実を確認する為に。
「……桐条先輩のお父上を人殺しとして死なせたくなかった。という表向きの理由と、彼の言う事に腹を立てたという個人的な理由がありました」
詭弁だと自分でも思った。
この言い方では表向きの理由を引き立たせるだけにしかならない。嘘を吐いて真実を語っているようで、真実を語って嘘を吐いている。真田は頭が回るが人の心境には少し疎い。だからこれでは本当に、表向きの理由だけが意識に残ってしまうだろう。
確かにそれも理由だけれど、とってつけただけの理由でもあるのだ。
アマネ自身そう思い込むことで幾月を撃った事を正当化していた。本当は肩を撃たれた仕返しだったかもしれないし、喚く幾月の声をそれ以上聞きたくなかったからかもしれない。騙されていたという苛立ちだってあった。
けれども冷静になればやはり絶対撃つ必要は無かったし、撃たずとも幾月はあの出血では助からなかっただろう。その上落下していったのだ。死なない訳が無い。アマネの行動がいかに無意味だったかは冷静になってみるとよく分かった。
「おかわりをくれるか」
「あ、ハイ」
真田に言われて立ち上がる。ついでに自分のカップに残っていたお湯も捨てて、両方へ緑茶を淹れた。
「美味いな」
「いつもと同じ茶葉ですが」
「お前の淹れるお茶が美味いという話だ。……撃った時、どう思った?」
「苛立ってたし憎んでもいたかも知れません。俺は正直あの人のことあんまり信用も信頼もしてませんでしたけど、先輩達は違うでしょう?」
「オレたちの為に撃ったのか?」
「あの時そう考えていた訳ではありません。でも、幾月にあれ以上喋らせんのは嫌だったしあれ以上聞かせるもんでもねぇとは、多分、思ってました」
あの場で、幾月と武治に並んで『大人』だったのはアマネだろう。真田達を騙したという幾月の言葉は真田達へショックを与えただろうし、そのショックが落ち着きやまないうちに更に言葉を聞かされるのは苦痛だ。
だが復讐したわけではない。撃つ必要はそれでもやはり無かったのだ。
目を閉じればまだ死に逝く武治の虚ろな目が思い出せる。
アマネは人を殺せる人間だ。
シャドウと戦うのとも違う。ストレガのジンの腕を容赦なく刺せる様に、衝動に任せずとも冷静に人を殺せた。今は必要が無いからしない。それだけなのだ。
だが幾月に関しては必要が無くとも撃っていた。
何故か。
「俺はね先輩。犠牲という言葉が嫌いですがもし犠牲が必要なら、自分がなれる人間なんです」
「斑鳩?」
「幾月さんを撃ったことで変わった事実は、『総帥ではなく斑鳩周が幾月に止めを刺した』。つまり加害者は総帥ではないんです。彼は撃たれたので撃ち返した正当防衛で、たまたまその弾が当たって幾月さんが負傷。そこに俺が総帥の銃を奪って発砲。……そうなったんです」
表面的な事実を口にすることで名実共に事実とし、アマネはお茶を飲む事で話を終わらせる。真田は腕を組んで考え込んでいた。
カチカチと壁時計が時間を刻んでいる。
「幾月さんは転落死だ」
「今後死因がしっかり調べられるとか、桐条グループが何か言ってきた時にこの話は有効になります。決して、何があっても、この事実で総帥は人殺しなんて不名誉を背負いはしねぇ。――俺が殺したんです。あの人を」
結局はそういう理由しかない。
武治を庇って罪を背負う。それが、遅れて行ったくせに幾月を止める事も武治を守ることも、有里達を助ける事も出来なかったアマネが出来る罪滅ぼしだ。
とっくに冷めただろうホットミルクの匂いが充満している厨房の外から小さな物音が聞こえた。コロマルが鼻を鳴らす声も聞こえて、アマネは錠剤の入っていたゴミをゴミ箱へ投げ捨ててから真田を見つめる。
「それで真田先輩。寮内での俺の処遇はどうするつもりなんですか?」
「……オレ自身は、今まで通りでいいと思った」
「ありがとうございます」
美鶴も保護者もいなくなり、最年長の真田には苦労が掛かるなと思う。そうしてしまったのはアマネでもあるのだが、八つ当たりをしていいのなら幾月のせいだ。
身近に事実的に人を殺した者が居るというのはどんな気分なのだろうかと考えて、天田にとっては数ヶ月前の荒垣が居た時と一緒かと思う。
けれどもアマネは荒垣の様に猛省も後悔も目に見えてしていないし、内心でも受け入れているだけでしていない。
「あれは事故だったと言い切ることも出来る。感情に駆られて総帥から銃を奪い、それがたまたま心臓に当たってしまった。今のお前の話を聞いていなければ尚更な」
「無理でしょう」
「言い切るなよ」
「事故であっても過失は犯罪ですよ」
「お前は犯罪にしたいのか」
「わかりません」
湯気の出なくなった緑茶を見下ろす。
「俺は、……『俺』は誰かが泣くのが一番嫌いです」
美鶴は泣いていた。
「誰かが泣いてると非常に困って、どうすればいいのか分からなくなります」
何をしても泣いてしまうことは決まっていた。
「誰かが誰かをおいていくことに恐怖する」
倒れてきた美鶴の父親と目が合った。
「犯罪者になろうと、その恐怖へ勝てる自信だけは存在しねぇ」
久しぶりに見た、光を失っていく眼。
「もしここで寮を出て行けと言われても、俺はもう幾月を殺したんだって覚悟だってしちまってるんだぁ。どうなろうと知ったこっちゃ――っ⁉」
真横からの衝撃に座っていた椅子ごと倒れそうになって、アマネは思わずテーブルに右手を突いて身体を支える。その振動が肩の傷にまで走って思わず呻く羽目になった。
歯を食いしばって痛みを堪え、その痛みを発生させる原因になった、真横からぶつかってきた犯人を見ようとすると、更に視界へ青み掛かった髪が入り込む。第二撃。
コロマルの鳴き声が真田の方から聞こえる。
「ちょっ、頭も怪我してるんで体当たりは……」
「アマネさん細いですね。着太りするタイプですか?」
「そういえばお前、前に運んだ時も美鶴以上に軽かったな。ちゃんと食べてるか?」
「状況が読めねぇ!」
天田と有里が飛びついて抱き締めてくる状況を、すんなりと理解しろというほうが難しそうだ。
真田はコロマルを撫でながらアマネの食事情を気にし始めるし、寸前までのシリアスは何処へ行ったのだと叫びたい気分になる。
とりあえずアマネに抱きついている天田と有里を引き剥がそうと手を伸ばしたところで、天田へ触れるのを一瞬躊躇した。
止まってしまった左手を見下ろした時、有里の腹が鳴る。
「アマネ、夜食作って」
「……俺、この怪我なんですけどねぇ」
温め直したホットミルクで時間稼ぎをして、夜である事もあって消化の良さそうな物をと思いながらも、食べるのは大食らいの有里だしと考え直して親子丼にした。
暫くして出来上がった親子丼を、真田と天田にも量を少なく取り分けて差し出す。
「で、二人は夜食だけで降りてきたんですか?」
「ボクはちょっと眠れなくて、何か飲もうと思って降りてきたら二人が話してて」
「オレは腹が空いたから」
「でも入って来れなくて天田と一緒に盗み聞きしていた、と。つか湊さん、潔いですね」
「ん? 斑鳩はいつから気付いてたんだ?」
「ゴミ捨てた時からです」
やはり気付いていなかったかと真田の質問に答えて、アマネは淹れ直した緑茶に口を付ける。冷めたお茶なんて飲めるものではない。
「それで、なんで飛び込んできたんだ?」
「あー、その、話の内容的に戻ろうと思ったんですけど、有里さんが飛び込もうって」
天田の説明に真田とアマネの視線が揃って親子丼を掻っ込んでいる有里へと向いた。ご飯粒一つ残さず食べ終えた有里は、視線に気付くと不思議そうに首を傾げる。
「あのタイミングで行かないと、アマネがドツボへ嵌まってたでしょ?」
「流石リーダー」
「流石リーダー」
「え? それで納得出来んのかぁ二人ともぉ⁉」
妙な賞賛をする二人とは逆にアマネは納得できなかった。
「アマネさんって一人でグルグル考え込む癖があるでしょう。それだったら、有里さんの案に乗っかった方がいいかなぁって。それに……アマネさんあのままだったらどんな結果になっても寮から出て行くつもりだったんじゃないですか?」
完全に否定出来ないのが悔しい。押し黙るアマネに真田もアマネがそのつもりだったと理解し、咎めるようにアマネを睨んだ。
「だ、だって嫌でしょう? 人殺しが同じ寮で暮らしてるって」
「オレは今まで通りでいいって言っただろ」
「真田先輩はそうですねぇ。でも他の人はどうなんだって話でしょう」
「ボクは、別にアマネさんが人殺しだとは思ってませんし」
「でも夕方ぁ!」
「アレは銃で撃たれたのに平然としてるアマネさんが気になってたんです。でも銃で撃たれるのってどんな感じですかとも聞けないじゃないですか!」
「気にしてた俺馬鹿みてぇ! 弾貫通してるし神経も傷ついてねぇから全然平気だぜぇ。どっちかっていうと散弾銃で撃たれた時のほうが困るっていうか……あれなぁ、散弾が肉の中に残るんだよなぁ」
「具体的に聞いたら夢に出てきそう!」
「二人とも、もう深夜なんだから声を抑えろ」
真田にたしなめられて天田と一緒に反省し、その場はもう遅いという事でお開きになった。アマネの処遇は結局グダグダなまま決まっていないが、少なくとも三人は別にアマネが居ても構わないらしい。
優しいのか現実味が無いだけなのかはよく分からなかった。
解熱剤を貰い忘れていたので痛みは無くとも熱が出る可能性があることに思い至り、氷嚢を作るのは面倒だったので保冷材は有っただろうかと冷凍庫を確認する。真田と天田はもう居ないが、有里だけがまだ鍋をチラチラと見て食べたそうにしていた。
「もうダメですよ。明日の弁当に仕込むんですから」
「じゃあホットミルクは?」
「そっちは飲んでいいです」
鍋から冷めかけたホットミルクの残りを注いでいる有里を背後に、アマネは手頃な保冷材を見つけて肩の傷へ押し当てる。しかしまずタオルを用意するべきだったようだ。
時計を確認すると影時間も近い。
「湊さん、電気お願いしていいですか?」
「んー、んーん」
一気飲みしながらの返事は何を言っているのかサッパリ分からない。
油膜が出来てしまうので放置せずにカップを洗い、有里は厨房の入口に居たアマネの元へ急いで近付いてくる。
「よし」
「何がよし、ですか何がぁ」
「寝よう」
「そうですね。そうでしょうとも」
「一緒に寝る?」
「寝ません」
「この前は一緒に寝たのに」
「誤解を生むような言い方止めてくれませんかねぇ。あれは不可抗力です」
「じゃあ、一緒に寝たいって言ったら寝てくれるの?」
「……余程親しい人じゃねぇと、近くに居られると寝れねぇんですよ俺」
「でもこの前は寝てた」
「……気絶だった気もするんですけどねぇ」
階段を昇りながらの小声での会話は、あんな事があったばかりだとしても子供のようで少し楽しかった。
人を撃った感触は消えている。
有里や真田が許してくれるなら、アマネは確かに幾月を撃ったけれど彼の死は転落死だと言い切ってもいいだろうか。そうすればアマネも桐条武治同様、実質人殺しではなくなる。
『斑鳩周』はまだ犯罪者にならなくていいのだろうか。
「……『兄さん』」
「なに?」
「あー……いえ、やっぱり何でもねぇです」
「一緒に寝る?」
「寝ねぇって言ってんじゃねぇですかぁ! っていうか肩の傷がアレなんでクッションで背凭れ作って寝るんですから、一緒とかまず無理ですって」
流石に背凭れ云々は嘘だが、然程広くないベッドで成長期も半ばの男子高校生が並んで眠るという時点で、狭くて肩の傷に響きそうである。せめて今日はちゃんとゆったりとしたベッドで寝たい。
有里は最後まで残念そうにしながら、自分の部屋へ戻っていった。
ガスの火を消して、自分のカップへポットから湯を注ぎ真田へは緑茶を淹れてアマネは真田の向かいへと腰を降ろした。
「手拭きも取りましょうか?」
「ん、いや大丈夫だ。すまないな、休めと言っておいて声を掛けて」
「いえ、どうせここへ来るつもりでしたし」
指先のご飯粒を舐めとる真田はアマネが取り出した錠剤を不思議そうに見る。
「鎮痛剤です。昨日の夜も痛かったので処方してもらったんです」
「幾月さんに、撃たれたんだったな」
「やっぱり背中向けたら避けれねぇですねぇ」
「銃弾なんて普通は見ていても避けられないだろ」
「動体視力が良けりゃ結構簡単にいけます。真田先輩も出来るんじゃないですかねぇ?」
「ボクシング部に入らないか?」
「お断りします」
薄いアルミ箔を押し破り、手の上に乗せた錠剤を口へ放り込んでお湯で飲み込んだ。味がするわけも無い。真田はそんなアマネを見やってから緑茶へ手を伸ばした。
「射撃の腕も、動体視力の問題か?」
「……いえ。集中力の問題です」
「お前から取り上げた銃な、召喚器と違って随分と重かったよ。それでも召喚器と同じく引き金を引くだけで人を殺せる。……怖いな」
その感性を、どうか忘れないでほしいとアマネは思う。本来なら真田は一生考える必要だって無かった事だ。
カップの縁を指先で撫でる。
「……どうして幾月さんを撃ったんだ?」
真田の声は随分と静かなもので、彼が冷静に聞いてきていることが分かった。必死に客観的になろうとしているでもなく、ただ、事実を確認する為に。
「……桐条先輩のお父上を人殺しとして死なせたくなかった。という表向きの理由と、彼の言う事に腹を立てたという個人的な理由がありました」
詭弁だと自分でも思った。
この言い方では表向きの理由を引き立たせるだけにしかならない。嘘を吐いて真実を語っているようで、真実を語って嘘を吐いている。真田は頭が回るが人の心境には少し疎い。だからこれでは本当に、表向きの理由だけが意識に残ってしまうだろう。
確かにそれも理由だけれど、とってつけただけの理由でもあるのだ。
アマネ自身そう思い込むことで幾月を撃った事を正当化していた。本当は肩を撃たれた仕返しだったかもしれないし、喚く幾月の声をそれ以上聞きたくなかったからかもしれない。騙されていたという苛立ちだってあった。
けれども冷静になればやはり絶対撃つ必要は無かったし、撃たずとも幾月はあの出血では助からなかっただろう。その上落下していったのだ。死なない訳が無い。アマネの行動がいかに無意味だったかは冷静になってみるとよく分かった。
「おかわりをくれるか」
「あ、ハイ」
真田に言われて立ち上がる。ついでに自分のカップに残っていたお湯も捨てて、両方へ緑茶を淹れた。
「美味いな」
「いつもと同じ茶葉ですが」
「お前の淹れるお茶が美味いという話だ。……撃った時、どう思った?」
「苛立ってたし憎んでもいたかも知れません。俺は正直あの人のことあんまり信用も信頼もしてませんでしたけど、先輩達は違うでしょう?」
「オレたちの為に撃ったのか?」
「あの時そう考えていた訳ではありません。でも、幾月にあれ以上喋らせんのは嫌だったしあれ以上聞かせるもんでもねぇとは、多分、思ってました」
あの場で、幾月と武治に並んで『大人』だったのはアマネだろう。真田達を騙したという幾月の言葉は真田達へショックを与えただろうし、そのショックが落ち着きやまないうちに更に言葉を聞かされるのは苦痛だ。
だが復讐したわけではない。撃つ必要はそれでもやはり無かったのだ。
目を閉じればまだ死に逝く武治の虚ろな目が思い出せる。
アマネは人を殺せる人間だ。
シャドウと戦うのとも違う。ストレガのジンの腕を容赦なく刺せる様に、衝動に任せずとも冷静に人を殺せた。今は必要が無いからしない。それだけなのだ。
だが幾月に関しては必要が無くとも撃っていた。
何故か。
「俺はね先輩。犠牲という言葉が嫌いですがもし犠牲が必要なら、自分がなれる人間なんです」
「斑鳩?」
「幾月さんを撃ったことで変わった事実は、『総帥ではなく斑鳩周が幾月に止めを刺した』。つまり加害者は総帥ではないんです。彼は撃たれたので撃ち返した正当防衛で、たまたまその弾が当たって幾月さんが負傷。そこに俺が総帥の銃を奪って発砲。……そうなったんです」
表面的な事実を口にすることで名実共に事実とし、アマネはお茶を飲む事で話を終わらせる。真田は腕を組んで考え込んでいた。
カチカチと壁時計が時間を刻んでいる。
「幾月さんは転落死だ」
「今後死因がしっかり調べられるとか、桐条グループが何か言ってきた時にこの話は有効になります。決して、何があっても、この事実で総帥は人殺しなんて不名誉を背負いはしねぇ。――俺が殺したんです。あの人を」
結局はそういう理由しかない。
武治を庇って罪を背負う。それが、遅れて行ったくせに幾月を止める事も武治を守ることも、有里達を助ける事も出来なかったアマネが出来る罪滅ぼしだ。
とっくに冷めただろうホットミルクの匂いが充満している厨房の外から小さな物音が聞こえた。コロマルが鼻を鳴らす声も聞こえて、アマネは錠剤の入っていたゴミをゴミ箱へ投げ捨ててから真田を見つめる。
「それで真田先輩。寮内での俺の処遇はどうするつもりなんですか?」
「……オレ自身は、今まで通りでいいと思った」
「ありがとうございます」
美鶴も保護者もいなくなり、最年長の真田には苦労が掛かるなと思う。そうしてしまったのはアマネでもあるのだが、八つ当たりをしていいのなら幾月のせいだ。
身近に事実的に人を殺した者が居るというのはどんな気分なのだろうかと考えて、天田にとっては数ヶ月前の荒垣が居た時と一緒かと思う。
けれどもアマネは荒垣の様に猛省も後悔も目に見えてしていないし、内心でも受け入れているだけでしていない。
「あれは事故だったと言い切ることも出来る。感情に駆られて総帥から銃を奪い、それがたまたま心臓に当たってしまった。今のお前の話を聞いていなければ尚更な」
「無理でしょう」
「言い切るなよ」
「事故であっても過失は犯罪ですよ」
「お前は犯罪にしたいのか」
「わかりません」
湯気の出なくなった緑茶を見下ろす。
「俺は、……『俺』は誰かが泣くのが一番嫌いです」
美鶴は泣いていた。
「誰かが泣いてると非常に困って、どうすればいいのか分からなくなります」
何をしても泣いてしまうことは決まっていた。
「誰かが誰かをおいていくことに恐怖する」
倒れてきた美鶴の父親と目が合った。
「犯罪者になろうと、その恐怖へ勝てる自信だけは存在しねぇ」
久しぶりに見た、光を失っていく眼。
「もしここで寮を出て行けと言われても、俺はもう幾月を殺したんだって覚悟だってしちまってるんだぁ。どうなろうと知ったこっちゃ――っ⁉」
真横からの衝撃に座っていた椅子ごと倒れそうになって、アマネは思わずテーブルに右手を突いて身体を支える。その振動が肩の傷にまで走って思わず呻く羽目になった。
歯を食いしばって痛みを堪え、その痛みを発生させる原因になった、真横からぶつかってきた犯人を見ようとすると、更に視界へ青み掛かった髪が入り込む。第二撃。
コロマルの鳴き声が真田の方から聞こえる。
「ちょっ、頭も怪我してるんで体当たりは……」
「アマネさん細いですね。着太りするタイプですか?」
「そういえばお前、前に運んだ時も美鶴以上に軽かったな。ちゃんと食べてるか?」
「状況が読めねぇ!」
天田と有里が飛びついて抱き締めてくる状況を、すんなりと理解しろというほうが難しそうだ。
真田はコロマルを撫でながらアマネの食事情を気にし始めるし、寸前までのシリアスは何処へ行ったのだと叫びたい気分になる。
とりあえずアマネに抱きついている天田と有里を引き剥がそうと手を伸ばしたところで、天田へ触れるのを一瞬躊躇した。
止まってしまった左手を見下ろした時、有里の腹が鳴る。
「アマネ、夜食作って」
「……俺、この怪我なんですけどねぇ」
温め直したホットミルクで時間稼ぎをして、夜である事もあって消化の良さそうな物をと思いながらも、食べるのは大食らいの有里だしと考え直して親子丼にした。
暫くして出来上がった親子丼を、真田と天田にも量を少なく取り分けて差し出す。
「で、二人は夜食だけで降りてきたんですか?」
「ボクはちょっと眠れなくて、何か飲もうと思って降りてきたら二人が話してて」
「オレは腹が空いたから」
「でも入って来れなくて天田と一緒に盗み聞きしていた、と。つか湊さん、潔いですね」
「ん? 斑鳩はいつから気付いてたんだ?」
「ゴミ捨てた時からです」
やはり気付いていなかったかと真田の質問に答えて、アマネは淹れ直した緑茶に口を付ける。冷めたお茶なんて飲めるものではない。
「それで、なんで飛び込んできたんだ?」
「あー、その、話の内容的に戻ろうと思ったんですけど、有里さんが飛び込もうって」
天田の説明に真田とアマネの視線が揃って親子丼を掻っ込んでいる有里へと向いた。ご飯粒一つ残さず食べ終えた有里は、視線に気付くと不思議そうに首を傾げる。
「あのタイミングで行かないと、アマネがドツボへ嵌まってたでしょ?」
「流石リーダー」
「流石リーダー」
「え? それで納得出来んのかぁ二人ともぉ⁉」
妙な賞賛をする二人とは逆にアマネは納得できなかった。
「アマネさんって一人でグルグル考え込む癖があるでしょう。それだったら、有里さんの案に乗っかった方がいいかなぁって。それに……アマネさんあのままだったらどんな結果になっても寮から出て行くつもりだったんじゃないですか?」
完全に否定出来ないのが悔しい。押し黙るアマネに真田もアマネがそのつもりだったと理解し、咎めるようにアマネを睨んだ。
「だ、だって嫌でしょう? 人殺しが同じ寮で暮らしてるって」
「オレは今まで通りでいいって言っただろ」
「真田先輩はそうですねぇ。でも他の人はどうなんだって話でしょう」
「ボクは、別にアマネさんが人殺しだとは思ってませんし」
「でも夕方ぁ!」
「アレは銃で撃たれたのに平然としてるアマネさんが気になってたんです。でも銃で撃たれるのってどんな感じですかとも聞けないじゃないですか!」
「気にしてた俺馬鹿みてぇ! 弾貫通してるし神経も傷ついてねぇから全然平気だぜぇ。どっちかっていうと散弾銃で撃たれた時のほうが困るっていうか……あれなぁ、散弾が肉の中に残るんだよなぁ」
「具体的に聞いたら夢に出てきそう!」
「二人とも、もう深夜なんだから声を抑えろ」
真田にたしなめられて天田と一緒に反省し、その場はもう遅いという事でお開きになった。アマネの処遇は結局グダグダなまま決まっていないが、少なくとも三人は別にアマネが居ても構わないらしい。
優しいのか現実味が無いだけなのかはよく分からなかった。
解熱剤を貰い忘れていたので痛みは無くとも熱が出る可能性があることに思い至り、氷嚢を作るのは面倒だったので保冷材は有っただろうかと冷凍庫を確認する。真田と天田はもう居ないが、有里だけがまだ鍋をチラチラと見て食べたそうにしていた。
「もうダメですよ。明日の弁当に仕込むんですから」
「じゃあホットミルクは?」
「そっちは飲んでいいです」
鍋から冷めかけたホットミルクの残りを注いでいる有里を背後に、アマネは手頃な保冷材を見つけて肩の傷へ押し当てる。しかしまずタオルを用意するべきだったようだ。
時計を確認すると影時間も近い。
「湊さん、電気お願いしていいですか?」
「んー、んーん」
一気飲みしながらの返事は何を言っているのかサッパリ分からない。
油膜が出来てしまうので放置せずにカップを洗い、有里は厨房の入口に居たアマネの元へ急いで近付いてくる。
「よし」
「何がよし、ですか何がぁ」
「寝よう」
「そうですね。そうでしょうとも」
「一緒に寝る?」
「寝ません」
「この前は一緒に寝たのに」
「誤解を生むような言い方止めてくれませんかねぇ。あれは不可抗力です」
「じゃあ、一緒に寝たいって言ったら寝てくれるの?」
「……余程親しい人じゃねぇと、近くに居られると寝れねぇんですよ俺」
「でもこの前は寝てた」
「……気絶だった気もするんですけどねぇ」
階段を昇りながらの小声での会話は、あんな事があったばかりだとしても子供のようで少し楽しかった。
人を撃った感触は消えている。
有里や真田が許してくれるなら、アマネは確かに幾月を撃ったけれど彼の死は転落死だと言い切ってもいいだろうか。そうすればアマネも桐条武治同様、実質人殺しではなくなる。
『斑鳩周』はまだ犯罪者にならなくていいのだろうか。
「……『兄さん』」
「なに?」
「あー……いえ、やっぱり何でもねぇです」
「一緒に寝る?」
「寝ねぇって言ってんじゃねぇですかぁ! っていうか肩の傷がアレなんでクッションで背凭れ作って寝るんですから、一緒とかまず無理ですって」
流石に背凭れ云々は嘘だが、然程広くないベッドで成長期も半ばの男子高校生が並んで眠るという時点で、狭くて肩の傷に響きそうである。せめて今日はちゃんとゆったりとしたベッドで寝たい。
有里は最後まで残念そうにしながら、自分の部屋へ戻っていった。