秋山渉
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「ありがとうございました、またお越しくださーい!」
遅い時間だというのに明るい声を背に受けて、俺と彼女は数時間過ごした居酒屋を後にする。
「おい、大丈夫か?」
「へーきへーき、お酒大丈夫っていったじゃん」
「だけどなあ……」
隣を歩く彼女の足元はふらふらとおぼつかなく、俺ははぁ、と息を吐く。何年たっても危なっかしい奴だ。そう思いながら「家まで送る」と申し出た。
居酒屋の熱気が残っていたのか、それともアルコールによるものか。両頬を赤く上気させて、彼女は嬉しそうに微笑んだ。
***
久尾津シオンは高校時代の同級生で、何かと有名な存在だった。残念ながら悪い意味で、だ。
同性の仲間内で「土下座して頼み込んだらヤらせてくれそうな女ナンバーワンは久尾津」という話を耳にしたときは流石に俺も声を荒げた。
明るく快活でフレンドリーで、誰彼構わず分け隔てなく接する彼女は男子生徒にとって眩しい存在で。最初のうちは「久尾津っていいよな」という認識だったのに、いつのまにか”そういう”扱いとなっていた。
「久尾津に告白したら絶対付き合えるし、なんでもしてくれる」なんて評価も聞いたことがある。
正直、あいつ自身の振る舞いにも問題があると俺は思っていた。男から告白されて付き合う、というのは事実だった。実際俺も久尾津本人から何度か話を聞いていた。記憶にある限り、随分な人数と交際を繰り返していた。その度に久尾津は「相手を知らないんだし、まずは友達からって言ってるのにいつのまにか付き合ってることになってるんだよね」と遠くをぼんやり眺めてぼやいていた。
彼女としては交際しているつもりはないのに、男の方が入れ込んでしまい。求めたことをしてくれない彼女に嫌気がさして別れる。だが男の面子というものもあるのだろう、必要以上に話を盛り、友人内に話す。どんどんそれは膨らみ、余計なものを付け加えられ続けこうなってしまったというわけだ。
「久尾津、お前言い返さなくてもいいのか?」
そう彼女に尋ねたことがある。具体的にどうだと話はしなかったが、あまりいい噂を耳にしないぜと伝えると。彼女は遠くを見つめながら「別にいいよ」と短く答えた。
「どうせもう三年だし、あと一年もないし。実はね、何度か反論したことあるんだよ。だけどなんにも変わんなかったし、もういいやって。
それより、卒業したら埼玉以外のところで就職したいなって思ってるんだー。先生にも相談してて、県外の職業のこと聞いてる。必要な資格の勉強もね、実はやってるんだよ、ほら、そのテキスト」
久尾津は少し汚れた鞄から付箋まみれの分厚い教本を取り出して微笑む。何度も開いているのだろう、折り目が見えるし、本の角もヨレていた。付箋だって用紙がへたっていたり、赤いペンで細かく書きこまれている。その一冊を見ただけで久尾津が努力をしていることは明白だった。
「……それにね、わたし、こうして放課後に秋山くんと一緒にいるだけでいいんだー……秋山くんの傍にいると落ち着くっていうか、ちゃんと息ができるって言うのかな。変に回りの反応気にしなくていいし、余計な邪魔も入らないし。
何より秋山くんかっこいいからね、目の保養だよ」
だから心配しないでね。そう言外に告げられたような気がした。白い歯を見せる久尾津の、どこか寂し気な笑みがずっと忘れられなかった。
とはいえ時間というものは優しくもあり残酷だ。忘れられない、と称したが日々の忙しさや車の事、目まぐるしい日常が彼女の寂し気な笑顔を朧げにさせていく。
俺はそれで構わないとも思った。すっきりはしないが、大人になるとはそういうことなのだと。きっと彼女は彼女で遠い地で上手くやっているだろう。世渡りが上手く、へらりとしていながらも時折感じさせる芯の強さのある久尾津だ。そんな彼女に、俺は少なからず惹かれていた。
だからはっきり言ってかなり驚いた。何気なくタバコを買いに出かけると見覚えのある女が俺の名前を呟いたのだから。
気が付くと声をかけていたし、なんとなく流れで飲みに行く事にもなった。
五年以上ぶりに再会した久尾津は昔よりも派手な化粧で垢ぬけて……というほどでもなかった。いや、綺麗に飾ってはいたが、目の下にうっすらと隈が見え、少しやつれているようにも感じた。
何より一番気になったのは目だった。高校時代のあの寂し気な笑みを浮かべていた時の瞳を彷彿させた。
***
何年も会っていなかったがやはりアルコールの力というものは大きい。
一杯、また一杯を飲み干すたびにお互いの緊張がほぐれていくのを感じながら、俺は酒を煽った。緊張していたのを隠したくて一気に飲み干したビールは味がわからなかったが、左に腰かける久尾津は楽しそうに目を細め微笑んでいた。
机に並ぶ酒がビールから焼酎へと変化し、お互い飲み干す速度が緩やかになってきた。俺も彼女も酔いが回ってきているのだろう。今なら自然な流れで聞きだせるかもしれない。久尾津を見つけたときからずっと気になっていたことを。
「そういえばさ、久尾津はなんでこっちに?埼玉から出て就職するって言ってただろ」
一瞬。
久尾津の纏う空気が変わったように感じた。だがその変化は本当に一瞬で。
彼女は間の抜けた声をあげながら少しの間思案する素振りを見せた。
やはり話しにくい内容なのだろう。気にはなるがプライベートなことでもある。久尾津自身が話したくなるまで俺はじっと続きを待った。
「わたしねぇ、仕事辞めたんだあ。人間関係でちょっとやらかしてね」
そう、事もなさげに言ってのけ、久尾津は笑った。その笑顔は高校時代に俺が何度も何度も目にした笑み……色々なことに呆れて、諦めたときのものだった。
彼女の言葉に嘘があるようには思えなかった。なんだかんだできちんと本当のことを話すのだ、久尾津シオンという女は。
じっと彼女の瞳を見据えていると、ぽつぽつと事情を語ってくれた。
以前勤めていた会社の上司から一方的に恋愛感情を抱かれていたこと。その上司が既婚者で、その嫁さんから不倫疑惑をかけられたこと。会社で大暴れされ、久尾津は何も悪くないのに居づらくなってしまった事……。
話を聞いているだけで胃がむかむかしてきた。そんな想いをするために彼女は。久尾津シオンは地元を離れたのかと。
卒業する前に強く彼女を引き留めていれば、この想いを伝えていれば変わったのだろうか。いや……過去の事を悔やんでもどうにもならない。
一番腹立たしく思っているのは自分に対してなのかもしれない。そう思いながら俺はグラスに残った酒を一気に飲み干した。行き場のない感情と一緒に酒が流れ込む。美味いはずの焼酎がやけに苦く感じた。
遅い時間だというのに明るい声を背に受けて、俺と彼女は数時間過ごした居酒屋を後にする。
「おい、大丈夫か?」
「へーきへーき、お酒大丈夫っていったじゃん」
「だけどなあ……」
隣を歩く彼女の足元はふらふらとおぼつかなく、俺ははぁ、と息を吐く。何年たっても危なっかしい奴だ。そう思いながら「家まで送る」と申し出た。
居酒屋の熱気が残っていたのか、それともアルコールによるものか。両頬を赤く上気させて、彼女は嬉しそうに微笑んだ。
***
久尾津シオンは高校時代の同級生で、何かと有名な存在だった。残念ながら悪い意味で、だ。
同性の仲間内で「土下座して頼み込んだらヤらせてくれそうな女ナンバーワンは久尾津」という話を耳にしたときは流石に俺も声を荒げた。
明るく快活でフレンドリーで、誰彼構わず分け隔てなく接する彼女は男子生徒にとって眩しい存在で。最初のうちは「久尾津っていいよな」という認識だったのに、いつのまにか”そういう”扱いとなっていた。
「久尾津に告白したら絶対付き合えるし、なんでもしてくれる」なんて評価も聞いたことがある。
正直、あいつ自身の振る舞いにも問題があると俺は思っていた。男から告白されて付き合う、というのは事実だった。実際俺も久尾津本人から何度か話を聞いていた。記憶にある限り、随分な人数と交際を繰り返していた。その度に久尾津は「相手を知らないんだし、まずは友達からって言ってるのにいつのまにか付き合ってることになってるんだよね」と遠くをぼんやり眺めてぼやいていた。
彼女としては交際しているつもりはないのに、男の方が入れ込んでしまい。求めたことをしてくれない彼女に嫌気がさして別れる。だが男の面子というものもあるのだろう、必要以上に話を盛り、友人内に話す。どんどんそれは膨らみ、余計なものを付け加えられ続けこうなってしまったというわけだ。
「久尾津、お前言い返さなくてもいいのか?」
そう彼女に尋ねたことがある。具体的にどうだと話はしなかったが、あまりいい噂を耳にしないぜと伝えると。彼女は遠くを見つめながら「別にいいよ」と短く答えた。
「どうせもう三年だし、あと一年もないし。実はね、何度か反論したことあるんだよ。だけどなんにも変わんなかったし、もういいやって。
それより、卒業したら埼玉以外のところで就職したいなって思ってるんだー。先生にも相談してて、県外の職業のこと聞いてる。必要な資格の勉強もね、実はやってるんだよ、ほら、そのテキスト」
久尾津は少し汚れた鞄から付箋まみれの分厚い教本を取り出して微笑む。何度も開いているのだろう、折り目が見えるし、本の角もヨレていた。付箋だって用紙がへたっていたり、赤いペンで細かく書きこまれている。その一冊を見ただけで久尾津が努力をしていることは明白だった。
「……それにね、わたし、こうして放課後に秋山くんと一緒にいるだけでいいんだー……秋山くんの傍にいると落ち着くっていうか、ちゃんと息ができるって言うのかな。変に回りの反応気にしなくていいし、余計な邪魔も入らないし。
何より秋山くんかっこいいからね、目の保養だよ」
だから心配しないでね。そう言外に告げられたような気がした。白い歯を見せる久尾津の、どこか寂し気な笑みがずっと忘れられなかった。
とはいえ時間というものは優しくもあり残酷だ。忘れられない、と称したが日々の忙しさや車の事、目まぐるしい日常が彼女の寂し気な笑顔を朧げにさせていく。
俺はそれで構わないとも思った。すっきりはしないが、大人になるとはそういうことなのだと。きっと彼女は彼女で遠い地で上手くやっているだろう。世渡りが上手く、へらりとしていながらも時折感じさせる芯の強さのある久尾津だ。そんな彼女に、俺は少なからず惹かれていた。
だからはっきり言ってかなり驚いた。何気なくタバコを買いに出かけると見覚えのある女が俺の名前を呟いたのだから。
気が付くと声をかけていたし、なんとなく流れで飲みに行く事にもなった。
五年以上ぶりに再会した久尾津は昔よりも派手な化粧で垢ぬけて……というほどでもなかった。いや、綺麗に飾ってはいたが、目の下にうっすらと隈が見え、少しやつれているようにも感じた。
何より一番気になったのは目だった。高校時代のあの寂し気な笑みを浮かべていた時の瞳を彷彿させた。
***
何年も会っていなかったがやはりアルコールの力というものは大きい。
一杯、また一杯を飲み干すたびにお互いの緊張がほぐれていくのを感じながら、俺は酒を煽った。緊張していたのを隠したくて一気に飲み干したビールは味がわからなかったが、左に腰かける久尾津は楽しそうに目を細め微笑んでいた。
机に並ぶ酒がビールから焼酎へと変化し、お互い飲み干す速度が緩やかになってきた。俺も彼女も酔いが回ってきているのだろう。今なら自然な流れで聞きだせるかもしれない。久尾津を見つけたときからずっと気になっていたことを。
「そういえばさ、久尾津はなんでこっちに?埼玉から出て就職するって言ってただろ」
一瞬。
久尾津の纏う空気が変わったように感じた。だがその変化は本当に一瞬で。
彼女は間の抜けた声をあげながら少しの間思案する素振りを見せた。
やはり話しにくい内容なのだろう。気にはなるがプライベートなことでもある。久尾津自身が話したくなるまで俺はじっと続きを待った。
「わたしねぇ、仕事辞めたんだあ。人間関係でちょっとやらかしてね」
そう、事もなさげに言ってのけ、久尾津は笑った。その笑顔は高校時代に俺が何度も何度も目にした笑み……色々なことに呆れて、諦めたときのものだった。
彼女の言葉に嘘があるようには思えなかった。なんだかんだできちんと本当のことを話すのだ、久尾津シオンという女は。
じっと彼女の瞳を見据えていると、ぽつぽつと事情を語ってくれた。
以前勤めていた会社の上司から一方的に恋愛感情を抱かれていたこと。その上司が既婚者で、その嫁さんから不倫疑惑をかけられたこと。会社で大暴れされ、久尾津は何も悪くないのに居づらくなってしまった事……。
話を聞いているだけで胃がむかむかしてきた。そんな想いをするために彼女は。久尾津シオンは地元を離れたのかと。
卒業する前に強く彼女を引き留めていれば、この想いを伝えていれば変わったのだろうか。いや……過去の事を悔やんでもどうにもならない。
一番腹立たしく思っているのは自分に対してなのかもしれない。そう思いながら俺はグラスに残った酒を一気に飲み干した。行き場のない感情と一緒に酒が流れ込む。美味いはずの焼酎がやけに苦く感じた。