【瑞獣】
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夢主視点
叫び声を上げて消えていく神々。まるで神々自身が地獄へ堕ちた罪人の様だと思えた。
ギリシャの地獄へ向かったのはそこに『扉』があったからだ。タルタロスの最奥。
「――エレボス」
巨大な扉の前。扉へ絡みつく鎖を揺らしていた“それ”は既に随分と大きく悪意にまみれた姿をしている。『悪意』の塊なのだから当然といえば当然か。
扉を開けようという人間の『悪意』と神々の『絶望』が入り交じったそれは、おそらく少し前に鎖の一部を引きちぎったのだろう。そこから漏れたものが現世に災害をもたらし人間は消えていくことになった。
まるでパンドラの箱である。
人間の信仰が消えれば信仰心を糧にしていた神々は力の源を失い、やがては認識してくれる人間がいなくなって消える。消えるのを見た神々は死にたくないと口にする反面、死に至る事への興味を無意識に抱えて“それ”へと力を与えた。力を得た“それ”は更に鎖を千切り人間を消す。
世界を守る為に『兄』は守っているというのに、何も知らない奴らはそれを悉く非難するのだ。
いらないのなら返してくれと何度も言っていた。いらない訳ではないのだと説得してきていたのは天帝やイザナミ達だ。けれども今、彼らはそれを手放した。
こんな事になるのなら、『兄』が苦しめられるだけだったのなら先に取り返してしまっていれば良かったと思う。ただ、イザナミ達は本当に真剣に『兄』やアマネのことを考慮してくれていたから見逃していた。
「――ほら、これがお前等の末路だぁ」
振り返った先には剣で貫かれたどこぞの神が転がっている。そいつの仲間が扉を封じる鎖の一つを壊した。その結果による世界の異変へ怖じ気ついて今までエレボスをどうにかしようとはしていたらしいが、世界が滅ぶことを望んでいたのだからもういいだろう。
その神を殺したことで、『白澤』という存在は消えてしまっていた。博愛主義の妖怪の長。吉兆の印。瑞獣。
瑞獣は『命を奪ったら瑞獣ではいられない』
それでも『アマネ』が消えないのは、まだアマネを“違う名前で”認知している者がいるからだ。
目の前に。
アマネを擁護していたのは主に中国と日本とイスラムの神々だった。何故その三ヶ所がという疑問は単純に説明が出来る。
根幹に至る認知。イスラム教での神の敵対者。キリスト教でいうサタンに対応するもの。
そういう名前で生きた過去があることを、アマネはかつて泣きながら目の前の『人』へ話したことがある。
この世界にそれらはいなかった。正確には名前も存在も神格もあったけれど、その信仰はアマネの力になっていたのだ。
煙のない炎から生み出された堕天使。『IBLIS』『Al・Shaytan』
それがアマネの、最初の神格だった。
『白澤』は殺生をして消えた。だがまだ目の前の『兄』が、アマネが『イブリス』であった事を覚えているからアマネは消えない。
人であると同時に、人から『大いなる封印』となった身であるが故に生きたまま『事象』となった『兄』はけれども、他の人間達と同じように認知を理解している。
一応もう一つ、『泉津守道者』というイザナミから与えられた名前からの神格を持ってはいたが、それはそれでもう消えていたかも知れない。日本書紀の最初の方にほんの数行だけ語られているだけの神である。日本書紀は古事記より名前以外の知名度が低い。
だからとっくに『泉津守道者』という神格は消えているのだろう。『兄』がこうなってしまってからの認識になるし、そう馴染みがあった訳でもなかった。
ただ『イブリス』はそうそう消えなどしない。
イブリスは最後の審判を受ける者だ。
サタンは神の敵対者ルシフェルの別名である。堕ちた天使。
『イブリス』もそうだった。
イブリスは神が土から作った人間を敬うことが出来なかった神だとされている。煙の出ない炎から作られた天使である己が、格下の泥から作られた人間を主の様に敬い愛すことは出来ないと。
主はそれを不遜と思いイブリスを堕天させた。そしてイブリスは最後の審判の時までの猶予を得て、人間を惑わす悪魔になったという。
その逸話についてはとある意見がある。『イブリスは神だけを敬愛していた故にそれ以外へ頭を下げることを嫌がった』というイブリス擁護説だ。
神だけを。
たった一つだけをイブリスは愛した。
別に人間が嫌いだった訳ではない。むしろ愛する神が創りたもうたものとして愛する事は出来た。たた敬服することが出来なかっただけで。
アマネの最初の名前は、その『イブリス』の悪魔の王と同義という認識だけで与えられた。忌々しい悪魔の様な子。
名前は言霊だ。呼ばれ続ければその性質が宿る。アマネの最初の人生はそうして『イブリス』となり、アマネはそれからずっと『イブリス』だった。
煙のない炎から生まれた炎の神。たった一つの為なら堕ちることも辞さない。
その『たった一つ』が、アマネの『命の答え』だ。
この世界は滅ぶだろう。人間が一人もいなくなればあの世という認識も消え、神とか精霊とか、奇跡という認識もなくなって消える。今ここでアマネがエレボスの行動を眺めているだけなら確実に。
とはいえおそらく、消えるのは『この世界』だけだ。今までアマネが経験してきた転生の様に、異なる理の世界やここの平行世界は依然として存在している。そこにいる存在が無意識に意識している集合的無意識の底ではやはり『兄』が大いなる封印を続けているのだろうし、アマネもどうせ転生するのだろう。
アマネと『兄』はもう、この世界だけの理で存在している訳ではないのだから。
だからアマネは『白澤』としての神格を失っても存在していた。この世界での白澤は消えてしまったが、まだ目の前の扉を封印している『兄』がアマネを認識しているからである。
ならばこの世界は消滅してしまっていいのではと思う。そうすることでようやく平行世界へ存在しないアマネは本当に『白澤』ではなくなるのだ。違う平行世界では違う者がきっとちゃんと『白澤』の役割を担っている。
だからこの世界の一つくらい。
花の咲かない地獄に何の悔いがあるだろうか。
「――ぅおっ!?」
背後から聞こえた風を切る音に振り返ると同時に目の前へ何か黒い物が迫り、慌ててそれを避けた。アマネへ直撃することなく飛び去っていったそれはどうやら“金棒”で、勢いを無くすと重い音を立てて転がる。
叫び声を上げて消えていく神々。まるで神々自身が地獄へ堕ちた罪人の様だと思えた。
ギリシャの地獄へ向かったのはそこに『扉』があったからだ。タルタロスの最奥。
「――エレボス」
巨大な扉の前。扉へ絡みつく鎖を揺らしていた“それ”は既に随分と大きく悪意にまみれた姿をしている。『悪意』の塊なのだから当然といえば当然か。
扉を開けようという人間の『悪意』と神々の『絶望』が入り交じったそれは、おそらく少し前に鎖の一部を引きちぎったのだろう。そこから漏れたものが現世に災害をもたらし人間は消えていくことになった。
まるでパンドラの箱である。
人間の信仰が消えれば信仰心を糧にしていた神々は力の源を失い、やがては認識してくれる人間がいなくなって消える。消えるのを見た神々は死にたくないと口にする反面、死に至る事への興味を無意識に抱えて“それ”へと力を与えた。力を得た“それ”は更に鎖を千切り人間を消す。
世界を守る為に『兄』は守っているというのに、何も知らない奴らはそれを悉く非難するのだ。
いらないのなら返してくれと何度も言っていた。いらない訳ではないのだと説得してきていたのは天帝やイザナミ達だ。けれども今、彼らはそれを手放した。
こんな事になるのなら、『兄』が苦しめられるだけだったのなら先に取り返してしまっていれば良かったと思う。ただ、イザナミ達は本当に真剣に『兄』やアマネのことを考慮してくれていたから見逃していた。
「――ほら、これがお前等の末路だぁ」
振り返った先には剣で貫かれたどこぞの神が転がっている。そいつの仲間が扉を封じる鎖の一つを壊した。その結果による世界の異変へ怖じ気ついて今までエレボスをどうにかしようとはしていたらしいが、世界が滅ぶことを望んでいたのだからもういいだろう。
その神を殺したことで、『白澤』という存在は消えてしまっていた。博愛主義の妖怪の長。吉兆の印。瑞獣。
瑞獣は『命を奪ったら瑞獣ではいられない』
それでも『アマネ』が消えないのは、まだアマネを“違う名前で”認知している者がいるからだ。
目の前に。
アマネを擁護していたのは主に中国と日本とイスラムの神々だった。何故その三ヶ所がという疑問は単純に説明が出来る。
根幹に至る認知。イスラム教での神の敵対者。キリスト教でいうサタンに対応するもの。
そういう名前で生きた過去があることを、アマネはかつて泣きながら目の前の『人』へ話したことがある。
この世界にそれらはいなかった。正確には名前も存在も神格もあったけれど、その信仰はアマネの力になっていたのだ。
煙のない炎から生み出された堕天使。『IBLIS』『Al・Shaytan』
それがアマネの、最初の神格だった。
『白澤』は殺生をして消えた。だがまだ目の前の『兄』が、アマネが『イブリス』であった事を覚えているからアマネは消えない。
人であると同時に、人から『大いなる封印』となった身であるが故に生きたまま『事象』となった『兄』はけれども、他の人間達と同じように認知を理解している。
一応もう一つ、『泉津守道者』というイザナミから与えられた名前からの神格を持ってはいたが、それはそれでもう消えていたかも知れない。日本書紀の最初の方にほんの数行だけ語られているだけの神である。日本書紀は古事記より名前以外の知名度が低い。
だからとっくに『泉津守道者』という神格は消えているのだろう。『兄』がこうなってしまってからの認識になるし、そう馴染みがあった訳でもなかった。
ただ『イブリス』はそうそう消えなどしない。
イブリスは最後の審判を受ける者だ。
サタンは神の敵対者ルシフェルの別名である。堕ちた天使。
『イブリス』もそうだった。
イブリスは神が土から作った人間を敬うことが出来なかった神だとされている。煙の出ない炎から作られた天使である己が、格下の泥から作られた人間を主の様に敬い愛すことは出来ないと。
主はそれを不遜と思いイブリスを堕天させた。そしてイブリスは最後の審判の時までの猶予を得て、人間を惑わす悪魔になったという。
その逸話についてはとある意見がある。『イブリスは神だけを敬愛していた故にそれ以外へ頭を下げることを嫌がった』というイブリス擁護説だ。
神だけを。
たった一つだけをイブリスは愛した。
別に人間が嫌いだった訳ではない。むしろ愛する神が創りたもうたものとして愛する事は出来た。たた敬服することが出来なかっただけで。
アマネの最初の名前は、その『イブリス』の悪魔の王と同義という認識だけで与えられた。忌々しい悪魔の様な子。
名前は言霊だ。呼ばれ続ければその性質が宿る。アマネの最初の人生はそうして『イブリス』となり、アマネはそれからずっと『イブリス』だった。
煙のない炎から生まれた炎の神。たった一つの為なら堕ちることも辞さない。
その『たった一つ』が、アマネの『命の答え』だ。
この世界は滅ぶだろう。人間が一人もいなくなればあの世という認識も消え、神とか精霊とか、奇跡という認識もなくなって消える。今ここでアマネがエレボスの行動を眺めているだけなら確実に。
とはいえおそらく、消えるのは『この世界』だけだ。今までアマネが経験してきた転生の様に、異なる理の世界やここの平行世界は依然として存在している。そこにいる存在が無意識に意識している集合的無意識の底ではやはり『兄』が大いなる封印を続けているのだろうし、アマネもどうせ転生するのだろう。
アマネと『兄』はもう、この世界だけの理で存在している訳ではないのだから。
だからアマネは『白澤』としての神格を失っても存在していた。この世界での白澤は消えてしまったが、まだ目の前の扉を封印している『兄』がアマネを認識しているからである。
ならばこの世界は消滅してしまっていいのではと思う。そうすることでようやく平行世界へ存在しないアマネは本当に『白澤』ではなくなるのだ。違う平行世界では違う者がきっとちゃんと『白澤』の役割を担っている。
だからこの世界の一つくらい。
花の咲かない地獄に何の悔いがあるだろうか。
「――ぅおっ!?」
背後から聞こえた風を切る音に振り返ると同時に目の前へ何か黒い物が迫り、慌ててそれを避けた。アマネへ直撃することなく飛び去っていったそれはどうやら“金棒”で、勢いを無くすと重い音を立てて転がる。