―妖眼幻視行―
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二回分のビンタを受けた頬に濡れタオルを押し当てて、シルビは人気のない待ち受け室のソファへ腰を下ろす。外来や見舞いの時間はとうに過ぎており、昼間よりは静まりかえっていた。時々聞こえる叫び声や泣き声は無視する。
まさかビンタで許されてしまうとは思っていなかった。それもレオとミシェーラの二人から一度ずつで。
トビーからも一発貰ってもおかしくはなかったし、『神性存在』であることを隠していた件でザップやK・Kからも貰っても仕方なかっただろう。シルビ自身がビンタされたかったのかもしれない。
そうして憎まれて恨まれて、罪悪感を覚えて安心したかったのだろう。意味のない免罪符が欲しかったのだ。
結局それはビンタ二回で免罪符も何もあったものではなくなり、どう思っているのかもうやむやなまま。
「……甘い考えなんだよなぁ」
「何がですか」
背もたれに寄りかかっていた身体を起こすと、レオの病室がある病棟から車椅子のミシェーラとトビーがやってくる。
「一度戻られるんですか?」
「クラウスさんが来たので。シルビさんはどうしてここに?」
「ここの薬局長が知り合いなんですけど、夜食作れって言ってきたので」
この前の点滴を打ってやったお礼をしろと言ってきたのは、レオの病室へ行く前の話だ。一度家に帰って弁当を作って持ってきて、ビンタされた頬を見て濡れタオルを渡された。
そしてシルビはそのまま家にもライブラの事務所へも戻らず、ぼんやりしていただけである。
窓の外から霧の向こうの月の明かりが差し込んでいた。今日はどうやら満月らしい。だが暗くなるとホテルへ戻るのも一苦労だろう。
ホテルの前にまで【第八の炎】を繋いであげるかと立ち上がったところで、トビーが何かを思いついたようにミシェーラへと声を掛けた。
「すまないけど、ちょっとトイレへ行ってくる」
「えっ」
「分かったわ」
驚くシルビを尻目に、トビーは平然と婚約者をシルビの傍へ残してトイレのある方へ行ってしまう。残された婚約者は婚約者で、含み笑いをこぼしながらシルビへと顔を向けた。
「あの人が戻ってくるまで話し相手になってもらえますか?」
「……俺でいいのなら」
してやられたのか、トビーが気を回したのにミシェーラが乗っかったのか分からない。車椅子をシルビの座っていたソファへ近づけてくる彼女に、シルビは少し躊躇してからその右眼へと手を伸ばした。
躊躇した理由は婚約者のいる女性へ触れるという点と、レオに説明した『契約』の話を思い出したからだ。
第三者の介入は望ましくない。二重契約もあまりいいとは言えない。
「……ぇ?」
ならば『第三者の立場の者が契約を結んだ当事者達より強力で』『無理重複ではない契約』であった場合は、どうなるのか。
驚いたようにシルビを“見る”ミシェーラに、シルビは乾き始めた濡れタオルで右目を塞いだ。
「……綺麗な、眼の色をしてるんですね」
困惑から立ち直った彼女の第一声はそれだった。シルビの外見を語る際にいつも見逃されることのないそれは、けれどもシルビ自身あまり好きではなく、無言で微笑む。
『第三者の立場の者が契約を結んだ当事者達より強力で』『無理重複ではない契約』であった場合、その契約はいともたやすく成立する。レオへ【義眼】を与えた神性存在はシルビよりも下位で、今この一時だけ視力を貸すという契約なら、そのモノと交わされた契約とも何の問題はなかった。
「代償として、この事は貴女の伴侶へも家族へも、レオ君にも言ってはいけません」
「はい」
「本当は、あんな【義眼】の契約自体をどうにかしてやれたらと思うんですけど、今の俺じゃとても」
「シルビさんは、本当に神様みたいなんですね。……でも、お兄ちゃんから眼を奪った奴とは全然違う」
「不気味であることは変わりねぇのでは?」
「大きさとか、現れ方がもう全然違いますよ! アイツは……怖かったから」
僅かに俯いたミシェーラの横顔を月明かりが照らしている。盲目のままの左目と今はシルビの眼を借りている右目のコントラストが、不謹慎ながらに綺麗だと思えた。
「兄があの日を悔いているように、私も一つ後悔してることがあります。けれどもそれを兄に言うことは出来ない。だってそうしたら、兄は今よりもっと自分を責めるでしょう?」
「貴女の後悔は?」
「兄に聞こえないように言えば良かった」
ミシェーラがまっすぐにシルビを見る。
「私から奪いなさいと兄の前で言わなければ、少なくとも兄は自分が先に言い出せなかったからだなんて自分を恨んだりしなかった。あの人は強い人。だからこそ、私はそれを言えないんです」
濡れタオルはもう乾いていた。もう一度ミシェーラの右目へと手を伸ばして瞼を撫でる。自分の右目から離した濡れタオルを見下ろして、シルビは盲目へ戻った少女へ向けて口を開いた。
「五年前に俺も酷く後悔する出来事があったんです。そのせいで今の体たらくなんですけれど、あの時の後悔が無けりゃレオ君には会えなかったかなぁ」
「あの日のことがなくても私はトビーと出会ってましたよ」
「ふふ、そりゃ羨ましい。……あの日の後悔が今の自分へ繋がったと考えたら、俺はどうしてもあの日の選択を『最悪だった』とだけは思えねぇんです」
どんなに後悔しようと、どんなに辛い経験であったとしても、思いがけない出会いがあるものだから。
「だから俺は世界が大好きなんです」
まさかビンタで許されてしまうとは思っていなかった。それもレオとミシェーラの二人から一度ずつで。
トビーからも一発貰ってもおかしくはなかったし、『神性存在』であることを隠していた件でザップやK・Kからも貰っても仕方なかっただろう。シルビ自身がビンタされたかったのかもしれない。
そうして憎まれて恨まれて、罪悪感を覚えて安心したかったのだろう。意味のない免罪符が欲しかったのだ。
結局それはビンタ二回で免罪符も何もあったものではなくなり、どう思っているのかもうやむやなまま。
「……甘い考えなんだよなぁ」
「何がですか」
背もたれに寄りかかっていた身体を起こすと、レオの病室がある病棟から車椅子のミシェーラとトビーがやってくる。
「一度戻られるんですか?」
「クラウスさんが来たので。シルビさんはどうしてここに?」
「ここの薬局長が知り合いなんですけど、夜食作れって言ってきたので」
この前の点滴を打ってやったお礼をしろと言ってきたのは、レオの病室へ行く前の話だ。一度家に帰って弁当を作って持ってきて、ビンタされた頬を見て濡れタオルを渡された。
そしてシルビはそのまま家にもライブラの事務所へも戻らず、ぼんやりしていただけである。
窓の外から霧の向こうの月の明かりが差し込んでいた。今日はどうやら満月らしい。だが暗くなるとホテルへ戻るのも一苦労だろう。
ホテルの前にまで【第八の炎】を繋いであげるかと立ち上がったところで、トビーが何かを思いついたようにミシェーラへと声を掛けた。
「すまないけど、ちょっとトイレへ行ってくる」
「えっ」
「分かったわ」
驚くシルビを尻目に、トビーは平然と婚約者をシルビの傍へ残してトイレのある方へ行ってしまう。残された婚約者は婚約者で、含み笑いをこぼしながらシルビへと顔を向けた。
「あの人が戻ってくるまで話し相手になってもらえますか?」
「……俺でいいのなら」
してやられたのか、トビーが気を回したのにミシェーラが乗っかったのか分からない。車椅子をシルビの座っていたソファへ近づけてくる彼女に、シルビは少し躊躇してからその右眼へと手を伸ばした。
躊躇した理由は婚約者のいる女性へ触れるという点と、レオに説明した『契約』の話を思い出したからだ。
第三者の介入は望ましくない。二重契約もあまりいいとは言えない。
「……ぇ?」
ならば『第三者の立場の者が契約を結んだ当事者達より強力で』『無理重複ではない契約』であった場合は、どうなるのか。
驚いたようにシルビを“見る”ミシェーラに、シルビは乾き始めた濡れタオルで右目を塞いだ。
「……綺麗な、眼の色をしてるんですね」
困惑から立ち直った彼女の第一声はそれだった。シルビの外見を語る際にいつも見逃されることのないそれは、けれどもシルビ自身あまり好きではなく、無言で微笑む。
『第三者の立場の者が契約を結んだ当事者達より強力で』『無理重複ではない契約』であった場合、その契約はいともたやすく成立する。レオへ【義眼】を与えた神性存在はシルビよりも下位で、今この一時だけ視力を貸すという契約なら、そのモノと交わされた契約とも何の問題はなかった。
「代償として、この事は貴女の伴侶へも家族へも、レオ君にも言ってはいけません」
「はい」
「本当は、あんな【義眼】の契約自体をどうにかしてやれたらと思うんですけど、今の俺じゃとても」
「シルビさんは、本当に神様みたいなんですね。……でも、お兄ちゃんから眼を奪った奴とは全然違う」
「不気味であることは変わりねぇのでは?」
「大きさとか、現れ方がもう全然違いますよ! アイツは……怖かったから」
僅かに俯いたミシェーラの横顔を月明かりが照らしている。盲目のままの左目と今はシルビの眼を借りている右目のコントラストが、不謹慎ながらに綺麗だと思えた。
「兄があの日を悔いているように、私も一つ後悔してることがあります。けれどもそれを兄に言うことは出来ない。だってそうしたら、兄は今よりもっと自分を責めるでしょう?」
「貴女の後悔は?」
「兄に聞こえないように言えば良かった」
ミシェーラがまっすぐにシルビを見る。
「私から奪いなさいと兄の前で言わなければ、少なくとも兄は自分が先に言い出せなかったからだなんて自分を恨んだりしなかった。あの人は強い人。だからこそ、私はそれを言えないんです」
濡れタオルはもう乾いていた。もう一度ミシェーラの右目へと手を伸ばして瞼を撫でる。自分の右目から離した濡れタオルを見下ろして、シルビは盲目へ戻った少女へ向けて口を開いた。
「五年前に俺も酷く後悔する出来事があったんです。そのせいで今の体たらくなんですけれど、あの時の後悔が無けりゃレオ君には会えなかったかなぁ」
「あの日のことがなくても私はトビーと出会ってましたよ」
「ふふ、そりゃ羨ましい。……あの日の後悔が今の自分へ繋がったと考えたら、俺はどうしてもあの日の選択を『最悪だった』とだけは思えねぇんです」
どんなに後悔しようと、どんなに辛い経験であったとしても、思いがけない出会いがあるものだから。
「だから俺は世界が大好きなんです」