ペルソナ3
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銀色の髪の感触は何度繰り返した今でも覚えている。その時の『アマネ』はそれで満足だった。
時計の針は帰宅した時に見た時間から数時間後を示していて、見慣れた机の上には無造作にアマネの通学鞄が置かれている。腕を上げると上着は脱がされていたものの制服のままで、髪を縛っていたゴムが枕の横へ放置されていた。
横を向いた途端に額へ置かれていたらしい濡れタオルが落ちる。それを拾いながら起き上がって、アマネは壁へ寄りかかった。
きっと誰かが運んでくれたのだろうというのは分かるが、そうなると候補者は真田で、最近の拒食気味でただでさえ軽い体重が更に落ちていることがばれた気がする。人間としてあるには少しおかしい体重しかないのだから、どうやって誤魔化せばいいのか見当もつかない。
とりあえず着替えるか、とアマネがベッドから降りようとしたところで、部屋のドアがノックされた。
「どうぞ」
「……起きた?」
控えめに開かれたドアの隙間から、有里が顔を覗かせる。頷きを返すと更に隙間を広げて身体を滑り込ませた有里の手には、土鍋の乗ったお盆。
どうやらアマネの為に作ってくれたらしい。
「食欲ある?」
「少しなら」
あるようには思えなかったが、親切を台無しにするのも憚られてアマネは頷いた。有里が風邪を引いた時アマネがそうした様に、胡坐を掻いたアマネの膝の上へお盆ごと土鍋が置かれる。
匙を握って、蓋を開けた途端に広がった雑炊の匂いに、アマネは暫く悩んでから結局蓋を戻した。
「すみません……やっぱり後にします」
「気持ち悪い?」
答えられずに口を手で押さえる。有里がお盆を机の上へと移動してくれたので、そのまま背中を丸めるように突っ伏した。戻ってきた有里の手が背中を擦っている。
吐きに行きたいけれど胃の中に吐くものが何も無い。あるとしても胃液程度で、それを吐いても楽にはなれないし、むしろ食道を焼いてじくじくとした痛みを生むだけだと分かっている。
それでも何かを吐き出してしまいたい衝動に、アマネは実のところ何を吐き出してしまえばいいのか分かっていた。けれども吐き出せないし吐き出したくないという気持ちもある。
ベッドへ座った有里が身体を捻って振り返りながら、アマネの解けている髪を梳く。
「何か悩んでる?」
いつだったかにも聞いた言葉が、有里の口から零れる。
「……悩んでは、ないです」
「うそ」
間髪置かず否定されて、アマネが横を向いて有里を見ると、有里はちょっとだけおかしそうに微笑んでいた。
「話してよ。聞きたい」
「……聞いてどうするつもりですか」
「分からない。でもアマネが話すことで楽になれたら、オレがそれを聞いた意味は有るよ」
有里が入ってくる時に明かりをつけなかったせいで暗いままの部屋。今更そんな部屋で雑炊を食わせようとしていたのだと思い至る。夜目は利くほうなので別に構わないが。
「今度はちゃんと気付けたから、聞きたい」
そりゃあ、こんな憔悴して倒れるほどになれば誰だって気付けるというものだ。寮の誰かが今のアマネの様になっていればアマネだって気付ける自信はある。たとえ隠していたとしても。
身体を起こして有里を見る。有里は暗闇の中でもアマネを見つめていた。
「……そんな、簡単に話せることじゃない」
有里の視線から逃げるように、アマネは壁へと目を向ける。
ポスターも何も貼っていない壁は年季の入った古臭さをしてはいるけれど、日焼けもせず埃がついていることもない。
簡単に話せることである訳がなかった。同じような経験をした者も今までおらず、共感を求めることだって出来ない。
かつてアマネの『鏡』だった男なら、多少は共感出来ていたけれど。
しかし有里はアマネの『鏡』とは違う。
「湊さんじゃ、聞いても損するだけですよ」
「……じゃあ、荒垣さんだったら良かった?」
「あの人は……。あの人は、きっと聞いても聞かなかった事にもしてくれたと思う。損とか得とか、そういうんじゃなくて、受け入れることの大変さを知ってるし、俺とあの人は似てたから……」
尻すぼみになる声に、彼が路地裏で倒れていた姿がフラッシュバックする。
血塗れの姿で抱き起こされ満足そうに笑った荒垣が、『あの時』のアマネに似ていたからこそ、アマネは気付いてしまって。
重ねることがおこがましいとしても、そう思ってしまった。
「荒垣さんが、オレにアマネの相談に乗ってやれって言った時」
有里の事を名前で呼ぶようになった切っ掛けの日の前のことだろう。もう随分と前のように思えるが、まだ一ヶ月と経っていない。
「『聞いてるフリだけもいい』って言ってた。『悩みを理解してやれずとも、口にする機会を作ってやるだけでも違うもんだ』って」
荒垣らしい言葉だとアマネは思った。有里は少し俯いて言葉を切って、それから壁へ寄り掛かっているアマネの手を握る。
「でもオレは的確なアドバイスが出来なくても、アマネの言う通り損にしかならないことだとしても、アマネの話を聞きたい。だってアマネは、オレの『弟』だ。オレが理解出来なくてもいい。聞きたいだけ」
有里に掴まれた手に伝わる温もりが、冷えた肌を温めていく。
その温もりに似たものを、アマネはちゃんと覚えていた。
ボロ、とアマネの眼から零れた涙にこの暗闇のなかでも気付いたのか、有里が枕元へ放置されていた濡れタオルをアマネの手を掴むのとは逆の手で取ろうとする。
その動きを止めるように、アマネは口を開いた。
「全部、吐き出させてください――『兄さん』」
『×××』の事から始まり、何度も転生を繰り返していること。
第一の人生。銀髪の弟と親友、そのファミリー。死ぬ気の炎。
第二の人生。親友の兄の子孫と自分の墓。正反対のようでそうではない『鏡』の存在。
第三の人生と異世界。組織と忘れていたもの。曖昧な少年。ズタボロになって死んだ自分。
第四の人生で知り合った朱色の弟分。
第五の人生で、初めて自分を『弟』と言った有里へ出会ったこと。
そして、最初の人生で弟達を庇って『死んだ』瞬間。
一度話し出してしまえば、言葉は溢れるように出てきて止まらなかった。
有里は時々単語の意味を尋ねたり相槌を打ったりする他はずっとアマネを見つめていて、何を考えていたのかは読めない。ただ一度も繋いだ手が離されることは無く、それだけでアマネは酷く安心した。
「……荒垣さんが死んだ時、俺は自分が弟を庇って死んだ時を思い出した。勝手に庇って、勝手に未来を託して、勝手に死ぬなんて俺のやったことと変わりない。あの人も俺も満足して死んだけれど、残された奴等が満足していて良かったで済む訳がないことを、俺は考えた事がなかった」
生きている今でさえ、アマネのことを心配してくれる人が居るというのなら。
「悲しませたく無いと思ってたのに、結局悲しませてたことに気付いたんだ」
シルビという男が死ぬ時、弟のココディーロは『笑え』という願いを聞き届けてくれたけれど、死んだ後は泣いていたのではないかと今なら考えられる。
だって荒垣の幼馴染だった真田も、復讐心で殺そうとしていた天田も、実質二ヶ月程度の付き合いでしかない山岸や岳羽、伊織だって悲しんでいた。
悲しまないで欲しいという願いは、叶っていない。
それを、アマネは荒垣の最期の姿を見て気付いてしまった。
「俺は……、俺達の行動は、自己満足でしかなかっ……」
手を掴んで引っ張られてアマネは壁から身を離す。逆側へ傾いだ身体はそこへいた有里へ抱き止められた。部屋着らしいティシャツ越しに、有里の心音が聞こえる。
「自己満足は、悪いことじゃないと思う」
至近距離から有里の声。
「少なくとも、アマネも荒垣さんもオレは好きだよ。自己満足で何をしたって、二人が優しくて仕方がない人だってことは分かる」
そんな事を言える有里のほうが、アマネにはやさしい人のように思えた。
「だから、自己満足でいい。泣きはしてもアマネを責める人なんて誰もいない。むしろアマネがそうして悲しむほうがイヤだ」
影時間になったのか空調や秒針の音が止み、アマネの耳には有里の呼吸と心臓の鼓動しか聞こえなくなる。
背中へ回された手が動いてアマネの頭を撫でた。
「笑っててよ。そのほうが嬉しい」
「……いきなり、笑えなん、て、無理、ですよ。これでも、男、なんです、から……」
「『弟』は『兄』のお願いを聞かないと駄目。それにアマネだって、弟さんにそう言ったくせに」
「……っ、そう、です、ね……」
「謝らないで」
有里の服をきつく握り締めて、アマネは有里の肩へ目元を押し付ける。滲んだ涙が有里の服へと沁み込んでいき、それでもアマネの涙腺はボロボロと涙を溢れさせて、アマネを懐かしいほどに幼い気持ちへさせた。
時計の針は帰宅した時に見た時間から数時間後を示していて、見慣れた机の上には無造作にアマネの通学鞄が置かれている。腕を上げると上着は脱がされていたものの制服のままで、髪を縛っていたゴムが枕の横へ放置されていた。
横を向いた途端に額へ置かれていたらしい濡れタオルが落ちる。それを拾いながら起き上がって、アマネは壁へ寄りかかった。
きっと誰かが運んでくれたのだろうというのは分かるが、そうなると候補者は真田で、最近の拒食気味でただでさえ軽い体重が更に落ちていることがばれた気がする。人間としてあるには少しおかしい体重しかないのだから、どうやって誤魔化せばいいのか見当もつかない。
とりあえず着替えるか、とアマネがベッドから降りようとしたところで、部屋のドアがノックされた。
「どうぞ」
「……起きた?」
控えめに開かれたドアの隙間から、有里が顔を覗かせる。頷きを返すと更に隙間を広げて身体を滑り込ませた有里の手には、土鍋の乗ったお盆。
どうやらアマネの為に作ってくれたらしい。
「食欲ある?」
「少しなら」
あるようには思えなかったが、親切を台無しにするのも憚られてアマネは頷いた。有里が風邪を引いた時アマネがそうした様に、胡坐を掻いたアマネの膝の上へお盆ごと土鍋が置かれる。
匙を握って、蓋を開けた途端に広がった雑炊の匂いに、アマネは暫く悩んでから結局蓋を戻した。
「すみません……やっぱり後にします」
「気持ち悪い?」
答えられずに口を手で押さえる。有里がお盆を机の上へと移動してくれたので、そのまま背中を丸めるように突っ伏した。戻ってきた有里の手が背中を擦っている。
吐きに行きたいけれど胃の中に吐くものが何も無い。あるとしても胃液程度で、それを吐いても楽にはなれないし、むしろ食道を焼いてじくじくとした痛みを生むだけだと分かっている。
それでも何かを吐き出してしまいたい衝動に、アマネは実のところ何を吐き出してしまえばいいのか分かっていた。けれども吐き出せないし吐き出したくないという気持ちもある。
ベッドへ座った有里が身体を捻って振り返りながら、アマネの解けている髪を梳く。
「何か悩んでる?」
いつだったかにも聞いた言葉が、有里の口から零れる。
「……悩んでは、ないです」
「うそ」
間髪置かず否定されて、アマネが横を向いて有里を見ると、有里はちょっとだけおかしそうに微笑んでいた。
「話してよ。聞きたい」
「……聞いてどうするつもりですか」
「分からない。でもアマネが話すことで楽になれたら、オレがそれを聞いた意味は有るよ」
有里が入ってくる時に明かりをつけなかったせいで暗いままの部屋。今更そんな部屋で雑炊を食わせようとしていたのだと思い至る。夜目は利くほうなので別に構わないが。
「今度はちゃんと気付けたから、聞きたい」
そりゃあ、こんな憔悴して倒れるほどになれば誰だって気付けるというものだ。寮の誰かが今のアマネの様になっていればアマネだって気付ける自信はある。たとえ隠していたとしても。
身体を起こして有里を見る。有里は暗闇の中でもアマネを見つめていた。
「……そんな、簡単に話せることじゃない」
有里の視線から逃げるように、アマネは壁へと目を向ける。
ポスターも何も貼っていない壁は年季の入った古臭さをしてはいるけれど、日焼けもせず埃がついていることもない。
簡単に話せることである訳がなかった。同じような経験をした者も今までおらず、共感を求めることだって出来ない。
かつてアマネの『鏡』だった男なら、多少は共感出来ていたけれど。
しかし有里はアマネの『鏡』とは違う。
「湊さんじゃ、聞いても損するだけですよ」
「……じゃあ、荒垣さんだったら良かった?」
「あの人は……。あの人は、きっと聞いても聞かなかった事にもしてくれたと思う。損とか得とか、そういうんじゃなくて、受け入れることの大変さを知ってるし、俺とあの人は似てたから……」
尻すぼみになる声に、彼が路地裏で倒れていた姿がフラッシュバックする。
血塗れの姿で抱き起こされ満足そうに笑った荒垣が、『あの時』のアマネに似ていたからこそ、アマネは気付いてしまって。
重ねることがおこがましいとしても、そう思ってしまった。
「荒垣さんが、オレにアマネの相談に乗ってやれって言った時」
有里の事を名前で呼ぶようになった切っ掛けの日の前のことだろう。もう随分と前のように思えるが、まだ一ヶ月と経っていない。
「『聞いてるフリだけもいい』って言ってた。『悩みを理解してやれずとも、口にする機会を作ってやるだけでも違うもんだ』って」
荒垣らしい言葉だとアマネは思った。有里は少し俯いて言葉を切って、それから壁へ寄り掛かっているアマネの手を握る。
「でもオレは的確なアドバイスが出来なくても、アマネの言う通り損にしかならないことだとしても、アマネの話を聞きたい。だってアマネは、オレの『弟』だ。オレが理解出来なくてもいい。聞きたいだけ」
有里に掴まれた手に伝わる温もりが、冷えた肌を温めていく。
その温もりに似たものを、アマネはちゃんと覚えていた。
ボロ、とアマネの眼から零れた涙にこの暗闇のなかでも気付いたのか、有里が枕元へ放置されていた濡れタオルをアマネの手を掴むのとは逆の手で取ろうとする。
その動きを止めるように、アマネは口を開いた。
「全部、吐き出させてください――『兄さん』」
『×××』の事から始まり、何度も転生を繰り返していること。
第一の人生。銀髪の弟と親友、そのファミリー。死ぬ気の炎。
第二の人生。親友の兄の子孫と自分の墓。正反対のようでそうではない『鏡』の存在。
第三の人生と異世界。組織と忘れていたもの。曖昧な少年。ズタボロになって死んだ自分。
第四の人生で知り合った朱色の弟分。
第五の人生で、初めて自分を『弟』と言った有里へ出会ったこと。
そして、最初の人生で弟達を庇って『死んだ』瞬間。
一度話し出してしまえば、言葉は溢れるように出てきて止まらなかった。
有里は時々単語の意味を尋ねたり相槌を打ったりする他はずっとアマネを見つめていて、何を考えていたのかは読めない。ただ一度も繋いだ手が離されることは無く、それだけでアマネは酷く安心した。
「……荒垣さんが死んだ時、俺は自分が弟を庇って死んだ時を思い出した。勝手に庇って、勝手に未来を託して、勝手に死ぬなんて俺のやったことと変わりない。あの人も俺も満足して死んだけれど、残された奴等が満足していて良かったで済む訳がないことを、俺は考えた事がなかった」
生きている今でさえ、アマネのことを心配してくれる人が居るというのなら。
「悲しませたく無いと思ってたのに、結局悲しませてたことに気付いたんだ」
シルビという男が死ぬ時、弟のココディーロは『笑え』という願いを聞き届けてくれたけれど、死んだ後は泣いていたのではないかと今なら考えられる。
だって荒垣の幼馴染だった真田も、復讐心で殺そうとしていた天田も、実質二ヶ月程度の付き合いでしかない山岸や岳羽、伊織だって悲しんでいた。
悲しまないで欲しいという願いは、叶っていない。
それを、アマネは荒垣の最期の姿を見て気付いてしまった。
「俺は……、俺達の行動は、自己満足でしかなかっ……」
手を掴んで引っ張られてアマネは壁から身を離す。逆側へ傾いだ身体はそこへいた有里へ抱き止められた。部屋着らしいティシャツ越しに、有里の心音が聞こえる。
「自己満足は、悪いことじゃないと思う」
至近距離から有里の声。
「少なくとも、アマネも荒垣さんもオレは好きだよ。自己満足で何をしたって、二人が優しくて仕方がない人だってことは分かる」
そんな事を言える有里のほうが、アマネにはやさしい人のように思えた。
「だから、自己満足でいい。泣きはしてもアマネを責める人なんて誰もいない。むしろアマネがそうして悲しむほうがイヤだ」
影時間になったのか空調や秒針の音が止み、アマネの耳には有里の呼吸と心臓の鼓動しか聞こえなくなる。
背中へ回された手が動いてアマネの頭を撫でた。
「笑っててよ。そのほうが嬉しい」
「……いきなり、笑えなん、て、無理、ですよ。これでも、男、なんです、から……」
「『弟』は『兄』のお願いを聞かないと駄目。それにアマネだって、弟さんにそう言ったくせに」
「……っ、そう、です、ね……」
「謝らないで」
有里の服をきつく握り締めて、アマネは有里の肩へ目元を押し付ける。滲んだ涙が有里の服へと沁み込んでいき、それでもアマネの涙腺はボロボロと涙を溢れさせて、アマネを懐かしいほどに幼い気持ちへさせた。