ペルソナ3
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十一月四日。
天井を見つめたままアマネは、左手を上へと掲げて指を鳴らす。指先に灯る炎は相変わらず小さく、その炎を消してこめかみへと手を当てる。
その二つの動作によって理解した状況に、アマネは起き上がって昨夜机の上に放置してしまった拳銃型の召喚器を見つめた。
ホルダーへ入っていることで全貌が見えるわけではないそれでも、アマネの複雑な心境を受け止めるのには充分で。
「……なんかなぁ」
学校に行く鞄の中へ、召喚器と昨夜人の腕を刺し貫いた武器を隠して、アマネは学校帰りの時間帯に電気屋で適当なノートパソコンを買って不良がたむろする路地裏へと向かった。
より確実さを求めるなら病院へ行ったほうが確実だったかもしれないが、アマネは生憎チドリの病室までは知らない。
ほぼ毎日、一日中ここへ居ると思われる不良へ尋ねる事三回。その内二回は返り討ちという暴力で終わり、三回目でやっと漠然とではあるが求めていた情報を手に入れた。
廃墟の一室、というには部屋の容貌を為していない空間に残る人の生活していた気配。コンビニ弁当のゴミや飲みかけのボトル。空薬莢と箱の中の銃弾。何処からとも無く繋がり今でも電気を供給しているコード。
路地裏やそこから遠くない駅前で、目撃証言が多かったのを覚えていて良かった。奇抜な格好のメンバーが居たことも人の記憶に残っていた理由だ。
まさかあの変な格好がこうしてアマネにアジトを発見される要因になるとはタカヤも思っていなかっただろう。そもそもアジトを探されるとすら考えていなかったのか。
電気屋で買ったノートパソコンに散らばるコードを繋ぎ、この場からは何が出来るのかを探る。埃っぽい床にそのまま座り込むのは少し気が引けたが、我儘も言っていられない。
予想外にここで出来ることは殆どなかった。思えばジンと昼間会った時も、ジンはネットカフェから出てきたところだったのである。ここでは集めた情報の整理しかしていなかったのかもしれない。
せめてタカヤ達が何を知っていて、何を考えてあんな行動をしていたのかが分かればと思ったが、アマネの考えは突飛過ぎたようだった。
舌打ちを零して埃臭いアジトから帰ろうとノートパソコンを閉じかけて、アマネはふと思いついてネットへ繋いでみる。
繋がった。
ではネットカフェへ行かずともここで操作が出来たはずだが、ジンは何をしていたのか。
「……『与えられた』んなら、『与えた』奴がいるんだよなぁ?」
そこには居ないジンへ話し掛けるように呟いて、アマネは桐条のサーバへのハッキングを試みる。
シャドウとの対決が終わったにしては戻ってこない『イブリス』と『×××』
その謎を解くには、ハッキリしていないストレガの行動理由しか糸口が思い付かなかった。
パソコンの画面からの明かりだけが光源になっているその場所で、アマネはキーボードを叩く手を止めて腕を組む。画面からの光がアマネの全身を青白く浮かび上がらせているが、それを見る者も知る者もその場にはいない。アマネも気にするどころか気付くことなく息を吐く。
画面に映し出される文字の羅列は、ペルソナの人工的生成にあたり人体実験が行われたという証拠だ。
数多の子供も犠牲になっているその計画。ジン達がこの関係者だったのだろう事は、少し考えれば嫌でも察することが出来た。
孤児院や施設から、時にはおそらく違法な人身売買で集められた子供をも使い、ペルソナ使いを人工的に作り上げる実験。その過程では当然『失敗例』や『中途辞退者』も居たのだろう。
現在は行われていないのか名簿は消滅している。残っていたとしてもデータ破損が著しく見ることは出来なかった。
メモリーカードも買っておけばよかったと思いながら、画面をスクロールしていく。
誰かの報告書なのか子供達の実験による健康被害などを纏めた資料で、制御剤による副作用のパターンがいくつか書かれていた。吐血、体温低下。不眠、拒食。精神の不安定化。
「……あれ、この資料」
ふと、アマネがそれに気付いたところで画面が消える。
コードかパソコンに何かあったのかと周囲を見回し、壁に数刻前までは確かに無かった血の染みが現れ周囲が不気味な緑色に発光しているのを見て、腕時計を確認した。
午前零時で止まった時計。ガラスのない窓の外から聞こえる鐘の音は、タルタロスからだった。
ポケットに入れていた携帯を確認しようと思ったが影時間なので意味が無い。学校帰りでサイレントモードにしていたのが仇になった。
アマネは立ち上がりながらノートパソコンに繋げていたコードを急いで引き抜き、閉じたパソコンを抱えてかつてはストレガのアジトだった廃墟を飛び出す。道に佇む無機質な棺をいくつも追い越し、途中の海でノートパソコンを投げ捨てた。
酷い証拠隠滅もあったものだが、ストレガの拠点へ置いておくわけにもいかず、かといって何処かへ隠すにも時間が惜しい。データを保存していた訳ではないので、パソコン自体をスクラップにしてしまうのが一番早かった。
行き先は誰とも連絡の取れない今、アマネは自分の経験則と勘に頼るしかない。
寮へ戻って他の皆と合流するか、このままタルタロスヘ向かうか。ただし、今居る場所は巌戸台分寮よりタルタロスヘ近い。
アマネが向かう事を選んだ先は、当然タルタロスだった。
路上の棺が象徴化した人であることを邪魔だからと一つ蹴飛ばしてから思い出して、だが割れてはいなかったし大丈夫だろうと思い直して走る。
そうして向かった先のタルタロスでは、入口で倒れている真田達とそれを見下ろしているアイギス。
そして幾月を見つけた。
鞄の中から取り出したナイフを構えるのと、アイギスが反応して指先の銃口をアマネへ向けてくるのは、少しだけアマネのほうが早い。
銃声を聞いてやっとアマネが、正確には誰かは分かっていなかっただろうが何者かが来たことに気付いた幾月が、いやに冷めた目で銃弾を避けるアマネを見ようとしている。それを見て、影時間になる寸前に見た名前は間違っていなかったのだという事と、自分達が騙されていた事をアマネは確信した。
障害も無い代わりに遮蔽物も壁に出来るようなものも無い場所では、逃げ回っているしか出来ない。だがそれは不利な状況だ。
だからアマネはタイミングを見計らって銃弾を避ける為に走り続けていた脚を止め、アイギスへ対峙するように片足を踏み込んで目を見開いた。
右手に握ったナイフで逸らした銃弾が、コンクリートの地面へ落下して軽やかな音を立てる。
「……驚いた。銃弾を弾くなんて凄い芸当だねえ」
全くそうは思っていない風情で口にする幾月を見れば、幾月と目が合った。
「説明を求めてもよろしいでしょうか」
「え? ああ、いいよ。君達の今までの戦いはね、十二のシャドウという『破片』を集めて、究極の存在『デス』を呼び起し絶望に満ちたこの世界に『全ての終わり』という救済を……」
「あ、もういいです。とりあえず理事長が俺の嫌いなタイプらしいことが分かれば充分です」
饒舌に語りそうな幾月の台詞を遮り、アマネは鞄から召喚器を取り出す。本当はホルダーベルトも装着したいところだったが、そんな時間はくれないだろう。
相対するアイギスを見やればアイギスの目には光が無く、おそらく思考回路を弄られ自立思考が出来ないようにされている。今のアイギスは幾月の『道具』だと理解して、今まで一緒にタルタロスの探索に赴いた時に聞いたアイギスの兵備を急いで思い出した。
勝てる気がしない。
いや、多分本気を出せば勝てるのだ。その代わりアイギスを破壊しそれを幾月に目撃されてしまうというリスクがあるだけで。
アイギスの背後では有里達が倒れている。幾月は有里達の更に向こう。
銃弾による遠距離攻撃を得意とするアイギスを出し抜いて幾月を気絶させ、アイギスをデータも残せない程度に破壊。目標はそんなところか。
弾のない拳銃でも最低限数発の弾除けにはなるだろう。召喚器だから武器ではないとむりやり思い込み、内心で親友と弟に謝罪しながらアマネは召喚器を本来の利き手である左で構えた。
ナイフを左手へ持ち直さないのは、最後の矜持だ。
「うーん……」
ナイフと拳銃型召喚器を構えたアマネを見て、幾月が考え込む。アイギスへの命令はまだ与えられていない。
「斑鳩君ってさ、少年兵だったりするの?」
「はぁ?」
アマネにとっては気の抜ける質問だったが、幾月は真剣そうだった。どうしてそう思ったのかは分からない。
その疑問が雰囲気に出たのか、幾月は両手を広げて説明してくれた。
「だってさ、君だけなんだよ。初めての影時間でも怯える事無くタルタロスでも冷静に動いて、慣れない筈の武器を的確に振り回せてたの。流石に荒垣君が死んだ時は動揺したみたいだけど、昨日のシャドウ前のストレガとの戦いだって、顔色一つ変えずに人の腕を使えなくしてたじゃない」
今までも笑顔の裏で観察していたのか、更にはアイギスを通しても監視をしていたらしい。元研究者らしい観察眼は、狂った思考に犯されてしまってからも有効だったと感心するべきか。
「シャドウじゃないよ人の腕だ。普通はあるはずの罪悪感や恐怖心が無かった。他にも色々不審なことはあるけど、昨日のそれは決定的だった。今日だって君だけ遅れてきたってことは別行動で何かしていたんだろう?」
「やだなぁ幾月さん。こんないたいけな高校生が少年兵だとか。……それにアンタなら、俺の経歴はとっくに調べてんだろぉ。少年兵だとかふざけた妄想も出来ねぇほど真っ白な経歴をなぁ」
「そうだね。君の経歴は極々普通だったよ」
当たり前だ、と内心で悪態を吐く。アマネの特異な部分は『斑鳩 周』ではなくその根幹にある。
しかしそれを教えてやるほどアマネは親切ではないし、幾月にそれを教える価値があるとも思っていない。
知っているのは有里だけで充分だ。
「でも桐条財閥なら、人一人の経歴なんてどうとでも出来るだろう?」
「何が言いてぇ?」
「君は総帥が送り込んだスパイなのかい?」
今生で産まれてこの方、一番笑えるジョークだった。
一拍置いて噴出しそうになるのを腹筋と口周りの筋肉で堪える羽目になり、少し涙まで出たのを自覚する。幾月のほうはそんなアマネを見ても考えを撤回するつもりはないらしく到って真剣で、それが更に笑いを誘うという悪循環。
靴の下で小石を踏みつけて、アマネはチラリとアイギスを見る。
「……OK 折角の提案だけどそれはキッパリ否定させてもらうぜぇ」
「違うのかい? じゃあ君は」
「ただの高校生です、ねぇっ!」
言い切ると同時に小石を思い切りアイギスの方へと蹴り飛ばす。手で払うように防いだアイギスが体勢を直す前に、走り出してアマネは一直線に幾月へと向かった。
思考回路が働いていないなら、命令を出す幾月をどうにかしてしまえばアイギスは動かない。だから先に片付けるのは幾月である。
途中で倒れている有里達を間違ってもアイギスが攻撃しないように、アマネは幾月のいる階段からも有里達からもだいぶ離れたところで地面を踏み切った。足首が少し悲鳴をあげたが、『×××』が離れても無くならなかった脚力を出し惜しみせずに高く。
見上げるほど高く飛び上がってそこから幾月へと襲い掛かる。
銃声。
「っ、くそ」
着地と同時のバックステップは一歩間違えればバランスを崩して転んでいた。銃弾が掠めたせいで出来た顔の傷が滲むように痛い。
尻餅を突いた幾月の手には、銃口の熱が冷めやらない拳銃。
「ははっ、凄いなぁ斑鳩君!」
「あの至近距離で外すアンタの腕のほうが凄げぇですよ」
「アイギス! 彼を捕縛しろ! 抵抗されたら撃っても構わない!」
「了解しました」
「げぇっ!」
アイギスが銃口である両手の指先をアマネへ向ける前に、アマネは更に後ろへと逃げる。今の装備で連射を防ぎきる自信は無かったし、アマネが居た場所ではまだ跳弾が有里達に当たる危険があった。
腕輪が、そうでなくとも死ぬ気の炎が使えれば良かったとしみじみと思う。しかしアマネが『シルビ』だった頃には死ぬ気の炎がなくともどうにか出来ていたのだから、単に横着を覚え腕が鈍ったのかもしれなかった。
遮蔽物が一切無いのが痛いところだ。いっそのこと校門の外へ出るのも案だが、外には外で壊す事を推奨できない棺が並んでいるし、見えない場所へ行っている間に倒れている有里達へ何かされても困る。
カチン、と音がしてアイギスの弾が切れたのだと気付いた。補充までの時間は何秒だったか。
左手に召喚器を持ったまま、アマネは指を鳴らす動作をする。物を持っているので音が出ないのは承知の上だったが、どうせ重要なのは動作だ。
指先へ灯る藍色の炎で召喚器の銃身をなぞる。ハッタリなので一度効果があればいい。消えた藍色の炎を確認して、今度は青色の炎で右手のナイフの刀身をなぞる。
弾が装填される重めの音がしてアイギスが再び向かってきた。銃弾は出来るだけ防がずに躱して、押さえつけるように飛び掛ってきたのを避けずに背中から倒れ込む。
「捕縛、完了しま――」
「悪ぃなぁ。アイギス」
左手に持っていた召喚器をアイギスの額へと向ける。だがアイギスはそれが召喚器で弾の出るものではないと分かっているので退く事もしない。
アマネの人差し指が、ペルソナを召喚する時のように引き鉄を引いた。
「っ⁉」
「信じてるよ。これじゃ壊れねぇって」
額を直撃した反動で仰け反るアイギスの身体を、右手のナイフで切りつける。
動かなくなった身体を横へ押し退けてアマネは立ち上がった。
藍色の炎で作った弾丸で隙を作り、沈静の効果がある青色の炎でアイギスの動きを止める。極々小さな炎では不安だったが、相手が油断していた事もあって助かった。
けれども青色の炎の効果によるアイギスの足止めは炎が小さいこともあり保って十数秒。息を吐く間も無く立ち上がったアマネが向かってくる姿に、幾月が顔を青くする。
「これは……⁉」
だから互いに、この状況を一変させる第三者の声には動きが止まった。
校門のところへ美鶴の父親である武治が立っている。影時間で車のような移動手段が無い為自力で来たのか、少し息が上がっていた。
幾月の口元が歪む。
上げられる銃口にアマネは咄嗟に進路を変える。幾月に背中を向けてしまうことに関しては考えていなかった。
天井を見つめたままアマネは、左手を上へと掲げて指を鳴らす。指先に灯る炎は相変わらず小さく、その炎を消してこめかみへと手を当てる。
その二つの動作によって理解した状況に、アマネは起き上がって昨夜机の上に放置してしまった拳銃型の召喚器を見つめた。
ホルダーへ入っていることで全貌が見えるわけではないそれでも、アマネの複雑な心境を受け止めるのには充分で。
「……なんかなぁ」
学校に行く鞄の中へ、召喚器と昨夜人の腕を刺し貫いた武器を隠して、アマネは学校帰りの時間帯に電気屋で適当なノートパソコンを買って不良がたむろする路地裏へと向かった。
より確実さを求めるなら病院へ行ったほうが確実だったかもしれないが、アマネは生憎チドリの病室までは知らない。
ほぼ毎日、一日中ここへ居ると思われる不良へ尋ねる事三回。その内二回は返り討ちという暴力で終わり、三回目でやっと漠然とではあるが求めていた情報を手に入れた。
廃墟の一室、というには部屋の容貌を為していない空間に残る人の生活していた気配。コンビニ弁当のゴミや飲みかけのボトル。空薬莢と箱の中の銃弾。何処からとも無く繋がり今でも電気を供給しているコード。
路地裏やそこから遠くない駅前で、目撃証言が多かったのを覚えていて良かった。奇抜な格好のメンバーが居たことも人の記憶に残っていた理由だ。
まさかあの変な格好がこうしてアマネにアジトを発見される要因になるとはタカヤも思っていなかっただろう。そもそもアジトを探されるとすら考えていなかったのか。
電気屋で買ったノートパソコンに散らばるコードを繋ぎ、この場からは何が出来るのかを探る。埃っぽい床にそのまま座り込むのは少し気が引けたが、我儘も言っていられない。
予想外にここで出来ることは殆どなかった。思えばジンと昼間会った時も、ジンはネットカフェから出てきたところだったのである。ここでは集めた情報の整理しかしていなかったのかもしれない。
せめてタカヤ達が何を知っていて、何を考えてあんな行動をしていたのかが分かればと思ったが、アマネの考えは突飛過ぎたようだった。
舌打ちを零して埃臭いアジトから帰ろうとノートパソコンを閉じかけて、アマネはふと思いついてネットへ繋いでみる。
繋がった。
ではネットカフェへ行かずともここで操作が出来たはずだが、ジンは何をしていたのか。
「……『与えられた』んなら、『与えた』奴がいるんだよなぁ?」
そこには居ないジンへ話し掛けるように呟いて、アマネは桐条のサーバへのハッキングを試みる。
シャドウとの対決が終わったにしては戻ってこない『イブリス』と『×××』
その謎を解くには、ハッキリしていないストレガの行動理由しか糸口が思い付かなかった。
パソコンの画面からの明かりだけが光源になっているその場所で、アマネはキーボードを叩く手を止めて腕を組む。画面からの光がアマネの全身を青白く浮かび上がらせているが、それを見る者も知る者もその場にはいない。アマネも気にするどころか気付くことなく息を吐く。
画面に映し出される文字の羅列は、ペルソナの人工的生成にあたり人体実験が行われたという証拠だ。
数多の子供も犠牲になっているその計画。ジン達がこの関係者だったのだろう事は、少し考えれば嫌でも察することが出来た。
孤児院や施設から、時にはおそらく違法な人身売買で集められた子供をも使い、ペルソナ使いを人工的に作り上げる実験。その過程では当然『失敗例』や『中途辞退者』も居たのだろう。
現在は行われていないのか名簿は消滅している。残っていたとしてもデータ破損が著しく見ることは出来なかった。
メモリーカードも買っておけばよかったと思いながら、画面をスクロールしていく。
誰かの報告書なのか子供達の実験による健康被害などを纏めた資料で、制御剤による副作用のパターンがいくつか書かれていた。吐血、体温低下。不眠、拒食。精神の不安定化。
「……あれ、この資料」
ふと、アマネがそれに気付いたところで画面が消える。
コードかパソコンに何かあったのかと周囲を見回し、壁に数刻前までは確かに無かった血の染みが現れ周囲が不気味な緑色に発光しているのを見て、腕時計を確認した。
午前零時で止まった時計。ガラスのない窓の外から聞こえる鐘の音は、タルタロスからだった。
ポケットに入れていた携帯を確認しようと思ったが影時間なので意味が無い。学校帰りでサイレントモードにしていたのが仇になった。
アマネは立ち上がりながらノートパソコンに繋げていたコードを急いで引き抜き、閉じたパソコンを抱えてかつてはストレガのアジトだった廃墟を飛び出す。道に佇む無機質な棺をいくつも追い越し、途中の海でノートパソコンを投げ捨てた。
酷い証拠隠滅もあったものだが、ストレガの拠点へ置いておくわけにもいかず、かといって何処かへ隠すにも時間が惜しい。データを保存していた訳ではないので、パソコン自体をスクラップにしてしまうのが一番早かった。
行き先は誰とも連絡の取れない今、アマネは自分の経験則と勘に頼るしかない。
寮へ戻って他の皆と合流するか、このままタルタロスヘ向かうか。ただし、今居る場所は巌戸台分寮よりタルタロスヘ近い。
アマネが向かう事を選んだ先は、当然タルタロスだった。
路上の棺が象徴化した人であることを邪魔だからと一つ蹴飛ばしてから思い出して、だが割れてはいなかったし大丈夫だろうと思い直して走る。
そうして向かった先のタルタロスでは、入口で倒れている真田達とそれを見下ろしているアイギス。
そして幾月を見つけた。
鞄の中から取り出したナイフを構えるのと、アイギスが反応して指先の銃口をアマネへ向けてくるのは、少しだけアマネのほうが早い。
銃声を聞いてやっとアマネが、正確には誰かは分かっていなかっただろうが何者かが来たことに気付いた幾月が、いやに冷めた目で銃弾を避けるアマネを見ようとしている。それを見て、影時間になる寸前に見た名前は間違っていなかったのだという事と、自分達が騙されていた事をアマネは確信した。
障害も無い代わりに遮蔽物も壁に出来るようなものも無い場所では、逃げ回っているしか出来ない。だがそれは不利な状況だ。
だからアマネはタイミングを見計らって銃弾を避ける為に走り続けていた脚を止め、アイギスへ対峙するように片足を踏み込んで目を見開いた。
右手に握ったナイフで逸らした銃弾が、コンクリートの地面へ落下して軽やかな音を立てる。
「……驚いた。銃弾を弾くなんて凄い芸当だねえ」
全くそうは思っていない風情で口にする幾月を見れば、幾月と目が合った。
「説明を求めてもよろしいでしょうか」
「え? ああ、いいよ。君達の今までの戦いはね、十二のシャドウという『破片』を集めて、究極の存在『デス』を呼び起し絶望に満ちたこの世界に『全ての終わり』という救済を……」
「あ、もういいです。とりあえず理事長が俺の嫌いなタイプらしいことが分かれば充分です」
饒舌に語りそうな幾月の台詞を遮り、アマネは鞄から召喚器を取り出す。本当はホルダーベルトも装着したいところだったが、そんな時間はくれないだろう。
相対するアイギスを見やればアイギスの目には光が無く、おそらく思考回路を弄られ自立思考が出来ないようにされている。今のアイギスは幾月の『道具』だと理解して、今まで一緒にタルタロスの探索に赴いた時に聞いたアイギスの兵備を急いで思い出した。
勝てる気がしない。
いや、多分本気を出せば勝てるのだ。その代わりアイギスを破壊しそれを幾月に目撃されてしまうというリスクがあるだけで。
アイギスの背後では有里達が倒れている。幾月は有里達の更に向こう。
銃弾による遠距離攻撃を得意とするアイギスを出し抜いて幾月を気絶させ、アイギスをデータも残せない程度に破壊。目標はそんなところか。
弾のない拳銃でも最低限数発の弾除けにはなるだろう。召喚器だから武器ではないとむりやり思い込み、内心で親友と弟に謝罪しながらアマネは召喚器を本来の利き手である左で構えた。
ナイフを左手へ持ち直さないのは、最後の矜持だ。
「うーん……」
ナイフと拳銃型召喚器を構えたアマネを見て、幾月が考え込む。アイギスへの命令はまだ与えられていない。
「斑鳩君ってさ、少年兵だったりするの?」
「はぁ?」
アマネにとっては気の抜ける質問だったが、幾月は真剣そうだった。どうしてそう思ったのかは分からない。
その疑問が雰囲気に出たのか、幾月は両手を広げて説明してくれた。
「だってさ、君だけなんだよ。初めての影時間でも怯える事無くタルタロスでも冷静に動いて、慣れない筈の武器を的確に振り回せてたの。流石に荒垣君が死んだ時は動揺したみたいだけど、昨日のシャドウ前のストレガとの戦いだって、顔色一つ変えずに人の腕を使えなくしてたじゃない」
今までも笑顔の裏で観察していたのか、更にはアイギスを通しても監視をしていたらしい。元研究者らしい観察眼は、狂った思考に犯されてしまってからも有効だったと感心するべきか。
「シャドウじゃないよ人の腕だ。普通はあるはずの罪悪感や恐怖心が無かった。他にも色々不審なことはあるけど、昨日のそれは決定的だった。今日だって君だけ遅れてきたってことは別行動で何かしていたんだろう?」
「やだなぁ幾月さん。こんないたいけな高校生が少年兵だとか。……それにアンタなら、俺の経歴はとっくに調べてんだろぉ。少年兵だとかふざけた妄想も出来ねぇほど真っ白な経歴をなぁ」
「そうだね。君の経歴は極々普通だったよ」
当たり前だ、と内心で悪態を吐く。アマネの特異な部分は『斑鳩 周』ではなくその根幹にある。
しかしそれを教えてやるほどアマネは親切ではないし、幾月にそれを教える価値があるとも思っていない。
知っているのは有里だけで充分だ。
「でも桐条財閥なら、人一人の経歴なんてどうとでも出来るだろう?」
「何が言いてぇ?」
「君は総帥が送り込んだスパイなのかい?」
今生で産まれてこの方、一番笑えるジョークだった。
一拍置いて噴出しそうになるのを腹筋と口周りの筋肉で堪える羽目になり、少し涙まで出たのを自覚する。幾月のほうはそんなアマネを見ても考えを撤回するつもりはないらしく到って真剣で、それが更に笑いを誘うという悪循環。
靴の下で小石を踏みつけて、アマネはチラリとアイギスを見る。
「……OK 折角の提案だけどそれはキッパリ否定させてもらうぜぇ」
「違うのかい? じゃあ君は」
「ただの高校生です、ねぇっ!」
言い切ると同時に小石を思い切りアイギスの方へと蹴り飛ばす。手で払うように防いだアイギスが体勢を直す前に、走り出してアマネは一直線に幾月へと向かった。
思考回路が働いていないなら、命令を出す幾月をどうにかしてしまえばアイギスは動かない。だから先に片付けるのは幾月である。
途中で倒れている有里達を間違ってもアイギスが攻撃しないように、アマネは幾月のいる階段からも有里達からもだいぶ離れたところで地面を踏み切った。足首が少し悲鳴をあげたが、『×××』が離れても無くならなかった脚力を出し惜しみせずに高く。
見上げるほど高く飛び上がってそこから幾月へと襲い掛かる。
銃声。
「っ、くそ」
着地と同時のバックステップは一歩間違えればバランスを崩して転んでいた。銃弾が掠めたせいで出来た顔の傷が滲むように痛い。
尻餅を突いた幾月の手には、銃口の熱が冷めやらない拳銃。
「ははっ、凄いなぁ斑鳩君!」
「あの至近距離で外すアンタの腕のほうが凄げぇですよ」
「アイギス! 彼を捕縛しろ! 抵抗されたら撃っても構わない!」
「了解しました」
「げぇっ!」
アイギスが銃口である両手の指先をアマネへ向ける前に、アマネは更に後ろへと逃げる。今の装備で連射を防ぎきる自信は無かったし、アマネが居た場所ではまだ跳弾が有里達に当たる危険があった。
腕輪が、そうでなくとも死ぬ気の炎が使えれば良かったとしみじみと思う。しかしアマネが『シルビ』だった頃には死ぬ気の炎がなくともどうにか出来ていたのだから、単に横着を覚え腕が鈍ったのかもしれなかった。
遮蔽物が一切無いのが痛いところだ。いっそのこと校門の外へ出るのも案だが、外には外で壊す事を推奨できない棺が並んでいるし、見えない場所へ行っている間に倒れている有里達へ何かされても困る。
カチン、と音がしてアイギスの弾が切れたのだと気付いた。補充までの時間は何秒だったか。
左手に召喚器を持ったまま、アマネは指を鳴らす動作をする。物を持っているので音が出ないのは承知の上だったが、どうせ重要なのは動作だ。
指先へ灯る藍色の炎で召喚器の銃身をなぞる。ハッタリなので一度効果があればいい。消えた藍色の炎を確認して、今度は青色の炎で右手のナイフの刀身をなぞる。
弾が装填される重めの音がしてアイギスが再び向かってきた。銃弾は出来るだけ防がずに躱して、押さえつけるように飛び掛ってきたのを避けずに背中から倒れ込む。
「捕縛、完了しま――」
「悪ぃなぁ。アイギス」
左手に持っていた召喚器をアイギスの額へと向ける。だがアイギスはそれが召喚器で弾の出るものではないと分かっているので退く事もしない。
アマネの人差し指が、ペルソナを召喚する時のように引き鉄を引いた。
「っ⁉」
「信じてるよ。これじゃ壊れねぇって」
額を直撃した反動で仰け反るアイギスの身体を、右手のナイフで切りつける。
動かなくなった身体を横へ押し退けてアマネは立ち上がった。
藍色の炎で作った弾丸で隙を作り、沈静の効果がある青色の炎でアイギスの動きを止める。極々小さな炎では不安だったが、相手が油断していた事もあって助かった。
けれども青色の炎の効果によるアイギスの足止めは炎が小さいこともあり保って十数秒。息を吐く間も無く立ち上がったアマネが向かってくる姿に、幾月が顔を青くする。
「これは……⁉」
だから互いに、この状況を一変させる第三者の声には動きが止まった。
校門のところへ美鶴の父親である武治が立っている。影時間で車のような移動手段が無い為自力で来たのか、少し息が上がっていた。
幾月の口元が歪む。
上げられる銃口にアマネは咄嗟に進路を変える。幾月に背中を向けてしまうことに関しては考えていなかった。