ペルソナ3
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カシャカシャと頭の下で鳴るのが違和感でもあるのか、有里は何度も頭を動かして氷枕の位置を確かめていた。それを、枕元へ顎を乗せたコロマルがじっと見ている。
結局あの日一晩有里は目覚めず、朝方アマネが様子を見に来た時も意識が朦朧としていたのか、時折長鼻がどうのと呟いていたので、イゴールの夢でも見ていたのかも知れない。
それから更に時間が経ってようやく目を覚ました有里に風邪を引いていることを教え、熱を測れば三十八度弱。
前日からの台風上陸に病院へ行くより安静にしていたほうがいいだろうということで、それから彼は手洗いへ行く以外は寝たきりだ。
「コロマル、見張りご苦労」
「わふっ」
土鍋の粥やすりおろしたリンゴの乗った盆を片手に開けたドアから、アマネがコロマルへ声を掛けながら部屋へ入れば有里が横になったまま振り向く。その顔はまだ赤く、いつもより血色が良いことは否めない。
「氷枕煩せぇですか?」
「……大丈夫。音がして面白い」
「面白さを求めたモンじゃねぇんですけど。熱は……だいぶ下がったみたいですね。起きられますか?」
「うん」
間接が痛むのか支えとして突いた手に少しだけ顔をしかめる有里が起き上がるのを助けて、膝の辺りに盆を乗せる。
勉強机の椅子を引き寄せて座って、コロマルの頭を撫でると有里の視線を感じた。
「なんですか?」
「……出て行かないの?」
「食べてるとこ見られんの嫌でした?」
「ううん。でも……風邪、うつったりしない?」
「ちゃんとこの部屋から出たらうがい手洗いしてます。んなことよりさっさと食って寝ましょう」
「……アマネが怖い」
「俺はちゃんと濡れたら乾かして暖かくして風邪を引かない様にしろって言ったのに、ぶっ倒れる様に風邪を引いたら、そりゃあ怒りますねぇ」
アマネの膝へ前脚を乗せてきたコロマルの首筋を撫でてやりながら言えば、有里は視線をうろうろとさ迷わせてから、結局黙って土鍋の蓋を開ける。
熱以外には特に風邪の症状も無いので、お粥に肉団子を付け合わせとしたそれは、今頃ラウンジで何故か美鶴と山岸も食べている筈だ。庶民の病人食に興味をそそられたのと美味しそうだったからと。ちなみに二人の分の味付けはちゃんと濃い目に変えてある。
匙で掬ったそれを冷ましながら食べる有里の様子にアマネはとりあえず満足した。
なにせ久しぶりに作った病人食なので、美味いかと聞きたいが熱で味覚がやられていたら味はしないだろう。だが文句を言わずゆっくりでも口へ運んでいるのだから、決して不味くは無い筈だ。
「……おいしかった」
「そうですか」
空になった土鍋からすりおろしたリンゴへと手をつけ始めた有里を横目に、市販の解熱剤を用意する。
コロマルは飽きたのかお粥の匂いにつられて小腹が空いたのか、器用にドアを開け、ちゃんとドアを閉めて出て行った。器用過ぎて、猫又ならぬ犬又なんじゃなかろうか。
ふと見れば、何が面白いのか目を細めて楽しげにリンゴを掬っている有里に、アマネは声を掛けた。
「どうしました」
「アマネ、お母さんみたいだ」
思わず胡乱な眼で有里を見やれば、有里は匙を咥えたまま微笑む。
「って言っても、あんまり母親のイメージ無いけど」
「ご両親は」
「十年前、事故で」
「十年前……湊さんも岳羽先輩みたいに桐条グループの事故の?」
「そこは分からない。交通事故だったとは思うんだけど、あんまりその頃の記憶無くて」
そう言う有里は、別段悲しいとは思っていないらしい。
「だから母親のイメージとか、むしろ家族のイメージが無いんだ。でも嬉しいんだね。風邪引いたときに人が傍にいてくれるのって」
「……俺の両親も交通事故です。居眠りトラックとの正面衝突で、即死だったらしいです。小学生になる前だったし、俺だってあんまり覚えちゃいねぇですよ」
「そうなの」
「でもそうですね。俺は看病されるよりするほうが家族のイメージがある」
アマネにとって、家族は『弟』だ。
自分が病気にかかった時はうつさない様に近付けさせなかった代わりに、『弟』が病気になれば寝るもの忘れて看病していた。
久しぶりに作った病人用のお粥も、最後に作ったのはやはり『誰かの為』であって『自分の為』ではない。
「看病するほど、アマネのお父さんかお母さんは病気がちだった?」
「いえ、あの二人は健康的でしたね。事故の日も確かアウトドア用品を買いに行った帰りでしたし」
「じゃあ兄弟?」
「そう、ですね。――弟が、小さい頃はすぐに風邪を引く子で。大きくなったら今度は怪我をするようになって、俺も怪我はよくしてたから包帯とかの消耗が激しくて……楽しそうですね」
「楽しい。アマネの話、もっと話して」
酸化して茶色になりかけているリンゴを食べることすら忘れて、有里はアマネへと続きを催促する。
正直そんなに面白い話でもないだろうし、全部話すつもりもなければ話すことも出来ない内容もあった。
大体、この話題は今でももうギリギリだろう。『大きくなった弟』どころか『弟』自体が『斑鳩 周』には存在していないのだから。
「アマネ?」
名前を呼ばれて黙ってしまっていたことに気付いた。顔を上げれば心配げな顔がアマネのことを覗き込んでいる。下がりきってはいない熱のせいで僅かに普段よりも赤みのある頬。
アマネは少しだけこの人を受け入れた事を思い出す。
自分を弟の様に思っていると言ったこの人を。
「……そうですね。それ食べて薬飲んで、横になったら話しましょうか」
「話してくれる?」
「ええ。少しだけなら」
いそいそと残りのリンゴを食べ進める有里に、アマネは無理に微笑む。
嬉しかったその気持ちの裏で、本当の事を全て話すのは怖い。だから話さない。
連休の間に台風も過ぎ去り、見事な台風一過は同時に秋の陽気を運んでくる。
***
「行けなかったんだよ。映画祭りリベンジ」
「あー悪ぃ、そっちのゴミ袋貸してくれぇ」
「話聞いて!」
佐藤の叫びを無視して丸めた新聞紙を更に丸めてゴミ袋へ放り込んだ。
休み明け一日目の午後は開催されなかった文化祭の片付けとなり、アマネは佐藤と一緒のグループで何処かのクラスが丹精込めたであろう飾り付けの破壊を行っていた。
作るのは大変でも壊すのは楽という典型的な行為は、ゴミの分類さえ気をつければ楽なものである。
「結局台風で何処にも行けないしさ。溜めてたゲーム二本終わらせちゃったよ。斑鳩は?」
「寮の先輩が風邪引いてその看病」
「……オレより悲惨だわ。ゴメン」
謝られた。
そんなに悲惨ではないと思うのだが、佐藤のような普通の高校生にとっては他人の看病で時間を潰すというのは、台風で外に出られないより悲惨なのだろう。アマネはそうは思わないので、適当に相槌を打つだけに留める。
結局、時期とかを曖昧にしたまま『弟』の話をたくさんした。時期や名称、場所をぼかせば違和感無くアマネに『弟』がいたと思える程度に。懐かしくて少し落ち込みそうにもなったが、話せるということは覚えているという事だ。
忘れていない。それがどんなに嬉しい事か。
「誰か、ガムテープある?」
「こっち無いよー。資材室に取り行けばー?」
「隣から誰か借りて来いよ。ったく」
「伏見さんお願いしていい?」
「え、あ、はいっ」
伏見が教室を出てガムテープを借りに隣の教室へ向かう。ヒラヒラと手を振る佐藤の後ろにまだガムテープが一つあったのだが、それだけでは足りなくなる事に変わりはない。
「で、風邪の看病ってアレ? 桐条先輩とか女の先輩? パジャマ姿とか見ちゃった系?」
「残念だけど男だから。女の先輩だったら流石に俺は看病させてもらえねぇから」
「えー、じゃあお粥とかを食べさせるアレは? はいアーンって奴……って、そうか男の先輩だっけ。やって無いよな?」
「お前……馬鹿だろぉ」
「いいじゃん男のロマンだろ!」
「っていうか馬鹿だろぉ」
「二回言うなし!」
やる訳があるか。
騒いでいるとさっさと終わらせたい奴に注意され、佐藤が軽く謝りながら小物の入ったダンボールを運んでいく。その途中で蹴飛ばされたガムテープが壁際の机の下へ滑っていった。
アマネは見なかったことにして、男子数人が運ぼうとしていた重そうな土台を運ぶのを手伝う為に近付く。一体本来は何に使う予定だったのかも分からないその土台を移動して分解していれば、何故かガムテープを大量に抱えて呆然とした様子で伏見が戻ってきた。
***
「こんばんは」
「おう」
満月を一週間後に控えた深夜。影時間になった途端机に向かっていたアマネの部屋へ現れたファルロスは、珍しくアマネが起きて机に向かっている事に首をかしげた。
「今日はペルソナを出していないんだね」
「ん? ……ああ、湊さんのお陰かどうか分からねぇけど、少し落ち着いてるからなぁ」
「そうなんだ」
少しだけ嬉しげにニコリと微笑んだファルロスが机へと近付いてくる。椅子を動かしてファルロスを持ち上げ膝へ座らせてから、アマネは読んでいた本を手元へ引き寄せた。
「君はボクの事を子供みたいに扱うよね」
「見た目が子供だからなぁ。嫌なら降りるかぁ?」
「ううん。……これ、何処の言葉?」
「イタリアの古い詩集。学校の図書室で見つけて懐かしいから読んでただけ。『昔』はあんまり教養無かったけど、詩の朗読を聴くのは結構好きだったなぁ」
「へぇ。ボクは聞いてるだけより話すほうがいいな。声が出るのはうれしいよ」
読んでいる訳でもないのだろう詩集のページを捲るファルロスの手が、挿絵のあるページで止まる。
聖母マリアの挿絵を指先でなぞるファルロスに、左手を机の上に甲を下にして乗せて、手のひらに小さく橙色の炎を灯した。といっても、それが現在最大級の大きさだったが。
「明るいね」
「友人はもっとデカイ炎を灯してた。俺も腕輪があるか、イブリスがシャドウでもペルソナでもなくなって俺の中へ戻ってくれば、同じくらいの炎を灯せるんだけどなぁ」
「君のこれも、ボクは嫌いじゃないよ」
「俺自身の炎は黒いから。これは友人の炎」
「人によって違うんだ?」
「Si これは全部を包み込んでくれる大空の炎。俺の黒い炎は何だか知らねぇ。色々言われてたけど、どれもしっくりは来なかったしなぁ」
炎へ手を伸ばしたファルロスの視線の先で、手を握り締めて炎を消し、黒い炎に変える。
影時間の薄暗い部屋の中で、それ以上に闇の色をする炎に、今度こそファルロスが触れた。
「熱くない」
「これは俺の命の炎みてぇなもんだから。熱い場合もあるけど今は弱いし、平気だろぉ」
「命の炎?」
「生きることへしがみ付く熱量によって発せられると思えばいい。面倒臭せぇ説明を聞いても聞かなくても、俺が炎を灯せる事に変わりはねぇ」
「……いきることへしがみつく」
両手で黒い炎を覆うようにしていたファルロスが、何か考え込むように炎を見つめる。いつもの笑顔や悲しげな表情さえ消して真剣に炎を見つめる姿は、まるで自分も炎を灯そうとしているようだった。
冗談のつもりで炎を小さくしようとすれば、調整が効かずに炎が一瞬大きく吹き上がってから消えてしまい、集中していたらしいファルロスが盛大に肩を跳ね上げさせてから、機嫌を悪くしてアマネを振り返る。
「ごめん」
とりあえず謝っておいた。
結局あの日一晩有里は目覚めず、朝方アマネが様子を見に来た時も意識が朦朧としていたのか、時折長鼻がどうのと呟いていたので、イゴールの夢でも見ていたのかも知れない。
それから更に時間が経ってようやく目を覚ました有里に風邪を引いていることを教え、熱を測れば三十八度弱。
前日からの台風上陸に病院へ行くより安静にしていたほうがいいだろうということで、それから彼は手洗いへ行く以外は寝たきりだ。
「コロマル、見張りご苦労」
「わふっ」
土鍋の粥やすりおろしたリンゴの乗った盆を片手に開けたドアから、アマネがコロマルへ声を掛けながら部屋へ入れば有里が横になったまま振り向く。その顔はまだ赤く、いつもより血色が良いことは否めない。
「氷枕煩せぇですか?」
「……大丈夫。音がして面白い」
「面白さを求めたモンじゃねぇんですけど。熱は……だいぶ下がったみたいですね。起きられますか?」
「うん」
間接が痛むのか支えとして突いた手に少しだけ顔をしかめる有里が起き上がるのを助けて、膝の辺りに盆を乗せる。
勉強机の椅子を引き寄せて座って、コロマルの頭を撫でると有里の視線を感じた。
「なんですか?」
「……出て行かないの?」
「食べてるとこ見られんの嫌でした?」
「ううん。でも……風邪、うつったりしない?」
「ちゃんとこの部屋から出たらうがい手洗いしてます。んなことよりさっさと食って寝ましょう」
「……アマネが怖い」
「俺はちゃんと濡れたら乾かして暖かくして風邪を引かない様にしろって言ったのに、ぶっ倒れる様に風邪を引いたら、そりゃあ怒りますねぇ」
アマネの膝へ前脚を乗せてきたコロマルの首筋を撫でてやりながら言えば、有里は視線をうろうろとさ迷わせてから、結局黙って土鍋の蓋を開ける。
熱以外には特に風邪の症状も無いので、お粥に肉団子を付け合わせとしたそれは、今頃ラウンジで何故か美鶴と山岸も食べている筈だ。庶民の病人食に興味をそそられたのと美味しそうだったからと。ちなみに二人の分の味付けはちゃんと濃い目に変えてある。
匙で掬ったそれを冷ましながら食べる有里の様子にアマネはとりあえず満足した。
なにせ久しぶりに作った病人食なので、美味いかと聞きたいが熱で味覚がやられていたら味はしないだろう。だが文句を言わずゆっくりでも口へ運んでいるのだから、決して不味くは無い筈だ。
「……おいしかった」
「そうですか」
空になった土鍋からすりおろしたリンゴへと手をつけ始めた有里を横目に、市販の解熱剤を用意する。
コロマルは飽きたのかお粥の匂いにつられて小腹が空いたのか、器用にドアを開け、ちゃんとドアを閉めて出て行った。器用過ぎて、猫又ならぬ犬又なんじゃなかろうか。
ふと見れば、何が面白いのか目を細めて楽しげにリンゴを掬っている有里に、アマネは声を掛けた。
「どうしました」
「アマネ、お母さんみたいだ」
思わず胡乱な眼で有里を見やれば、有里は匙を咥えたまま微笑む。
「って言っても、あんまり母親のイメージ無いけど」
「ご両親は」
「十年前、事故で」
「十年前……湊さんも岳羽先輩みたいに桐条グループの事故の?」
「そこは分からない。交通事故だったとは思うんだけど、あんまりその頃の記憶無くて」
そう言う有里は、別段悲しいとは思っていないらしい。
「だから母親のイメージとか、むしろ家族のイメージが無いんだ。でも嬉しいんだね。風邪引いたときに人が傍にいてくれるのって」
「……俺の両親も交通事故です。居眠りトラックとの正面衝突で、即死だったらしいです。小学生になる前だったし、俺だってあんまり覚えちゃいねぇですよ」
「そうなの」
「でもそうですね。俺は看病されるよりするほうが家族のイメージがある」
アマネにとって、家族は『弟』だ。
自分が病気にかかった時はうつさない様に近付けさせなかった代わりに、『弟』が病気になれば寝るもの忘れて看病していた。
久しぶりに作った病人用のお粥も、最後に作ったのはやはり『誰かの為』であって『自分の為』ではない。
「看病するほど、アマネのお父さんかお母さんは病気がちだった?」
「いえ、あの二人は健康的でしたね。事故の日も確かアウトドア用品を買いに行った帰りでしたし」
「じゃあ兄弟?」
「そう、ですね。――弟が、小さい頃はすぐに風邪を引く子で。大きくなったら今度は怪我をするようになって、俺も怪我はよくしてたから包帯とかの消耗が激しくて……楽しそうですね」
「楽しい。アマネの話、もっと話して」
酸化して茶色になりかけているリンゴを食べることすら忘れて、有里はアマネへと続きを催促する。
正直そんなに面白い話でもないだろうし、全部話すつもりもなければ話すことも出来ない内容もあった。
大体、この話題は今でももうギリギリだろう。『大きくなった弟』どころか『弟』自体が『斑鳩 周』には存在していないのだから。
「アマネ?」
名前を呼ばれて黙ってしまっていたことに気付いた。顔を上げれば心配げな顔がアマネのことを覗き込んでいる。下がりきってはいない熱のせいで僅かに普段よりも赤みのある頬。
アマネは少しだけこの人を受け入れた事を思い出す。
自分を弟の様に思っていると言ったこの人を。
「……そうですね。それ食べて薬飲んで、横になったら話しましょうか」
「話してくれる?」
「ええ。少しだけなら」
いそいそと残りのリンゴを食べ進める有里に、アマネは無理に微笑む。
嬉しかったその気持ちの裏で、本当の事を全て話すのは怖い。だから話さない。
連休の間に台風も過ぎ去り、見事な台風一過は同時に秋の陽気を運んでくる。
***
「行けなかったんだよ。映画祭りリベンジ」
「あー悪ぃ、そっちのゴミ袋貸してくれぇ」
「話聞いて!」
佐藤の叫びを無視して丸めた新聞紙を更に丸めてゴミ袋へ放り込んだ。
休み明け一日目の午後は開催されなかった文化祭の片付けとなり、アマネは佐藤と一緒のグループで何処かのクラスが丹精込めたであろう飾り付けの破壊を行っていた。
作るのは大変でも壊すのは楽という典型的な行為は、ゴミの分類さえ気をつければ楽なものである。
「結局台風で何処にも行けないしさ。溜めてたゲーム二本終わらせちゃったよ。斑鳩は?」
「寮の先輩が風邪引いてその看病」
「……オレより悲惨だわ。ゴメン」
謝られた。
そんなに悲惨ではないと思うのだが、佐藤のような普通の高校生にとっては他人の看病で時間を潰すというのは、台風で外に出られないより悲惨なのだろう。アマネはそうは思わないので、適当に相槌を打つだけに留める。
結局、時期とかを曖昧にしたまま『弟』の話をたくさんした。時期や名称、場所をぼかせば違和感無くアマネに『弟』がいたと思える程度に。懐かしくて少し落ち込みそうにもなったが、話せるということは覚えているという事だ。
忘れていない。それがどんなに嬉しい事か。
「誰か、ガムテープある?」
「こっち無いよー。資材室に取り行けばー?」
「隣から誰か借りて来いよ。ったく」
「伏見さんお願いしていい?」
「え、あ、はいっ」
伏見が教室を出てガムテープを借りに隣の教室へ向かう。ヒラヒラと手を振る佐藤の後ろにまだガムテープが一つあったのだが、それだけでは足りなくなる事に変わりはない。
「で、風邪の看病ってアレ? 桐条先輩とか女の先輩? パジャマ姿とか見ちゃった系?」
「残念だけど男だから。女の先輩だったら流石に俺は看病させてもらえねぇから」
「えー、じゃあお粥とかを食べさせるアレは? はいアーンって奴……って、そうか男の先輩だっけ。やって無いよな?」
「お前……馬鹿だろぉ」
「いいじゃん男のロマンだろ!」
「っていうか馬鹿だろぉ」
「二回言うなし!」
やる訳があるか。
騒いでいるとさっさと終わらせたい奴に注意され、佐藤が軽く謝りながら小物の入ったダンボールを運んでいく。その途中で蹴飛ばされたガムテープが壁際の机の下へ滑っていった。
アマネは見なかったことにして、男子数人が運ぼうとしていた重そうな土台を運ぶのを手伝う為に近付く。一体本来は何に使う予定だったのかも分からないその土台を移動して分解していれば、何故かガムテープを大量に抱えて呆然とした様子で伏見が戻ってきた。
***
「こんばんは」
「おう」
満月を一週間後に控えた深夜。影時間になった途端机に向かっていたアマネの部屋へ現れたファルロスは、珍しくアマネが起きて机に向かっている事に首をかしげた。
「今日はペルソナを出していないんだね」
「ん? ……ああ、湊さんのお陰かどうか分からねぇけど、少し落ち着いてるからなぁ」
「そうなんだ」
少しだけ嬉しげにニコリと微笑んだファルロスが机へと近付いてくる。椅子を動かしてファルロスを持ち上げ膝へ座らせてから、アマネは読んでいた本を手元へ引き寄せた。
「君はボクの事を子供みたいに扱うよね」
「見た目が子供だからなぁ。嫌なら降りるかぁ?」
「ううん。……これ、何処の言葉?」
「イタリアの古い詩集。学校の図書室で見つけて懐かしいから読んでただけ。『昔』はあんまり教養無かったけど、詩の朗読を聴くのは結構好きだったなぁ」
「へぇ。ボクは聞いてるだけより話すほうがいいな。声が出るのはうれしいよ」
読んでいる訳でもないのだろう詩集のページを捲るファルロスの手が、挿絵のあるページで止まる。
聖母マリアの挿絵を指先でなぞるファルロスに、左手を机の上に甲を下にして乗せて、手のひらに小さく橙色の炎を灯した。といっても、それが現在最大級の大きさだったが。
「明るいね」
「友人はもっとデカイ炎を灯してた。俺も腕輪があるか、イブリスがシャドウでもペルソナでもなくなって俺の中へ戻ってくれば、同じくらいの炎を灯せるんだけどなぁ」
「君のこれも、ボクは嫌いじゃないよ」
「俺自身の炎は黒いから。これは友人の炎」
「人によって違うんだ?」
「Si これは全部を包み込んでくれる大空の炎。俺の黒い炎は何だか知らねぇ。色々言われてたけど、どれもしっくりは来なかったしなぁ」
炎へ手を伸ばしたファルロスの視線の先で、手を握り締めて炎を消し、黒い炎に変える。
影時間の薄暗い部屋の中で、それ以上に闇の色をする炎に、今度こそファルロスが触れた。
「熱くない」
「これは俺の命の炎みてぇなもんだから。熱い場合もあるけど今は弱いし、平気だろぉ」
「命の炎?」
「生きることへしがみ付く熱量によって発せられると思えばいい。面倒臭せぇ説明を聞いても聞かなくても、俺が炎を灯せる事に変わりはねぇ」
「……いきることへしがみつく」
両手で黒い炎を覆うようにしていたファルロスが、何か考え込むように炎を見つめる。いつもの笑顔や悲しげな表情さえ消して真剣に炎を見つめる姿は、まるで自分も炎を灯そうとしているようだった。
冗談のつもりで炎を小さくしようとすれば、調整が効かずに炎が一瞬大きく吹き上がってから消えてしまい、集中していたらしいファルロスが盛大に肩を跳ね上げさせてから、機嫌を悪くしてアマネを振り返る。
「ごめん」
とりあえず謝っておいた。