トットランド編
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夢主視点
無事に帰ってきたことで感極まったらしいキャロットやブルックに抱きつかれて寝ていたルフィが目を覚ます。第一声が『待ちくたびれた』という盛大な嘘だったことにナミが怒鳴っていたが、これで一応“全員”がサニー号へ戻って来られたことになる。
ただ問題はまだ残っていた。少なくともこのトットランドの海域からは絶対に抜け出さなければならない。
チョッパーが大急ぎでルフィとサンジの治療を開始しようとしたところで、案の定追ってからの砲撃が始まった。
「まだ逃げられた訳じゃない! 手当は逃げながら!」
船尾に移動して追ってくる艦隊を見たブルックが叫ぶ。シルビが外套を消しながら船尾の船縁の上に飛び乗れば、新しい煙草に火を点けながら隣にサンジが並んだ。
逃げる途中にやられたのだろう。サンジの腕にはまだ出血が止まっていない銃創がある。
さてどう反撃しようかとサンジに訊こうとした瞬間、違う方向から飛んだ砲撃が追ってきていた船を一隻沈没させた。見ればジェルマの船団からによるものだと知れる。
船団の中心にあった大型船からジャッジがこちらを見ていた。
「そいつが何だと言うのだ! “麦わらのルフィ”」
見るというより睨んでいると言ったほうが正しそうなその視線は、サンジを射抜いている。
「サンジはジェルマの失敗作だ! 皮膚も盾とならず、メシ炊きに従事し王家のプライドもない! つまらぬ情に流され弱者の為に命を危険に晒す様な脆弱な精神! 兵士としてあまりに不完全な――出来損ないがその男だ!」
サンジはそれを聞いても何も言わなかった。ただ黙り込むサンジとは対照的に、チョッパーの治療を受けていたルフィは笑顔でジャッジに手を振る。
「じゃあな! 援護ありがとう!」
「! 何とか答えたらどうだ! “麦わら”ァ!」
遠ざかっていくジェルマの船団。同時にジェルマが妨害をしてくれているから距離が出来るビッグマム海賊団の艦隊。
ジャッジの怒鳴り声も聞こえなくなってから、ルフィが不思議そうに呟いた。
「びっくりした。なんであいつ急にお前のいいとこ全部言ったんだ?」
「そういう意味で言ってねェだろ、あいつは!」
「わははははは! 最高じゃな、お前達!」
哀れジャッジ。シルビが内心で少しだけジャッジに同情していると、今度は前方でナミが叫ぶ。
どうやらカカオ島に待機していた艦隊の一部が前方へ回り込んだらしい。これではジェルマからの援護があろうと逃げるのは難しかった。後方と前方を敵に抑え込まれ左舷側はカカオ島とジェルマの船団で逃げられず、残る右舷はけれども今から面舵をきっても逃げきれるとは到底思えない。
前方は既に砲撃範囲に入ってしまっている。
後方からは一度はキャロットがスーロン化して撃退した筈の、魔人を操る能力を持ったダイフクが追いかけてきていた。
マストにいたキャロットに魔人が襲いかかろうとする。サンジが駆け寄ってそれを阻止するも、サンジが魔人に掛かり切りになってしまっては、砲撃は防げない。
「シャイタン! 何か策はないのか!」
もう完全に『ペンギン』とは呼ばなくなってしまったジンベエに、シルビは指を鳴らして槍を作り出す。
もう何度か『威国』を繰り出せば少しは違うだろう。そう考えて船縁に立ったところで、進行方向の海面が急激に盛り上がった。
「親分を困らせるヤツはァ、許さんのらァ!」
盛り上がった水面を割って現れた巨大な魚人族は、どうやらジンベエやナミの知己であるらしい。魚人島で出会ったのであればシルビは知らなかった。
ワダツミというらしいその魚人族の周りからも他の魚人賊達が顔を出す。その唐突な出現はジンベエの予想するところでは無かったらしく、ジンベエが驚いて海中へと飛び込んでいった。
どうやらジンベエが率いていた『タイヨウの海賊団』の面々の様である。ルフィの傘下になるということでジンベエはその海賊団を抜けたが、トットランドの海域を抜けるまではまだ“ジンベエの部下”ということで援護に来てくれたらしい。
海中から戻ってきたジンベエが舵を握る。前方から迫り来ていた艦隊が一隻、また一隻と船底に穴を開けられて沈んでいった。
「いい仲間を持ったようですねぇ」
「ああ。ワシには勿体ない仲間じゃ」
艦隊が沈んでサニー号が通れるだけの隙間が出来ていく。魚人を相手にする為に砲撃手が居なくなったのか放たれる砲弾の数が減っていった。
ならば今度こそ、シルビの出番なのだろう。
「魚人族はどんな海でも泳げるぅ?」
「当たり前じゃ!」
「OK。ルフィ君、船頭に乗ってもいいぃ?」
「おう! いいぞ!」
この船の船長に許可を取ってライオンを模した船頭の上に飛び乗る。混乱を極めた海原を一瞥してから、シルビは幻覚で作り出した槍を構えた。
ビッグマムを足止めした時よりも強く、けれどもサニー号が反動で壊れない絶妙なバランスを探る。
そうして振り回した槍の衝撃波が海を割った。
「やべ、やりすぎたぁ」
一瞬水の無くなった海底が見えた気がする。割れた海がビッグマムの艦隊を巻き込んで戻っていくのに、ジンベエの仲間達も必死になって逃げていた。
運良くサニー号には影響がなかったが、この方法は駄目だと判断して槍を消す。とはいえ逃げ道は出来ていた。
「……。風を起こすから舵取り頼むぅ!」
「その前に何か言うことはないのかァ!」
ジンベエのちょっと怒り混じりの怒鳴り声も尤もだと思う。
とにもかくにも開かれた逃げ道を帆に風を受けて猛スピードで突き進む。海が割れても難破しなかった船はジンベエの仲間達が抑えており、あの巨大な魚人族であるワダツミも暴れ回っていた。
が、不意にそのワダツミが顔を赤くして目を回し始める。周囲の海からも濃密な蒸気が立ち上り一気に蒸し暑くなった。
「オーブンか! いかんっ、海水が煮えたぎっとる!」
「わー! 熱くて近づけねえら!」
ワダツミが熱湯と化した海から逃げるように海中へと潜っていく。立ち上る水蒸気の向こうで何かが蠢いた。
リズミカルに聞こえてくる場違いな歌声。見上げた水蒸気の向こうから姿を現したのは、ビッグマム海賊団で最も巨大だと思われる船だった。
船頭に付けられた花が歌っている。ビッグマム海賊団のジョリーロジャーが描かれたそれだけでサニー号より大きい帆。その船から放たれる砲弾も大きく、着水した海面が大きく跳ね上がっていた。
進路を阻むように向かい合う巨船。ルフィやチョッパーだけではなくナミやブルックまでもが慌てふためいている。
今度こそ万事休すか、せめて砲弾の直撃だけでも回避するかと指を鳴らしかけたところでサニー号が海に沈んだ。咄嗟に海水を拒絶し近くにいたブルックを掴んで船の外に流されていくのを阻止する。
船を掴むワダツミの手。そのまま彼の口の中へとサニー号ごと納められる。
「ここどこだ!?」
「ワダツミの口の中じゃ!」
ゼベット爺さんではあるまいし魚介の口の中に入ることになるとは。そんな感心もすぐにワダツミの口から吐き出されることで終わった。
どうやらまた海の海水が熱くなって思わず吐き出してしまったらしい。だがそのお陰で包囲網からは抜け出せていた。
「いけ! おまいら! 麦わら! おいら、魚人島では、イケンことしれ、ごめんらったろ……」
熱くなってしまった海水の中からワダツミがルフィ達へ呼びかける。
「それれも拾ってくれたジンベエ親分に、か、感謝してるら……!」
ワダツミの体が燃え上がった。悲鳴を上げながらもワダツミは続ける。
「おいら達、親分が麦わらんとこ行きてェって言った時から、決めてたら! ――みんなれ、決めてたんら!」
ワダツミの体が仲間達の魚人達に引っ張られて海へ沈む。海中ならまだ水温が低いのだろう。
代わりに、ジンベエの仲間達が追っ手を遮るように並ぶ。数でいえばビッグマムの配下達に適うとは到底思えない。
当たり前だ。元から全面戦争が目的では無かったとはいえルフィ達とジャングベッジ達とジェルマが総当たりしても適わなかったモノが相手だ。たった少しの足止めだとしても、どれだけの死者が出るか。
「逃げろジンベエ! “麦わらの一味”! お前達の出航を祝福する!」
「……浸水は帆船の弱点。速やかに水をはき出せ。船も重く遅くなっとる。帆の穴を補正し充分な角度で風を受け……極力、最高の速度で進め!」
ジンベエが交戦する仲間達を見つめたまま話す。
「ナワバリを出るまでまだ数時間がかかる……」
「何言ってんだよジンベエ! 何の説明だ!」
「ルフィ。わしァ、あいつらを置いてはいけん!」
砲弾に荒ぶる波の余波で船が揺れる。一度海に沈んで重くなってしまった船はそれでも逃げようとしてはいた。
「この船を逃がす為のしんがりじゃ! ここまで来てあの母船と艦隊に追われたら脱出は叶わんぞ……! この最後尾! わしに務めさせてくれ! ――しかとやり遂げ、生きて戻る!」
ルフィがジンベエを睨む。けれども相手はあのビッグマムにすら臆する事の無かった海侠だ。きっと彼はシルビが止めようとしたところで諦めはしないだろう。
そしてシルビも止める気など無かった。ここで止めて、惨めな記憶を持たせることがジンベエにとって何の益になるのか。
「――忘れんな、ジンベエ! お前の船長は、もうおれだぞ!」
ルフィも分かっているのだ。そのことを。
「船は止めねェ! ワノ国で待ってる! 必ず来い!」
「かたじけない!」
「死んでも死ぬなよ!」
神妙に頭を下げたジンベエが顔を上げ、穏やかにシルビを見た。
「――シャイタン。ルフィ達を頼む。わしの船長じゃあ」
「……ワノ国で合流したら、良いって言った時以外は絶対に『ペンギン』って呼べよぉ。俺は元々“ハートのペンギン”としてここにいるんだからぁ」
「ああ、ええじゃろう。――ナミ。なるべく速く遠くへ。魚人の本気は海流を変える」
「うん! 分かった!」
心残りはないとばかりに目を伏せたジンベエが踵を返し海へと飛び込む。その姿が交戦している魚人族達に紛れるのを確認してから、シルビは甲板のナミ達を振り返った。
視線の合った面々が頷き、それぞれの役目を果たす為に走り出す。ルフィは大怪我を負ったばかりだということもあって碌に動けないが、その代わりジンベエが向かった海を真っ直ぐに見つめていた。
その横顔に一瞬、昔見たロジャーの顔が重なる。その表情は好きではなかったけれども。
「――風を起こすぜぇ。ナミ航海士、全力で風の動きを読めよぉ」
「お願いするわ。みんな! 全速力で行くわよ!」
指を鳴らす。途端に大きく風を受け止めて膨らむ帆に船体が大きく揺れた。
だんだんと遠ざかっていくジンベエ達。その背後に抜けることの出来た追っ手はいない。
すっかり追っ手の姿の見えなくなった海域で、風を起こすことを止めてシルビはルフィ達から一人離れる様に船尾で船縁に寄りかかって腰を下ろした。
ジンベエ達が引き起こした荒い海流の名残ももう無く、警戒を緩めてももう大丈夫だろう海原。潮風がボロボロになって汚れた服を乾かす。
結い紐を解いて髪も降ろした。風に遊ばれる毛先が時々視界の端で動くのを、酷く疲れた気持ちで眺める。
実際、精神的にも肉体的にも疲れていた。ここ暫くは使っていなかった能力や、めっきり引き出していなかった実力の行使。そしてそれをナミ達に堂々と目撃されてしまったという精神的ショック。
ローに言うのでさえ辛かった事を、なし崩しにとはいえ説明も無いまま見せてしまった。それもローに見せたことの無いものまでだ。
キャロットの泣き声が聞こえる。ペドロやペコムズのこともあった。
それらの事実が安全な場所へまで逃げてきた今になって、一気に思い起こされたのである。
芝生に覆われた甲板へと倒れ込む。船の上だというのに青々と茂った芝生は人工芝ではない。それが少し心地よかった。
船長から預かった帽子も今は船室の荷物の中だ。ローやハートの皆は今頃どうしているだろうか。
空から降ってきていた綿アメの雪が小降りになってくる。もうそろそろトットランドのナワバリを抜けるのだろう。
ルフィ達が騒がしい。けれども疲れたのか一眠りしたかった。
階段を上がってくる音。パサリと何かが頭に乗せられる。
「悪いと思ったけど、アンタの荷物勝手に触らせてもらったわよ」
「……船長に会う前に洗いてぇから、後で浴室を借りてもぉ?」
手に取ったモフモフの船長の帽子。顔を押しつけてももう汚れた匂い以外はしない。けれどもそれを型くずれしないよう腕の中に抱きしめる。
ナミが近くでしゃがんだ。
「良かったの?」
「……ルフィ君達を助ける為だぁ。仕方がなかったんだぁ」
仕方がなかった、で済ますには行き過ぎた行動だったかも知れないが。
きっとローに知られたら嫌な顔をされて、今度こそ船を降ろされてしまうかもしれない。ドレスローザとゾウの件で既に信頼はないのだろうから。
それでも今は船長に会いたい。ベポやシャチ、バンダナやワカメにも。
「ハートのペンギンにならなけりゃ、こんな思いはしなかったかなぁ」
「本当にそう思う?」
イジチの言葉を思い出す。
『オレのことを知らなくても、オレを受け入れてくれるだろうお前が欲しかったんだ』
シルビもそれを欲しいと願って歩き続けている。
ナミが息を吐いた。
「トラ男くんやベポくん達のこと、好きなのね」
「……うん」
無事に帰ってきたことで感極まったらしいキャロットやブルックに抱きつかれて寝ていたルフィが目を覚ます。第一声が『待ちくたびれた』という盛大な嘘だったことにナミが怒鳴っていたが、これで一応“全員”がサニー号へ戻って来られたことになる。
ただ問題はまだ残っていた。少なくともこのトットランドの海域からは絶対に抜け出さなければならない。
チョッパーが大急ぎでルフィとサンジの治療を開始しようとしたところで、案の定追ってからの砲撃が始まった。
「まだ逃げられた訳じゃない! 手当は逃げながら!」
船尾に移動して追ってくる艦隊を見たブルックが叫ぶ。シルビが外套を消しながら船尾の船縁の上に飛び乗れば、新しい煙草に火を点けながら隣にサンジが並んだ。
逃げる途中にやられたのだろう。サンジの腕にはまだ出血が止まっていない銃創がある。
さてどう反撃しようかとサンジに訊こうとした瞬間、違う方向から飛んだ砲撃が追ってきていた船を一隻沈没させた。見ればジェルマの船団からによるものだと知れる。
船団の中心にあった大型船からジャッジがこちらを見ていた。
「そいつが何だと言うのだ! “麦わらのルフィ”」
見るというより睨んでいると言ったほうが正しそうなその視線は、サンジを射抜いている。
「サンジはジェルマの失敗作だ! 皮膚も盾とならず、メシ炊きに従事し王家のプライドもない! つまらぬ情に流され弱者の為に命を危険に晒す様な脆弱な精神! 兵士としてあまりに不完全な――出来損ないがその男だ!」
サンジはそれを聞いても何も言わなかった。ただ黙り込むサンジとは対照的に、チョッパーの治療を受けていたルフィは笑顔でジャッジに手を振る。
「じゃあな! 援護ありがとう!」
「! 何とか答えたらどうだ! “麦わら”ァ!」
遠ざかっていくジェルマの船団。同時にジェルマが妨害をしてくれているから距離が出来るビッグマム海賊団の艦隊。
ジャッジの怒鳴り声も聞こえなくなってから、ルフィが不思議そうに呟いた。
「びっくりした。なんであいつ急にお前のいいとこ全部言ったんだ?」
「そういう意味で言ってねェだろ、あいつは!」
「わははははは! 最高じゃな、お前達!」
哀れジャッジ。シルビが内心で少しだけジャッジに同情していると、今度は前方でナミが叫ぶ。
どうやらカカオ島に待機していた艦隊の一部が前方へ回り込んだらしい。これではジェルマからの援護があろうと逃げるのは難しかった。後方と前方を敵に抑え込まれ左舷側はカカオ島とジェルマの船団で逃げられず、残る右舷はけれども今から面舵をきっても逃げきれるとは到底思えない。
前方は既に砲撃範囲に入ってしまっている。
後方からは一度はキャロットがスーロン化して撃退した筈の、魔人を操る能力を持ったダイフクが追いかけてきていた。
マストにいたキャロットに魔人が襲いかかろうとする。サンジが駆け寄ってそれを阻止するも、サンジが魔人に掛かり切りになってしまっては、砲撃は防げない。
「シャイタン! 何か策はないのか!」
もう完全に『ペンギン』とは呼ばなくなってしまったジンベエに、シルビは指を鳴らして槍を作り出す。
もう何度か『威国』を繰り出せば少しは違うだろう。そう考えて船縁に立ったところで、進行方向の海面が急激に盛り上がった。
「親分を困らせるヤツはァ、許さんのらァ!」
盛り上がった水面を割って現れた巨大な魚人族は、どうやらジンベエやナミの知己であるらしい。魚人島で出会ったのであればシルビは知らなかった。
ワダツミというらしいその魚人族の周りからも他の魚人賊達が顔を出す。その唐突な出現はジンベエの予想するところでは無かったらしく、ジンベエが驚いて海中へと飛び込んでいった。
どうやらジンベエが率いていた『タイヨウの海賊団』の面々の様である。ルフィの傘下になるということでジンベエはその海賊団を抜けたが、トットランドの海域を抜けるまではまだ“ジンベエの部下”ということで援護に来てくれたらしい。
海中から戻ってきたジンベエが舵を握る。前方から迫り来ていた艦隊が一隻、また一隻と船底に穴を開けられて沈んでいった。
「いい仲間を持ったようですねぇ」
「ああ。ワシには勿体ない仲間じゃ」
艦隊が沈んでサニー号が通れるだけの隙間が出来ていく。魚人を相手にする為に砲撃手が居なくなったのか放たれる砲弾の数が減っていった。
ならば今度こそ、シルビの出番なのだろう。
「魚人族はどんな海でも泳げるぅ?」
「当たり前じゃ!」
「OK。ルフィ君、船頭に乗ってもいいぃ?」
「おう! いいぞ!」
この船の船長に許可を取ってライオンを模した船頭の上に飛び乗る。混乱を極めた海原を一瞥してから、シルビは幻覚で作り出した槍を構えた。
ビッグマムを足止めした時よりも強く、けれどもサニー号が反動で壊れない絶妙なバランスを探る。
そうして振り回した槍の衝撃波が海を割った。
「やべ、やりすぎたぁ」
一瞬水の無くなった海底が見えた気がする。割れた海がビッグマムの艦隊を巻き込んで戻っていくのに、ジンベエの仲間達も必死になって逃げていた。
運良くサニー号には影響がなかったが、この方法は駄目だと判断して槍を消す。とはいえ逃げ道は出来ていた。
「……。風を起こすから舵取り頼むぅ!」
「その前に何か言うことはないのかァ!」
ジンベエのちょっと怒り混じりの怒鳴り声も尤もだと思う。
とにもかくにも開かれた逃げ道を帆に風を受けて猛スピードで突き進む。海が割れても難破しなかった船はジンベエの仲間達が抑えており、あの巨大な魚人族であるワダツミも暴れ回っていた。
が、不意にそのワダツミが顔を赤くして目を回し始める。周囲の海からも濃密な蒸気が立ち上り一気に蒸し暑くなった。
「オーブンか! いかんっ、海水が煮えたぎっとる!」
「わー! 熱くて近づけねえら!」
ワダツミが熱湯と化した海から逃げるように海中へと潜っていく。立ち上る水蒸気の向こうで何かが蠢いた。
リズミカルに聞こえてくる場違いな歌声。見上げた水蒸気の向こうから姿を現したのは、ビッグマム海賊団で最も巨大だと思われる船だった。
船頭に付けられた花が歌っている。ビッグマム海賊団のジョリーロジャーが描かれたそれだけでサニー号より大きい帆。その船から放たれる砲弾も大きく、着水した海面が大きく跳ね上がっていた。
進路を阻むように向かい合う巨船。ルフィやチョッパーだけではなくナミやブルックまでもが慌てふためいている。
今度こそ万事休すか、せめて砲弾の直撃だけでも回避するかと指を鳴らしかけたところでサニー号が海に沈んだ。咄嗟に海水を拒絶し近くにいたブルックを掴んで船の外に流されていくのを阻止する。
船を掴むワダツミの手。そのまま彼の口の中へとサニー号ごと納められる。
「ここどこだ!?」
「ワダツミの口の中じゃ!」
ゼベット爺さんではあるまいし魚介の口の中に入ることになるとは。そんな感心もすぐにワダツミの口から吐き出されることで終わった。
どうやらまた海の海水が熱くなって思わず吐き出してしまったらしい。だがそのお陰で包囲網からは抜け出せていた。
「いけ! おまいら! 麦わら! おいら、魚人島では、イケンことしれ、ごめんらったろ……」
熱くなってしまった海水の中からワダツミがルフィ達へ呼びかける。
「それれも拾ってくれたジンベエ親分に、か、感謝してるら……!」
ワダツミの体が燃え上がった。悲鳴を上げながらもワダツミは続ける。
「おいら達、親分が麦わらんとこ行きてェって言った時から、決めてたら! ――みんなれ、決めてたんら!」
ワダツミの体が仲間達の魚人達に引っ張られて海へ沈む。海中ならまだ水温が低いのだろう。
代わりに、ジンベエの仲間達が追っ手を遮るように並ぶ。数でいえばビッグマムの配下達に適うとは到底思えない。
当たり前だ。元から全面戦争が目的では無かったとはいえルフィ達とジャングベッジ達とジェルマが総当たりしても適わなかったモノが相手だ。たった少しの足止めだとしても、どれだけの死者が出るか。
「逃げろジンベエ! “麦わらの一味”! お前達の出航を祝福する!」
「……浸水は帆船の弱点。速やかに水をはき出せ。船も重く遅くなっとる。帆の穴を補正し充分な角度で風を受け……極力、最高の速度で進め!」
ジンベエが交戦する仲間達を見つめたまま話す。
「ナワバリを出るまでまだ数時間がかかる……」
「何言ってんだよジンベエ! 何の説明だ!」
「ルフィ。わしァ、あいつらを置いてはいけん!」
砲弾に荒ぶる波の余波で船が揺れる。一度海に沈んで重くなってしまった船はそれでも逃げようとしてはいた。
「この船を逃がす為のしんがりじゃ! ここまで来てあの母船と艦隊に追われたら脱出は叶わんぞ……! この最後尾! わしに務めさせてくれ! ――しかとやり遂げ、生きて戻る!」
ルフィがジンベエを睨む。けれども相手はあのビッグマムにすら臆する事の無かった海侠だ。きっと彼はシルビが止めようとしたところで諦めはしないだろう。
そしてシルビも止める気など無かった。ここで止めて、惨めな記憶を持たせることがジンベエにとって何の益になるのか。
「――忘れんな、ジンベエ! お前の船長は、もうおれだぞ!」
ルフィも分かっているのだ。そのことを。
「船は止めねェ! ワノ国で待ってる! 必ず来い!」
「かたじけない!」
「死んでも死ぬなよ!」
神妙に頭を下げたジンベエが顔を上げ、穏やかにシルビを見た。
「――シャイタン。ルフィ達を頼む。わしの船長じゃあ」
「……ワノ国で合流したら、良いって言った時以外は絶対に『ペンギン』って呼べよぉ。俺は元々“ハートのペンギン”としてここにいるんだからぁ」
「ああ、ええじゃろう。――ナミ。なるべく速く遠くへ。魚人の本気は海流を変える」
「うん! 分かった!」
心残りはないとばかりに目を伏せたジンベエが踵を返し海へと飛び込む。その姿が交戦している魚人族達に紛れるのを確認してから、シルビは甲板のナミ達を振り返った。
視線の合った面々が頷き、それぞれの役目を果たす為に走り出す。ルフィは大怪我を負ったばかりだということもあって碌に動けないが、その代わりジンベエが向かった海を真っ直ぐに見つめていた。
その横顔に一瞬、昔見たロジャーの顔が重なる。その表情は好きではなかったけれども。
「――風を起こすぜぇ。ナミ航海士、全力で風の動きを読めよぉ」
「お願いするわ。みんな! 全速力で行くわよ!」
指を鳴らす。途端に大きく風を受け止めて膨らむ帆に船体が大きく揺れた。
だんだんと遠ざかっていくジンベエ達。その背後に抜けることの出来た追っ手はいない。
すっかり追っ手の姿の見えなくなった海域で、風を起こすことを止めてシルビはルフィ達から一人離れる様に船尾で船縁に寄りかかって腰を下ろした。
ジンベエ達が引き起こした荒い海流の名残ももう無く、警戒を緩めてももう大丈夫だろう海原。潮風がボロボロになって汚れた服を乾かす。
結い紐を解いて髪も降ろした。風に遊ばれる毛先が時々視界の端で動くのを、酷く疲れた気持ちで眺める。
実際、精神的にも肉体的にも疲れていた。ここ暫くは使っていなかった能力や、めっきり引き出していなかった実力の行使。そしてそれをナミ達に堂々と目撃されてしまったという精神的ショック。
ローに言うのでさえ辛かった事を、なし崩しにとはいえ説明も無いまま見せてしまった。それもローに見せたことの無いものまでだ。
キャロットの泣き声が聞こえる。ペドロやペコムズのこともあった。
それらの事実が安全な場所へまで逃げてきた今になって、一気に思い起こされたのである。
芝生に覆われた甲板へと倒れ込む。船の上だというのに青々と茂った芝生は人工芝ではない。それが少し心地よかった。
船長から預かった帽子も今は船室の荷物の中だ。ローやハートの皆は今頃どうしているだろうか。
空から降ってきていた綿アメの雪が小降りになってくる。もうそろそろトットランドのナワバリを抜けるのだろう。
ルフィ達が騒がしい。けれども疲れたのか一眠りしたかった。
階段を上がってくる音。パサリと何かが頭に乗せられる。
「悪いと思ったけど、アンタの荷物勝手に触らせてもらったわよ」
「……船長に会う前に洗いてぇから、後で浴室を借りてもぉ?」
手に取ったモフモフの船長の帽子。顔を押しつけてももう汚れた匂い以外はしない。けれどもそれを型くずれしないよう腕の中に抱きしめる。
ナミが近くでしゃがんだ。
「良かったの?」
「……ルフィ君達を助ける為だぁ。仕方がなかったんだぁ」
仕方がなかった、で済ますには行き過ぎた行動だったかも知れないが。
きっとローに知られたら嫌な顔をされて、今度こそ船を降ろされてしまうかもしれない。ドレスローザとゾウの件で既に信頼はないのだろうから。
それでも今は船長に会いたい。ベポやシャチ、バンダナやワカメにも。
「ハートのペンギンにならなけりゃ、こんな思いはしなかったかなぁ」
「本当にそう思う?」
イジチの言葉を思い出す。
『オレのことを知らなくても、オレを受け入れてくれるだろうお前が欲しかったんだ』
シルビもそれを欲しいと願って歩き続けている。
ナミが息を吐いた。
「トラ男くんやベポくん達のこと、好きなのね」
「……うん」