荒垣へベッドを貸してしまったので床で寝て、学校へ行く為に起きて支度をしても荒垣は起きなかった。そういえばこの人寝起きは悪いし、低血圧で朝は起きられない人だったと思い出して、朝食と書置きと家の鍵を残し起こさずにアパートを出る。
そうしておけば起きてから好きな時に出て行けるだろうと思ってだったが、学校へ着いて一時間目の授業を終えてから、『一つしかない鍵を渡してしまって自分はどうやって家に入るんだ』と思い至った。

「……窓の鍵……駄目か、あの人なら戸締りしてくなぁ」
「何言ってんだよ？」
「敷金がもったいねぇと思ってる……」
「？ そういや斑鳩ってアパートなんだっけ？」

相変わらず隣の席で、勉強を教えてくれと話しかけてきた佐藤とは再び一から交友を深める事にしており、入学してからまだ数日と経っていないが、それなりに親しくなったほうだろう。
自分は『知っている』のに相手は『何も知らない』というのは時々、どうしようもない齟齬を感じたりして微妙な気分になるが、それを感じているのもアマネだけなので堪える。それを逆にすれば生まれたばかりの『朱色の弟分』が経験したのと同じ状況なのだろうと思うと、覚えている側でよかったと思わなくもない。どちらにせよ、ある意味黙っている事が美徳だ。
ふと教室の前を見れば、伏見が黒板の字を消していた。『あの人』がいないから、彼女の男性恐怖症がこの世界では治るのかも分からない。ただ、アマネ達が彼女と親しくなる切っ掛けだった、教材費横領事件は起こるんだろうなと思っている。
犯人は教師であり、罪悪感も何も持っていないが為に生徒へ疑いが掛かっていても気にしなかった相手だとは分かっていた。疑われている間の彼女が哀れであった事に変わりは無く、出来ればそれもどうにかしたい。
やる事とやりたい事が多くて、何処から手をつければいいのか分からなかった。

「オレ実家暮らしだからさ、一人暮らしとかちょっと憧れるなー。でもそしたらご飯とか毎回コンビニ弁当とかになりそう」
「食費がやばくなるぜぇそれ。許されるうちは家族と一緒にいろよぉ」
「んなしみじみ言われても。つか憧れるだけで予定無いし」

まだアマネの家庭事情を『一人暮らし』としか知らない佐藤へ適当に返し、アマネは携帯を取り出す。その携帯には『前の荒垣』のメアドが彼の死後も消されないまま残っていたのだが、だからといってそれに連絡をしていいのかどうか。
ここは過去であると同時に平行世界でもある。なので細かい部分の差異がどうなっているのかも分かっていない。
そもそも送れたとして、荒垣はそれがアマネからだと分かるのかという問題もある。

「……探せばいいかぁ」

結局、そのアドレスでは連絡を取らない事にした。