ペルソナ3
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終業式を終えて寮に帰ると見覚えの無い少年がいた。
着ている制服からして月光館学園の初等科の生徒だろう。誰かの弟だろうかと首を捻る。
少年はアマネが帰ってきた事に気付くと、わざわざ寄ってきて頭を下げた。
「あの、今日からここでお世話になる、天田乾です」
「……お世話」
聞いていないぞ、と他の寮生がいないかラウンジを見回せば、先に帰っていたらしい伊織がソファに座って笑っていた。テーブルに二人分のカップがあるから、天田と話でもしていたのだろう。
「そういや斑鳩には言ってなかったっけ。夏休みの間ここで暮らすらしいぜ。理事長の指示」
無言で天田少年に向き直ると、身長差があるせいか首を逸らして見上げてきている。どちらかというと大人しめな少年だ。
理事長がこの寮で暮らす様に指示をしたということは、天田も影時間への適性かペルソナ使いになれる可能性があるのだろう。どこで見つけてきた人材かは不明だが、夏休みの間だけとはいえ親元を離れての生活は今後SEESのメンバーとなることへの布石だとも考えられた。
「あー、俺、斑鳩周。好きなふうに呼んで良いぜぇ」
「……アマネさんは、順平さんと同じ学年ですか?」
「いや一年。週に何日かはおさんどんもやってるから、嫌いなものや好きなものは早めに教えてくれると嬉しい。リクエストは早い者勝ち」
「おさんどん?」
「料理作ってるってことだぁ。今日もこれから夕食作り。せっかくだし、天田少年は何食べたい?」
冷蔵庫の中身を思い出しながら尋ねれば、天田は驚いたようにアマネを見ている。ラウンジのソファから伊織が挙手してリクエストを聞いて欲しそうにしているが、一応天田の入寮祝いということで天田が優先だ。
「そうですね……」
チラリと天田が横目で伊織を見た。伊織は口パクで『カレー』と繰り返している。
必死すぎて少し笑えるが、そもそも入寮祝いだと気付いて欲しい。
「……カレーでお願いします」
「Si 伊織先輩だけ激辛にしましょう」
「なんでだよっ」
「仮とはいえ入寮祝いのつもりだったのに、天田少年に気を使わせるからですよ」
料理の前に制服を着替える為に部屋へ行こうと歩き出す。カレーだなんて子供の喜びそうなものだし、案外天田もカレーが良いと思っていたかもしれないが、伊織の行動が大人気なかったのも確かだ。
材料はある。カレーだといつもより皆のお代わりの回数が増えるからご飯も多めに。ついでにデザートは甘いもの。
いっそインドカレー風にしたほうが良いかと考えながら着替えてラウンジへ戻れば、岳羽や山岸も帰ってきていて天田と話をしていた。本当に知らなかったのはアマネだけだったらしく、どちらも天田がいて当たり前という風に接している。
キッチンへ向かうと天田がやってきた。
「何か手伝いますか」
「いや、いつも一人でやってるから大丈夫だぁ」
***
今日は部活があるからと有里達が寮を出た後、運動部に入っていないアマネや山岸、伊織と予定の無かった天田の四人でラウンジのテーブルに集まり勉強をしていると、受付の電話が鳴った。
一番近くに座っていた山岸が電話に出て相手をする姿を、手を止めて見る。
「珍しくね? 寮に電話って」
「誰かの家族の方ですかね?」
「いやでも携帯あんじゃん」
伊織と天田が話すのを聞きながら数学の問題を解いて、立ち上がった。同時に山岸が受話器を押さえながら振り返る。
「斑鳩くん、その、斑鳩くんのおばさんって人から」
「代わりますよ」
受け取った受話器の向こうから、後見人である叔母の声が聞こえた。
『周君、久しぶりね』
「……お久しぶりです」
朗らかな叔母の声。
アマネの母親の弟である叔父は両親を亡くしたアマネを引き取って後見人となり、義務教育の間は『これは兄さん達が君に遺した金だから』と遺された遺産に手をつける事無く養育費全般を賄ってくれた。
その妻である叔母も、血の繋がりはないというのに昔からアマネのことをよく気に掛けてくれる。かといって過干渉をすることもない人で、実の娘である従妹とも分け隔てなく育ててくれた叔父夫婦は極まともな後見人だろう。
『そろそろ夏休みかと思って連絡したの。周君はあまり連絡くれないからお父さんといつも心配していたんだけど、便りが無いのが良い便りって、本当なのね。元気そう』
「すみません。もっと気をつければ良かったですね。そちらも怪我の後遺症などは大丈夫ですか?」
アマネの入学が遅れた理由は、叔父一家が全員巻き込まれた交通事故だ。
『大丈夫よ。もう皆すっかり』
「それは良かった」
『それでね、夏休みの事だけれど、周君、いつ帰ってくる?』
やはり聞かれたかと思いながら、無意識に受話器を握る手に篭った力を意識して緩める。アマネに受話器を渡してからずっと横にいた山岸が不思議そうに見上げてきていた。
「……すみません。今年の夏は学校の予定などが入ってしまって、どうも帰れそうにないんです。今日の夜にでもご報告しようと思っていたのですが」
『あら、そうなの?』
「はい。ですので申し訳ないのですが両親の墓参りも出来なくて」
『それは残念ね。でも分かったわ。お義姉さん達のお盆もちゃんとこちらでやっておくから、周君は心配しないでね』
「ありがとうございます」
切れた電話を戻して振り返れば、テーブルのとこにいる伊織と天田も、すぐ横にいた山岸も俺を見ている。
ああ、今の嘘を不思議がっているのかとすぐに理解して、誤魔化すように笑った。
「……アマネさんも、ご両親がいないんですか」
「小学校へ上がる前に、なぁ。それ以来叔父の家で世話になってたんだぁ」
「僕と一緒ですね」
そう言う天田の頭をぐしゃぐしゃとかき混ぜるように撫でる。勉強をする気分では無くなってしまったので、キッチンでアイスティーを淹れてそれぞれに渡した。
詳しくは聞いていないが天田の母親は二年前に亡くなったらしい。父親は居らず、それ以来遠縁からの援助を受けて生活しており、今回の仮入寮にはその辺も関係しているそうである。
「墓参りにいけねぇのは申し訳ねぇけど、叔父の家に帰るのはちょっとなぁ」
「何か嫌なことでもあるの?」
心配げに訊いてきた山岸は、アマネが叔父達に苛められているとでも考えたのだろうか。
「いえ。従妹が苦手なんです」
「斑鳩って従妹居んの? 可愛い?」
「ちょっと、順平くん」
苦手と言った直後にそう聞いてくるかとも思ったが、伊織はアマネの従妹を知らないし、普通の男子高校生ならそういうものなのだろう。
「……山岸先輩の友達、居ましたね。森山さん」
「え? うん。それが?」
「あの人をもっと田舎の不良にして、異性への興味を持たせた感じです」
よく分からず不思議そうにする天田とは違い、理解したのだろう山岸と伊織が何とも言えない顔をした。
山岸の友人の森山は、元々不良の溜り場にも出入りしていた家出娘の一人だ。まだ完全に入り浸っていた訳でもないので、山岸への苛めとシャドウが関わった六月のあの事件のこともあって完全な不良となることは無かったようだが、今でも見た目は校則に反している。
まぁ校則を多少破っているだけで学校にも通っているし、不良という言葉ももう彼女には合わないのだろうが。
ともあれ、思春期や二次性徴を迎え始めた従妹は幼少期のそれから比べると大きく様変わりし、気付けば異性への興味関心を一番近くにいたアマネへ向けるようになっていた。
詳しい事は言いたくない。けれども流石に彼女からされた事は、何度も『人生』を繰り返したアマネでも少し、いや、正直だいぶ引いた。
「ぶっちゃけ、彼女のせいで高校は叔父の家から遠いここを選んだんです」
とりあえず逃げるにはあの家を出るのが一番早かったのである。
「それは……」
理解してしまったらしい山岸と伊織は納得したらしい。まだ子供な天田には分からない部分もあるだろうが、出来れば分からないままで居て欲しいと思う。
一時的な逃亡だとはアマネ自身分かってはいた。
***
夏休みが始まって数日、深夜に山岸の通信で作戦室へ集められた。
「何事スか⁉」
「市街地にシャドウの反応だ。さっき山岸が偶然見つけた」
まだ満月でもないのに大型シャドウが現れたのか、という疑問を岳羽が代弁する。だが山岸が言うに反応は普通のシャドウらしい。
ただ、どうもそのシャドウの行動がおかしいらしく、それが気になっての召集だ。
「場所は長鳴神社の参道前の辺りだ。近くにいた明彦が先に行っている。あいつ一人で充分だと思うが、念のため準備してくれ」
真田もこんな時間に何故外へ行っているのかと思ったが、恐らくトレーニングと称してタルタロス外でのシャドウ退治に一人で行ったとかそういう事だろう。
「ハイ、こちら山岸です」
『いま現場に居る。悪いが、すぐ来てくれ』
噂をしていた訳ではないが、その真田から通信が入った。
「どうした? 苦戦しているのか⁉」
『いや、シャドウは片付いた。……というより、片付いていたと言った方が正確だな』
「何があった?」
『オレの代わりにケガした奴が居るんだ。出来れば助けたい』
切れた通信の内容に不思議がる岳羽と伊織に声を掛け、美鶴が作戦室を出て行く。それを追いかける形でアマネ達も作戦室を飛び出した。
長鳴神社は巌戸台にありモノレールへ乗ったりする必要は無い。よって影時間でも向かう事が出来たが、よく考えると場所がポートアイランドのほうだったらどうするつもりだったのだろうか。
辿り着いた神社の参道で、真田の足元に本来は白いがところどころ赤く染まっているのだろう塊が見えた。
近付けばその白い塊が犬であることが分かる。横たわりながらもアマネ達が来た事に気付いて微かな声で鳴いた。
「あ、コロちゃん⁉ コロちゃん! しっかりして、コロちゃん!」
知り合いの犬なのか山岸がそう呼びかけながら傍らに膝を突く。
「知ってるのか?」
「はい、この辺じゃ有名な犬で……ってか、すぐ手当てしないと!」
「とにかく止血と消毒だな」
「俺がやります」
美鶴の横を抜け山岸の隣へしゃがむ。持ってきた救急箱から止血と消毒の為の道具を取り出し、犬にも使えるのか一瞬悩んでから、犬の傷を確かめる。
「全く、大したヤツだ。何しろ犬がシャドウに立ち向かって、しかも倒したんだからな」
「え、待てよ、それってつまり……この犬コロ、ペルソナ使いって事⁉」
後ろで伊織の驚く声が聞こえた。
犬の傷は一箇所を除いてそう深くは無い。だが人間用の救急道具、しかも応急処置程度の物しかない今の状況では、影時間が終わってすぐに獣医に見せたとしても少し危ない気がする。
自分の手が汚れるのも構わず、傷に気を付けながら犬を撫でている山岸を見て、アマネは仕方ないか、と判断した。
「『守った』……と言っています。ここは『安息の場所』だそうです。あそこに花束が」
アイギスの声に山岸も含めた全員が、アイギスが示したらしい方を見た。
その瞬間を狙ってアマネは指を鳴らし左手に黄色い炎を灯す。
イブリスが召喚出来るようになってからは以前のように出せなくなってしまった炎だが、それでも完全に使えなくなった訳ではない。今までに試してみたところ、最大で手のひらで包める程度の炎は今でも出せる。逆に言うと、その程度の炎しか出せなくなってしまった訳だが。
その炎を犬自身の身体と自分の身体とで死角を作りながら、一番大きい傷へ押し当てた。それから、何事も無かったかのように止血をする。どうやら誰にも気付かれなかったようだ。
「あの花束、もしかして神主さんが亡くなった事故の……」
「ホントに守ってたんだ……」
「つかアイギス、オマエ……犬語ホンヤク機能付き?」
伊織が少し場違いな質問をしていた。
「犬に言語は無いであります。でも言語だけが意思伝達じゃないであります」
そしてそれにもまじめに答えるアイギス。
「とんだ変り種もいたもんだ……」
「まったくですね」
「オマエもだっつの!」
伊織の突っ込みが今夜も冴え渡る。
巻き終えた包帯を留めて、犬を撫でてから後ろで見守っていた美鶴を振り返った。
「応急処置終わりました」
「よし、理事長に報告して作戦は終了だ。後は獣医の手配か……夜中だが、まあ何とかしよう」
「頑張ったね、オマエ。犬にしとくの勿体ないよ」
岳羽に褒められた事が分かったのか犬は再び小さく鳴く。その身体を着ていた上着でそっと包んで抱き上げると、思っていたより軽い。
「伊織先輩、救急箱お願いします。ラウンジに置いておいてください」
「お、おう」
「斑鳩が運ぶのか?」
「はい。犬じゃ救急車も呼べねぇでしょう」
「分かった。君に頼もう。有里、影時間が終わり次第私は斑鳩と獣医の元へ行く。悪いが他の皆をよろしく頼む」
美鶴に言われて有里が頷く。未だ心配で離れがたいらしい山岸もアマネも服が犬の毛と血で汚れてしまっていたが、明日洗濯すれば落ちるだろう。
血は落ちにくいが。
寮へ帰る為に去っていく有里達が見えなくなった頃、影時間が終わった。殆ど同時に携帯を取り出した美鶴が受け入れてくれる動物病院を探して電話を掛ける。
階段に座るアマネの腕の中で白い犬は失血のせいか寒そうにしていて、温もりを求めてアマネに擦り寄ってきた。
夏だというのに、毛がある動物だというのにあまり暖かくない身体。
「……受け入れてくれる獣医を見つけた。行けるか?」
「はい」
立ち上がると腕の中の犬は、それでも小さく鳴いた。
***
結局寮へ帰るのは朝方近くになってしまい、仮眠も取らないまま頼まれていた弁当を作った後汚れた服を洗濯していれば、部活の練習がある組が慌ただしく寮を出て行った。
朝食後アマネが仮眠を取っている間に獣医から連絡が来て、診察の結果命に別状は無かったらしい。
天田に何の事かと聞かれ、知り合いの犬が怪我したのだと教えれば納得した。動物は苦手では無いらしい。小さい頃にトラウマになるような事でもなければ、そうそう動物嫌いにはならないだろう。
そういえば知人達のペットを触った事はあるが自分で飼ったことは無かったな、と思いながら、その日は宿題を片付けたり寮の掃除をしたりして過ごした。
仮眠を取ったとはいえ睡眠時間が少なかったので、今日はイブリスを召喚せず寝てしまおうとベッドへ潜りこみ、影時間を迎える。
そのまま眠れれば良かったのに、また有里の部屋からファルロスの気配がした。
「……やあ、こんばんは」
「……おう」
「あれ? 今日は眠そうだね。無理してる?」
「実を言うと、寝てたのを有里先輩の部屋にお前が来た気配で起きたぁ」
「……ごめんね?」
ファルロスは謝るが、別に謝らなくていい。
「あと一週間で次の満月だよ。それを伝えに来たんだけど、タイミングが悪かったみたいだね」
影時間に来ると言うだけでタイミングは悪いと思うが、それは言わないでおいた。
多分ファルロスは、シャドウ同様影時間にしか出て来られないのだろう。
シャドウに呼ばれてタルタロスヘ誘い込まれた者なのかというとそうではなく、ファルロスはヒトの姿をしているけれどシャドウに近い性質を持っているという事だ。
だからアマネに違和感を覚えた。普通のヒトではないから、そのヒトではない部分にある本能的なものが、アマネの持っている性質に反応している。
アマネの機械や動植物に好かれる性質と言うのは、いったい何処にまで適応されるのか。
さておき、それ以外のタイミングが無理なら結局ファルロスは影時間に来るしかない。それならば、見た目だけでも年上であるアマネが妥協するべきだ。
「じゃあ次からは、彼に会いに行ってもキミには会わないほうがいいかな?」
「いや、先輩の部屋にお前が行った時点で目が覚めるから、来てくれたほうが俺は嬉しいぜぇ」
「ほんとう?」
「Si」
気配だけで目が覚めてしまう、というのは結構厄介で損だと思うが、それを受け入れて生きていた『昔』があるから仕方が無い。
「じゃあ、次に来る時も必ず来るよ。約束だね」
「おう」
ニッコリと微笑んだファルロスが消える。
残されたのは影時間と完全に眠気の飛んでしまった、アマネ。
着ている制服からして月光館学園の初等科の生徒だろう。誰かの弟だろうかと首を捻る。
少年はアマネが帰ってきた事に気付くと、わざわざ寄ってきて頭を下げた。
「あの、今日からここでお世話になる、天田乾です」
「……お世話」
聞いていないぞ、と他の寮生がいないかラウンジを見回せば、先に帰っていたらしい伊織がソファに座って笑っていた。テーブルに二人分のカップがあるから、天田と話でもしていたのだろう。
「そういや斑鳩には言ってなかったっけ。夏休みの間ここで暮らすらしいぜ。理事長の指示」
無言で天田少年に向き直ると、身長差があるせいか首を逸らして見上げてきている。どちらかというと大人しめな少年だ。
理事長がこの寮で暮らす様に指示をしたということは、天田も影時間への適性かペルソナ使いになれる可能性があるのだろう。どこで見つけてきた人材かは不明だが、夏休みの間だけとはいえ親元を離れての生活は今後SEESのメンバーとなることへの布石だとも考えられた。
「あー、俺、斑鳩周。好きなふうに呼んで良いぜぇ」
「……アマネさんは、順平さんと同じ学年ですか?」
「いや一年。週に何日かはおさんどんもやってるから、嫌いなものや好きなものは早めに教えてくれると嬉しい。リクエストは早い者勝ち」
「おさんどん?」
「料理作ってるってことだぁ。今日もこれから夕食作り。せっかくだし、天田少年は何食べたい?」
冷蔵庫の中身を思い出しながら尋ねれば、天田は驚いたようにアマネを見ている。ラウンジのソファから伊織が挙手してリクエストを聞いて欲しそうにしているが、一応天田の入寮祝いということで天田が優先だ。
「そうですね……」
チラリと天田が横目で伊織を見た。伊織は口パクで『カレー』と繰り返している。
必死すぎて少し笑えるが、そもそも入寮祝いだと気付いて欲しい。
「……カレーでお願いします」
「Si 伊織先輩だけ激辛にしましょう」
「なんでだよっ」
「仮とはいえ入寮祝いのつもりだったのに、天田少年に気を使わせるからですよ」
料理の前に制服を着替える為に部屋へ行こうと歩き出す。カレーだなんて子供の喜びそうなものだし、案外天田もカレーが良いと思っていたかもしれないが、伊織の行動が大人気なかったのも確かだ。
材料はある。カレーだといつもより皆のお代わりの回数が増えるからご飯も多めに。ついでにデザートは甘いもの。
いっそインドカレー風にしたほうが良いかと考えながら着替えてラウンジへ戻れば、岳羽や山岸も帰ってきていて天田と話をしていた。本当に知らなかったのはアマネだけだったらしく、どちらも天田がいて当たり前という風に接している。
キッチンへ向かうと天田がやってきた。
「何か手伝いますか」
「いや、いつも一人でやってるから大丈夫だぁ」
***
今日は部活があるからと有里達が寮を出た後、運動部に入っていないアマネや山岸、伊織と予定の無かった天田の四人でラウンジのテーブルに集まり勉強をしていると、受付の電話が鳴った。
一番近くに座っていた山岸が電話に出て相手をする姿を、手を止めて見る。
「珍しくね? 寮に電話って」
「誰かの家族の方ですかね?」
「いやでも携帯あんじゃん」
伊織と天田が話すのを聞きながら数学の問題を解いて、立ち上がった。同時に山岸が受話器を押さえながら振り返る。
「斑鳩くん、その、斑鳩くんのおばさんって人から」
「代わりますよ」
受け取った受話器の向こうから、後見人である叔母の声が聞こえた。
『周君、久しぶりね』
「……お久しぶりです」
朗らかな叔母の声。
アマネの母親の弟である叔父は両親を亡くしたアマネを引き取って後見人となり、義務教育の間は『これは兄さん達が君に遺した金だから』と遺された遺産に手をつける事無く養育費全般を賄ってくれた。
その妻である叔母も、血の繋がりはないというのに昔からアマネのことをよく気に掛けてくれる。かといって過干渉をすることもない人で、実の娘である従妹とも分け隔てなく育ててくれた叔父夫婦は極まともな後見人だろう。
『そろそろ夏休みかと思って連絡したの。周君はあまり連絡くれないからお父さんといつも心配していたんだけど、便りが無いのが良い便りって、本当なのね。元気そう』
「すみません。もっと気をつければ良かったですね。そちらも怪我の後遺症などは大丈夫ですか?」
アマネの入学が遅れた理由は、叔父一家が全員巻き込まれた交通事故だ。
『大丈夫よ。もう皆すっかり』
「それは良かった」
『それでね、夏休みの事だけれど、周君、いつ帰ってくる?』
やはり聞かれたかと思いながら、無意識に受話器を握る手に篭った力を意識して緩める。アマネに受話器を渡してからずっと横にいた山岸が不思議そうに見上げてきていた。
「……すみません。今年の夏は学校の予定などが入ってしまって、どうも帰れそうにないんです。今日の夜にでもご報告しようと思っていたのですが」
『あら、そうなの?』
「はい。ですので申し訳ないのですが両親の墓参りも出来なくて」
『それは残念ね。でも分かったわ。お義姉さん達のお盆もちゃんとこちらでやっておくから、周君は心配しないでね』
「ありがとうございます」
切れた電話を戻して振り返れば、テーブルのとこにいる伊織と天田も、すぐ横にいた山岸も俺を見ている。
ああ、今の嘘を不思議がっているのかとすぐに理解して、誤魔化すように笑った。
「……アマネさんも、ご両親がいないんですか」
「小学校へ上がる前に、なぁ。それ以来叔父の家で世話になってたんだぁ」
「僕と一緒ですね」
そう言う天田の頭をぐしゃぐしゃとかき混ぜるように撫でる。勉強をする気分では無くなってしまったので、キッチンでアイスティーを淹れてそれぞれに渡した。
詳しくは聞いていないが天田の母親は二年前に亡くなったらしい。父親は居らず、それ以来遠縁からの援助を受けて生活しており、今回の仮入寮にはその辺も関係しているそうである。
「墓参りにいけねぇのは申し訳ねぇけど、叔父の家に帰るのはちょっとなぁ」
「何か嫌なことでもあるの?」
心配げに訊いてきた山岸は、アマネが叔父達に苛められているとでも考えたのだろうか。
「いえ。従妹が苦手なんです」
「斑鳩って従妹居んの? 可愛い?」
「ちょっと、順平くん」
苦手と言った直後にそう聞いてくるかとも思ったが、伊織はアマネの従妹を知らないし、普通の男子高校生ならそういうものなのだろう。
「……山岸先輩の友達、居ましたね。森山さん」
「え? うん。それが?」
「あの人をもっと田舎の不良にして、異性への興味を持たせた感じです」
よく分からず不思議そうにする天田とは違い、理解したのだろう山岸と伊織が何とも言えない顔をした。
山岸の友人の森山は、元々不良の溜り場にも出入りしていた家出娘の一人だ。まだ完全に入り浸っていた訳でもないので、山岸への苛めとシャドウが関わった六月のあの事件のこともあって完全な不良となることは無かったようだが、今でも見た目は校則に反している。
まぁ校則を多少破っているだけで学校にも通っているし、不良という言葉ももう彼女には合わないのだろうが。
ともあれ、思春期や二次性徴を迎え始めた従妹は幼少期のそれから比べると大きく様変わりし、気付けば異性への興味関心を一番近くにいたアマネへ向けるようになっていた。
詳しい事は言いたくない。けれども流石に彼女からされた事は、何度も『人生』を繰り返したアマネでも少し、いや、正直だいぶ引いた。
「ぶっちゃけ、彼女のせいで高校は叔父の家から遠いここを選んだんです」
とりあえず逃げるにはあの家を出るのが一番早かったのである。
「それは……」
理解してしまったらしい山岸と伊織は納得したらしい。まだ子供な天田には分からない部分もあるだろうが、出来れば分からないままで居て欲しいと思う。
一時的な逃亡だとはアマネ自身分かってはいた。
***
夏休みが始まって数日、深夜に山岸の通信で作戦室へ集められた。
「何事スか⁉」
「市街地にシャドウの反応だ。さっき山岸が偶然見つけた」
まだ満月でもないのに大型シャドウが現れたのか、という疑問を岳羽が代弁する。だが山岸が言うに反応は普通のシャドウらしい。
ただ、どうもそのシャドウの行動がおかしいらしく、それが気になっての召集だ。
「場所は長鳴神社の参道前の辺りだ。近くにいた明彦が先に行っている。あいつ一人で充分だと思うが、念のため準備してくれ」
真田もこんな時間に何故外へ行っているのかと思ったが、恐らくトレーニングと称してタルタロス外でのシャドウ退治に一人で行ったとかそういう事だろう。
「ハイ、こちら山岸です」
『いま現場に居る。悪いが、すぐ来てくれ』
噂をしていた訳ではないが、その真田から通信が入った。
「どうした? 苦戦しているのか⁉」
『いや、シャドウは片付いた。……というより、片付いていたと言った方が正確だな』
「何があった?」
『オレの代わりにケガした奴が居るんだ。出来れば助けたい』
切れた通信の内容に不思議がる岳羽と伊織に声を掛け、美鶴が作戦室を出て行く。それを追いかける形でアマネ達も作戦室を飛び出した。
長鳴神社は巌戸台にありモノレールへ乗ったりする必要は無い。よって影時間でも向かう事が出来たが、よく考えると場所がポートアイランドのほうだったらどうするつもりだったのだろうか。
辿り着いた神社の参道で、真田の足元に本来は白いがところどころ赤く染まっているのだろう塊が見えた。
近付けばその白い塊が犬であることが分かる。横たわりながらもアマネ達が来た事に気付いて微かな声で鳴いた。
「あ、コロちゃん⁉ コロちゃん! しっかりして、コロちゃん!」
知り合いの犬なのか山岸がそう呼びかけながら傍らに膝を突く。
「知ってるのか?」
「はい、この辺じゃ有名な犬で……ってか、すぐ手当てしないと!」
「とにかく止血と消毒だな」
「俺がやります」
美鶴の横を抜け山岸の隣へしゃがむ。持ってきた救急箱から止血と消毒の為の道具を取り出し、犬にも使えるのか一瞬悩んでから、犬の傷を確かめる。
「全く、大したヤツだ。何しろ犬がシャドウに立ち向かって、しかも倒したんだからな」
「え、待てよ、それってつまり……この犬コロ、ペルソナ使いって事⁉」
後ろで伊織の驚く声が聞こえた。
犬の傷は一箇所を除いてそう深くは無い。だが人間用の救急道具、しかも応急処置程度の物しかない今の状況では、影時間が終わってすぐに獣医に見せたとしても少し危ない気がする。
自分の手が汚れるのも構わず、傷に気を付けながら犬を撫でている山岸を見て、アマネは仕方ないか、と判断した。
「『守った』……と言っています。ここは『安息の場所』だそうです。あそこに花束が」
アイギスの声に山岸も含めた全員が、アイギスが示したらしい方を見た。
その瞬間を狙ってアマネは指を鳴らし左手に黄色い炎を灯す。
イブリスが召喚出来るようになってからは以前のように出せなくなってしまった炎だが、それでも完全に使えなくなった訳ではない。今までに試してみたところ、最大で手のひらで包める程度の炎は今でも出せる。逆に言うと、その程度の炎しか出せなくなってしまった訳だが。
その炎を犬自身の身体と自分の身体とで死角を作りながら、一番大きい傷へ押し当てた。それから、何事も無かったかのように止血をする。どうやら誰にも気付かれなかったようだ。
「あの花束、もしかして神主さんが亡くなった事故の……」
「ホントに守ってたんだ……」
「つかアイギス、オマエ……犬語ホンヤク機能付き?」
伊織が少し場違いな質問をしていた。
「犬に言語は無いであります。でも言語だけが意思伝達じゃないであります」
そしてそれにもまじめに答えるアイギス。
「とんだ変り種もいたもんだ……」
「まったくですね」
「オマエもだっつの!」
伊織の突っ込みが今夜も冴え渡る。
巻き終えた包帯を留めて、犬を撫でてから後ろで見守っていた美鶴を振り返った。
「応急処置終わりました」
「よし、理事長に報告して作戦は終了だ。後は獣医の手配か……夜中だが、まあ何とかしよう」
「頑張ったね、オマエ。犬にしとくの勿体ないよ」
岳羽に褒められた事が分かったのか犬は再び小さく鳴く。その身体を着ていた上着でそっと包んで抱き上げると、思っていたより軽い。
「伊織先輩、救急箱お願いします。ラウンジに置いておいてください」
「お、おう」
「斑鳩が運ぶのか?」
「はい。犬じゃ救急車も呼べねぇでしょう」
「分かった。君に頼もう。有里、影時間が終わり次第私は斑鳩と獣医の元へ行く。悪いが他の皆をよろしく頼む」
美鶴に言われて有里が頷く。未だ心配で離れがたいらしい山岸もアマネも服が犬の毛と血で汚れてしまっていたが、明日洗濯すれば落ちるだろう。
血は落ちにくいが。
寮へ帰る為に去っていく有里達が見えなくなった頃、影時間が終わった。殆ど同時に携帯を取り出した美鶴が受け入れてくれる動物病院を探して電話を掛ける。
階段に座るアマネの腕の中で白い犬は失血のせいか寒そうにしていて、温もりを求めてアマネに擦り寄ってきた。
夏だというのに、毛がある動物だというのにあまり暖かくない身体。
「……受け入れてくれる獣医を見つけた。行けるか?」
「はい」
立ち上がると腕の中の犬は、それでも小さく鳴いた。
***
結局寮へ帰るのは朝方近くになってしまい、仮眠も取らないまま頼まれていた弁当を作った後汚れた服を洗濯していれば、部活の練習がある組が慌ただしく寮を出て行った。
朝食後アマネが仮眠を取っている間に獣医から連絡が来て、診察の結果命に別状は無かったらしい。
天田に何の事かと聞かれ、知り合いの犬が怪我したのだと教えれば納得した。動物は苦手では無いらしい。小さい頃にトラウマになるような事でもなければ、そうそう動物嫌いにはならないだろう。
そういえば知人達のペットを触った事はあるが自分で飼ったことは無かったな、と思いながら、その日は宿題を片付けたり寮の掃除をしたりして過ごした。
仮眠を取ったとはいえ睡眠時間が少なかったので、今日はイブリスを召喚せず寝てしまおうとベッドへ潜りこみ、影時間を迎える。
そのまま眠れれば良かったのに、また有里の部屋からファルロスの気配がした。
「……やあ、こんばんは」
「……おう」
「あれ? 今日は眠そうだね。無理してる?」
「実を言うと、寝てたのを有里先輩の部屋にお前が来た気配で起きたぁ」
「……ごめんね?」
ファルロスは謝るが、別に謝らなくていい。
「あと一週間で次の満月だよ。それを伝えに来たんだけど、タイミングが悪かったみたいだね」
影時間に来ると言うだけでタイミングは悪いと思うが、それは言わないでおいた。
多分ファルロスは、シャドウ同様影時間にしか出て来られないのだろう。
シャドウに呼ばれてタルタロスヘ誘い込まれた者なのかというとそうではなく、ファルロスはヒトの姿をしているけれどシャドウに近い性質を持っているという事だ。
だからアマネに違和感を覚えた。普通のヒトではないから、そのヒトではない部分にある本能的なものが、アマネの持っている性質に反応している。
アマネの機械や動植物に好かれる性質と言うのは、いったい何処にまで適応されるのか。
さておき、それ以外のタイミングが無理なら結局ファルロスは影時間に来るしかない。それならば、見た目だけでも年上であるアマネが妥協するべきだ。
「じゃあ次からは、彼に会いに行ってもキミには会わないほうがいいかな?」
「いや、先輩の部屋にお前が行った時点で目が覚めるから、来てくれたほうが俺は嬉しいぜぇ」
「ほんとう?」
「Si」
気配だけで目が覚めてしまう、というのは結構厄介で損だと思うが、それを受け入れて生きていた『昔』があるから仕方が無い。
「じゃあ、次に来る時も必ず来るよ。約束だね」
「おう」
ニッコリと微笑んだファルロスが消える。
残されたのは影時間と完全に眠気の飛んでしまった、アマネ。