【スカリーくんが監督生との別れを限りなく悩んでいるだけ】

冬の夕暮れがオンボロ寮の廊下を染めていた。薄く冷たい空気が頬を撫で、床に映る長い影がゆらりと揺れる。ゲストルームからは、エースさんとデュースさん、そしてユウさんの賑やかな声が漏れ聞こえてくる。

「元の世界に帰る方法、まだわからないんだって学園長が……。」

ユウさんの声。その言葉が耳に届いた瞬間、胸に冷たい刃が突き刺さったかのような感覚が走った。いつもと変わらぬ明るさで語られるその声の奥に、どこか隠された寂しさや諦めを感じ取る。それが余計に我輩の心を掻き乱した。

「へー。まあ、大丈夫っしょ！先生たちああ見えて結構すごい人たちだし？こっちに来れたんだから、帰るのも楽勝だって！」

「エース、軽すぎだろ。もっと真剣に聞けよ……。ユウ、大丈夫か？」

「うん、そんなに落ち込んでないよ！毎日いろんなことが起こって騒がしいし、落ち込んでる暇ないっていうか……。みんなもいるしね～。」

ユウさんの声に、いつものような明るさがある。だが、その明るさは、どこか不自然で、少し無理をしているように聞こえた。

扉の前で立ち止まったまま、我輩はその場から動けなくなっていた。

「元の世界に帰る」という言葉。それは、最初から理解していたことだ。ユウさんはこの世界の人間ではなく、異邦からやってきた存在。帰りたいと願うのは当然のこと。そう、頭ではわかっている。

だが、その言葉を改めて耳にすると、胸の奥からじわりと痛みが広がっていく。目を閉じれば、脳裏に浮かぶのはユウさんの笑顔。ユウさんが「元の世界」と口にした瞬間、それが永遠に失われる未来を想像してしまう。

「もしユウさんが元の世界に戻ったら……。」

我輩の信じる「ハロウィンを通していつも、いつでも会える」という想いはどうなるのか？そのハロウィンが繋いでくれる絆は、ユウさんが帰ってしまえば、もう二度と会えない本当の別れになってしまうのではないか？

そんな考えが頭をよぎり、胸が軋むように痛んだ。

ユウさんが帰りたいと思うのは当然だ。それは責められるようなことではない。むしろ、ユウさんがそう願うのは自然なことであり、叶うべき願いなのだ。

「それに……いつか我輩も、自分の使命を果たすために、この時代を離れなければならないのだ。」

そう、我輩だっていつかユウさんを置いていく運命だ。自分の時代に戻り、ハロウィンを広めるという使命を果たさなければならない。何を勝手なことを考えているのだろう。我輩にユウさんを引き留める資格など、あるはずがないのに。

だが、それでもこの気持ちに整理がつかない。使命を果たすべきだと頭では理解しているのに、心がそれを拒絶している。

我輩は扉からそっと手を離した。その冷たい感触が名残惜しいように指先に残る。ユウさんたちの声がなおもゲストルームから漏れてきているが、その場に入る気にはなれなかった。

オンボロ寮の静かな廊下を歩きながら、我輩は一人、自室へと戻った。扉を閉める音がわずかに響き、薄暗い部屋が冷たい空気とともに我輩を包み込む。夕方の陽光がほとんど消え、窓の外には夜が広がり始めている。かすかな冬の風が窓枠の隙間から漏れ込み、肌にひんやりと触れる。

椅子に腰を下ろすと、我輩は手で顔を覆った。静寂の中で、外から漏れるゲストルームの声が微かに耳に届く。エースさんとデュースさんの賑やかな笑い声、そしてユウさんの明るい声。それが、今は胸に重く響いた。

椅子に座っていた身体を持て余すように立ち上がり、部屋の中を歩き始める。冷たい床が革靴越しにひやりとした感触を伝えてくるが、それすらも今の迷いを鎮める助けにはならない。

「我輩がここでユウさんにしてあげられることは何なのだ……。」

言葉にしてみても、答えは出ない。使命を果たすべきだという理性の声が胸を締め付ける。

「使命を果たすことは必須だ。少しでも迷えば、すぐさまハロウィンがこの世から消え失せてしまうかもしれない。それが、我輩に課された責務であり、存在意義だ。」

それでも、ユウさんの姿が脳裏を離れない。ユウさんが笑顔で「大丈夫」と言いながら、心の中でどれほどの重荷を抱えているのか、我輩には察することしかできない。そして、その重荷を軽くする力が我輩にないことが、こんなにも情けない。

窓に近づき、外の景色を眺めた。夜風が頬を撫でるたび、その冷たさが迷いをさらに刺すようだった。

「ハロウィン……。」

我輩にとって、ハロウィンは生きる意味そのものだった。生きがいであり、存在意義であり、すべてだった。その愛するハロウィンを、世界中に広めてみせる――それが我輩の決意であり、今も揺るぎない目標だ。

だが、その中に、ただ一人、ユウさんだけがいない未来を想像すると、胸が締め付けられるようだった。今となっては、ユウさんの存在は一時の恋心だと無視できるほど小さなものではなくなってしまった。

「……ただの過ぎ去る想いだと考えていた。それなのに、今ではこの心がユウさんに向くことを止められない……。」

薄暗い空間に響くのは、自分の足音と小さな衣擦れの音だけ。閉め切った窓からは冬の冷気が薄く漂い、革靴の底が床に触れる感触が冷たく硬い。頭を抱えていても答えは出ない。思考が堂々巡りするばかりで、このままでは自分がどうにかなってしまいそうだった。

机の上には、まだ書きかけのハロウィンに関する資料が散らばっていた。その一枚一枚が、我輩が存在意義を信じて進むための手がかりだったはずだ。だが、今それを見ても、胸の中に湧くのは使命感ではなく、どうしようもない焦燥と空虚感だった。

「ああ……。」小さく息を吐き、額に触れた。少しひんやりとした自分の指先が、迷いをさらに際立たせるようだった。

我輩は、少し厚めのコートを手に取り肩に羽織った。ドアノブを握ると、冷たい金属の感触が指先を刺す。その冷たさを握り締めることで、わずかな決意を自分に刻み込むような気分だった。

扉を開けると、廊下の空気が部屋の中に流れ込む。ゲストルームの方から漏れる笑い声が、よりはっきりと耳に届いた。その明るさが、今はどうしようもなく遠いものに感じられる。

我輩はその場に立ち止まった。ほんの少しでも振り返れば、部屋の温もりに戻ってしまいそうになる。だが、それを振り払うように、一歩、また一歩と廊下を進んだ。

階段を下りてオンボロ寮の玄関を出ると、冬の冷たい空気が全身を包み込む。吐く息が白く霞み、頬を撫でる風が鋭く痛い。少し空を見上げると、漆黒の夜空が視界を覆い、散りばめられた星が瞬いていた。

その一つひとつが、遠すぎる光に見えた。手を伸ばしても届かない――それは、ユウさんの笑顔と同じように思えた。

「ユウさんのいない過去の未来でも、自分は使命を果たせるのだろうか……。」

呟いた言葉は夜風に流されていく。答えのない問いが胸の中で堂々巡りし、孤独が一層深まる。ほんの少し前まで、我輩はひとりぼっちではないと思えていた。素敵な皆様と、ユウさんと出会い、ユウさんと過ごす日々が、我輩に温かさと意味を与えてくれた。

だが、そのユウさんがいなくなる未来を想像すると、再び深い孤独に飲み込まれそうになる。

しばらく星を見上げていた我輩は、やがてゆっくりと目を閉じた。そして、小さく深呼吸をした後、心の中で一つの結論を静かに下した。

「我輩ができることはただ一つ。ユウさんが幸せでいられる未来を作ることだ。」

それが、我輩の手で叶えられるものであるならば、どんな形であろうと、そのために全力を尽くす。それが我輩の役割であり、ユウさんとの時間が教えてくれたことだ。

しかし、その決意の裏側に「本当にそれでいいのか？」という問いがまだくすぶっているのも事実だった。

夜空に輝く星は、我輩に何の答えもくれない。けれど、ただ一つだけ胸に残るのは、ユウさんの笑顔を守りたいという想い。それが我輩の中で唯一、揺るぎないものだった。