【瑞獣】
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子鬼視点
「ほおずき」
ガチャガチャと揺れる鎖の音へかき消される寸前の、静かな声が隣から聞こえた。振り向けば隣に立っていた人は、穏やかに微笑んで手を伸ばしてくる。
その少し冷たい指先が、ぼろぼろと流れていた涙を拭った。
「……?」
「もう泣くのはやめなさい」
この人は誰だっだだろうかと思う。そう思っていることに気付いたのか、浮かべられた笑みは悲しげなものになった。
「あの……」
「もう泣くのはやめなさい。一つしかないけれどいいものをあげよう」
「いいもの?」
「嗚呼、いいものがどうかは自信が無ぇけど、俺にとっては大切なものだから」
そう言ってその人は自分へと向き直り、そっと両頬に手を添えて額に自分のそれを押し当ててくる。腫れぼったくなった眼でその人のことを見ているのは、なんだか自分が酷く幼くなってしまったようで恥ずかしかった。
耳障りな鎖のこすれる音が、耳を塞がれることで聞こえなくなる。代わりにその人の鼓動の揺れが耳を塞ぐ手のひらから伝わってきていて、不安だというのに安心した。
「一度しか言わないからちゃんと覚えるんだぜぇ。ほおずき」
「……はい」
その人の声だけが、聞こえる。
「――『アマネ』」
何の変哲も、何の意味すらもない響き。だというのに彼の声は震えていた。
たった数文字の、けれども嗚呼二度と忘れることは出来やしないなと理解する。言霊でも呪いでもない。
それはきっと『よすが』だ。
耳を塞いでいた手の親指の腹が、惜しむように眼の下を撫でる。
顔を離して“鬼灯”を見て、『アマネ』は満足そうに微笑んだ。
「ナミやナギは知ってるんだけど、この世界で自分から名乗ったのはお前が初めてだよ。今度は忘れねぇように覚えておきなさい。呼ばなくていい。覚えてくれているだけでいいから、お前が覚えて――生きなさい」
するりと離れていく手。漠然としてその手が遠のいていくのを眺めて、しかしすぐにハッとして叫んだ。
「――“白澤”さんッ!」
既に白澤は身を翻し、鎖を揺らし続けていたエレボスへ向かって走っている。全力で走っているらしく鬼灯はそれに追いつけそうになかった。
元からそうだった。一介の獄卒一匹、“神”と対等になんていられる筈がない。それが出来ていたのは白澤が妥協してくれていただけで、鬼灯は甘やかされていただけだった。
巨大な扉の前。その扉に絡む鎖を掴んで揺らし、千切ろうとしている『悪意』と『絶望』の塊。
「――エレボス! おいでぇ! 一緒にいこう!」
鎖を掴んでいた『悪意』が白澤を振り返る。そうして鎖から手を離し、白澤へと向かって走り出した。
見上げるほどの巨体が、白澤へ向かっていくに従って小さくなっていく。両腕を広げ愛おしいものを慈しむように抱き留めた白澤が、そのまま鬼灯の目の前で黒い炎へ包まれて消えていくのを止めることも出来ない。
何度も殴った。何度も貶した。何度も言葉を交わした。それでも何度も会おうと思った。会いたいと思った。
消えて欲しいとかいなくなって欲しいなんて思ったことは、一度として無い。
路傍の小石でも日陰の雑草でも、憎んでも泣いてもいい。
自分を選んでくれなくたって構わない。
そこで初めて、やっと、ようやく鬼灯は悟る。こんな想いをずっと、彼は後生大事に隠していたのか。
「ッ、馬鹿者ッ――!」
子猫ほどの大きさになったエレボスを抱いた白澤は、塵一つ余さずにこの世界から、鬼灯の前から、消えていった。
「ほおずき」
ガチャガチャと揺れる鎖の音へかき消される寸前の、静かな声が隣から聞こえた。振り向けば隣に立っていた人は、穏やかに微笑んで手を伸ばしてくる。
その少し冷たい指先が、ぼろぼろと流れていた涙を拭った。
「……?」
「もう泣くのはやめなさい」
この人は誰だっだだろうかと思う。そう思っていることに気付いたのか、浮かべられた笑みは悲しげなものになった。
「あの……」
「もう泣くのはやめなさい。一つしかないけれどいいものをあげよう」
「いいもの?」
「嗚呼、いいものがどうかは自信が無ぇけど、俺にとっては大切なものだから」
そう言ってその人は自分へと向き直り、そっと両頬に手を添えて額に自分のそれを押し当ててくる。腫れぼったくなった眼でその人のことを見ているのは、なんだか自分が酷く幼くなってしまったようで恥ずかしかった。
耳障りな鎖のこすれる音が、耳を塞がれることで聞こえなくなる。代わりにその人の鼓動の揺れが耳を塞ぐ手のひらから伝わってきていて、不安だというのに安心した。
「一度しか言わないからちゃんと覚えるんだぜぇ。ほおずき」
「……はい」
その人の声だけが、聞こえる。
「――『アマネ』」
何の変哲も、何の意味すらもない響き。だというのに彼の声は震えていた。
たった数文字の、けれども嗚呼二度と忘れることは出来やしないなと理解する。言霊でも呪いでもない。
それはきっと『よすが』だ。
耳を塞いでいた手の親指の腹が、惜しむように眼の下を撫でる。
顔を離して“鬼灯”を見て、『アマネ』は満足そうに微笑んだ。
「ナミやナギは知ってるんだけど、この世界で自分から名乗ったのはお前が初めてだよ。今度は忘れねぇように覚えておきなさい。呼ばなくていい。覚えてくれているだけでいいから、お前が覚えて――生きなさい」
するりと離れていく手。漠然としてその手が遠のいていくのを眺めて、しかしすぐにハッとして叫んだ。
「――“白澤”さんッ!」
既に白澤は身を翻し、鎖を揺らし続けていたエレボスへ向かって走っている。全力で走っているらしく鬼灯はそれに追いつけそうになかった。
元からそうだった。一介の獄卒一匹、“神”と対等になんていられる筈がない。それが出来ていたのは白澤が妥協してくれていただけで、鬼灯は甘やかされていただけだった。
巨大な扉の前。その扉に絡む鎖を掴んで揺らし、千切ろうとしている『悪意』と『絶望』の塊。
「――エレボス! おいでぇ! 一緒にいこう!」
鎖を掴んでいた『悪意』が白澤を振り返る。そうして鎖から手を離し、白澤へと向かって走り出した。
見上げるほどの巨体が、白澤へ向かっていくに従って小さくなっていく。両腕を広げ愛おしいものを慈しむように抱き留めた白澤が、そのまま鬼灯の目の前で黒い炎へ包まれて消えていくのを止めることも出来ない。
何度も殴った。何度も貶した。何度も言葉を交わした。それでも何度も会おうと思った。会いたいと思った。
消えて欲しいとかいなくなって欲しいなんて思ったことは、一度として無い。
路傍の小石でも日陰の雑草でも、憎んでも泣いてもいい。
自分を選んでくれなくたって構わない。
そこで初めて、やっと、ようやく鬼灯は悟る。こんな想いをずっと、彼は後生大事に隠していたのか。
「ッ、馬鹿者ッ――!」
子猫ほどの大きさになったエレボスを抱いた白澤は、塵一つ余さずにこの世界から、鬼灯の前から、消えていった。