ペルソナ3
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八月の満月が来て、作戦室に幾月を含めたSEESメンバー全員が揃っている。
当然だが天田はいない。まだ小学生で夜更かしもせず、今頃は部屋でぐっすりと眠っているだろう。
流石に睡眠薬は盛られていまい。少なくともアマネは料理に盛った覚えはなかった。
「さて、また今月も満月の晩が巡ってきた訳だね」
いささか眠そうな声で幾月がそう言うのを、美鶴が遮るようにシャドウの気配を探っている山岸へ話し掛ける。山岸は既にシャドウの気配を見つけていた。
「場所は、巌戸台の北の外れにある、廃屋が並んでる一帯です」
またアマネはよく知らないところだ。以前の白河通りの事もあって、先日暗記してみたこの辺りの地図を思い出す。
港に近いところだったとは思うが、廃屋だからと大して気に留めていなかった。
「ただ、反応は十メートル以上の地下から確認されてて、それがちょっと……」
「地下、ですか?」
「単に建物に地下があるって事じゃないの?」
納得が出来ないという風に言いよどむ山岸に、岳羽が首を傾げる。
「港湾部北側には、建築時に地下十メートルを申請している建物はありません。ですが、ずっと以前には、陸軍が地下施設を置いていたという記録があります」
「陸軍? ……そうなの?」
アイギスの言った事が本当であるかの説明は、幾月がしてくれた。
「彼女には、この辺りの地形や建築に関する情報が一通り記録されているんだよ。もっとも、放置していたので最後の更新は十年前だが」
「十年前であります」
「更新しようよ……」
伊織は残念そうにそう言ったが、古い情報だって必要な時はあるだろう。別にアイギスの情報を更新するなとは言わないが、今後だってこの巌戸台の何処へどうシャドウが現れるのか分からないのだし、古い地形の情報だってあるに越したことはない。
「で、結局どう解釈したらいいんだ?」
アイギスの情報よりもシャドウが気になるらしい真田が山岸へ尋ねる。だがやはり、山岸の返事は芳しくない。
「詳しい事は、実際に行ってみないと何とも……」
近くで調べれば山岸ならもう少しは詳しく分かるとは思うが、彼女のペルソナは、地下まで探れるのか。
タルタロスは上へと伸びているので地上だが、地下を調べるのは山岸も始めてだろうに。
「戦争の遺物、か……。今回は状況が未だ不透明だ。よって前線を誰にするかは、現地へ行ってから決める事にする」
「了解」
「了解であります」
もしかしたら後衛の援護無しにシャドウの居場所を突き止め倒さなければならない。そう考えると素直に返事をした真田とアイギスが少し羨ましかった。
考えていない訳ではないけれど、不安を持ってもいないのだ。
「では、行こう」
件の地下施設の入り口は、元々陸軍の地下施設というので厳重に立ち入り禁止となっているのかと思ったがそんなことはない。むしろ廃墟マニアや肝試しをしに来た者によって荒らされてもいるようで、敷地内は自然に生い茂った雑草の合間に小さな獣道が出来ていた。
岳羽や山岸が方々に伸びる雑草とやぶ蚊を鬱陶しがりながらも進み、やはり無作法にこじ開けられて歪んでいた入り口から奥へと立ち入れば、視界に坑道の一角の様な空間が広がる。
陸軍の施設として使われていた頃から大して整備はされていなかったのか、隔壁に掘られた土壁や天井を支える木の柱が丸見えだった。
「ターゲット、この辺りの筈なんだけど……」
先導していた山岸がそう呟いた時、背後で隠れていた気配が動いてアマネは振り返る。
「――先輩!」
先導していた有里達がアマネの声で振り返ると同時に、影から二人の男が出てきた。
「お見事です……」
一人は一ヶ月前に見た、半裸の男だ。隠れていた自分達に気付いたアマネを褒める言葉はしかし、何の感情も籠っていなかった。
「え、誰……⁉ 私のルキアには、今の今まで何の反応も……!」
ペルソナの索敵能力で気が付かなかったらしい。アマネは二人を睨んだまま腰のコンバットナイフの柄へ手を伸ばし、いつでも抜いて飛び掛かれる体制をとる。
「お目にかかるのは初めてですね。私の名はタカヤ。こちらはジン。『ストレガ』と我々を呼ぶ者もいます」
半裸の男はタカヤというらしい。奇抜な格好をしているくせに名前は平凡だ。
ジンと紹介された青年はタカヤと違いちゃんと服を着ている。服のセンスはアマネには何とも言えないが、後退なのかあえてなのか分からない頭頂部が広めに出た髪型が特徴的だった。
「さて、今日までの皆さんのご活躍、陰ながら見させて頂きました。聞けば、人々を守るための『善なる戦い』だとか。ですが、今夜はそれをやめて頂きに来ました」
「なんだと⁉」
「お仲間が随分と急に増えたようですね。きっと、ここが罪深い土地だからでしょう。タルタロスは今宵も美しくそびえている……」
「あんたたち……」
分かっている。分かってはいるのだ。今がシリアスだと。
けれどもフランス人も笑い出しそうな表現にアマネは思わず口元を押さえてしまう。少なくともアマネはタルタロス攻略やシャドウ討伐を『善なる戦い』などと笑える行いに考えたことはなかった。
そんなアマネの内心は知らないまま、タカヤがうっすらと笑みを浮かべた。
「それと、戦いをやめろってのと、何のカンケーがあんだよ?」
「簡単なこっちゃ。シャドウや影時間が消えたら、『この力』かて消えるかも知れん。そんなん許されへん」
白河通りで聞いた声はジンのものだったらしい。あの場にいたゴシックロリータの少女の声じゃなくって本当に良かった、なんてこの場には関係のないことを考える。
「『この力』……? まさか、ペルソナ使いなのか⁉」
「もう少し、頭を使って欲しいものだ……。貴方がたは、力が消えてもいいのですか? ペルソナは、誰もが使える力では無いのです。影時間は、その私達に開かれたテリトリーだ。そして『滅びの塔』もね……」
「そんな……。だから邪魔しようっての? 分かってないのはそっちでしょ! シャドウを放っといたら、どんなことが起こるか分かんないのよ⁉」
「シャドウのもたらす災いですか……そんなもの、放っておけばいい。災いなど、常にあるもの。シャドウでなくとも、人が人を襲う。誰がどんな災いに見舞われるかなど、どのみち、分かりはしないのです。それよりも、貴方がたは気付くべきだ。自身が、影時間を知る前よりも、今の日々に一層の充実……楽しみを感じている事にね」
「た、楽しいなんて、そんな事……」
「本当にそうでしょうか? 他の方はいかがです? 前の退屈な日常を取り戻したいですか?」
「んだと……?」
「私、楽しんでなんか……」
揃って押し黙ったり俯いて考え込んでしまったりする先輩達に、ジンが勝ち誇ったような笑みを浮かべる。
その笑みを一瞥して、アマネは構えを解いて二人をまっすぐに見つめた。
「No! Io non sono divertente per essere franco!」
「……はあ?」
「悪ぃけど俺、今現在のシャドウ退治とかより危険な状況を経験したこともあんだぁ。だから今更影時間だとか言われても、俺には身体を動かせる以外の楽しみは無ぇよ」
驚きにか目を見開いたジンとタカヤがアマネを見る。思わず馴染みのあるイタリア語が出ていたが、今は無視した。注意を引けたので良しとしよう。
「では、貴方はこの力がなくなってもいいと?」
「むしろ無くなって欲しい……違げぇなぁ。有れば楽だから“戻ってきて欲しい”とは考えてるぜぇ。それに、常にある災いへ立ち向かう事で人類ってのは今まで生きてこられた。逆に言うと立ち向かうところまでが災いとはセットなんだろぉ。それを最初から直視しませんってのは愚問だなぁ」
アマネのペルソナのイブリスはアマネから分離し外へ出るアマネ自身だ。ならば戻ってきて欲しいと思うのも当然だろう。
災い云々は確かにタカヤの言う通りかもしれないが、正直、半裸のお前に言われたくない、というのが本音だ。
というより、今目の前で見たくも無い男の上半身を見させられていることがシャドウより災いに思えてきた。本当に彼は何故半裸なのだろうか。あれでは岳羽や山岸ではないがやぶ蚊に狙われても当然である。
「……なるほど、だから貴方はシャドウを倒すと」
「そんなん、自分だけの都合やないか」
「Cosa e proibito?」
「日本語喋れやさっきから。せやったらお前には『個人』の目的しかあらへん。どいつこいつも本音はその為に戦っとる。お前らの正義はそれを正当化する為のただの『言い訳』や。そんなんは『善』やない。ただの『偽善』や。そんなもんに邪魔されとうない」
「なっ……」
「だったらお前はどれだけ自分の正義を語れんだぁ? いや、語った時点でそれも『個人の目的』だろぉ。それだって人から見たら偽善と違うのかぁ? 本当の善人なんざ俺は今まで一人も見たことが無ぇ。そんな奴はこんな世界じゃ一秒だって生きてられねぇよ」
ぐ、と黙ったジンがアマネを睨む。それは幼い殺意と怒りの篭った視線だったが、アマネとしてはそれよりも隣のタカヤの静か過ぎる視線のほうが気になった。
嫌な目だと思う。
話はこれまでだ、とばかりに隔壁が閉まっていく。最初から何か細工でもしていたのだろう。
「なら、せいぜい、あがきや!」
閉まりきる直前の隔壁から外へ出て行ったジンの、悪あがきにも聞こえる声が響いた。
「くそっ、閉じ込められた!」
隔壁を殴った真田の言葉に、アマネも同じ様に隔壁へ触れてみる。閉まる直前の扉の幅を見ていたが結構分厚く、一人で押し開けるのは難しそうだった。
「きっと大丈夫です。今は見失った目標よりも、シャドウの事が先決と思うであります」
アイギスの言葉に他の先輩達がここへ来た本来の目的を思い出して落ち着きを取り戻す。タカヤ達の言葉を深く受け止めすぎて悩んでいたが、確かに今はアイギスの言うとおりシャドウが先決だ。
「そうね。冷静さを失ったら思うツボか……」
「シャドウが動き出しました! 今の振動で私たちに気付いたみたいです!」
山岸が大型シャドウに気付いたらしい。
「よし、本来の目的に戻るぞ。勝てなければ、脱出も何も無い」
美鶴の声に有里がアマネを見た。
「斑鳩、来て」
討伐メンバーの事かと理解し扉から離れる。アマネも思考を閉まってしまった扉からシャドウへと移し、有里の横に並んでナイフを取り出す。
「真田先輩と順平、お願いします」
有里は続いて真田と伊織を選んだ。残るのが女性陣だけというのはいささか気になるが、アイギスがいるから多少の事は平気だと思いたい。それに万が一崩れるようなことがあっても、ここは支柱がちゃんとある。
殆ど一本道で施設というよりも坑道の様な地下へと潜っていく。途中には戦争時の遺物だろう大砲やその部品が転がっていた。さらにその先へ向かうと、その頃には支柱はもう無い。代わりに通常のシャドウがうろうろと徘徊している。
これから大型シャドウとの戦いが待っているというのに、無駄な体力の消耗は抑えたいところだ。
「くそ、煩わしいな」
真田が悪態を吐く。
「道を開けましょうか?」
「出来る?」
「やります」
「あ、おい斑鳩!」
有里より先に出て先頭を走り出す。普段であればこんな事はしないが、現状はシャドウと一緒に閉じ込められた状態だ。お小言は後で聞く事にする。
先駆けは殿よりは楽しい。ナイフを構えて走り出したアマネの後ろを、三人が付いてくる。
シャドウがこちらへ気付く前に、もしくは気付いても行動を起こす前に蹴り飛ばし、ナイフで切り裂いてどんどん奥へと進んでいった。
「斑鳩、オマエ速いっての!」
「すみません。大丈夫ですか?」
「大丈夫だ。だがこの先は一人で行くな」
程ほどに距離を稼いだところで立ち止まるとやはり注意される。そう強くない叱責なのは、言わずともここへ来るまで楽だったからだろう。地下三十三メートルにまで到達した頃、山岸からの通信が入る。
大型シャドウはこの先へいるらしい。
『準備はいいですか?』
山岸の声に有里が頷いて先へと進んだ。
***
戦車の装甲を纏うとか、お前シャドウとしての矜持は無いのか、と言いたくなる『正義』と『戦車』の大型シャドウを無事倒し、終わった影時間に携帯を取り出した美鶴が幾月へ救助要請をしている間。扉を蹴り壊せないものかとやってみたら扉が歪んで向こう側が見えたものの盛大に怒られた。
地盤の固さなども計算した上での行動だったのだが、まぁ確かにアマネも悪かっただろう。一言言ってから試せば良かったのだ。
ともあれ無事に地下施設から脱出したときには当然影時間は終わっており、今回は一本道の先駆けや大型シャドウとも対峙したからか、次の日は珍しく朝が起きられなかった。
とはいえアマネは寮ではいつも一番速いのだが。早朝の走り込みやトレーニングを日課としている真田よりも早い。
他の先輩達も起きてくるのは遅く、普段通りに起きてきていた天田が揃って疲れているのかと不思議そうにしていたが、笑って誤魔化した。
まだ彼は知らなくていい。
「斑鳩、何作ってるの?」
「白玉です」
午後、キッチンにいたアマネの元へ有里が来た。テレビで冷やし善哉の紹介をしていて食べたくなったのだが、茹でる際の熱湯が蒸し暑く、失敗したと思っていた矢先である。
「何か用ですか?」
「コレ」
既に出来上がった白玉を興味深げに見ていた有里へ尋ねれば、有里はポケットから何かを取り出した。手のひら大の四角いそれは、アマネにはあまり馴染みの無い物、MDだ。
「試験一位だったご褒美。曲はオレが好きなの適当に選んだんだけど」
「……ありがとう、ございます」
正直、驚きだった。
有里が本気で学年一位になったご褒美を用意したこともだが、それがMDだったことも。
楽器はある程度なら出来るが音痴なせいで歌なんて歌わないせいか、そもそも日常生活でアマネが音楽を聴く機会は無い。それは『昔』からだったし、今でも音楽といえば基本は校内放送や店内で流れるBGMだ。
更に歌詞を覚えている曲となると教会で歌われる賛美歌くらいしかない。
それだけ音楽とは縁の無い生活をしていたものだから、有里のこのプレゼントは、嬉しくもあり複雑な気分でもあった。
何故なら、これを聞く為のプレーヤーを持っていない。
手を洗って受け取ったMDには、有里が言うには自身の好みでチョイスした曲が入っている。らしい。
桐条からのご褒美は決まったなと、受け取ったMDを濡らさないようにテーブルの隅に置いていた携帯の傍へ置く。
思ったよりも、それを聞くのを楽しみにしている自分がいた。
***
貰ったMDを引き出しの中へしまって、寝台に潜り込む。朝が遅かった反動でか、眠気の来ないまま影時間を迎えた。
有里の部屋からファルロスの気配がする。
あの子供は、いつも有里と何を話しているのか少し気になった。
「別に、嫉妬って訳じゃねぇんだけどさぁ」
「ふふ、嫉妬してるの?」
「だから」
「大丈夫だよ。ボクと君も友達だよ」
変わらず唐突に現れたファルロスは、クスクスと笑いながら近付いてくる。今度から彼が来た時は椅子でも用意しておこうか。
「で、今日は何の話だぁ?」
「『終わり』が近付いてくるよ」
「……そっか」
いつの間にか、始まっていたのだろう。でなければ終わりは成立しない。
「何の終わり?」
「それは、分からないや。ねぇ、君は、終わりを望むの?」
ファルロスの目がアマネを見上げる。幼子特有の二元論的な答えを求めるその視線に、アマネは少しの間答える事が出来なかった。
望む『終わり』もあるけれど、望まない『終わり』だってある。
例えば、アマネはいつかこの転生し続ける自分の『人生』が終わって欲しい。終わらずとも、最後でなくともいいからもう一度くらいは『弟』と『親友』のいるところへ行きたいとは思っている。
けれども同時に、有里や、ファルロスや、この寮や学校や佐藤と死に別れるなんて『終わり』は、出来るだけ先延ばしにしたいとも考えていた。
自殺はしてはいけないし、自殺でなくとも自ら『死』へと近付く事に関して、アマネは既に反省し禁止され自制している。
それが今までの『人生』で学んだ事だ。
「……望んでるけど、諦めてもいねぇかなぁ」
「……複雑だね」
寝台の縁へ座るファルロスには、少し難しい考え方だったかもしれない。アマネが苦笑して頭を撫でると、ファルロスは振り向いて微笑んだ。
「もうすぐ、毒のある花が芽を出すよ。向かいの花壇に三つと、彼の花壇に一つ。気を付けてね」
抽象的な表現しか出来ないのか、何が毒のある花で、どう気をつければいいのかまでは検討が付かない。けれどもそれをファルロスへ聞いても無意味なのだろう。ファルロスの言葉は後になってこの事だったのか、と解るものが多い。
「それ、先輩にも言ったかぁ?」
「うん。ありがとうって言われたよ」
もう帰るつもりなのか立ち上がったファルロスが消える前に声を掛ける。
「ファルロス」
「なんだい?」
「お前は、『終わり』を望むかぁ?」
いつも変わらないボーダーの服を着た少年は、青い目を困ったように細めて微笑む。
「分からないや」
「……いつか、わかるといいなぁ」
「うん。……またね。おやすみ」
当然だが天田はいない。まだ小学生で夜更かしもせず、今頃は部屋でぐっすりと眠っているだろう。
流石に睡眠薬は盛られていまい。少なくともアマネは料理に盛った覚えはなかった。
「さて、また今月も満月の晩が巡ってきた訳だね」
いささか眠そうな声で幾月がそう言うのを、美鶴が遮るようにシャドウの気配を探っている山岸へ話し掛ける。山岸は既にシャドウの気配を見つけていた。
「場所は、巌戸台の北の外れにある、廃屋が並んでる一帯です」
またアマネはよく知らないところだ。以前の白河通りの事もあって、先日暗記してみたこの辺りの地図を思い出す。
港に近いところだったとは思うが、廃屋だからと大して気に留めていなかった。
「ただ、反応は十メートル以上の地下から確認されてて、それがちょっと……」
「地下、ですか?」
「単に建物に地下があるって事じゃないの?」
納得が出来ないという風に言いよどむ山岸に、岳羽が首を傾げる。
「港湾部北側には、建築時に地下十メートルを申請している建物はありません。ですが、ずっと以前には、陸軍が地下施設を置いていたという記録があります」
「陸軍? ……そうなの?」
アイギスの言った事が本当であるかの説明は、幾月がしてくれた。
「彼女には、この辺りの地形や建築に関する情報が一通り記録されているんだよ。もっとも、放置していたので最後の更新は十年前だが」
「十年前であります」
「更新しようよ……」
伊織は残念そうにそう言ったが、古い情報だって必要な時はあるだろう。別にアイギスの情報を更新するなとは言わないが、今後だってこの巌戸台の何処へどうシャドウが現れるのか分からないのだし、古い地形の情報だってあるに越したことはない。
「で、結局どう解釈したらいいんだ?」
アイギスの情報よりもシャドウが気になるらしい真田が山岸へ尋ねる。だがやはり、山岸の返事は芳しくない。
「詳しい事は、実際に行ってみないと何とも……」
近くで調べれば山岸ならもう少しは詳しく分かるとは思うが、彼女のペルソナは、地下まで探れるのか。
タルタロスは上へと伸びているので地上だが、地下を調べるのは山岸も始めてだろうに。
「戦争の遺物、か……。今回は状況が未だ不透明だ。よって前線を誰にするかは、現地へ行ってから決める事にする」
「了解」
「了解であります」
もしかしたら後衛の援護無しにシャドウの居場所を突き止め倒さなければならない。そう考えると素直に返事をした真田とアイギスが少し羨ましかった。
考えていない訳ではないけれど、不安を持ってもいないのだ。
「では、行こう」
件の地下施設の入り口は、元々陸軍の地下施設というので厳重に立ち入り禁止となっているのかと思ったがそんなことはない。むしろ廃墟マニアや肝試しをしに来た者によって荒らされてもいるようで、敷地内は自然に生い茂った雑草の合間に小さな獣道が出来ていた。
岳羽や山岸が方々に伸びる雑草とやぶ蚊を鬱陶しがりながらも進み、やはり無作法にこじ開けられて歪んでいた入り口から奥へと立ち入れば、視界に坑道の一角の様な空間が広がる。
陸軍の施設として使われていた頃から大して整備はされていなかったのか、隔壁に掘られた土壁や天井を支える木の柱が丸見えだった。
「ターゲット、この辺りの筈なんだけど……」
先導していた山岸がそう呟いた時、背後で隠れていた気配が動いてアマネは振り返る。
「――先輩!」
先導していた有里達がアマネの声で振り返ると同時に、影から二人の男が出てきた。
「お見事です……」
一人は一ヶ月前に見た、半裸の男だ。隠れていた自分達に気付いたアマネを褒める言葉はしかし、何の感情も籠っていなかった。
「え、誰……⁉ 私のルキアには、今の今まで何の反応も……!」
ペルソナの索敵能力で気が付かなかったらしい。アマネは二人を睨んだまま腰のコンバットナイフの柄へ手を伸ばし、いつでも抜いて飛び掛かれる体制をとる。
「お目にかかるのは初めてですね。私の名はタカヤ。こちらはジン。『ストレガ』と我々を呼ぶ者もいます」
半裸の男はタカヤというらしい。奇抜な格好をしているくせに名前は平凡だ。
ジンと紹介された青年はタカヤと違いちゃんと服を着ている。服のセンスはアマネには何とも言えないが、後退なのかあえてなのか分からない頭頂部が広めに出た髪型が特徴的だった。
「さて、今日までの皆さんのご活躍、陰ながら見させて頂きました。聞けば、人々を守るための『善なる戦い』だとか。ですが、今夜はそれをやめて頂きに来ました」
「なんだと⁉」
「お仲間が随分と急に増えたようですね。きっと、ここが罪深い土地だからでしょう。タルタロスは今宵も美しくそびえている……」
「あんたたち……」
分かっている。分かってはいるのだ。今がシリアスだと。
けれどもフランス人も笑い出しそうな表現にアマネは思わず口元を押さえてしまう。少なくともアマネはタルタロス攻略やシャドウ討伐を『善なる戦い』などと笑える行いに考えたことはなかった。
そんなアマネの内心は知らないまま、タカヤがうっすらと笑みを浮かべた。
「それと、戦いをやめろってのと、何のカンケーがあんだよ?」
「簡単なこっちゃ。シャドウや影時間が消えたら、『この力』かて消えるかも知れん。そんなん許されへん」
白河通りで聞いた声はジンのものだったらしい。あの場にいたゴシックロリータの少女の声じゃなくって本当に良かった、なんてこの場には関係のないことを考える。
「『この力』……? まさか、ペルソナ使いなのか⁉」
「もう少し、頭を使って欲しいものだ……。貴方がたは、力が消えてもいいのですか? ペルソナは、誰もが使える力では無いのです。影時間は、その私達に開かれたテリトリーだ。そして『滅びの塔』もね……」
「そんな……。だから邪魔しようっての? 分かってないのはそっちでしょ! シャドウを放っといたら、どんなことが起こるか分かんないのよ⁉」
「シャドウのもたらす災いですか……そんなもの、放っておけばいい。災いなど、常にあるもの。シャドウでなくとも、人が人を襲う。誰がどんな災いに見舞われるかなど、どのみち、分かりはしないのです。それよりも、貴方がたは気付くべきだ。自身が、影時間を知る前よりも、今の日々に一層の充実……楽しみを感じている事にね」
「た、楽しいなんて、そんな事……」
「本当にそうでしょうか? 他の方はいかがです? 前の退屈な日常を取り戻したいですか?」
「んだと……?」
「私、楽しんでなんか……」
揃って押し黙ったり俯いて考え込んでしまったりする先輩達に、ジンが勝ち誇ったような笑みを浮かべる。
その笑みを一瞥して、アマネは構えを解いて二人をまっすぐに見つめた。
「No! Io non sono divertente per essere franco!」
「……はあ?」
「悪ぃけど俺、今現在のシャドウ退治とかより危険な状況を経験したこともあんだぁ。だから今更影時間だとか言われても、俺には身体を動かせる以外の楽しみは無ぇよ」
驚きにか目を見開いたジンとタカヤがアマネを見る。思わず馴染みのあるイタリア語が出ていたが、今は無視した。注意を引けたので良しとしよう。
「では、貴方はこの力がなくなってもいいと?」
「むしろ無くなって欲しい……違げぇなぁ。有れば楽だから“戻ってきて欲しい”とは考えてるぜぇ。それに、常にある災いへ立ち向かう事で人類ってのは今まで生きてこられた。逆に言うと立ち向かうところまでが災いとはセットなんだろぉ。それを最初から直視しませんってのは愚問だなぁ」
アマネのペルソナのイブリスはアマネから分離し外へ出るアマネ自身だ。ならば戻ってきて欲しいと思うのも当然だろう。
災い云々は確かにタカヤの言う通りかもしれないが、正直、半裸のお前に言われたくない、というのが本音だ。
というより、今目の前で見たくも無い男の上半身を見させられていることがシャドウより災いに思えてきた。本当に彼は何故半裸なのだろうか。あれでは岳羽や山岸ではないがやぶ蚊に狙われても当然である。
「……なるほど、だから貴方はシャドウを倒すと」
「そんなん、自分だけの都合やないか」
「Cosa e proibito?」
「日本語喋れやさっきから。せやったらお前には『個人』の目的しかあらへん。どいつこいつも本音はその為に戦っとる。お前らの正義はそれを正当化する為のただの『言い訳』や。そんなんは『善』やない。ただの『偽善』や。そんなもんに邪魔されとうない」
「なっ……」
「だったらお前はどれだけ自分の正義を語れんだぁ? いや、語った時点でそれも『個人の目的』だろぉ。それだって人から見たら偽善と違うのかぁ? 本当の善人なんざ俺は今まで一人も見たことが無ぇ。そんな奴はこんな世界じゃ一秒だって生きてられねぇよ」
ぐ、と黙ったジンがアマネを睨む。それは幼い殺意と怒りの篭った視線だったが、アマネとしてはそれよりも隣のタカヤの静か過ぎる視線のほうが気になった。
嫌な目だと思う。
話はこれまでだ、とばかりに隔壁が閉まっていく。最初から何か細工でもしていたのだろう。
「なら、せいぜい、あがきや!」
閉まりきる直前の隔壁から外へ出て行ったジンの、悪あがきにも聞こえる声が響いた。
「くそっ、閉じ込められた!」
隔壁を殴った真田の言葉に、アマネも同じ様に隔壁へ触れてみる。閉まる直前の扉の幅を見ていたが結構分厚く、一人で押し開けるのは難しそうだった。
「きっと大丈夫です。今は見失った目標よりも、シャドウの事が先決と思うであります」
アイギスの言葉に他の先輩達がここへ来た本来の目的を思い出して落ち着きを取り戻す。タカヤ達の言葉を深く受け止めすぎて悩んでいたが、確かに今はアイギスの言うとおりシャドウが先決だ。
「そうね。冷静さを失ったら思うツボか……」
「シャドウが動き出しました! 今の振動で私たちに気付いたみたいです!」
山岸が大型シャドウに気付いたらしい。
「よし、本来の目的に戻るぞ。勝てなければ、脱出も何も無い」
美鶴の声に有里がアマネを見た。
「斑鳩、来て」
討伐メンバーの事かと理解し扉から離れる。アマネも思考を閉まってしまった扉からシャドウへと移し、有里の横に並んでナイフを取り出す。
「真田先輩と順平、お願いします」
有里は続いて真田と伊織を選んだ。残るのが女性陣だけというのはいささか気になるが、アイギスがいるから多少の事は平気だと思いたい。それに万が一崩れるようなことがあっても、ここは支柱がちゃんとある。
殆ど一本道で施設というよりも坑道の様な地下へと潜っていく。途中には戦争時の遺物だろう大砲やその部品が転がっていた。さらにその先へ向かうと、その頃には支柱はもう無い。代わりに通常のシャドウがうろうろと徘徊している。
これから大型シャドウとの戦いが待っているというのに、無駄な体力の消耗は抑えたいところだ。
「くそ、煩わしいな」
真田が悪態を吐く。
「道を開けましょうか?」
「出来る?」
「やります」
「あ、おい斑鳩!」
有里より先に出て先頭を走り出す。普段であればこんな事はしないが、現状はシャドウと一緒に閉じ込められた状態だ。お小言は後で聞く事にする。
先駆けは殿よりは楽しい。ナイフを構えて走り出したアマネの後ろを、三人が付いてくる。
シャドウがこちらへ気付く前に、もしくは気付いても行動を起こす前に蹴り飛ばし、ナイフで切り裂いてどんどん奥へと進んでいった。
「斑鳩、オマエ速いっての!」
「すみません。大丈夫ですか?」
「大丈夫だ。だがこの先は一人で行くな」
程ほどに距離を稼いだところで立ち止まるとやはり注意される。そう強くない叱責なのは、言わずともここへ来るまで楽だったからだろう。地下三十三メートルにまで到達した頃、山岸からの通信が入る。
大型シャドウはこの先へいるらしい。
『準備はいいですか?』
山岸の声に有里が頷いて先へと進んだ。
***
戦車の装甲を纏うとか、お前シャドウとしての矜持は無いのか、と言いたくなる『正義』と『戦車』の大型シャドウを無事倒し、終わった影時間に携帯を取り出した美鶴が幾月へ救助要請をしている間。扉を蹴り壊せないものかとやってみたら扉が歪んで向こう側が見えたものの盛大に怒られた。
地盤の固さなども計算した上での行動だったのだが、まぁ確かにアマネも悪かっただろう。一言言ってから試せば良かったのだ。
ともあれ無事に地下施設から脱出したときには当然影時間は終わっており、今回は一本道の先駆けや大型シャドウとも対峙したからか、次の日は珍しく朝が起きられなかった。
とはいえアマネは寮ではいつも一番速いのだが。早朝の走り込みやトレーニングを日課としている真田よりも早い。
他の先輩達も起きてくるのは遅く、普段通りに起きてきていた天田が揃って疲れているのかと不思議そうにしていたが、笑って誤魔化した。
まだ彼は知らなくていい。
「斑鳩、何作ってるの?」
「白玉です」
午後、キッチンにいたアマネの元へ有里が来た。テレビで冷やし善哉の紹介をしていて食べたくなったのだが、茹でる際の熱湯が蒸し暑く、失敗したと思っていた矢先である。
「何か用ですか?」
「コレ」
既に出来上がった白玉を興味深げに見ていた有里へ尋ねれば、有里はポケットから何かを取り出した。手のひら大の四角いそれは、アマネにはあまり馴染みの無い物、MDだ。
「試験一位だったご褒美。曲はオレが好きなの適当に選んだんだけど」
「……ありがとう、ございます」
正直、驚きだった。
有里が本気で学年一位になったご褒美を用意したこともだが、それがMDだったことも。
楽器はある程度なら出来るが音痴なせいで歌なんて歌わないせいか、そもそも日常生活でアマネが音楽を聴く機会は無い。それは『昔』からだったし、今でも音楽といえば基本は校内放送や店内で流れるBGMだ。
更に歌詞を覚えている曲となると教会で歌われる賛美歌くらいしかない。
それだけ音楽とは縁の無い生活をしていたものだから、有里のこのプレゼントは、嬉しくもあり複雑な気分でもあった。
何故なら、これを聞く為のプレーヤーを持っていない。
手を洗って受け取ったMDには、有里が言うには自身の好みでチョイスした曲が入っている。らしい。
桐条からのご褒美は決まったなと、受け取ったMDを濡らさないようにテーブルの隅に置いていた携帯の傍へ置く。
思ったよりも、それを聞くのを楽しみにしている自分がいた。
***
貰ったMDを引き出しの中へしまって、寝台に潜り込む。朝が遅かった反動でか、眠気の来ないまま影時間を迎えた。
有里の部屋からファルロスの気配がする。
あの子供は、いつも有里と何を話しているのか少し気になった。
「別に、嫉妬って訳じゃねぇんだけどさぁ」
「ふふ、嫉妬してるの?」
「だから」
「大丈夫だよ。ボクと君も友達だよ」
変わらず唐突に現れたファルロスは、クスクスと笑いながら近付いてくる。今度から彼が来た時は椅子でも用意しておこうか。
「で、今日は何の話だぁ?」
「『終わり』が近付いてくるよ」
「……そっか」
いつの間にか、始まっていたのだろう。でなければ終わりは成立しない。
「何の終わり?」
「それは、分からないや。ねぇ、君は、終わりを望むの?」
ファルロスの目がアマネを見上げる。幼子特有の二元論的な答えを求めるその視線に、アマネは少しの間答える事が出来なかった。
望む『終わり』もあるけれど、望まない『終わり』だってある。
例えば、アマネはいつかこの転生し続ける自分の『人生』が終わって欲しい。終わらずとも、最後でなくともいいからもう一度くらいは『弟』と『親友』のいるところへ行きたいとは思っている。
けれども同時に、有里や、ファルロスや、この寮や学校や佐藤と死に別れるなんて『終わり』は、出来るだけ先延ばしにしたいとも考えていた。
自殺はしてはいけないし、自殺でなくとも自ら『死』へと近付く事に関して、アマネは既に反省し禁止され自制している。
それが今までの『人生』で学んだ事だ。
「……望んでるけど、諦めてもいねぇかなぁ」
「……複雑だね」
寝台の縁へ座るファルロスには、少し難しい考え方だったかもしれない。アマネが苦笑して頭を撫でると、ファルロスは振り向いて微笑んだ。
「もうすぐ、毒のある花が芽を出すよ。向かいの花壇に三つと、彼の花壇に一つ。気を付けてね」
抽象的な表現しか出来ないのか、何が毒のある花で、どう気をつければいいのかまでは検討が付かない。けれどもそれをファルロスへ聞いても無意味なのだろう。ファルロスの言葉は後になってこの事だったのか、と解るものが多い。
「それ、先輩にも言ったかぁ?」
「うん。ありがとうって言われたよ」
もう帰るつもりなのか立ち上がったファルロスが消える前に声を掛ける。
「ファルロス」
「なんだい?」
「お前は、『終わり』を望むかぁ?」
いつも変わらないボーダーの服を着た少年は、青い目を困ったように細めて微笑む。
「分からないや」
「……いつか、わかるといいなぁ」
「うん。……またね。おやすみ」