二階の吹き抜けでジンジャー・ブレット扮するアイリーンと若手俳優だったデニスという青年の会話を聞いて、ルウが腹筋を崩壊させる勢いで悶絶していた。無知は罪だというが知っている事実が一つ違うだけでこんなにも笑える話になるのも相当だろう。
ヴァンツァーとの会話を終えてルウと同じく聞こえてくる会話を聞いていたシルビも、ルウ程までとはいかないが腹筋が鍛えられる。階段で丸まって悶絶しているルウや、腹を両手で押さえて前屈みになっていたシルビをヴァンツァーは訝しげに眺めていた。
二人の会話は、例えるなら山菜狩り用の小太刀を持った子供が歴戦の戦士に対して戦いの何たるかを語る様な真似である。シルビで言うなら『イブリス』時代にジャックへ船の操縦を教えるような事だ。
シルビとルウの態度からアイリーンの正体を知っていると悟ったらしいヴァンツァーは、慎重に言葉を選んで尋ねてくる。

「今はアイリーン・コルトを名乗ってるあの女を、お前達は普段、何と呼んでいるんだ？」
「いつも使ってる名前はジンジャー・ブレッド」

腹筋の痙攣が収まらないシルビより先に、階段へ座り直したルウが答えた。

「あの女はなぜその名前で映画に出ない？」

知らない者なりの率直な質問だったが、ルウはいたずらっ気を出したのかサイモンへ聞いてみればいいと返す。映画業界の人間に大御所の名前を尋ねさせるなんて荒治療だなとシルビが考えていると、玄関が開いてフードサービスの配達が入ってきた。
映画撮影をしていると知っているらしく控えめに言うのを聞いて、ルウが上のサイモン達へ昼食が来たことを教える。二階へ持ってきてくれという声に配達員が弁当を二階へと運んでいった。
どうやら見学者であるシルビ達の分も頼んでくれたらしいが、シルビはまだ腹筋が辛くて動けそうにない。そしてこれからヴァンツァーが何も知らずに『ジンジャー・ブレッド』のことを尋ね、その結果何が起こるのかを予想すると更に腹筋が痛くなる。弁当を置いたフードサービスの配達員が、そんなシルビを訝しげに見ながら階段を降りて帰って行った。
やっと腹筋の痙攣が収まってから二階へと行き、女性スタッフが配っている珈琲を受け取り弁当箱を一つ取ったところで、ヴァンツァーに質問されたサイモンの叫び声が響く。

「彼女は――ジンジャーは唯一無二の人だ！ 中央映画界の至宝だぞ！ その彼女を知らない！？」

目の前でそう叫ばれて、何とも言えない顔をしているヴァンツァーに今度こそシルビの腹筋が崩壊する。
声に出してこそ笑いはしなかったが、持っていた弁当と珈琲を適当に置いて、楽しげに眺めていたルウの後ろへこっそり隠れる程度には爆笑物だった。