トットランド編
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夢主視点
医務室へ運ばれたコゼットは、負傷した理由が王族の不興を買ったというものであってもちゃんと治療されているようであった。ヴィンスモークの子供達がああいう性格でそれに巻き込まれることが日常茶飯事だとしても、臣下や国民はそれに同調せず『怪我人は治療する』という認識はあるらしい。
これならシルビが手を出す必要はないだろう。
「フラン。ヴィンスモーク・イチジに幻覚が効いてねぇことは?」
「知ってマスよー。あのヤロー、ミーのこのキュートなカエルをさんざん揉んでくれやがりましたからネー」
「ジャッジに報告はされてねぇ……。反抗期かなぁ?」
カエルの被り物の件はスルーした。大体にして何故そんな物を被り続けているのか。
似合ってはいるがもう被る必要はないだろう。小さい頃はリンゴを被っていた。
コゼットが治療を受けたことをサンジへ伝える為にも、サンジの元へ向かおうと歩き出す。先にイチジが行っているがそう言えばどこへ居るのかは聞いていなかった。
「イチジはザンザスと違って未熟だよなぁ」
「あのボスとフレミングヤローを比べちゃカワイソーですよー」
「フレミング?」
「右手の法則」
言われて理解出来てしまったところが少し悔しい。
シルビ達の故郷にいるザンサスという男は、血筋重視であった組織の中で血の繋がらない父親の後をそれでも継ごうとした男だ。父親に反抗し組織へ抵抗し、それが折られた今でも諦めずに虎視眈々と地位を狙っている。
才能はあるだろう。帝王学も理解している。人を従わせられるだけの魅力も手段も持っていた。ザンサスに足りないのは血筋だけだ。他の組織であったなら既に万全な後継者として成立してもいただろう。
対するイチジは父親に従順且つ、父親の研究でそうあるように作られたクローンを従わせ、周囲も自身も何一つの疑いもなくいつかはジャッジの後継者として据え置かれる。
だがきっと、そこまでだ。ジャッジ亡き後、イチジがクローン研究やジェルマ統制を引き継げるとは思えなかった。
「人造生命体に最初から命令を書き込むのも考えもんだなぁ」
クローン兵士達に命令が書き込まれていなかったら、イチジ達は今のように王族として彼等を統率出来ていただろうか。
城内をサンジを探して歩いていると、何処かへ向かおうとしているレイジュを見つける。少し苛ついた様子でわき目も振らず足を動かしている姿に、それを追いかけることにした。
レイジュが向かったのは案の定サンジの元で、三人の兄弟にやられたのか研究所の床でサンジは顔を腫らして倒れている。
「うわー、バカじゃねーの?」
フランがそう言うが、どちらへ対してなのか分からなかった。
レイジュによって自室へと戻されたサンジが、透明なパックを顔へ張り付けて顔の腫れを隠す。レイジュが傍にいるからシルビが話しかけて治療してやることは出来なかったのだ。
自然治癒能力を阻害してひたすら腫れだけを隠すパックらしい。どうせなら腫れを直しつつ隠すパックを発明すればいいのにと思った。
婚約者に腫れきった醜い顔を見せるよりは確かにマシだろう。だが本来であれば婚礼前に花婿の顔を腫らすような真似をするのがおかしい。
レイジュがいるのならばここにいても何も出来ないなと判断し、シルビは再びイチジの元へと向かった。
ホールケーキアイランドの城で行われる昼食会の支度か、イチジは朝にシルビがここへ来た時と同じように鏡の前へ立っており、その鏡越しにシルビが部屋へ来た事へ気づいて振り返る。
差し出されるマントとその留め具。深く息を吐いてそれを受け取った。
「サンジ君の顔をあんなにしてぇ、君達は堪え性とか先のことを考えるっていうのが出来ねぇのかぁ?」
「どうせすぐに治る」
「人間の自然治癒能力……再生細胞の限界だってあるだろうにぃ」
食事の席でジャッジがわざわざ『よせ』と叫んでニジを止めた理由を分かっているのだろうか。婚礼という相手がいる“取引”に、出来るだけ商品を傷つけずに提供したいという理由が。
「君、痛みは感じるかぁ?」
「? 感じるが?」
「ふぅん。……じゃあ、『痛み』が何の為にあるのかはぁ?」
その問いには半分予想通りであったがイチジは首を傾げた。痛みというものが生き物に何故存在しているのかは分からないらしい。
痛みとは危険信号だ。生きるという目的に対してこれ以上の負傷や行動は危険だと身体へ知らせる為のものである。鍛えられた兵士やシルビはある程度その危険信号を無視して行動することも確かにあった。シルビの場合『死んでもその目的を達成する』という行動理念で動いているとなれば尚更だ。それで実際死んだことも一度や二度ではない。
イチジの肩へマントを羽織らせて留め具を弄りながら、ゾウの地で船長に言われた言葉が脳裏に浮かぶ。
『自分の命も大事にしろ』
自分の命よりも大切なものを守るのに、自分の再生細胞が追いつかないだけだとは言い返せなかった。
留め具を留めて終わったという意味を込めてイチジを軽く叩く。当然その程度では痛みなんて感じはしないだろうが、イチジは考え込むようにシルビが叩いた場所を押さえていた。
「――怪我は」
「ん?」
「放っておいてもいつかは治るだろう。痛みだっていつかは忘れる」
サングラスに遮られて眼は見えない。
「忘れただけならいつか思い出すかもしれねぇ」
イチジに同行する形で向かった先には、大きな猫が引く馬車ならぬ『猫車』が用意されていた。馬車ではダメだったのだろうかと考えながらその猫車の周りを回って観察すると、猫の正面に立ったところで猫と目が合って鳴かれる。鼻先へ手を伸ばして撫でておいた。
「ママーン」
「いい加減その適当な呼び方飽きねぇ?」
どこから来たのかシルビの背中へ飛びついてきたフランを、そのまま理由もなくおんぶする。猫車の猫が寄り目をしてシルビとフランを眺めていた。
そんなシルビ達を気にした様子もなく、実際認識出来ていないのだから気にするも何もないがニジやヨンジ達が兵士達に見守られながら猫車へと乗り込んでいく。重量制限は大丈夫だろうかと思ったのはシルビも勝手に乗り込んで同行するつもりだからだ。
ホールケーキ城へ行けば、おそらくはブルックとペドロを探すことが出来る。あの二人はいまだにプリンの提案通りにサンジがルフィ達と合流出来ていないことを知らない。それを伝える為にも二人を捜す必要はあるだろうし、合流出来ていない状態のルフィ達だって何処へいるのか不明なままだ。
南西の海岸で一晩経った今でも待ちぼうけを食らっているとはルフィの性格を思うと考えにくかったし、待っている間にビッグマム傘下の何者かへ見つかっていないという可能性も低い。
フランをおんぶしたまま猫車の屋根の上へと飛び乗った。シルビ達の姿が見えているサンジやイチジは何をしているんだという視線を向けてきたが、歩いて猫車を追いかけるよりは乗り合わせてもらう方がいいに決まっている。
「そういやフラン? お前の姿ってサンジ君にも見えてんのかぁ?」
「あの金グルは見えてねーです。見えてるのはフレミングレッドだけデスー」
また何か新しい名称を作っていた。
そのフレミングレッドは屋根の上から身を乗り出して探すとちょうど猫車へ乗り込むところで、イチジは父親の隣の席らしい。
兵士達の盛大な歓声を聞きながら猫車が動き出した。ガタンと揺れた屋根の上から落ちるような真似はシルビもフランもしない。
ジェルマの船上国土からはすぐに降りて、ホールケーキアイランドへ降りた途端に甘い匂いが濃くなった。もう慣れたと思っていたが、流石に本土となるとそれ以外の匂いが感じられないくらいに甘い匂いが充満している様である。
「体臭まで甘くなりそうだなぁ」
「もうシルビは桃臭せーデスよー」
「うっそぉ。……え、桃? なんで桃?」
「知らネーですケド」
ホールケーキ城へ続く道を猫車が進んでいる途中で、にわかに町の方が騒がしくなっていることに気付いた。護衛として後ろから付いてきている兵士達は歓迎の騒がしさかと話しているようだったが、どう考えてもヴィンスモーク家が結納で来城するからという騒がしさとは違う。だが歓迎の喝采と些か緊迫した様子の騒々しさを戦争屋の兵士達が間違えるというのも、おそらく人造兵士故に知識はあっても経験がないという笑える話だ。
森の方から何かが此方へ向かって駆けてくるのが見えてシルビは目をすがめる。
「――大木?」
「大木? 木が動いてんですかー?」
フランが隣から訊ねてくるのに頷きながら立ち上がった。近くにあった鷹のモニュメントへ手を突いてバランスを取りながら近づいてくるそれを眺めれば、大木は途中で幹が切断されておりその切断面にルフィ達が乗っているのが見える。
傍にナミがいるが同じく一緒に行ったはずのチョッパーとキャロットの姿は無く、ルフィも全身が怪我だらけになっていた。大の字になって木の切断面の上へ寝転がっているのはそれだけ疲労しているからか。
こちらへ気付いてルフィが大声で呼びかけてきたが、あれは別にシルビの姿が見えている訳ではなくサンジが乗っていると思っての呼びかけだったのだろう。
「おー、マジで木が動いてマスねー。――ゲコッ」
大木から降りたルフィが助走を付けて跳んだかと思うと、猫車へと飛んできて縁へしがみついた。その衝撃でフランがバランスを崩すのに慌てて支えてやる。
「迎えに来たぞサンジ!」
心底嬉しそうなルフィの声。兵士達がそのルフィへ猫車から離れろと騒いでいる中、ヴィンスモークの面々は誰一人として慌てはしなかった。
サンジも含めて。
逃げられないと答えた彼を思い出す。ハッとして屋根の上からサンジを見やれば、一足遅かったらしくサンジは座席から立ち上がって馬車の縁へしがみついていたルフィを蹴り飛ばした。
ルフィは知らないのだ。サンジの知人である『ゼフ』という男が人知れず人質になっていることも、サンジの両手首に爆発する手枷が付いており、逃げようとすれば両手が吹っ飛ぶことも。
手枷については本物はシルビの手首にあるわけだが、サンジ本人は自身が本物を付けていると認識しているのだから思考的に間違いはない。
恩人の命と誰かの為に料理を作る手。サンジが一人、麦藁の一味へ戻らなければそれは守られる。
ふと、サンジは関係なく自分の事でその考えに何か引っかかりを覚えた。
何が引っかかったのだろうかと考える間もなく、サンジは“守る為に”『ヴィンスモーク・サンジ』を演じてルフィ達を追い返そうとし始めていた。
「わざわざ迎えに来てくれた事はありがてェ。――だが、本当におれを想うなら、行動が逆じゃねェか?」
上手い演技だと思う。でもそれだけだ。
理由が分かっていればその発言の意図は分かる。彼が何を思ってそう言わざるを得ない状況にいるのかもだ。けれどもルフィ達にはそれが分からない。知っている情報が違う。
だが、だからといってサンジがこの場で『ゼフが人質になっているんだ!』とか『手首に爆弾が!』とも言える訳がない。それは反抗の態度として取られてゼフは殺されてしまうし爆弾も爆発させられる。
今のままだと爆発するのはシルビの手首だが。それでサンジ自身の手首が無事であったとしてもゼフという男まで助けられるかとなると無理な話だ。ジャッジがゼフを見張っているであろう兵士に『始末しろ』と連絡するのと誰かが助けに行くのとでは、連絡の方が早いに決まっている。
仮にシルビが『第八の炎』で飛んだとしても、それはそれでこちらのルフィ達の逃亡へ手を貸せなくなるだろう。自身が万能だと言うつもりは毛頭無いが、大前提として『死告シャイタンとバレたくない』と考えている以上、無理なことは無理だ。
「急なことで現実を受け入れ難ェだろ」
それはサンジ自身へ向けられた言葉ではないだろうか。親に捨てられて今まで平穏に海賊をやっていたある日、いきなり連れ戻されては自由を奪われてしまった彼の。
本格的にルフィを倒すつもりらしいサンジに、攻撃を受けはしてもルフィはやり返そうとはしなかった。
身構えもせず、サンジとは『戦わない』と宣言さえする。その宣言にイチジがわずかに反応していた。
戦争屋の長子として、『戦わない』という選択肢に何か思うところでもあったのか。
猫車の屋根の上から降りてサンジとルフィの“決闘”を眺めているイチジの傍に寄る。サングラス越しに一瞥されるだけだったのは隣にジャッジが居るからか。彼は父親にシルビやフランの姿が見えないことを知っている。
「彼は本能で“戦い方”を理解しているなぁ。戦争というのは何も武力を行使するだけじゃねぇ。相手に対して最も響く方法を駆使することも一種の“戦争”だろうさぁ」
「……知らないな」
踵落としでルフィを気絶させたサンジが、ナミに平手打ちされて戻ってきた。乗り込んだ猫車の中でニジやヨンジにからかわれながらも座るまでは涙を堪えていた様だが、そこまでだ。
動き出した猫車から飛び降りる。ヴィンスモークにはフランが変わりなく監視に付いているから問題はないだろう。
振り返ると猫車の屋根の上からフランが面倒そうに手を振っていた。イチジは特に振り返ってコチラを見ている様子もない。少し寂しい気もするが元々味方でも何でもない相手だったと考えれば諦めはついた。
サンジが戻ってこないのなら海賊王になれないからここで餓死するとまで宣言したルフィは、しかし叫び終えたところで倒れてしまっている。芝生に飛び散る血痕が、サンジの攻撃が全く手加減されていなかっただろうことを証明していした。
「――ルフィ君」
「きゃあああ! ……ってペンギン君!」
指を鳴らして姿が見えるようにして声をかければルフィの傍にいたナミが悲鳴を上げる。すぐに敵ではなくシルビだと気付いたようだが、どこから現れたのか分からないからか驚いたままではあった。
芝生へ仰向けに寝転がっているルフィが目だけを動かしてシルビを見やる。
「怪我、少し治しましょうかぁ。怪我の治療なら食べる訳じゃねぇから良いでしょぉ?」
「……ん」
ルフィへ向けて手を伸ばして指を鳴らした。途端にルフィの身体を覆うように黄色い炎が燃え上がって、ナミの後ろにいた大木が驚いている。
どうやらあの大木はこのトットランドに多くいる命を持った物質の一人らしい。根本と幹の太さからして元は随分と大きな樹だったのだろう。上半分はどうしたのか知らないが。
「ペンギン君はずっとサンジ君のとこに?」
「はい。昨日からずっとヴィンスモークのところへ潜入してましたよ」
「じゃあ、サンジ君とは会った?」
聞きたいのは会ったかどうかではなく、サンジの言動に関してだろう。シルビは彼が“人質”を取られていることを知っているからあれが本心からではない演技だと分かり切っているが、ルフィ達はその事情を知る機会すらこの一晩の間には無かった筈だ。
一晩も何をしていたのかと疑問に思うがルフィの怪我はここでサンジに会う前からあったことを考えれば、何者達かと交戦でもしていたか。
「ええ。彼は――」
話そうとしたところで遠雷が響いて、島の中心部にある山の周辺に暗雲が立ち込み始めた。巨木がそれを見て顔色を悪くしている。
「ママが怒ってるジュ……!」
振り返って見上げた先で色濃い暗雲が更に広がり続けていた。ビッグマムが食べたであろう悪魔の実の能力が何であるかシルビは知らないが、感情を高ぶらせてここまで環境に影響を与えることが出来るのは驚きである。
医務室へ運ばれたコゼットは、負傷した理由が王族の不興を買ったというものであってもちゃんと治療されているようであった。ヴィンスモークの子供達がああいう性格でそれに巻き込まれることが日常茶飯事だとしても、臣下や国民はそれに同調せず『怪我人は治療する』という認識はあるらしい。
これならシルビが手を出す必要はないだろう。
「フラン。ヴィンスモーク・イチジに幻覚が効いてねぇことは?」
「知ってマスよー。あのヤロー、ミーのこのキュートなカエルをさんざん揉んでくれやがりましたからネー」
「ジャッジに報告はされてねぇ……。反抗期かなぁ?」
カエルの被り物の件はスルーした。大体にして何故そんな物を被り続けているのか。
似合ってはいるがもう被る必要はないだろう。小さい頃はリンゴを被っていた。
コゼットが治療を受けたことをサンジへ伝える為にも、サンジの元へ向かおうと歩き出す。先にイチジが行っているがそう言えばどこへ居るのかは聞いていなかった。
「イチジはザンザスと違って未熟だよなぁ」
「あのボスとフレミングヤローを比べちゃカワイソーですよー」
「フレミング?」
「右手の法則」
言われて理解出来てしまったところが少し悔しい。
シルビ達の故郷にいるザンサスという男は、血筋重視であった組織の中で血の繋がらない父親の後をそれでも継ごうとした男だ。父親に反抗し組織へ抵抗し、それが折られた今でも諦めずに虎視眈々と地位を狙っている。
才能はあるだろう。帝王学も理解している。人を従わせられるだけの魅力も手段も持っていた。ザンサスに足りないのは血筋だけだ。他の組織であったなら既に万全な後継者として成立してもいただろう。
対するイチジは父親に従順且つ、父親の研究でそうあるように作られたクローンを従わせ、周囲も自身も何一つの疑いもなくいつかはジャッジの後継者として据え置かれる。
だがきっと、そこまでだ。ジャッジ亡き後、イチジがクローン研究やジェルマ統制を引き継げるとは思えなかった。
「人造生命体に最初から命令を書き込むのも考えもんだなぁ」
クローン兵士達に命令が書き込まれていなかったら、イチジ達は今のように王族として彼等を統率出来ていただろうか。
城内をサンジを探して歩いていると、何処かへ向かおうとしているレイジュを見つける。少し苛ついた様子でわき目も振らず足を動かしている姿に、それを追いかけることにした。
レイジュが向かったのは案の定サンジの元で、三人の兄弟にやられたのか研究所の床でサンジは顔を腫らして倒れている。
「うわー、バカじゃねーの?」
フランがそう言うが、どちらへ対してなのか分からなかった。
レイジュによって自室へと戻されたサンジが、透明なパックを顔へ張り付けて顔の腫れを隠す。レイジュが傍にいるからシルビが話しかけて治療してやることは出来なかったのだ。
自然治癒能力を阻害してひたすら腫れだけを隠すパックらしい。どうせなら腫れを直しつつ隠すパックを発明すればいいのにと思った。
婚約者に腫れきった醜い顔を見せるよりは確かにマシだろう。だが本来であれば婚礼前に花婿の顔を腫らすような真似をするのがおかしい。
レイジュがいるのならばここにいても何も出来ないなと判断し、シルビは再びイチジの元へと向かった。
ホールケーキアイランドの城で行われる昼食会の支度か、イチジは朝にシルビがここへ来た時と同じように鏡の前へ立っており、その鏡越しにシルビが部屋へ来た事へ気づいて振り返る。
差し出されるマントとその留め具。深く息を吐いてそれを受け取った。
「サンジ君の顔をあんなにしてぇ、君達は堪え性とか先のことを考えるっていうのが出来ねぇのかぁ?」
「どうせすぐに治る」
「人間の自然治癒能力……再生細胞の限界だってあるだろうにぃ」
食事の席でジャッジがわざわざ『よせ』と叫んでニジを止めた理由を分かっているのだろうか。婚礼という相手がいる“取引”に、出来るだけ商品を傷つけずに提供したいという理由が。
「君、痛みは感じるかぁ?」
「? 感じるが?」
「ふぅん。……じゃあ、『痛み』が何の為にあるのかはぁ?」
その問いには半分予想通りであったがイチジは首を傾げた。痛みというものが生き物に何故存在しているのかは分からないらしい。
痛みとは危険信号だ。生きるという目的に対してこれ以上の負傷や行動は危険だと身体へ知らせる為のものである。鍛えられた兵士やシルビはある程度その危険信号を無視して行動することも確かにあった。シルビの場合『死んでもその目的を達成する』という行動理念で動いているとなれば尚更だ。それで実際死んだことも一度や二度ではない。
イチジの肩へマントを羽織らせて留め具を弄りながら、ゾウの地で船長に言われた言葉が脳裏に浮かぶ。
『自分の命も大事にしろ』
自分の命よりも大切なものを守るのに、自分の再生細胞が追いつかないだけだとは言い返せなかった。
留め具を留めて終わったという意味を込めてイチジを軽く叩く。当然その程度では痛みなんて感じはしないだろうが、イチジは考え込むようにシルビが叩いた場所を押さえていた。
「――怪我は」
「ん?」
「放っておいてもいつかは治るだろう。痛みだっていつかは忘れる」
サングラスに遮られて眼は見えない。
「忘れただけならいつか思い出すかもしれねぇ」
イチジに同行する形で向かった先には、大きな猫が引く馬車ならぬ『猫車』が用意されていた。馬車ではダメだったのだろうかと考えながらその猫車の周りを回って観察すると、猫の正面に立ったところで猫と目が合って鳴かれる。鼻先へ手を伸ばして撫でておいた。
「ママーン」
「いい加減その適当な呼び方飽きねぇ?」
どこから来たのかシルビの背中へ飛びついてきたフランを、そのまま理由もなくおんぶする。猫車の猫が寄り目をしてシルビとフランを眺めていた。
そんなシルビ達を気にした様子もなく、実際認識出来ていないのだから気にするも何もないがニジやヨンジ達が兵士達に見守られながら猫車へと乗り込んでいく。重量制限は大丈夫だろうかと思ったのはシルビも勝手に乗り込んで同行するつもりだからだ。
ホールケーキ城へ行けば、おそらくはブルックとペドロを探すことが出来る。あの二人はいまだにプリンの提案通りにサンジがルフィ達と合流出来ていないことを知らない。それを伝える為にも二人を捜す必要はあるだろうし、合流出来ていない状態のルフィ達だって何処へいるのか不明なままだ。
南西の海岸で一晩経った今でも待ちぼうけを食らっているとはルフィの性格を思うと考えにくかったし、待っている間にビッグマム傘下の何者かへ見つかっていないという可能性も低い。
フランをおんぶしたまま猫車の屋根の上へと飛び乗った。シルビ達の姿が見えているサンジやイチジは何をしているんだという視線を向けてきたが、歩いて猫車を追いかけるよりは乗り合わせてもらう方がいいに決まっている。
「そういやフラン? お前の姿ってサンジ君にも見えてんのかぁ?」
「あの金グルは見えてねーです。見えてるのはフレミングレッドだけデスー」
また何か新しい名称を作っていた。
そのフレミングレッドは屋根の上から身を乗り出して探すとちょうど猫車へ乗り込むところで、イチジは父親の隣の席らしい。
兵士達の盛大な歓声を聞きながら猫車が動き出した。ガタンと揺れた屋根の上から落ちるような真似はシルビもフランもしない。
ジェルマの船上国土からはすぐに降りて、ホールケーキアイランドへ降りた途端に甘い匂いが濃くなった。もう慣れたと思っていたが、流石に本土となるとそれ以外の匂いが感じられないくらいに甘い匂いが充満している様である。
「体臭まで甘くなりそうだなぁ」
「もうシルビは桃臭せーデスよー」
「うっそぉ。……え、桃? なんで桃?」
「知らネーですケド」
ホールケーキ城へ続く道を猫車が進んでいる途中で、にわかに町の方が騒がしくなっていることに気付いた。護衛として後ろから付いてきている兵士達は歓迎の騒がしさかと話しているようだったが、どう考えてもヴィンスモーク家が結納で来城するからという騒がしさとは違う。だが歓迎の喝采と些か緊迫した様子の騒々しさを戦争屋の兵士達が間違えるというのも、おそらく人造兵士故に知識はあっても経験がないという笑える話だ。
森の方から何かが此方へ向かって駆けてくるのが見えてシルビは目をすがめる。
「――大木?」
「大木? 木が動いてんですかー?」
フランが隣から訊ねてくるのに頷きながら立ち上がった。近くにあった鷹のモニュメントへ手を突いてバランスを取りながら近づいてくるそれを眺めれば、大木は途中で幹が切断されておりその切断面にルフィ達が乗っているのが見える。
傍にナミがいるが同じく一緒に行ったはずのチョッパーとキャロットの姿は無く、ルフィも全身が怪我だらけになっていた。大の字になって木の切断面の上へ寝転がっているのはそれだけ疲労しているからか。
こちらへ気付いてルフィが大声で呼びかけてきたが、あれは別にシルビの姿が見えている訳ではなくサンジが乗っていると思っての呼びかけだったのだろう。
「おー、マジで木が動いてマスねー。――ゲコッ」
大木から降りたルフィが助走を付けて跳んだかと思うと、猫車へと飛んできて縁へしがみついた。その衝撃でフランがバランスを崩すのに慌てて支えてやる。
「迎えに来たぞサンジ!」
心底嬉しそうなルフィの声。兵士達がそのルフィへ猫車から離れろと騒いでいる中、ヴィンスモークの面々は誰一人として慌てはしなかった。
サンジも含めて。
逃げられないと答えた彼を思い出す。ハッとして屋根の上からサンジを見やれば、一足遅かったらしくサンジは座席から立ち上がって馬車の縁へしがみついていたルフィを蹴り飛ばした。
ルフィは知らないのだ。サンジの知人である『ゼフ』という男が人知れず人質になっていることも、サンジの両手首に爆発する手枷が付いており、逃げようとすれば両手が吹っ飛ぶことも。
手枷については本物はシルビの手首にあるわけだが、サンジ本人は自身が本物を付けていると認識しているのだから思考的に間違いはない。
恩人の命と誰かの為に料理を作る手。サンジが一人、麦藁の一味へ戻らなければそれは守られる。
ふと、サンジは関係なく自分の事でその考えに何か引っかかりを覚えた。
何が引っかかったのだろうかと考える間もなく、サンジは“守る為に”『ヴィンスモーク・サンジ』を演じてルフィ達を追い返そうとし始めていた。
「わざわざ迎えに来てくれた事はありがてェ。――だが、本当におれを想うなら、行動が逆じゃねェか?」
上手い演技だと思う。でもそれだけだ。
理由が分かっていればその発言の意図は分かる。彼が何を思ってそう言わざるを得ない状況にいるのかもだ。けれどもルフィ達にはそれが分からない。知っている情報が違う。
だが、だからといってサンジがこの場で『ゼフが人質になっているんだ!』とか『手首に爆弾が!』とも言える訳がない。それは反抗の態度として取られてゼフは殺されてしまうし爆弾も爆発させられる。
今のままだと爆発するのはシルビの手首だが。それでサンジ自身の手首が無事であったとしてもゼフという男まで助けられるかとなると無理な話だ。ジャッジがゼフを見張っているであろう兵士に『始末しろ』と連絡するのと誰かが助けに行くのとでは、連絡の方が早いに決まっている。
仮にシルビが『第八の炎』で飛んだとしても、それはそれでこちらのルフィ達の逃亡へ手を貸せなくなるだろう。自身が万能だと言うつもりは毛頭無いが、大前提として『死告シャイタンとバレたくない』と考えている以上、無理なことは無理だ。
「急なことで現実を受け入れ難ェだろ」
それはサンジ自身へ向けられた言葉ではないだろうか。親に捨てられて今まで平穏に海賊をやっていたある日、いきなり連れ戻されては自由を奪われてしまった彼の。
本格的にルフィを倒すつもりらしいサンジに、攻撃を受けはしてもルフィはやり返そうとはしなかった。
身構えもせず、サンジとは『戦わない』と宣言さえする。その宣言にイチジがわずかに反応していた。
戦争屋の長子として、『戦わない』という選択肢に何か思うところでもあったのか。
猫車の屋根の上から降りてサンジとルフィの“決闘”を眺めているイチジの傍に寄る。サングラス越しに一瞥されるだけだったのは隣にジャッジが居るからか。彼は父親にシルビやフランの姿が見えないことを知っている。
「彼は本能で“戦い方”を理解しているなぁ。戦争というのは何も武力を行使するだけじゃねぇ。相手に対して最も響く方法を駆使することも一種の“戦争”だろうさぁ」
「……知らないな」
踵落としでルフィを気絶させたサンジが、ナミに平手打ちされて戻ってきた。乗り込んだ猫車の中でニジやヨンジにからかわれながらも座るまでは涙を堪えていた様だが、そこまでだ。
動き出した猫車から飛び降りる。ヴィンスモークにはフランが変わりなく監視に付いているから問題はないだろう。
振り返ると猫車の屋根の上からフランが面倒そうに手を振っていた。イチジは特に振り返ってコチラを見ている様子もない。少し寂しい気もするが元々味方でも何でもない相手だったと考えれば諦めはついた。
サンジが戻ってこないのなら海賊王になれないからここで餓死するとまで宣言したルフィは、しかし叫び終えたところで倒れてしまっている。芝生に飛び散る血痕が、サンジの攻撃が全く手加減されていなかっただろうことを証明していした。
「――ルフィ君」
「きゃあああ! ……ってペンギン君!」
指を鳴らして姿が見えるようにして声をかければルフィの傍にいたナミが悲鳴を上げる。すぐに敵ではなくシルビだと気付いたようだが、どこから現れたのか分からないからか驚いたままではあった。
芝生へ仰向けに寝転がっているルフィが目だけを動かしてシルビを見やる。
「怪我、少し治しましょうかぁ。怪我の治療なら食べる訳じゃねぇから良いでしょぉ?」
「……ん」
ルフィへ向けて手を伸ばして指を鳴らした。途端にルフィの身体を覆うように黄色い炎が燃え上がって、ナミの後ろにいた大木が驚いている。
どうやらあの大木はこのトットランドに多くいる命を持った物質の一人らしい。根本と幹の太さからして元は随分と大きな樹だったのだろう。上半分はどうしたのか知らないが。
「ペンギン君はずっとサンジ君のとこに?」
「はい。昨日からずっとヴィンスモークのところへ潜入してましたよ」
「じゃあ、サンジ君とは会った?」
聞きたいのは会ったかどうかではなく、サンジの言動に関してだろう。シルビは彼が“人質”を取られていることを知っているからあれが本心からではない演技だと分かり切っているが、ルフィ達はその事情を知る機会すらこの一晩の間には無かった筈だ。
一晩も何をしていたのかと疑問に思うがルフィの怪我はここでサンジに会う前からあったことを考えれば、何者達かと交戦でもしていたか。
「ええ。彼は――」
話そうとしたところで遠雷が響いて、島の中心部にある山の周辺に暗雲が立ち込み始めた。巨木がそれを見て顔色を悪くしている。
「ママが怒ってるジュ……!」
振り返って見上げた先で色濃い暗雲が更に広がり続けていた。ビッグマムが食べたであろう悪魔の実の能力が何であるかシルビは知らないが、感情を高ぶらせてここまで環境に影響を与えることが出来るのは驚きである。