ペルソナ3
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夏休みが明けて最初の満月が来た。
昨日会った時には何故か妙に浮かれていた伊織が見当たらないまま満月当日の影時間を迎え、天田と一緒に伊織を探すも見つからない。このまま外にまで探しに行くのは怒られるだろうと諦め、天田と合流して作戦室へ向かう。
作戦室では、既に山岸がペルソナを出してシャドウの探索を行っていた。
「順平さん、何処にも居ません。カバンも無いし、今日はまだ部屋に戻ってないみたいです」
「あいつ……満月って分かってんでしょうに!」
天田の報告に岳羽が憤る。その気持ちも分からないではないが、アマネが知っている伊織にしては行動がおかしいと思う為、アマネはそうすんなりと岳羽の様に怒る事も出来なかった。
寮に一度帰ってきてそれから出かけたならともかく、学校が終わってから一度も帰らずに姿を消したのが引っ掛かっている。
「寮の近くにも居ないようですね。順平くんの反応は見当たりません。念のため、少し時間を使って探してみましょうか?」
「いや、いいよ。若い君らだ。そういう気分の時もあるだろうさ。とにかく、今は目の前のシャドウをなんとかして欲しい」
幾月はそう言って皆の意識を伊織から大型シャドウへと向け直す。ふと見れば、荒垣が何か考え込むように俯いていた。アマネと同じく何か引っ掛かるものでもあるのだろうか。
アマネ的には先月の作戦日に現れたストレガのこともあるし杞憂であるとしてもちゃんと探すべきだと思うのだが、総指揮を執る幾月が言うのであれば仕方がない。
動き出した真田の後を岳羽と天田が追い掛け、ペルソナを戻した山岸と美鶴も作戦室を出て行く。
もし影時間が終わっても伊織が帰って来ないようであれば例え深夜でも探しに行くかと考えて、遅れながらアマネも階段を降りた。
「順平のやつ、何か言ってなかったか?」
既に皆先に行ってしまったと思ったのだが、ラウンジのところで荒垣が有里へ話しかけている。
「特には」
「なら、いい」
アマネが居る事に気付いてか一度振り返った荒垣は苦い顔をしていて、アマネと有里に遅れるなよと言って出て行った。
「順平、どうしたんだろ」
「心配ですか?」
「少し」
なら自分の嫌な考えは言わないほうがいいなと結論を出して、アマネは立ち止まっていた有里の背を軽く押して寮を出る。
まさかストレガの奴等がコチラの戦力を減らそうと、伊織を捕まえているなり殺しているなりしているかもしれないだなんて普通の高校生なら考えつかない案だ。だがストレガの行動基準が分からない以上、アマネはそれも視野に入れる。
もしこれで本当に殺されていたら、伊織には捜索しないことを選んだ幾月を恨んでもらおうと思いながら。
ポロニアンモールの中心にある噴水の水は、影時間の今は赤い血の色をした水に変わっていた。おそらく本物の血ではない。
ところで影時間では一般の機械類は止まるはずなのに、どうして噴水は止まらないのだろうか。
ペルソナを使って周囲を探っている山岸を守るように、アマネが周囲の気配に注意を払っていると美鶴が山岸へ話し掛ける。
「どうだ?」
『この、ボンヤリした感じ……こんなに近くに来てるのに、どうして⁉』
「よし、後は手分けして探すぞ。時間は掛けられない、急げ!」
『待ってください! お願いします、やらせて下さい! これは、私の役目だから……!』
更に集中する山岸には、他の皆とは違って戦闘能力はない。探索能力にだけ特化している故に、それすらも満足に出来ないというのが嫌なのか。
『ルキアの指が触れる……土の答え。髪が触れる……風の答え。唇が触れる……水の答え。教えて……この霧のような姿は、何?』
「おい、大丈夫なのか?」
「集中の邪魔をするな」
『これは……足の、下? 網目……?』
「網目……もしかすると、地下ケーブルと関連があるかもしれません。ここは、島が開発中の頃は工事用電源の基地があった場所ですので」
どうでもいいが、人に近いとはいえアイギスの様な機械が『もしかすると』という類の言葉を使うと違和感を覚える。
「地下ケーブル?」
「網目のような相当量の地下ケーブルが、地下に放られたままになっているようです」
「それが索敵の邪魔になってるって事か?」
首を傾げる真田とは違い、ペルソナの中で山岸が微笑んだ。
『……ありがとう、アイギス。今ので全部分かったわ。ケーブルに、シャドウの位置が撹乱されてる訳じゃなく……そのケーブル網自体が、シャドウに乗っ取られている!』
「それっ……え……? つまり、足の下はそこらじゅうシャドウって事⁉」
思わず靴の下、踏みしめている地面を見下ろしてしまった。その行動はアマネだけではなく、岳羽や天田、美鶴も同じように地面を見つめている。
先月に引き続き、また地面の下ということか。
「……絞れなかったワケだ。本当にこの辺全部を占める大きさって事か」
「そ、そんなの、どうやって倒すんです⁉」
「チッ、地面の下か……」
つま先を立てて地面を蹴飛ばしたところでシャドウが出てくる訳もない。自分達を倒している存在が人間である事を考えてのこの行動だとしたら、なるほどシャドウは頭がいいのだろう。
人間の来られない場所、手の届かない場所で暴れれば自分が倒される心配など無いのだから。
「まいったな……これでは手が出せない」
困り果てたのは美鶴だけではないが、誰もそれ以上の言葉が見つからない。全員がそう思ったのは確かだし、だからと言ってアマネにも状況を打破できるような案は浮かばなかった。
まさか人間が出入り出来ないかもしれない地下に居るなどと、誰が考えられるだろうか。
『前にモノレールを乗っ取ったシャドウがいたと、記録で見ました。恐らくそれと同じでどこかに『本体』がいるはずです。私が見つけます』
息を吸う音が聞こえるほどに深く、集中する山岸も少し心配だ。
「場所が分かったとしても、問題は行き方だな」
「放置された施設であれば、今でも、侵入が可能かも知れません」
「だといいがな……」
山岸を信用し、既に見つけた後のことを考える真田と荒垣に対してのアイギスの案も、その場所が無ければ意味を成さない。
穴を掘るなんて事は時間が掛かる上に馬鹿げているからか誰も言わなかった。伊織が居れば彼なら言っていたかもしれないが、彼は現在ここにはいない。
立ち続けているのが嫌になったのか、コロマルがうろうろと歩き回るのを天田が呼んで傍に座らせる。
アマネも気配を探すようにモールを見回してみた。シャドウ自身が入っていった場所があるだろうことを考えると、必ず何処かに道があるはずだが。
『……見つけた。ここのすぐ近く……このモールの中です!』
「この中⁉」
集中のし過ぎで息を切らせた山岸が叫ぶ。それでもやっと見つけた手がかりを再び失わないように、眉を潜めていた。
『地下に出来ている小さな空間の中です。四角い箱の形をしているから、たぶん、人工の空間だと思います』
「四角って、地下室とかかな」
「そういや……『エスカペイド』のフロアやってる奴、最近電源の調子がどうのってボヤいてやがったな。お陰で停電食って、デカいイベントが飛んだとか何とか」
アマネとしては、それを知っている荒垣に驚いたが空気を読んで黙っていた。不良の溜り場にいたことを考えれば、そういう夜が儲け時の店への出入りもするのかもしれないが、何となく荒垣とクラブという組み合わせは合わない。彼はもっと、定食屋や食堂のような人間染みた場所に居そう、というのがアマネの感想だ。
そんなことよりも問題は荒垣の言葉の中。
「電源?」
「確か、昔からあった地下の空間を部屋に改造したとか、聞いたことがある。ひょっとすっと……」
『間違いないと思いますっ!』
「よくやった、山岸。よし、準備が整い次第、突入組で仕掛けるぞっ!」
***
シャドウを倒した有里達が戻ってくる。労いの言葉もおざなりに、山岸が寮で伊織の反応を見つけたらしい。
寮へ帰ってきてはいるという事に、アマネは自分の考えが杞憂だったと安堵するも、少し様子がおかしいという山岸の言葉には顔をしかめずにいられなかった。
今度は体調が悪いのではないだろうかとか、そういう意味での心配をする。
「俺、気になるんで先に帰ります」
「オレも一緒に行くよ斑鳩」
疲れているだろうにアマネを振り返った有里が、そう言ってアマネの傍へ来た。
「もう、ほっとけばいいじゃない順平なんか」
「体調が悪くて必死に寮まで戻ってきたのかもしれねぇですし、そもそも寮には幾月さんが居るはずでしょう? なんで連絡が無いんですか?」
「……え?」
気になったのはそれもあるからだ。普通に寮へ戻ってきたのなら、作戦室へ顔を出すだろうしそうすれば残っている幾月が連絡を寄越してもおかしくない。だというのに今の段階でそれが無いという事は、幾月と伊織が会っていないか連絡を取る時間が無いか。
二人が顔を合わせない理由はあまり無い。例えば伊織が真っ直ぐ自室へ戻り休んでいるとしても、幾月も流石に気付いて様子を見に行くはずだ。作戦室には寮の玄関部分を映す監視カメラの映像があるのだから。
そこまで考えて、嫌なことを想像した。
監視カメラに映らないように寮へ入ったのだとしたら。
無論やましい事がなければそんな出入りをする必要は無い。ではする必要がある場合はどうだろうか。例えば。
「……ストレガ?」
「え、今……ちょっ、斑鳩クン⁉」
悪いとは思ったが岳羽の声を無視して走り出す。ストレガのことを忘れていたのだ。
アマネ達の毎月の行動を監視していたのなら、その延長でアマネ達の住んでいる寮も分かるだろうし、毎月の行動把握もそう難しい事ではない。少なくとも満月の日は出かけると分かっている。
そして先月は接触してきてあれだけコチラをボロクソに言ってきたくせに、今回は全くその気配すら無かった。
そこからおかしいと思うべきだったのだ。
寮を出る前に考えた事は半ば冗談だったというのに、今では現実になりそうな状況。
もう少しで寮が見える、というところで犬の鳴き声がして振り返る。見ればコロマルと息を切らしかけた有里が走ってきていた。
「足……早い」
置いてきてしまったのを、戦闘直後で疲れているだろうに追い掛けて来てくれたのだろう。申し訳ないと思いながら息を切らす有里の背を擦る。
「すみません。ちょっと嫌な考えをしてしまったので」
「……順平が、ストレガに襲われてるってこと?」
「杞憂だったら良いんですけどね」
寮の玄関を抜けて階段を駆け上がり、作戦室にいるであろう幾月も無視してぶつかるように開いた屋上の扉の先、とりあえず鎖で拘束されている伊織を視認した。その傍にはゴスロリ姿の少女がいる。
白河通りのビルの屋上で見た少女だ。ということはストレガの一員。やはり想像通りに襲われていたのかと舌打ちする。
「順平⁉」
後ろから遅れて階段を昇ってきた岳羽が叫ぶのに、少女がこちらを振り返った。
「ッ……もう戻ってきたの⁉」
「それは……召喚器⁉ ペルソナ使いなのか⁉」
美鶴の声に応えるように、少女が召喚器を構える。
「メーディア、おいで……」
「やめろっ、チドリっ!」
叫ぶ伊織が呼んだのが少女の名前だろうか。鎖で自由には動けないだろう身体を動かして、伊織が少女に体当たりすると少女がその衝撃で召喚器を取り落とした。
「先輩、チドリの銃を!」
美鶴や真田が動く前に、アマネは走り出して少女が落とした銃を拾い上げる。
アマネ達が使う召喚器と同じ、銃の形をしたものだ。数少ないペルソナ使い同様、召喚器も少ない上に入手は困難だと思うのだが、一体少女はこれをどうやって手に入れたのか。
「いやっ! か、返してっ!」
「運が悪かったな。悪いがコイツは使わせない」
それは悪役側の台詞だと思いながらも、拾い上げた召喚器を真田へ渡す。少女が奪い返そうと襲い掛かってきたらすぐに拘束できるようにと身構えていた時、作戦室に篭っていたらしい幾月がやってきた。
本当に、遅い登場だ。
「おいおい、何の騒……おわっ⁉ いつの間に⁉」
「アイギス、彼女を拘束してくれ」
「了解であります」
召喚器を奪われて為す術のないらしい少女が、助けを求める様に己のペルソナのだろう名前を叫ぶ。
アマネは拘束された少女を見つめる伊織の傍へ行き、彼を拘束している鎖を外した。
「私、今の今まで気付けなかった。私には、この力しか無いのに……」
「山岸君でさえ何も感じなかったとなると、これはもう『撹乱する能力』って事だね……僕なんかもう、全然、サッパリ、カラっきし気付けなかったよ」
山岸を慰めているのか自分を貶めているのかよく分からない幾月は放って置いて、伊織に怪我が無いかを確かめる。鎖が擦れた痕くらいしか無い様なので、特に問題はないだろう。
「訊きたい事が色々ある。君も、あのストレガとかいう連中の仲間か?」
「私は……死ぬなんて……怖く……ない」
「チ、チドリ……⁉」
「……メ、メーディア、私は……、……」
拘束された状態のまま肩を震わせ怯えている少女に美鶴が舌打ちを零した。
「話を聞ける状態じゃないな。精神がひどく乱れてる。しばらく安静にさせて様子を見るしか無いだろう」
立ち上がった伊織が少女を見つめ、複雑そうな顔で呟く。
「チドリ……」
***
辰巳記念病院へ収容されたゴスロリ少女、チドリは昼間のうちに出かけていった美鶴達が尋問してみたものの結果は芳しくなく、取り上げられた召喚器の話題を少しでも出すとまだ錯乱して騒ぎ出すらしい。
まぁ、高校生に尋問させようというのが間違っている気もするが。
アマネは病院へ行って彼女に会っていないので分からないが、一度押し掛けた伊織を止める為になし崩しで病院まで行ってしまった岳羽の話によると、錯乱している状態の時は、自分のペルソナの名前を呼び続けているらしい。
「メーディア、ねぇ」
「あのオンナのペルソナか?」
夕食の片付けをしているとふいに聞かれて、振り返れば食器を持ってきた荒垣が立っていた。
「そうだと思います。……軽い、依存状態なんでしょうね」
「依存?」
水を張った洗い桶の中へ食器を沈めた荒垣が隣からアマネを見る。アマネは何も言わずに微笑んだ。
己のペルソナへ依存する。それは現状アマネ自身もしてしまっている事だ。
毎夜影時間が来る度に己のペルソナであるイブリスを召喚し、それに縋っている。すでに日課とまでになってしまっているそれの原因は、他に縋れるものがないということだ。
縋るというのは存外難しいものだとアマネは考えている。成長することでそれは顕著になり、思春期を迎えた頃が一番不安定だ。縋りたい。けれども縋れるものがない。
あのチドリという少女とアマネは、それをペルソナへ求めてしまった。
「『ライナスの毛布』って知ってますか?」
「ああ? んだそれ?」
「『ピーナッツ』という本に出てくるキャラクターの一人でして、お気に入りの毛布をいつも持ち歩いているんです。心理学用語にまでなってたんじゃねぇかと思ったんですけど、つまりお気に入りの玩具などを持ち歩いたりそれに執着したりする事によって安心感を得ているんです」
「ガキか」
「ええ、子供でしょうね。でも大人でもそういう行為はするし、ましてや屋上でのあの精神錯乱状態からするに、彼女にとっての『毛布』がペルソナであり、それを呼び出す為の召喚器こそが眼に見える『毛布』だったんでしょう」
泡を流して食器を水切り台へ置く。荒垣はまだ横にいてアマネを見ていた。
そう考えるとアマネの毎夜の行為も、イブリスを介して『昔の自分』に安心感を求めている事になるのだろうか。なんて他人事の様に考える。
アマネには彼女の事を貶すことは出来ない。
「……テメェは」
手が止まっていた事に話しかけられて気付く。荒垣の手が蛇口に伸ばされ流れていた水が止められる。
水滴が、落ちた。
***
チドリの尋問が上手くいかない事でなかなか帰ってこない桐条と真田のお陰で、ここ数日タルタロスヘは行っていない。先日倒したばかりの大型シャドウのこともあって皆疲れが溜まっているだろうからそれは構わなかった。
けれどシャドウと対峙はしなかったのでアマネは疲れていないのだ。お陰で何となく運動不足な感じが否めない。
気まぐれに、ついつい時間のかかる料理を作ってみようとキッチンに篭りきりになっていると、突然明かりやガスの火が消えた。
時計を見ると午前零時ちょうどを差して止まっている。嗚呼影時間に入ってしまったのかと納得し、アマネは着ていたエプロンを脱いで椅子に放り投げた。
引き出しからロウソクを取り出し、左手に小さく炎を灯す。橙色の炎はロウソクの上で暖かく揺れた。
死ぬ気の炎がアマネの意思次第でこうして普通の炎のようにも使えることは、アマネとしては何だか納得がいかないのだが便利である事は変わりない。
影時間が終わるまで作業も中断かとエプロンをかけた椅子へ腰を降ろした。そのまま机に突っ伏して炎を見つめていると、ふいに階段を降りてくる音が聞こえて身体を起こす。
「斑鳩まだ起きてたの?」
「煮込み料理、作ろうと思いまして。先輩は?」
「お腹空いた」
食器棚の中から、アマネが時々補充しているお茶菓子の入った籠を取り出して個装を開ける。いつの間にか減っていると思ってはいたが、こうして食べられていたとは。
「夜に食べると太りますよ」
「少しくらい太っても平気。それに今影時間だし」
影時間であるとしても食べ過ぎれば太ると思ったが、アマネは言うのを止めた。言っても仕方が無いし本当のところはどうなのかも分からない。試す気も無いが。
頬杖を突いてガス台の上の鍋をボンヤリと見つめていると、鍋を照らしていた明かりが揺れる。見れば有里がお菓子を口に咥えたまま、炎に手を翳して遊んでいた。
「火点くの? 影時間」
「それ秘密がある炎なんです。追求しないでください」
「秘密」
両手で影絵を作って遊んでいた有里が振り向く。一番簡単な犬の、口元に当たる指を動かしながら首を傾げた。
残念ながら言う気は無い。
「コロマルですか?」
「うん」
指を動かして遊んでいる有里は無表情で、楽しいのかどうか分からなかった。
「斑鳩は、荒垣さんのことどう思う?」
「え?」
自分も影絵を作ってみようと、手を見下ろして形を思い出そうとしていた時に尋ねられてアマネは思わず聞き返す。
「荒垣さん、どう思う?」
「はぁ……不器用な人、ですかねぇ」
いきなりだなと思いながら立ち上がり、引き出しからもう一本ロウソクを取り出す。誰かがケーキを買ったときのおまけなのか一本一本はあまり長さの無いそれに、既に短くなってしまったロウソクから火を貰い点ける。
アマネ一人ならロウソクなど使わなくてもいいが、有里がいるので残りのロウソクも出しっぱなしにすることにした。
「あの人と、何か話した?」
「入院しているゴスロリさんのことと、後は夕食のことぐらいですかねぇ。それが?」
「荒垣さんに、斑鳩の悩みも聞いてやれって言われた。リーダーだから?」
「……突っ込みどころが幾つかあるんですけど」
最後を疑問系にするのも荒垣に言われたというのもとりあえず置いておこう。だがどうして自分に悩みがあるという事になったのかが分からず、アマネは混乱した。
「俺に今のところ悩みなんてねぇですよ。荒垣さんは何を思ってそう言ってたんですか」
「知らない。でも何かに依存? してるとか、女に似てる? とか」
「ああ……理解しました。あの人聡い人だぁ」
荒垣への認識が少し変わる。片付けをしていた時のあの会話だけで、荒垣はアマネも何かに執着して安心感を求めている、つまりあのゴスロリ少女と同じ部分があると気付いたらしい。だがそれが何なのかは荒垣には分からない。
だから付き合いの長いだろう有里へ聞く様に言ったのか。リーダーだから、というのはおそらく荒垣に言われたのだろう。体のいい責任転嫁の理由だ。
「何か悩んでる?」
口元に手を当てて椅子の背もたれに仰け反るアマネを、有里はまっすぐ見つめて首を傾げる。眼を逸らすつもりは無いらしい。
前にもこんな事があったなと思いながら、アマネは前かがみになって溜息を吐いた。
「……悩みって程じゃねぇんです。これは時間を掛けて俺がどうにか向き合えばいいことだとも思ってるし、先輩に打ち明けるほどの大した話でもねぇです」
『昔』の事『イブリス』の事。失った力の事。それは一から説明すると長くなるし、説明して理解してもらえたからといって、いい意見が得られるものでもない。
自分がイブリスに依存しているのは分かっている。だが現状はそのままでも大丈夫だとも思っていた。
だから荒垣の観察はある意味では杞憂だ。
「でも悩みはあるんだ」
何が不満なのか、そう言って有里は唇を尖らせる。
「俺に悩みがあっては駄目なんですか?」
「気付けなかったのが悔しい」
「ああ、そっちぃ……」
「荒垣さんは気付いたのに、オレは斑鳩のこと、気付かなかった」
短くなったロウソクから火が消えた。
ロウソクの明かりに慣れていた眼は、一瞬で変わった暗さにすぐに慣れることは出来ない。それでも有里が動いていないのは分かって、アマネは足を組みながら溜息を吐いた。
有里がどうしてそこまでアマネのことを構おうとするのかが分からない。
前々からアマネのせいではあるが頭を撫でたり、自分から一緒に帰ろうと言い出したりMDを寄越したり、事ある毎に意識してアマネと交流しようとしているのは気付いていた。桐条や真田といった上級生に対抗する、リーダーとしての責任感からかと思っていたがどうも違うらしい。
これは、なんというか。
アマネは有里から顔を逸らして前髪をかき上げた。
「……有里先輩、アンタ、俺のことどう思ってます?」
対象を荒垣からアマネ自身に変えて尋ねる。正面で、顔を上げたのだろう気配が動く。
「少なくとも『どうでもいい』とは思ってませんよね」
「うん」
「嫌い?」
「ううん」
「好き?」
「うん」
素直に答えた。というよりあまり何も考えていなそうだ。
「どうして好きなんですか?」
今度は首を傾げる気配。
「質問を変えましょう。どういう風に好きだかは分かりますか?」
「……弟がいたら、こんな感じかなって」
少しの沈黙の後返された答えに、出そうになった溜息を殺してテーブルを指先で叩いた。
感情表現苦手な人間の精一杯の行動が今までのアレか、とか、ここまで引き出した自分頑張った、とかそういう感想に紛れて少しだけ顔が赤くなる。
弟扱いは初めてだった。
年下扱いならあるが、基本アマネは『兄』の性質だ。時折やっていることが母親みたいだと思わなくも無いが、それでもアマネは『兄』である。
だからだろうか、弟扱いされているのだという事実は結構衝撃的だった。
「弟……」
なるほど『弟』なら構うし心配するし甘やかしたりもしたいのだろう。それ自体はアマネにも覚えのあることだから良い。いいが、まさか自分へ向けられるとは今まで考えたことがなかった。
「天田じゃ駄目なんですか?」
「天田は、弟二号?」
天田に対して失礼な発言があった気がするので忘れよう。
「今までオレ一人だったから、年下は斑鳩が初めてなんだ。だから、少し嬉しい」
そう言って、多分珍しく微笑みでも浮かべているのだろう有里に、アマネは顔が向けられない。嬉しいやら恥ずかしいやらで、聞かなければ良かったという後悔も少しある。
「……いや、だった?」
「すみません嫌ではねぇんですけど、ちょっと、ああ……もう」
自分で向けた話とはいえ墓穴を掘った。
パッと点いた蛍光灯の明かりとガス台の火に、影時間が終わったのだと理解する。アマネとしてはあと三十分くらい暗いままでも良かったと思いながら、立ち上がって鍋の前に立った。
有里はまだ椅子に座っている。
手を伸ばして小皿を取り、料理の端を小皿にとって振り返り有里へ差し出せば、窺うような視線がアマネを見上げる。
「どうぞ」
「いただきます」
自分でも味見をして、これでいいかと蓋を閉めた。火を消して振り返れば、有里が空になった小皿を差し出している。
「美味しい。おかわり」
「一晩置くんで駄目です」
「……おかわり」
「駄目です」
不満そうな有里から小皿を受け取り軽く洗って、手の水気を払いながら冷蔵庫を開けた。
中には夕食後に作っていたプリンが入っていて、それを二つ取り出し一つを有里の前に置く。
「今日はもうこれで我慢してください。好きでしょう、プリン」
「うん」
「食べたらもう寝ましょう。明日も学校なんですから」
スプーンを受け取って食べ始める有里は、どうもプリンが好物らしい。最初に作った時以降も何度か作っているが、その度にお代わりを欲しがっていたしリクエストを聞くとデザートにはプリンを食べたいと言う事が多かった。
こうしているとやはり自分のほうが『兄』なんだよなぁと思いながら、アマネも自分の分として出したプリンを口に運ぶ。
それでも有里は、アマネのことを弟のように想っているのか。
「……先輩、俺のこと『弟』みたいに思ってるなら、もう少ししっかりしましょうよ」
「しっかりしてない?」
「少なくとも、口の端に食べカス付けてちゃ駄目ですよ」
「夜食」
「うん……このプリン自体が夜食ですからその言い訳はちょっと」
「じゃあしっかりする」
そう言った有里は流石に食べる手を止めていて、だから真剣に言ったのだろう。
口の端に食べカスが付いていて決まっていないが。思わずアマネが吹き出すと有里も思い出したのか慌てて食べカスを取る。
「やりなおしていい……?」
「いいですよやり直さなくて。食べカスに気をつけてくれれば、しっかりする必要だってありません」
今回のプリンは少し蒸し過ぎたらしい。プリンとしては失敗作だ。味はいいのに少し悔しい。
「俺は今の湊さんがいいと思います」
「……出来の悪い兄?」
「出来が悪ぃ自覚はあるんですか」
「順平よりは良いと思ってる」
「そうですね。でも今の伊織先輩はチドリさんの今後の反応次第で、人間的に成長するんじゃねぇかなぁ」
自分の分のプリンを食べ終えて、先に空になっていた容器を有里の手から受け取り、流し台へ置く。洗うのもロウソクを片付けるのも明日でいいだろう。
テーブルの脇に置いていた携帯と音楽プレーヤーを取り上げれば、アマネがもう休むことが分かったのだろう有里も立ち上がる。
二階へ上がり、有里の部屋の前で有里と別れた。明日の授業のことを思い出していたアマネの背後で、部屋に入ろうとしていた有里が小さく声を上げる。
どうやら気付いたらしい。
「……名前」
アマネは振り返らない、いや、振り返れなかった。
昨日会った時には何故か妙に浮かれていた伊織が見当たらないまま満月当日の影時間を迎え、天田と一緒に伊織を探すも見つからない。このまま外にまで探しに行くのは怒られるだろうと諦め、天田と合流して作戦室へ向かう。
作戦室では、既に山岸がペルソナを出してシャドウの探索を行っていた。
「順平さん、何処にも居ません。カバンも無いし、今日はまだ部屋に戻ってないみたいです」
「あいつ……満月って分かってんでしょうに!」
天田の報告に岳羽が憤る。その気持ちも分からないではないが、アマネが知っている伊織にしては行動がおかしいと思う為、アマネはそうすんなりと岳羽の様に怒る事も出来なかった。
寮に一度帰ってきてそれから出かけたならともかく、学校が終わってから一度も帰らずに姿を消したのが引っ掛かっている。
「寮の近くにも居ないようですね。順平くんの反応は見当たりません。念のため、少し時間を使って探してみましょうか?」
「いや、いいよ。若い君らだ。そういう気分の時もあるだろうさ。とにかく、今は目の前のシャドウをなんとかして欲しい」
幾月はそう言って皆の意識を伊織から大型シャドウへと向け直す。ふと見れば、荒垣が何か考え込むように俯いていた。アマネと同じく何か引っ掛かるものでもあるのだろうか。
アマネ的には先月の作戦日に現れたストレガのこともあるし杞憂であるとしてもちゃんと探すべきだと思うのだが、総指揮を執る幾月が言うのであれば仕方がない。
動き出した真田の後を岳羽と天田が追い掛け、ペルソナを戻した山岸と美鶴も作戦室を出て行く。
もし影時間が終わっても伊織が帰って来ないようであれば例え深夜でも探しに行くかと考えて、遅れながらアマネも階段を降りた。
「順平のやつ、何か言ってなかったか?」
既に皆先に行ってしまったと思ったのだが、ラウンジのところで荒垣が有里へ話しかけている。
「特には」
「なら、いい」
アマネが居る事に気付いてか一度振り返った荒垣は苦い顔をしていて、アマネと有里に遅れるなよと言って出て行った。
「順平、どうしたんだろ」
「心配ですか?」
「少し」
なら自分の嫌な考えは言わないほうがいいなと結論を出して、アマネは立ち止まっていた有里の背を軽く押して寮を出る。
まさかストレガの奴等がコチラの戦力を減らそうと、伊織を捕まえているなり殺しているなりしているかもしれないだなんて普通の高校生なら考えつかない案だ。だがストレガの行動基準が分からない以上、アマネはそれも視野に入れる。
もしこれで本当に殺されていたら、伊織には捜索しないことを選んだ幾月を恨んでもらおうと思いながら。
ポロニアンモールの中心にある噴水の水は、影時間の今は赤い血の色をした水に変わっていた。おそらく本物の血ではない。
ところで影時間では一般の機械類は止まるはずなのに、どうして噴水は止まらないのだろうか。
ペルソナを使って周囲を探っている山岸を守るように、アマネが周囲の気配に注意を払っていると美鶴が山岸へ話し掛ける。
「どうだ?」
『この、ボンヤリした感じ……こんなに近くに来てるのに、どうして⁉』
「よし、後は手分けして探すぞ。時間は掛けられない、急げ!」
『待ってください! お願いします、やらせて下さい! これは、私の役目だから……!』
更に集中する山岸には、他の皆とは違って戦闘能力はない。探索能力にだけ特化している故に、それすらも満足に出来ないというのが嫌なのか。
『ルキアの指が触れる……土の答え。髪が触れる……風の答え。唇が触れる……水の答え。教えて……この霧のような姿は、何?』
「おい、大丈夫なのか?」
「集中の邪魔をするな」
『これは……足の、下? 網目……?』
「網目……もしかすると、地下ケーブルと関連があるかもしれません。ここは、島が開発中の頃は工事用電源の基地があった場所ですので」
どうでもいいが、人に近いとはいえアイギスの様な機械が『もしかすると』という類の言葉を使うと違和感を覚える。
「地下ケーブル?」
「網目のような相当量の地下ケーブルが、地下に放られたままになっているようです」
「それが索敵の邪魔になってるって事か?」
首を傾げる真田とは違い、ペルソナの中で山岸が微笑んだ。
『……ありがとう、アイギス。今ので全部分かったわ。ケーブルに、シャドウの位置が撹乱されてる訳じゃなく……そのケーブル網自体が、シャドウに乗っ取られている!』
「それっ……え……? つまり、足の下はそこらじゅうシャドウって事⁉」
思わず靴の下、踏みしめている地面を見下ろしてしまった。その行動はアマネだけではなく、岳羽や天田、美鶴も同じように地面を見つめている。
先月に引き続き、また地面の下ということか。
「……絞れなかったワケだ。本当にこの辺全部を占める大きさって事か」
「そ、そんなの、どうやって倒すんです⁉」
「チッ、地面の下か……」
つま先を立てて地面を蹴飛ばしたところでシャドウが出てくる訳もない。自分達を倒している存在が人間である事を考えてのこの行動だとしたら、なるほどシャドウは頭がいいのだろう。
人間の来られない場所、手の届かない場所で暴れれば自分が倒される心配など無いのだから。
「まいったな……これでは手が出せない」
困り果てたのは美鶴だけではないが、誰もそれ以上の言葉が見つからない。全員がそう思ったのは確かだし、だからと言ってアマネにも状況を打破できるような案は浮かばなかった。
まさか人間が出入り出来ないかもしれない地下に居るなどと、誰が考えられるだろうか。
『前にモノレールを乗っ取ったシャドウがいたと、記録で見ました。恐らくそれと同じでどこかに『本体』がいるはずです。私が見つけます』
息を吸う音が聞こえるほどに深く、集中する山岸も少し心配だ。
「場所が分かったとしても、問題は行き方だな」
「放置された施設であれば、今でも、侵入が可能かも知れません」
「だといいがな……」
山岸を信用し、既に見つけた後のことを考える真田と荒垣に対してのアイギスの案も、その場所が無ければ意味を成さない。
穴を掘るなんて事は時間が掛かる上に馬鹿げているからか誰も言わなかった。伊織が居れば彼なら言っていたかもしれないが、彼は現在ここにはいない。
立ち続けているのが嫌になったのか、コロマルがうろうろと歩き回るのを天田が呼んで傍に座らせる。
アマネも気配を探すようにモールを見回してみた。シャドウ自身が入っていった場所があるだろうことを考えると、必ず何処かに道があるはずだが。
『……見つけた。ここのすぐ近く……このモールの中です!』
「この中⁉」
集中のし過ぎで息を切らせた山岸が叫ぶ。それでもやっと見つけた手がかりを再び失わないように、眉を潜めていた。
『地下に出来ている小さな空間の中です。四角い箱の形をしているから、たぶん、人工の空間だと思います』
「四角って、地下室とかかな」
「そういや……『エスカペイド』のフロアやってる奴、最近電源の調子がどうのってボヤいてやがったな。お陰で停電食って、デカいイベントが飛んだとか何とか」
アマネとしては、それを知っている荒垣に驚いたが空気を読んで黙っていた。不良の溜り場にいたことを考えれば、そういう夜が儲け時の店への出入りもするのかもしれないが、何となく荒垣とクラブという組み合わせは合わない。彼はもっと、定食屋や食堂のような人間染みた場所に居そう、というのがアマネの感想だ。
そんなことよりも問題は荒垣の言葉の中。
「電源?」
「確か、昔からあった地下の空間を部屋に改造したとか、聞いたことがある。ひょっとすっと……」
『間違いないと思いますっ!』
「よくやった、山岸。よし、準備が整い次第、突入組で仕掛けるぞっ!」
***
シャドウを倒した有里達が戻ってくる。労いの言葉もおざなりに、山岸が寮で伊織の反応を見つけたらしい。
寮へ帰ってきてはいるという事に、アマネは自分の考えが杞憂だったと安堵するも、少し様子がおかしいという山岸の言葉には顔をしかめずにいられなかった。
今度は体調が悪いのではないだろうかとか、そういう意味での心配をする。
「俺、気になるんで先に帰ります」
「オレも一緒に行くよ斑鳩」
疲れているだろうにアマネを振り返った有里が、そう言ってアマネの傍へ来た。
「もう、ほっとけばいいじゃない順平なんか」
「体調が悪くて必死に寮まで戻ってきたのかもしれねぇですし、そもそも寮には幾月さんが居るはずでしょう? なんで連絡が無いんですか?」
「……え?」
気になったのはそれもあるからだ。普通に寮へ戻ってきたのなら、作戦室へ顔を出すだろうしそうすれば残っている幾月が連絡を寄越してもおかしくない。だというのに今の段階でそれが無いという事は、幾月と伊織が会っていないか連絡を取る時間が無いか。
二人が顔を合わせない理由はあまり無い。例えば伊織が真っ直ぐ自室へ戻り休んでいるとしても、幾月も流石に気付いて様子を見に行くはずだ。作戦室には寮の玄関部分を映す監視カメラの映像があるのだから。
そこまで考えて、嫌なことを想像した。
監視カメラに映らないように寮へ入ったのだとしたら。
無論やましい事がなければそんな出入りをする必要は無い。ではする必要がある場合はどうだろうか。例えば。
「……ストレガ?」
「え、今……ちょっ、斑鳩クン⁉」
悪いとは思ったが岳羽の声を無視して走り出す。ストレガのことを忘れていたのだ。
アマネ達の毎月の行動を監視していたのなら、その延長でアマネ達の住んでいる寮も分かるだろうし、毎月の行動把握もそう難しい事ではない。少なくとも満月の日は出かけると分かっている。
そして先月は接触してきてあれだけコチラをボロクソに言ってきたくせに、今回は全くその気配すら無かった。
そこからおかしいと思うべきだったのだ。
寮を出る前に考えた事は半ば冗談だったというのに、今では現実になりそうな状況。
もう少しで寮が見える、というところで犬の鳴き声がして振り返る。見ればコロマルと息を切らしかけた有里が走ってきていた。
「足……早い」
置いてきてしまったのを、戦闘直後で疲れているだろうに追い掛けて来てくれたのだろう。申し訳ないと思いながら息を切らす有里の背を擦る。
「すみません。ちょっと嫌な考えをしてしまったので」
「……順平が、ストレガに襲われてるってこと?」
「杞憂だったら良いんですけどね」
寮の玄関を抜けて階段を駆け上がり、作戦室にいるであろう幾月も無視してぶつかるように開いた屋上の扉の先、とりあえず鎖で拘束されている伊織を視認した。その傍にはゴスロリ姿の少女がいる。
白河通りのビルの屋上で見た少女だ。ということはストレガの一員。やはり想像通りに襲われていたのかと舌打ちする。
「順平⁉」
後ろから遅れて階段を昇ってきた岳羽が叫ぶのに、少女がこちらを振り返った。
「ッ……もう戻ってきたの⁉」
「それは……召喚器⁉ ペルソナ使いなのか⁉」
美鶴の声に応えるように、少女が召喚器を構える。
「メーディア、おいで……」
「やめろっ、チドリっ!」
叫ぶ伊織が呼んだのが少女の名前だろうか。鎖で自由には動けないだろう身体を動かして、伊織が少女に体当たりすると少女がその衝撃で召喚器を取り落とした。
「先輩、チドリの銃を!」
美鶴や真田が動く前に、アマネは走り出して少女が落とした銃を拾い上げる。
アマネ達が使う召喚器と同じ、銃の形をしたものだ。数少ないペルソナ使い同様、召喚器も少ない上に入手は困難だと思うのだが、一体少女はこれをどうやって手に入れたのか。
「いやっ! か、返してっ!」
「運が悪かったな。悪いがコイツは使わせない」
それは悪役側の台詞だと思いながらも、拾い上げた召喚器を真田へ渡す。少女が奪い返そうと襲い掛かってきたらすぐに拘束できるようにと身構えていた時、作戦室に篭っていたらしい幾月がやってきた。
本当に、遅い登場だ。
「おいおい、何の騒……おわっ⁉ いつの間に⁉」
「アイギス、彼女を拘束してくれ」
「了解であります」
召喚器を奪われて為す術のないらしい少女が、助けを求める様に己のペルソナのだろう名前を叫ぶ。
アマネは拘束された少女を見つめる伊織の傍へ行き、彼を拘束している鎖を外した。
「私、今の今まで気付けなかった。私には、この力しか無いのに……」
「山岸君でさえ何も感じなかったとなると、これはもう『撹乱する能力』って事だね……僕なんかもう、全然、サッパリ、カラっきし気付けなかったよ」
山岸を慰めているのか自分を貶めているのかよく分からない幾月は放って置いて、伊織に怪我が無いかを確かめる。鎖が擦れた痕くらいしか無い様なので、特に問題はないだろう。
「訊きたい事が色々ある。君も、あのストレガとかいう連中の仲間か?」
「私は……死ぬなんて……怖く……ない」
「チ、チドリ……⁉」
「……メ、メーディア、私は……、……」
拘束された状態のまま肩を震わせ怯えている少女に美鶴が舌打ちを零した。
「話を聞ける状態じゃないな。精神がひどく乱れてる。しばらく安静にさせて様子を見るしか無いだろう」
立ち上がった伊織が少女を見つめ、複雑そうな顔で呟く。
「チドリ……」
***
辰巳記念病院へ収容されたゴスロリ少女、チドリは昼間のうちに出かけていった美鶴達が尋問してみたものの結果は芳しくなく、取り上げられた召喚器の話題を少しでも出すとまだ錯乱して騒ぎ出すらしい。
まぁ、高校生に尋問させようというのが間違っている気もするが。
アマネは病院へ行って彼女に会っていないので分からないが、一度押し掛けた伊織を止める為になし崩しで病院まで行ってしまった岳羽の話によると、錯乱している状態の時は、自分のペルソナの名前を呼び続けているらしい。
「メーディア、ねぇ」
「あのオンナのペルソナか?」
夕食の片付けをしているとふいに聞かれて、振り返れば食器を持ってきた荒垣が立っていた。
「そうだと思います。……軽い、依存状態なんでしょうね」
「依存?」
水を張った洗い桶の中へ食器を沈めた荒垣が隣からアマネを見る。アマネは何も言わずに微笑んだ。
己のペルソナへ依存する。それは現状アマネ自身もしてしまっている事だ。
毎夜影時間が来る度に己のペルソナであるイブリスを召喚し、それに縋っている。すでに日課とまでになってしまっているそれの原因は、他に縋れるものがないということだ。
縋るというのは存外難しいものだとアマネは考えている。成長することでそれは顕著になり、思春期を迎えた頃が一番不安定だ。縋りたい。けれども縋れるものがない。
あのチドリという少女とアマネは、それをペルソナへ求めてしまった。
「『ライナスの毛布』って知ってますか?」
「ああ? んだそれ?」
「『ピーナッツ』という本に出てくるキャラクターの一人でして、お気に入りの毛布をいつも持ち歩いているんです。心理学用語にまでなってたんじゃねぇかと思ったんですけど、つまりお気に入りの玩具などを持ち歩いたりそれに執着したりする事によって安心感を得ているんです」
「ガキか」
「ええ、子供でしょうね。でも大人でもそういう行為はするし、ましてや屋上でのあの精神錯乱状態からするに、彼女にとっての『毛布』がペルソナであり、それを呼び出す為の召喚器こそが眼に見える『毛布』だったんでしょう」
泡を流して食器を水切り台へ置く。荒垣はまだ横にいてアマネを見ていた。
そう考えるとアマネの毎夜の行為も、イブリスを介して『昔の自分』に安心感を求めている事になるのだろうか。なんて他人事の様に考える。
アマネには彼女の事を貶すことは出来ない。
「……テメェは」
手が止まっていた事に話しかけられて気付く。荒垣の手が蛇口に伸ばされ流れていた水が止められる。
水滴が、落ちた。
***
チドリの尋問が上手くいかない事でなかなか帰ってこない桐条と真田のお陰で、ここ数日タルタロスヘは行っていない。先日倒したばかりの大型シャドウのこともあって皆疲れが溜まっているだろうからそれは構わなかった。
けれどシャドウと対峙はしなかったのでアマネは疲れていないのだ。お陰で何となく運動不足な感じが否めない。
気まぐれに、ついつい時間のかかる料理を作ってみようとキッチンに篭りきりになっていると、突然明かりやガスの火が消えた。
時計を見ると午前零時ちょうどを差して止まっている。嗚呼影時間に入ってしまったのかと納得し、アマネは着ていたエプロンを脱いで椅子に放り投げた。
引き出しからロウソクを取り出し、左手に小さく炎を灯す。橙色の炎はロウソクの上で暖かく揺れた。
死ぬ気の炎がアマネの意思次第でこうして普通の炎のようにも使えることは、アマネとしては何だか納得がいかないのだが便利である事は変わりない。
影時間が終わるまで作業も中断かとエプロンをかけた椅子へ腰を降ろした。そのまま机に突っ伏して炎を見つめていると、ふいに階段を降りてくる音が聞こえて身体を起こす。
「斑鳩まだ起きてたの?」
「煮込み料理、作ろうと思いまして。先輩は?」
「お腹空いた」
食器棚の中から、アマネが時々補充しているお茶菓子の入った籠を取り出して個装を開ける。いつの間にか減っていると思ってはいたが、こうして食べられていたとは。
「夜に食べると太りますよ」
「少しくらい太っても平気。それに今影時間だし」
影時間であるとしても食べ過ぎれば太ると思ったが、アマネは言うのを止めた。言っても仕方が無いし本当のところはどうなのかも分からない。試す気も無いが。
頬杖を突いてガス台の上の鍋をボンヤリと見つめていると、鍋を照らしていた明かりが揺れる。見れば有里がお菓子を口に咥えたまま、炎に手を翳して遊んでいた。
「火点くの? 影時間」
「それ秘密がある炎なんです。追求しないでください」
「秘密」
両手で影絵を作って遊んでいた有里が振り向く。一番簡単な犬の、口元に当たる指を動かしながら首を傾げた。
残念ながら言う気は無い。
「コロマルですか?」
「うん」
指を動かして遊んでいる有里は無表情で、楽しいのかどうか分からなかった。
「斑鳩は、荒垣さんのことどう思う?」
「え?」
自分も影絵を作ってみようと、手を見下ろして形を思い出そうとしていた時に尋ねられてアマネは思わず聞き返す。
「荒垣さん、どう思う?」
「はぁ……不器用な人、ですかねぇ」
いきなりだなと思いながら立ち上がり、引き出しからもう一本ロウソクを取り出す。誰かがケーキを買ったときのおまけなのか一本一本はあまり長さの無いそれに、既に短くなってしまったロウソクから火を貰い点ける。
アマネ一人ならロウソクなど使わなくてもいいが、有里がいるので残りのロウソクも出しっぱなしにすることにした。
「あの人と、何か話した?」
「入院しているゴスロリさんのことと、後は夕食のことぐらいですかねぇ。それが?」
「荒垣さんに、斑鳩の悩みも聞いてやれって言われた。リーダーだから?」
「……突っ込みどころが幾つかあるんですけど」
最後を疑問系にするのも荒垣に言われたというのもとりあえず置いておこう。だがどうして自分に悩みがあるという事になったのかが分からず、アマネは混乱した。
「俺に今のところ悩みなんてねぇですよ。荒垣さんは何を思ってそう言ってたんですか」
「知らない。でも何かに依存? してるとか、女に似てる? とか」
「ああ……理解しました。あの人聡い人だぁ」
荒垣への認識が少し変わる。片付けをしていた時のあの会話だけで、荒垣はアマネも何かに執着して安心感を求めている、つまりあのゴスロリ少女と同じ部分があると気付いたらしい。だがそれが何なのかは荒垣には分からない。
だから付き合いの長いだろう有里へ聞く様に言ったのか。リーダーだから、というのはおそらく荒垣に言われたのだろう。体のいい責任転嫁の理由だ。
「何か悩んでる?」
口元に手を当てて椅子の背もたれに仰け反るアマネを、有里はまっすぐ見つめて首を傾げる。眼を逸らすつもりは無いらしい。
前にもこんな事があったなと思いながら、アマネは前かがみになって溜息を吐いた。
「……悩みって程じゃねぇんです。これは時間を掛けて俺がどうにか向き合えばいいことだとも思ってるし、先輩に打ち明けるほどの大した話でもねぇです」
『昔』の事『イブリス』の事。失った力の事。それは一から説明すると長くなるし、説明して理解してもらえたからといって、いい意見が得られるものでもない。
自分がイブリスに依存しているのは分かっている。だが現状はそのままでも大丈夫だとも思っていた。
だから荒垣の観察はある意味では杞憂だ。
「でも悩みはあるんだ」
何が不満なのか、そう言って有里は唇を尖らせる。
「俺に悩みがあっては駄目なんですか?」
「気付けなかったのが悔しい」
「ああ、そっちぃ……」
「荒垣さんは気付いたのに、オレは斑鳩のこと、気付かなかった」
短くなったロウソクから火が消えた。
ロウソクの明かりに慣れていた眼は、一瞬で変わった暗さにすぐに慣れることは出来ない。それでも有里が動いていないのは分かって、アマネは足を組みながら溜息を吐いた。
有里がどうしてそこまでアマネのことを構おうとするのかが分からない。
前々からアマネのせいではあるが頭を撫でたり、自分から一緒に帰ろうと言い出したりMDを寄越したり、事ある毎に意識してアマネと交流しようとしているのは気付いていた。桐条や真田といった上級生に対抗する、リーダーとしての責任感からかと思っていたがどうも違うらしい。
これは、なんというか。
アマネは有里から顔を逸らして前髪をかき上げた。
「……有里先輩、アンタ、俺のことどう思ってます?」
対象を荒垣からアマネ自身に変えて尋ねる。正面で、顔を上げたのだろう気配が動く。
「少なくとも『どうでもいい』とは思ってませんよね」
「うん」
「嫌い?」
「ううん」
「好き?」
「うん」
素直に答えた。というよりあまり何も考えていなそうだ。
「どうして好きなんですか?」
今度は首を傾げる気配。
「質問を変えましょう。どういう風に好きだかは分かりますか?」
「……弟がいたら、こんな感じかなって」
少しの沈黙の後返された答えに、出そうになった溜息を殺してテーブルを指先で叩いた。
感情表現苦手な人間の精一杯の行動が今までのアレか、とか、ここまで引き出した自分頑張った、とかそういう感想に紛れて少しだけ顔が赤くなる。
弟扱いは初めてだった。
年下扱いならあるが、基本アマネは『兄』の性質だ。時折やっていることが母親みたいだと思わなくも無いが、それでもアマネは『兄』である。
だからだろうか、弟扱いされているのだという事実は結構衝撃的だった。
「弟……」
なるほど『弟』なら構うし心配するし甘やかしたりもしたいのだろう。それ自体はアマネにも覚えのあることだから良い。いいが、まさか自分へ向けられるとは今まで考えたことがなかった。
「天田じゃ駄目なんですか?」
「天田は、弟二号?」
天田に対して失礼な発言があった気がするので忘れよう。
「今までオレ一人だったから、年下は斑鳩が初めてなんだ。だから、少し嬉しい」
そう言って、多分珍しく微笑みでも浮かべているのだろう有里に、アマネは顔が向けられない。嬉しいやら恥ずかしいやらで、聞かなければ良かったという後悔も少しある。
「……いや、だった?」
「すみません嫌ではねぇんですけど、ちょっと、ああ……もう」
自分で向けた話とはいえ墓穴を掘った。
パッと点いた蛍光灯の明かりとガス台の火に、影時間が終わったのだと理解する。アマネとしてはあと三十分くらい暗いままでも良かったと思いながら、立ち上がって鍋の前に立った。
有里はまだ椅子に座っている。
手を伸ばして小皿を取り、料理の端を小皿にとって振り返り有里へ差し出せば、窺うような視線がアマネを見上げる。
「どうぞ」
「いただきます」
自分でも味見をして、これでいいかと蓋を閉めた。火を消して振り返れば、有里が空になった小皿を差し出している。
「美味しい。おかわり」
「一晩置くんで駄目です」
「……おかわり」
「駄目です」
不満そうな有里から小皿を受け取り軽く洗って、手の水気を払いながら冷蔵庫を開けた。
中には夕食後に作っていたプリンが入っていて、それを二つ取り出し一つを有里の前に置く。
「今日はもうこれで我慢してください。好きでしょう、プリン」
「うん」
「食べたらもう寝ましょう。明日も学校なんですから」
スプーンを受け取って食べ始める有里は、どうもプリンが好物らしい。最初に作った時以降も何度か作っているが、その度にお代わりを欲しがっていたしリクエストを聞くとデザートにはプリンを食べたいと言う事が多かった。
こうしているとやはり自分のほうが『兄』なんだよなぁと思いながら、アマネも自分の分として出したプリンを口に運ぶ。
それでも有里は、アマネのことを弟のように想っているのか。
「……先輩、俺のこと『弟』みたいに思ってるなら、もう少ししっかりしましょうよ」
「しっかりしてない?」
「少なくとも、口の端に食べカス付けてちゃ駄目ですよ」
「夜食」
「うん……このプリン自体が夜食ですからその言い訳はちょっと」
「じゃあしっかりする」
そう言った有里は流石に食べる手を止めていて、だから真剣に言ったのだろう。
口の端に食べカスが付いていて決まっていないが。思わずアマネが吹き出すと有里も思い出したのか慌てて食べカスを取る。
「やりなおしていい……?」
「いいですよやり直さなくて。食べカスに気をつけてくれれば、しっかりする必要だってありません」
今回のプリンは少し蒸し過ぎたらしい。プリンとしては失敗作だ。味はいいのに少し悔しい。
「俺は今の湊さんがいいと思います」
「……出来の悪い兄?」
「出来が悪ぃ自覚はあるんですか」
「順平よりは良いと思ってる」
「そうですね。でも今の伊織先輩はチドリさんの今後の反応次第で、人間的に成長するんじゃねぇかなぁ」
自分の分のプリンを食べ終えて、先に空になっていた容器を有里の手から受け取り、流し台へ置く。洗うのもロウソクを片付けるのも明日でいいだろう。
テーブルの脇に置いていた携帯と音楽プレーヤーを取り上げれば、アマネがもう休むことが分かったのだろう有里も立ち上がる。
二階へ上がり、有里の部屋の前で有里と別れた。明日の授業のことを思い出していたアマネの背後で、部屋に入ろうとしていた有里が小さく声を上げる。
どうやら気付いたらしい。
「……名前」
アマネは振り返らない、いや、振り返れなかった。