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ディルケイ

 モッコウバラの門をくぐると、そこは見事な春の庭だった。
 柔らかな若草の上を暫く歩いていけば、やがて緑の絨毯の上に一揃えのガーデンテーブルが見えてくる。繊細な網目の丸テーブルにはティーセットが置いてあり、四つ脚のラタンチェアには庭の主が座っていた。
 濃紺のロングコートに、柔らかそうな金髪を後ろへ撫でつけた、痩身の男性である。年の頃は二十を少し過ぎたばかりのように見える。しかしディルムッドが知る限り、彼は少しも年を取る様子が無かった。ディルムッドが初めてこの庭を訪れたのは、ほんの子供の時分だ。それから十年近くの月日が流れたが、ディルムッドがいつ足を踏み入れても、彼は少しも変わらぬ姿で、ディルムッドの訪いを受け入れてくれるのだ。
 淡い雲の溶けた薄青の空。優しい風に揺れる満開の花。遠く雲雀が鳴き、穏やかに陽光の差す常春の庭。
 ここはディルムッドの秘密の場所だった。

「やあケイネス。今日も元気そうで何よりだ」
「また来たのかディルムッド。余程お前は暇を持て余していると見える」
 モッコウバラの門を抜け、庭の主へと挨拶をすると、小馬鹿にしたようなせせら笑いが返ってきた。しかし拒絶ではない。その証拠に、テーブルの上にはいつの間にか、ディルムッドの分のカップも用意されているのだ。
 向かいの椅子に腰かけ、ディルムッドも持参したバスケットの中身を並べた。
 今日の土産は苺のタルトだ。最近出来た評判の店で買ってきたもので、きっとケイネスの好みにも合う筈だった。
 真っ白な陶器のティーカップには、淹れたばかりの紅茶が注がれている。近くに火元があるわけでもないのに、お茶はいつでも熱々だった。香りのよいお茶も、焼き立てのスコーンやジャムも、この庭ではまるで魔法のように現れるのだ。
 いや、魔法のようにではない。真実、この庭は魔法の庭だった。

 常春の庭は箱の中にある。
 曾祖母が亡くなる時に譲り受けた、小さな美しい宝石箱だ。深い青の天鵞絨張りで、真鍮の脚とアラベスクのレリーフが施されている。
「貴方が淋しい時はこの箱を開けてごらんなさい」
 病床の曾祖母はそう言って、ディルムッドにこの箱をくれた。
「でもこのことは誰にも秘密。私と貴方だけの約束よ」
 ディルムッドが箱を開けたのは、曾祖母の葬式が終わった夜だった。大好きな曾祖母に二度と会えない淋しさに、涙で滲んだ目を擦りながら箱を開くと、瞬きの後に、そこはもう春の庭だった。
 戸惑いながら花の中を歩いていくと、草原の中央で優雅に紅茶を飲んでいる男が現れた。
「あなたはだれですか」
「お前こそ何者だ。ソラウはどうした」
 ソラウはディルムッドの曾祖母の名だった。随分と年が離れているのに、親しげに名を呼ぶこの男は誰なんだろう。不思議に思いながら「おれはソラウの曾孫です」と答えると、男はほんの少しだけ目を見開き、それから悲しそうに目を伏せた。
「箱の持ち主が変わったか……。ソラウは、最期まで幸せそうだったか」
「ええ、とても」
 ディルムッドの答えに満足そうに頷き、男はケイネスだと名を告げた。
 ケイネスはこの庭の主であり、ディルムッドが箱を所有する間は、いつでもここを訪れて良いのだと話してくれた。
「ソラウはこの庭でお茶をするのが好きだった」
 小さく呟いた瞳は優しくて、そしてやっぱり少し悲しそうだった。その春の空のような瞳があんまり美しくて、ディルムッドは「これからは、おばあちゃんのかわりに、おれがいつでも、あなたとおちゃをします」と約束したのだった。

「しかし、いつでも来て良いとは言ったが、本当に毎日のようにやって来るな、お前は」
「俺はこの庭が好きだからな」
 苺のタルトを堪能し、二杯目のお茶を注ぎながら、呆れたようにケイネスが肩を竦める。
「そんなに庭に入り浸っていると、そのうちこの場所に取り込まれてしまうかもしれないぞ」
「そうすればケイネスとずっと一緒に居られるじゃないか。それはそれで楽しそうだ」
 幼かったディルムッドもこの十年の間に随分と育ち、今ではケイネスの背を越すほど逞しくなった。
 生意気を言うようになって、と苦い顔で、ケイネスはディルムッドの手の甲をキリリと抓る。
「はは、痛い痛い」
 少しも堪えていない顔でニコニコと笑うディルムッドの前髪を、爽やかな風が微かに揺らす。
「ところで、今日は俺とケイネスが出会った特別な日だったんだが、覚えていただろうか」
「知らんな」
 フンと鼻を鳴らすケイネスだが、今日の庭がいつもより暖かなことをディルムッドは勿論気が付いていた。

 時が止まった常春の庭では、時間を気にする必要もない。
 ディルムッドは大いに笑い、茶を飲み、気の済むまでケイネスとの語らいを楽しむのだった。
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