ペルソナ4
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夏休み直前の試験を終えた数日後、高校の教師が殺された。諸岡という名前の男性教師で生徒からの認識はあまり良くない。俺も廊下で生徒を叱っているところなどを見たことがあるが、ああいう教師は学校に一人は居て然るべきだと思う。
放課後月森達と合流して情報を整理する。
「でも昨日はマヨナカテレビ映んなかったんすよ?」
「つまり今までの法則とは違うことが起こった。と」
「先輩は昨日確認しなかったんですか」
「悪ぃなぁ。寝てたぁ」
場の空気を壊すような発言からも分かるように、俺だけ後は夏休みを控えた学生のような気分だった。
逆に月森達の表情は暗い。聞けば殺された教師は学年が違うせいで知らなかったが、月森達の担任だったそうだ。
口煩く嫌われていた者でも死なれるのは嫌だったという思いと、救えなかったという思いが混ざり合っている。
だからこそ、あまりその教師を知らない俺だけでも、前を見るフリをしなければならない。
「法則と違う行動をしてまで殺したかったのかねぇ」
殺す、という言葉に反応する彼らはまだ高校生だ。分かっている。
「もしくは法則通りに動けなかった理由があるとか」
「……最近は私達が助けているから?」
「そうだなぁ。天城の案も捨てがたい。テレビの中へ落とすと助けられてしまう。だからテレビの中へ落とすという行為を省略した」
「でも、だとしたら完二かりせの時にはもう、そうなっていてもおかしくなかったんじゃ無いか?」
どうして今回だけマヨナカテレビが映らなかったのかを唸りながら考える後輩達は気付いていないようだった。
俺は『テレビの中へ落とすという行為を省略した』と言ったのだ。つまりテレビの中へ人がいる状態時の、ハッキリとした番組が流れることに関しては無くて当たり前でいい。
その前の砂嵐に紛れた放映に関しては何も言えないが。
後でクマに確認すれば、テレビの中へ突き落とされた者が居なかったかは分かると思う。最近のクマはテレビの外へいるが、それでもこまめに戻って確認しているようだから。
とにかくマヨナカテレビが映らなかったことを、誰もテレビの中へ入っていないからだと仮定する。となると全てはテレビの外である『こちら側』で起こった出来事だ。
ベランダに引っ掛かっていたらしい死体。高いところというのは最初の犠牲者であるアナウンサーと同じ。だがテレビには入っていないので誰かが死体をそこへ運び置いたということだ。
何故?
一つは他の事件と同一犯が共通点を求めてそうした。だがそうであるなら、天城から久慈川までの三人をめげずに突き落としたと言う行動の意味が無くなる。
もう一つの仮定。
それは、今までの事件を知った誰かが模倣して起こした。ということだ。
今までの事件と今回の事件の相違点は、ベランダに死体が引っ掛かっていたという点であり、それはニュースでも頻繁に報道されていた周知の情報である。
テレビの中へ突き落とされ、自身のシャドウに殺されているという部分は犯人か俺達しか知りえない情報であり、今回の事件ではちょうどその部分がすっぱりと抜けていた。
テレビの中へ誰も入っていないのは、それが出来ない第三者が、最初の事件を模倣して起こしたものだからではないのか。
殺された教師がテレビに映ったと言う話も無い。なのに同じ殺され方だとすると、自分達の考えていた法則が間違っていたという考え方の他に、模倣犯が出たと考えたほうがしっくりする。
だが誰が、どうしてあの教師を選び、どうして殺したのか。
どうして殺したのかは、殺し方を見ればなんとなく分かる。模倣したということは同一犯だと思わせたかったからだ。
そうする理由の一つとして、自分の犯行を今までの事件の犯人の犯行だと思わせたい為という思考がある。いわゆる憎い相手を殺しその罪を他人に擦り付けているのだ。
この場合殺された教師の人間関係を調べれば、犯人は容疑者として絞られる。
だがこれはある意味諸刃の剣だ。模倣犯のほうが今までの罪を着せられてしまう場合もある。まぁ、警察もそこまで馬鹿じゃないだろうが。
他に考えられる理由としては、普通の精神ではしないだろうが『今までの事件の状況が如何に作られたかを実際に作って再現してみる』という思考のもと行われた。というもの。
その場合被害者はたまたまあの教師だった。
更にもう一つ。
別に模倣である必要は無いが。とにかく通常では為し得ないことをして注目を浴びる、もしくはしてやったぞという周囲に対する充足感と優越感を得る為にやった。というものだ。
この場合は少し話が変わってくる。それが殺人である必要は無いからだ。だが殺人という、社会でタブーとなっている行動であるということがポイントになっている点では可能性はある。
タブーを犯した自分は凄い奴だ。だから他の奴らとは違う。そうして周囲に対して優越感を覚えて満足する。この場合は捕まってもいいのだ。捕まれば大々的に知れ渡るから。
またはタブーを犯した。だからいつか自分は裁かれるべきだが、いつになるか分からないというスリルを味わいたい。
最低な評価でも構わないがとにかく周囲の関心を集めたい、もしくは内心で周囲を見下したいという思考が行動に走らせる。子供が不良ぶるのと根源は一緒だ。
俺にはそれを考えられこそすれ共感は出来ない。殺しというものにタブーを覚えていないし、境界線を越えてしまうようなスリルもそこには感じられないからだ。
そしてそのどちらの思考にも『誰かに関心を向けてほしい』という心理が働いていたりする。思春期の子供が不良を目指すのと同じようなものなので、精神が幼かったり実際に子供であることが多い。
被害者が教師であるという点で、このことを考慮に入れてはいいだろうと思う。何故なら彼は高校教師であり、思春期の時期である子供と常に対峙している立場だった。
そして彼は普段より口煩く生徒を注意したり怒鳴りつけたりしている。
誰かから関心を向けられたいと思う反面、そう言った忠告にはイラついて受け入れることが出来ないということもその年代には多い。いわゆる二次反抗期であるのだが、思春期と同時期に発生していると更にややこしいものになる。
その忠告をしてくれている教師こそ関心を向けてくれている者だというのに、言われている内容が自分の意にそぐわないからというだけでその教師を嫌う。
結局のところ『関心を向けられたい』というのは『褒められたい』『尊敬されたい』というだけの思考なのだ。
そして嫌った人間をいらない人間と変換する。もし殺人をタブーとしない社会であったならそういう身勝手な理由で多くの教師や大人は殺されるだろう。だから普通は殺されない。
普通ならこの話は成立しない。
だがもし、この近辺にそういう精神の者がいて、今までの事件によってその境界線を越えてしまったものが居たとしたら。
きっかけとなった事件を模倣したのはそのやり方しか分からなかったからだ。教師が殺されたのはその教師を嫌っていたからだ。
大人である教師を運べる力がある、つまり小学生である可能性は低い。殺されたのは高校教師。つまり中学生との接点は無い。
だとすればこの仮説が当たっていた場合、犯人は高校生である。
模倣犯で無かったとしても犯人を高校生と仮定して。
最初のアナウンサーを除いて被害者は皆、高校生である。
全員同じ高校に通っている。
皆一度はテレビに映っていた。
共通点が増えるということに少なからず驚く。というかあの高校は事件が多すぎだろう。
だがしかし、最初の被害者であるアナウンサーが外れてしまってなんとなくおかしい。普通最初から全員に共通点があるものではないのか。
最初のアナウンサーと最後の教師がどうしても繋がらない。しかもテレビの中へ落としていることを考えるとやはり車の運転が出来る大人の方が望ましいと思える。
犯人が複数居ると仮定して。
最初のアナウンサーとその後の久慈川までは同じ存在の犯行だと思っていいだろう。マヨナカテレビという共通点で括れば、今のところ最後の犠牲者である教師に関してだけは、違う存在が犯人だと言える。
だからこの仮説の場合、全ての事件を一つと括らず、最後の事件だけ高校生による模倣犯罪と考えるほうが可能性は高いのだ。
放課後月森達と合流して情報を整理する。
「でも昨日はマヨナカテレビ映んなかったんすよ?」
「つまり今までの法則とは違うことが起こった。と」
「先輩は昨日確認しなかったんですか」
「悪ぃなぁ。寝てたぁ」
場の空気を壊すような発言からも分かるように、俺だけ後は夏休みを控えた学生のような気分だった。
逆に月森達の表情は暗い。聞けば殺された教師は学年が違うせいで知らなかったが、月森達の担任だったそうだ。
口煩く嫌われていた者でも死なれるのは嫌だったという思いと、救えなかったという思いが混ざり合っている。
だからこそ、あまりその教師を知らない俺だけでも、前を見るフリをしなければならない。
「法則と違う行動をしてまで殺したかったのかねぇ」
殺す、という言葉に反応する彼らはまだ高校生だ。分かっている。
「もしくは法則通りに動けなかった理由があるとか」
「……最近は私達が助けているから?」
「そうだなぁ。天城の案も捨てがたい。テレビの中へ落とすと助けられてしまう。だからテレビの中へ落とすという行為を省略した」
「でも、だとしたら完二かりせの時にはもう、そうなっていてもおかしくなかったんじゃ無いか?」
どうして今回だけマヨナカテレビが映らなかったのかを唸りながら考える後輩達は気付いていないようだった。
俺は『テレビの中へ落とすという行為を省略した』と言ったのだ。つまりテレビの中へ人がいる状態時の、ハッキリとした番組が流れることに関しては無くて当たり前でいい。
その前の砂嵐に紛れた放映に関しては何も言えないが。
後でクマに確認すれば、テレビの中へ突き落とされた者が居なかったかは分かると思う。最近のクマはテレビの外へいるが、それでもこまめに戻って確認しているようだから。
とにかくマヨナカテレビが映らなかったことを、誰もテレビの中へ入っていないからだと仮定する。となると全てはテレビの外である『こちら側』で起こった出来事だ。
ベランダに引っ掛かっていたらしい死体。高いところというのは最初の犠牲者であるアナウンサーと同じ。だがテレビには入っていないので誰かが死体をそこへ運び置いたということだ。
何故?
一つは他の事件と同一犯が共通点を求めてそうした。だがそうであるなら、天城から久慈川までの三人をめげずに突き落としたと言う行動の意味が無くなる。
もう一つの仮定。
それは、今までの事件を知った誰かが模倣して起こした。ということだ。
今までの事件と今回の事件の相違点は、ベランダに死体が引っ掛かっていたという点であり、それはニュースでも頻繁に報道されていた周知の情報である。
テレビの中へ突き落とされ、自身のシャドウに殺されているという部分は犯人か俺達しか知りえない情報であり、今回の事件ではちょうどその部分がすっぱりと抜けていた。
テレビの中へ誰も入っていないのは、それが出来ない第三者が、最初の事件を模倣して起こしたものだからではないのか。
殺された教師がテレビに映ったと言う話も無い。なのに同じ殺され方だとすると、自分達の考えていた法則が間違っていたという考え方の他に、模倣犯が出たと考えたほうがしっくりする。
だが誰が、どうしてあの教師を選び、どうして殺したのか。
どうして殺したのかは、殺し方を見ればなんとなく分かる。模倣したということは同一犯だと思わせたかったからだ。
そうする理由の一つとして、自分の犯行を今までの事件の犯人の犯行だと思わせたい為という思考がある。いわゆる憎い相手を殺しその罪を他人に擦り付けているのだ。
この場合殺された教師の人間関係を調べれば、犯人は容疑者として絞られる。
だがこれはある意味諸刃の剣だ。模倣犯のほうが今までの罪を着せられてしまう場合もある。まぁ、警察もそこまで馬鹿じゃないだろうが。
他に考えられる理由としては、普通の精神ではしないだろうが『今までの事件の状況が如何に作られたかを実際に作って再現してみる』という思考のもと行われた。というもの。
その場合被害者はたまたまあの教師だった。
更にもう一つ。
別に模倣である必要は無いが。とにかく通常では為し得ないことをして注目を浴びる、もしくはしてやったぞという周囲に対する充足感と優越感を得る為にやった。というものだ。
この場合は少し話が変わってくる。それが殺人である必要は無いからだ。だが殺人という、社会でタブーとなっている行動であるということがポイントになっている点では可能性はある。
タブーを犯した自分は凄い奴だ。だから他の奴らとは違う。そうして周囲に対して優越感を覚えて満足する。この場合は捕まってもいいのだ。捕まれば大々的に知れ渡るから。
またはタブーを犯した。だからいつか自分は裁かれるべきだが、いつになるか分からないというスリルを味わいたい。
最低な評価でも構わないがとにかく周囲の関心を集めたい、もしくは内心で周囲を見下したいという思考が行動に走らせる。子供が不良ぶるのと根源は一緒だ。
俺にはそれを考えられこそすれ共感は出来ない。殺しというものにタブーを覚えていないし、境界線を越えてしまうようなスリルもそこには感じられないからだ。
そしてそのどちらの思考にも『誰かに関心を向けてほしい』という心理が働いていたりする。思春期の子供が不良を目指すのと同じようなものなので、精神が幼かったり実際に子供であることが多い。
被害者が教師であるという点で、このことを考慮に入れてはいいだろうと思う。何故なら彼は高校教師であり、思春期の時期である子供と常に対峙している立場だった。
そして彼は普段より口煩く生徒を注意したり怒鳴りつけたりしている。
誰かから関心を向けられたいと思う反面、そう言った忠告にはイラついて受け入れることが出来ないということもその年代には多い。いわゆる二次反抗期であるのだが、思春期と同時期に発生していると更にややこしいものになる。
その忠告をしてくれている教師こそ関心を向けてくれている者だというのに、言われている内容が自分の意にそぐわないからというだけでその教師を嫌う。
結局のところ『関心を向けられたい』というのは『褒められたい』『尊敬されたい』というだけの思考なのだ。
そして嫌った人間をいらない人間と変換する。もし殺人をタブーとしない社会であったならそういう身勝手な理由で多くの教師や大人は殺されるだろう。だから普通は殺されない。
普通ならこの話は成立しない。
だがもし、この近辺にそういう精神の者がいて、今までの事件によってその境界線を越えてしまったものが居たとしたら。
きっかけとなった事件を模倣したのはそのやり方しか分からなかったからだ。教師が殺されたのはその教師を嫌っていたからだ。
大人である教師を運べる力がある、つまり小学生である可能性は低い。殺されたのは高校教師。つまり中学生との接点は無い。
だとすればこの仮説が当たっていた場合、犯人は高校生である。
模倣犯で無かったとしても犯人を高校生と仮定して。
最初のアナウンサーを除いて被害者は皆、高校生である。
全員同じ高校に通っている。
皆一度はテレビに映っていた。
共通点が増えるということに少なからず驚く。というかあの高校は事件が多すぎだろう。
だがしかし、最初の被害者であるアナウンサーが外れてしまってなんとなくおかしい。普通最初から全員に共通点があるものではないのか。
最初のアナウンサーと最後の教師がどうしても繋がらない。しかもテレビの中へ落としていることを考えるとやはり車の運転が出来る大人の方が望ましいと思える。
犯人が複数居ると仮定して。
最初のアナウンサーとその後の久慈川までは同じ存在の犯行だと思っていいだろう。マヨナカテレビという共通点で括れば、今のところ最後の犠牲者である教師に関してだけは、違う存在が犯人だと言える。
だからこの仮説の場合、全ての事件を一つと括らず、最後の事件だけ高校生による模倣犯罪と考えるほうが可能性は高いのだ。