スカリーくんと監督生のなんでもない一日【完結】
監督生さん、素敵な貴方のお名前は?
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【スカリーくんが監督生にまじないをかけているだけ】
――オンボロ寮の夜は、冬の静寂に包まれていた。外では冷たい風が木々を揺らし、窓越しに見える月が静かに輝いている。そんな中、スカリーはユウが眠る自室の隣の部屋で、魔法の書物と向き合っていた。
机には年代を感じさせる厚い本が開かれ、その文字は異国の古い文字でびっしりと埋め尽くされている。スカリーの手元には、手のひらほどの大きさの木片があり、その表面には慎重に刻まれた細かな文字や紋様が浮かび上がっている。
彼の橙色の瞳は、蝋燭の灯に揺れる影を映しながら、護符に込める魔力に集中していた。細長い指先が微かに震える。彼が扱っているのは、通常の魔術とは一線を画す「守護の祝福」の儀式。ユウの安全を願い、その身に危険が降りかからぬよう魔力を込めた守護の護符だ。
「……これで完成です。」
スカリーはそっと木片を持ち上げ、光に透かしてその紋様を確認する。その視線には達成感と共に、一抹の不安も混じっていた。ユウがナイトレイブンカレッジで日々危険にさらされるのを、彼はいつも心を痛めながら見守ってきた。
「これで、少しでも貴方の負担が減るのなら……。」
彼は微かに微笑みながら護符を握りしめた。しかし、その笑みはどこか影を帯びている。この秘密をユウに伝えるべきかという葛藤が胸の奥で渦巻いていた。けれども、彼は自分に言い聞かせる。
「ユウさんに余計な気を使わせるわけにはいきません。これは、我輩の役目。」
スカリーは決意を固めると、護符を丁寧に両手で持ち、慎重な足取りでユウの自室へ向かった。
ユウの部屋は、寒い夜を和らげるような温かみのある雰囲気で満たされていた。ユウのデスクには開きかけの本が置かれ、毛布が乱れたベッドは今日の疲れを語るように静かに佇んでいる。
スカリーは息を整え、そっと部屋の中へ足を踏み入れる。眠りに落ちているユウの顔は穏やかで、ユウがようやく得た平穏がスカリーの心にじんわりと広がっていく。
「どうか、貴方に危険が及ぶことがありませんように。」
彼は優しく呟き、護符をベッドの下にそっと滑り込ませた。その動作には、崇拝にも似た慎重さと丁寧さが込められていた。
部屋を出る直前、スカリーはふと振り返り、ベッドで眠るユウを見つめた。白い髪が揺れ、彼の深い橙色の瞳が揺れる蝋燭の光を反射して一瞬だけ輝いた。
「……いつも笑顔でいてくださいませ。」
その願いを胸に秘め、スカリーは静かに部屋を後にした。
*
オンボロ寮は、今日もひときわ静かな朝を迎えていた。冷たい冬の空気が窓を通して部屋の中に忍び込む中、ユウはソファに腰を下ろし、グリムと軽い朝食を取っていた。古びた暖炉の弱い熱がユウの足元を暖め、かすかなパンの香りが空気を漂っている。
「オレ様、今日の授業、燃える気がするんだゾ!」
グリムが胸を張って大声を上げる。ユウはその言葉にくすっと笑い、熱々のパンをちぎりながら返した。
「そうだといいけど、くれぐれも他のモノを燃やさないでよね。」
だがその時、グリムの吹いた炎が思わぬ方向に火花を散らした。振り返る間もなく、小さな炎がユウの近くにあった布に燃え移る。「言ってるそばから!」ユウが慌てて立ち上がろうとした瞬間――。
「ばしゃっ!」
突如として、部屋の片隅から現れた水の入ったバケツが勢いよく倒れ、炎を瞬時に消し去った。その代償として、水は見事にユウをびしょ濡れにした。
「……なんでこうなるの!」
ユウは髪から滴り落ちる水を絞りながら叫ぶ。グリムは目を丸くし、後ずさった。
「えっ、オレ様のせいじゃねーんだゾ!?なんでバケツなんか……。」
そのやり取りを物陰から見守っていたスカリーは、困惑の表情を浮かべた。
(……まさか、護符の影響でしょうか……?)
彼は微かに眉を寄せ、周囲の状況を慎重に観察した。護符はユウを危険から守るために働いている――はずだ。しかし、その「守護」の意図が過剰に暴走し、裏目に出ている兆候が見え始めていた。
*
その日の夕方、朝の出来事の余韻を引きずりつつも、ユウはなんとか気を取り直して日課をこなしていた。少し外に出て新鮮な空気を吸おうと、オンボロ寮の扉を開けようとしたその時――。
「あれ? 開かない……。」
ユウはノブを回し、押したり引いたりしてみるが、扉はまるで動かない。眉をひそめ、もう一度力を込めてみるが、結果は同じだった。
「なんでこんなに固く閉まってるの?」
疑問の声を漏らすユウに、近くで尻尾を振っていたグリムが得意げに近づいてきた。
「オレ様が開けてやる! こんなの、ちょちょいのちょいだ!」
自信満々にそう宣言すると、グリムは勢いよくドアノブに飛びかかった。だが次の瞬間――。
「ふなっ!?」
彼は見えない力に弾かれ、床を転がりながらあえなく撃沈。尻尾を振りながら、転がった先で不満げに唸った。
「なんでだなんだゾ……こんなのおかしいだろ!」
「スカリーくん、これって何かおかしくない?」
ユウが戸惑いの表情でスカリーを見上げる。スカリーは静かに目を閉じ、一呼吸置いてから口を開いた。
「ご安心くださいませ、素敵な貴方。我輩が必ず解決いたします。」
その言葉は確信に満ちていたが、その内側には焦燥が渦巻いていた。スカリーの心は既に、状況の原因が護符にあると気づいている。
ユウはスカリーの言葉に僅かに安心したようで、小さく頷いた。しかし、その時ポケットに入れていたスマホを取り出し、画面を確認したユウの眉がひそまる。
「あれ……電源が入らない?」
スマホのボタンを何度押しても反応がなく、ユウは首をかしげる。昨日まで問題なく動いていたものが、突然使えなくなるのは明らかにおかしかった。
「こんなことまで……。どうして?」
ユウの小さな独り言に、スカリーは目を細めた。ユウを守るはずの護符が、ユウの生活にまで支障をきたしている。「何とかして解決しなければ――」
その決意がスカリーの胸をさらに強く燃え上がらせた。その時、不機嫌そうな声が背後から響く。
「オレ様、腹減ったんだゾ!」
グリムが尻尾をぴんと立てながら、大げさに鼻を鳴らして立ち上がった。
「こんな状況でも、お腹が減るのは止められないんだゾ! もういい、オレ様は部屋にこもってツナ缶を頂くからな!」
そう宣言すると、グリムはぷんぷんと怒った様子で足音を立てながら去っていった。その後ろ姿は、小さな体ながらどこか堂々としていて、彼なりの自己主張が感じられる。
ユウはその様子を呆れたように見送り、思わず笑いそうになるのを堪えた。
「……グリムは相変わらず元気だね。」
ユウの小さな声に、スカリーもふっと微笑みを浮かべた。その一瞬の安らぎが、張り詰めた空気を少しだけ和らげる。
だが、スカリーの表情はすぐに引き締まった。
「……ですが、この状況を放置するわけには参りません。我輩が必ず解決いたします。」
ユウはそんな彼の言葉に小さく頷き、そして少しだけ目を伏せた。
*
夜になると、寮の中でさらに奇妙な現象が起こり始めた。ユウが歩くたび、物が自動的に動いたり、風が吹くようにカーテンが揺れるなど、説明のつかない出来事が次々に起きた。ユウが階段を降りる際、急に手すりが揺れるのを見て、スカリーの表情はさらに険しくなった。
そして、さらなる異変が待っていた。スカリーがユウに静かに近づこうとしたその瞬間――。
「っ……!」
スカリーは突然、見えない力によって弾き飛ばされ、背中から床に叩きつけられた。
「スカリーくん!」
ユウは驚きの声を上げ、駆け寄ろうとしたが、スカリーが片手を上げて制止する。
「……大丈夫です。ただの……少々強引な拒絶反応ですので。」
彼の声はいつもの穏やかさを保っていたものの、その背筋は強張り、視線には焦燥感が浮かんでいた。
彼が再びユウに近づこうとすると、またもや見えない力がスカリーを押し返した。今度はより強い力で彼を壁際まで吹き飛ばし、スカリーは背中を大きく叩きつけられた。
「……っ!」
額には微かな汗が滲み、その表情はさらに険しくなっていく。ユウは顔を蒼白にして彼を見つめた。
「スカリーくーん!?全然大丈夫じゃなさそうなんだけど……!?……怪我してない?」
心配そうに尋ねるユウに、スカリーはうっすらと笑みを浮かべてみせたものの、その笑顔はどこかぎこちないものだった。
「いえ、心配には及びません。……少々、不意を突かれただけでございます。」
そう言いながらも、彼の声には僅かな緊張が混じり、微かな震えが感じられる。
「……必ず、解決してみせます。」
スカリーのその言葉は深い静寂の中で響いたが、ユウの胸には不安が残ったままだった。彼の顔には確かに微笑みが浮かんでいたが、その奥に隠された迷いや焦燥がユウにはわかる。彼が何か大きな重荷を背負っているのだと直感するが、それが何なのか、言葉にされないもどかしさがユウの中で膨らんでいた。「いったい何が起きてるの?」
*
ユウは彼をじっと見つめながら、少し踏み込んだ声で言葉を続ける。「ドアが開かなかったり、スカリーくんが壁に弾かれたり。絶対普通じゃないよね。」
スカリーはその言葉を受けて一瞬顔を伏せた。その仕草に、ユウの胸にはさらなる疑念と不安が広がる。ユウは一歩近づき、さらに問いかけた。
「スカリーくん、知ってることがあるなら教えてほしい。……私にも手伝わせて?一緒に解決しよう。」
その言葉に、スカリーは深く心を揺さぶられた。スカリーは静かに目を伏せ、一瞬の間を置いてから自らの失態を告白しようと意を決した。しかし――。
「……っ。」
声が出ない。喉が締め付けられるような感覚が彼を襲い、どんなに努力しても言葉が喉で詰まる。彼は唇を動かすが、一音たりとも発することができなかった。護符の元へと足を踏み出そうにも身体も動かず、見えない力に縛られているかのようだった。
スカリーの心は激しく波打っていた。護符の力が予想を超えて強まっていることに気づいた瞬間、胸がひやりと冷たくなる。「想定外です……!」彼の内なる声が焦りに満ちて響く。
ユウに触れることどころか、近づくことすら許されない見えない壁の存在が、彼を深く追い詰めていた。「なぜ……我輩が危険だと言うのですか!?」胸の奥が締め付けられるように苦しくなり、自己否定と不安が絡み合って渦を巻いていた。
そして、護符のことを話そうとするたび、喉が詰まるような感覚が彼をさらに追い詰めた。言葉が口に出る前に息苦しさが襲い、無理に声を出そうとすればするほど、その圧迫感は増していく。「これでは何も伝えられません……!」
スカリーは拳を軽く握りしめ、冷たい夜風にさらされるような心地で天井を見つめた。自分が最も大切にしたい人に、この状況を何とかして説明しなければならないという責任感と、無力感が彼の中で激しくぶつかり合っていた。「何とかしなければ……絶対に。」彼は深く息を吸い込んだが、その呼吸さえも震えを帯びていた。
ユウはその異様な様子に、驚きと困惑の表情を浮かべた。
「スカリーくん……? 何か言おうとしてるの?」
スカリーは微かに息を吐き、少し俯いた。護符の力で真実を話せないもどかしさに胸が締め付けられる。どうにかして伝えなければならないが、言葉にできない自分を情けなく感じていた。
ユウは少し考え込むようにしてから、ふっと顔を上げる。
「ねえ、ジェスチャーで教えてくれる? やってみようよ。」
その言葉に、スカリーの瞳が驚きに揺れた。次の瞬間、彼は大きく頷いた。
スカリーは両手を使い、何か小さなものを形作るような仕草をした。指先が繊細に動き、想像力をかき立てるようなジェスチャーだった。
「ん? 何か小さいもの……カボチャ?」
ユウは首をかしげながら考えたが、スカリーは静かに首を横に振る。
「あ、違うのね。えっと、木のマネ?それかな?」
ユウがさらに尋ねると、スカリーはゆっくりと頷いた。彼の表情には、少しの安堵が浮かんでいる。
続いて、スカリーは頭上を指し示した。その動きは正確で、まるでユウを誘導するかのようだった。
「上?……天井?上の部屋? スカリーくんの部屋?」
ユウの問いかけに、スカリーは再び首を横に振る。
「違うの? じゃあ……私の部屋?」
そう言った瞬間、スカリーは大きく頷き、喜びを表すかのように手を叩いた。
「私の部屋ね。わかった!」
ユウは少し笑みを浮かべたが、すぐに再び考え始めた。
その次のスカリーの動きは、顔の横に両手を揃えておやすみのポーズだった。
その仕草を見た瞬間、ユウは思わず吹き出した。
「あはは、かわいい……。じゃないね、ごめん、おやすみ?寝る、うん、ベッドかな?」
スカリーは満面の笑みを浮かべ、大きく頷いた。その喜びが伝わり、ユウも自然と微笑んだ。
次にスカリーは地面を覗き込むような仕草をし、床を指し示した。
「床の下……あっ!ベッドの下だね!」
ユウが勢いよく答えると、スカリーは拍手をするように手を合わせ、またもや大きく頷いた。
「わかったー! 私の部屋の、ベッドの下なんだ!そこに何かあるんだね!」
ユウの声が部屋に響き、二人の間に喜びが広がった。スカリーもほっとした表情を浮かべる。
しかしその瞬間、スカリーがユウに近づこうとした途端――彼の身体がばねのように弾かれ、後ろの壁に向かって吹き飛ばされた。
ユウが駆け寄ろうとするが、スカリーは片手を上げて制止した。壁にもたれながら、静かに立ち上がる。
「問題ありません、ユウさん……。」
彼は少し息を整えながら、穏やかな声で言った。その表情には微かな苦笑が浮かんでいる。
「スカリーくんごめーーーん!!!」
ユウは申し訳なさそうに顔を伏せたが、スカリーは首を振った。
「話せることと話せないことがございます。しかし、その正体は、既にユウさんに届きつつあります。」
彼は柔らかい口調で言いながら、手を差し出すように促した。
「さぁ、参りましょう。ユウさんの自室へ。そうです、我輩はユウさんの自室にいるグリムさんに用事があって参るのです!ええ、それ以外には何の目的もございません!断じてございません!」
スカリーは少し早口になりながらも、どこか焦った様子で言葉を続ける。その瞳には、何とか護符の存在を意識から遠ざけようとする努力が垣間見えた。
「……えっと、スカリーくん?」
ユウは慎重に言葉を選びながら問いかけた。「そんなに強調しなくても、別にグリムに用事があるのは普通のことじゃない?」
ユウは少し戸惑いながらも頷き、スカリーと共に廊下を歩き始めた。
*
扉を開けた瞬間、ユウとスカリーの視界に飛び込んできたのは、ベッドの上で丸くなって眠りこけるグリムだった。彼の周囲には無数のツナ缶が転がり、部屋にはわずかに魚の匂いが漂っていた。
「もう、グリム……ベッドで食べないで!またこんなに散らかして!」
ユウが小さく溜息をつきながら彼に歩み寄る。その声にも関わらず、グリムはピクリとも動かず、平和な寝息を立て続けている。
スカリーは一歩部屋に足を踏み入れると、グリムをじっと見つめた。しかし、部屋の中央を越えることはできないようで、彼は立ち止まったまま微動だにしない。
「ユウさん、どうやらこれ以上我輩が近づくことは難しいようです。」
彼の声は穏やかだが、その奥にはどこか悔しさが滲んでいる。
「そっか……。じゃあ、私が調べてみるね。」
ユウはベッドの下に膝をついて覗き込んだ。床に光を反射しているものが目に入り、小さな木片がそこに横たわっているのを見つける。ユウは慎重に手を伸ばし、それを掴もうとした。
その瞬間、木片から突如として放たれた防御魔法が、ユウの手に触れる。
「熱っ!」
ユウは反射的に手を引っ込め、その場で尻もちをつく。目には驚きと痛みが浮かび、ユウの手のひらは赤くなっていた。
「ユウさん!」
スカリーは足を一歩踏み出そうとしたが、またしても見えない壁に阻まれた。彼は力なくその場に立ち尽くしながら、苦悩の表情を浮かべた。
「……ソレが、アレの…コレ…でございます。」
ユウは手を見つめながら、小さく頷いた。
「うん、これが原因なんだね……。でも、これどうやって取り除けばいいの?」
スカリーは静かに目を閉じ、悔恨と焦燥を飲み込むように一息つく。
「我輩がもっと慎重に、そしてもっと簡素な方法を選んでいれば……ユウさんに痛い思いをさせずに済んだものを。」
ユウは彼の言葉に首を横に振り、微笑む。
「何か事情があるってことはわかってるよ。大丈夫。」
その言葉が、スカリーにとってどれだけ救いになったか。彼はその感謝を胸にしまい、次の策を考える。
「ユウさん、グリムさんを起こしていただけますか?」
唐突な提案に、ユウは驚いた顔をした。
「グリムを?どうして?」
スカリーは微笑みを浮かべながら、何かを企むような目をして答えた。
「今の状況を突破するには、彼の協力が必要でございます。」
ユウは少し困惑しつつも、ベッドの上で眠るグリムに近づく。
「グリムー、起きて!ツナ缶がなくなるよ!」
ユウの声に、グリムがゆっくりと目を開けた。
「……うるさいんだゾ……オレ様は眠いんだ……。」
彼はまだ夢の中にいるようなぼんやりした声で返事をし、再び寝返りを打った。
「ほら、グリム!」
ユウが少し強く揺さぶると、ようやく彼は不満げに目を開けた。
「なんだぁ……。」
スカリーは軽く咳払いをし、冷静な声で指示を出した。
「グリムさんをベッドの横へ。そうです、そこがちょうどいい位置です。」
ユウはグリムを抱きかかえようとするが、彼の体重に苦戦している。
「グリム、重いんだから……協力して!」
ユウが少し息を切らせながら言うと、グリムはむっとしたような表情を浮かべた。
「オレ様は軽いんだゾ!」
スカリーは二人を見守りながら、静かに微笑む。
「さて、ユウさん。これから3秒数えます。『0』のタイミングでグリムさんを素早く持ち上げてください。」
ユウは眉を上げながら聞き返した。
「え、何それ……?無理かも。」
スカリーは指をかざし、目を輝かせて言った。
「準備をお願いいたします。これから”ランタンに火を灯しますので”」
「3……2……1……」
スカリーのカウントが響き渡ると同時に、彼が低い声で唱えた。
「ランタンに火を灯せ。『10月31日 』!」
ユウとグリムが驚きの声を上げる間もなく、スカリーのユニーク魔法が放たれた。その瞬間、青白い光が部屋を満たし、グリムに一直線に向かっていく。
グリムは叫び声を上げながら飛びのき、ユウが慌てて彼を抱きかかえる。
魔法がグリムの背後の護符に命中すると、護符は一瞬輝きを放ち、次の瞬間にはゆっくりと姿を変えていった。その形がやがて整い、床にはジャック・オ・ランタンが転がっていた。
ユウはその変化を見て息を呑み、スカリーは満足げに頷いた。
*
「スカリーくん! これって、君が置いたの?」
ジャック・オ・ランタンと化した木片を手に、問い詰めるようなユウの声。スカリーは一瞬息を呑んだ。その瞳が迷いを映し出し、わずかに伏せられる。
「……はい。」
スカリーの声は低く、どこか震えていた。彼は少しの間を置き、深く息を吐きながら続けた。
「貴方を守るために……我輩が設置しました。しかし、こうなるとは思いもせず……本当に申し訳ありません。」
その言葉には、彼の深い後悔と自責の念が込められていた。普段の堂々とした佇まいは影を潜め、彼の肩は小さく落ち込んでいる。
「本来なら、我輩が全てを解決すべき問題でした。しかし……貴方を巻き込むことになり、申し訳ありません。」
彼の声は苦しげで、護符の影響で思うように動けなかった自分を責めているのが見て取れた。
ユウはその様子に一瞬だけ驚いた表情を見せたが、すぐにしっかりと頷いた。そして、ユウは優しく微笑みながら彼に言葉を返した。
「スカリーくんが私を守ろうとして……?ありがとう。」
その言葉に、スカリーの目がわずかに見開かれる。ユウの優しさが、言葉以上の暖かさとなって彼の胸に響いていた。
「……ユウさん。」
スカリーは深く頭を下げると、改めてユウの瞳をまっすぐに見つめた。
「我輩の愚かな行動が、貴方を危険にさらしました。それでも我輩を許してくださるのですか?」
ユウはそんな彼の問いに驚きつつも、小さく笑いながら彼の手をそっと取った。その指先からは、安心させるような優しい温かさが伝わる。
「許すも何も、スカリーくんは私のことを思ってやってくれたんだよね。それだけで十分だよ。」
その言葉に、スカリーは一瞬驚いたように瞳を揺らした。しかし、次第にその顔には穏やかな笑みが浮かび、彼の肩の力がふっと抜けた。
「……貴方の事を守りたいと強く願う余り、少々魔力を込めすぎてしまったようです。」
スカリーは少し照れたように苦笑しながら言った。
ジャック・オ・ランタンとなった護符を手に持ったスカリーは、慎重にそれを包み込んだ。その動作には、再び同じ過ちを繰り返さないという決意が込められている。
護符の浄化が完了すると、オンボロ寮の空気は穏やかなものに変わった。部屋に漂っていた緊張感は消え去り、心地よい静寂が戻ってきた。
ユウはそんな彼の姿を見守りながら、小さく微笑んだ。
「スカリーくん、改めてありがとうね。こうして問題が解決して、私もほっとしたよ。」
スカリーはユウの言葉に深く頷き、静かに答えた。
「ユウさんの温かい言葉が、我輩の心を救ってくださいました。これからも、我輩は貴方を傍でお守りいたします。」
その言葉は、彼の決意と感謝を込めたものだった。ユウは彼の言葉を胸に刻むようにしっかりと頷き、再び笑みを浮かべた。
*
冬の冷たい空気がカーテンの隙間から微かに入り込み、部屋の中をほんのりと冷やしていたが、スカリーの手当ての所作には暖かさがあった。
「痛みますか?」
スカリーがユウの手にそっと触れる。その指先は慎重そのもので、まるで壊れやすい陶器を扱うような繊細さだった。触れる感覚は冷たくも穏やかで、熱を帯びた火傷の部分に心地よく伝わる。
ユウはスカリーの動きをじっと見つめていた。その慎重な手つきに、ユウは安心感を覚えると同時に、彼の深い思いやりを感じ取っていた。塗り薬の清涼な香りが鼻先をかすめ、肌に触れる軟膏のひんやりとした感触が火傷の熱を和らげていく。
「もう大丈夫だよ、スカリーくん。手当てありがとう。」
ユウはそう言って小さく笑った。その笑顔には、彼の配慮への感謝と、申し訳なさを払拭したいという優しさが滲んでいた。
スカリーはユウの笑顔を一瞬だけ見つめ、わずかに表情を緩めたが、すぐに真剣な面持ちに戻った。
「感謝される資格など我輩にはございません……。むしろ、これほどまでに貴方に負担をかけたことを悔いております。」
彼の声は低く、胸の奥から湧き出る悔恨がそのまま言葉に表れている。ユウは、彼が自分を責めるたびに、その誠実さに胸が締めつけられるような思いをした。
「ねえ、スカリーくん。」
ユウはそっと彼の手を取り、包み込むように自分の手を重ねた。
「もう自分を責めないで。君が私のことを守ろうとしてくれたこと、ちゃんとわかってるから。」
スカリーは驚いたように目を瞬き、ユウの言葉を受け止めるように口を閉じた。そして再び、微かに口元を緩め、静かに頷いた。
「……そのように言っていただけるとは……感謝の念に堪えません。」
月明かりが窓辺から差し込み、彼の白い髪に柔らかな輝きを与える。その姿に、ユウは思わず目を奪われた。スカリーの深い瞳には、まだわずかな自責の念が残っていたが、それ以上にユウへの感謝と決意が光っていた。
「以後、呪術の扱いについては、さらに細心の注意を払います。……どうかご安心を。」
その言葉に、ユウは思わず吹き出しそうになる。彼の反省しているようでしていないような口調に、どこか愛嬌を感じずにはいられなかった。
「もう、スカリーくん!」
ユウは軽く肩をすくめながら笑顔を浮かべた。
「次は、何かする前にちゃんと相談してね?」
その声には、ユウらしい優しさと少しのからかいが混じっていた。スカリーはユウを見つめ、静かに頷く。その瞳には、これまでと変わらぬ決意と深い敬愛が宿っていた――ユウを守る力を、今度こそ正しい形で使うために。
「かしこまりました。我輩は、次こそ万全を期して行動する所存です。」
彼は少し誇らしげに胸を張り、穏やかな微笑みを浮かべる。その様子に、ユウはまた笑みを深めた。
その静かな時間を破るように、部屋の隅から不機嫌そうな声が響く。
「オイ、オレ様を忘れるんじゃねぇ!」
二人が振り返ると、グリムがこちらを睨んでいた。尻尾がゆっくりと揺れ、彼の不満を表している。
「オレ様だって巻き込まれたんだからな!お詫びに高級ツナ缶をよこせ!」
グリムのその言葉に、スカリーとユウは思わず顔を見合わせる。
「……グリムさん、それは交渉としておかしいのでは……?」
スカリーが少し戸惑いながらも真面目に返すと、ユウは笑いを堪えきれなくなった。
「スカリーくん、そこは流してあげていいんだよ!」
ユウは笑いながら肩をすくめ、グリムの方に向き直った。
「わかったよ、グリム。後でツナ缶をあげるから、スカリーくんを許してあげて、ね?」
「仕方ねぇなぁ~。」
グリムは不満そうに鼻を鳴らしたが、毛布に潜り直して再び丸くなった。
「スカリーくんが私を守ろうとしてくれたことは、すごく嬉しかったよ。でも、これからは一緒に考えようね。」
ユウは優しい笑顔で言葉を続けた。
「スカリーくんは一人で抱え込むタイプだから、これからは相談することを忘れないでね。」
その言葉にスカリーは微かに目を見開き、次第に柔らかな笑みを浮かべた。
「……心得ました。我輩の全てを、貴方と分かち合いましょう。」
二人の間には、月明かりとともに温かな信頼が漂っていた。事件は終わり、二人の間には新たな絆が生まれた。その絆は、どんな困難も共に乗り越えるための力となるだろう。
静かな夜の中、二人の笑い声が優しく響き、オンボロ寮の平和(?)な一夜は更けていくのだった。
――オンボロ寮の夜は、冬の静寂に包まれていた。外では冷たい風が木々を揺らし、窓越しに見える月が静かに輝いている。そんな中、スカリーはユウが眠る自室の隣の部屋で、魔法の書物と向き合っていた。
机には年代を感じさせる厚い本が開かれ、その文字は異国の古い文字でびっしりと埋め尽くされている。スカリーの手元には、手のひらほどの大きさの木片があり、その表面には慎重に刻まれた細かな文字や紋様が浮かび上がっている。
彼の橙色の瞳は、蝋燭の灯に揺れる影を映しながら、護符に込める魔力に集中していた。細長い指先が微かに震える。彼が扱っているのは、通常の魔術とは一線を画す「守護の祝福」の儀式。ユウの安全を願い、その身に危険が降りかからぬよう魔力を込めた守護の護符だ。
「……これで完成です。」
スカリーはそっと木片を持ち上げ、光に透かしてその紋様を確認する。その視線には達成感と共に、一抹の不安も混じっていた。ユウがナイトレイブンカレッジで日々危険にさらされるのを、彼はいつも心を痛めながら見守ってきた。
「これで、少しでも貴方の負担が減るのなら……。」
彼は微かに微笑みながら護符を握りしめた。しかし、その笑みはどこか影を帯びている。この秘密をユウに伝えるべきかという葛藤が胸の奥で渦巻いていた。けれども、彼は自分に言い聞かせる。
「ユウさんに余計な気を使わせるわけにはいきません。これは、我輩の役目。」
スカリーは決意を固めると、護符を丁寧に両手で持ち、慎重な足取りでユウの自室へ向かった。
ユウの部屋は、寒い夜を和らげるような温かみのある雰囲気で満たされていた。ユウのデスクには開きかけの本が置かれ、毛布が乱れたベッドは今日の疲れを語るように静かに佇んでいる。
スカリーは息を整え、そっと部屋の中へ足を踏み入れる。眠りに落ちているユウの顔は穏やかで、ユウがようやく得た平穏がスカリーの心にじんわりと広がっていく。
「どうか、貴方に危険が及ぶことがありませんように。」
彼は優しく呟き、護符をベッドの下にそっと滑り込ませた。その動作には、崇拝にも似た慎重さと丁寧さが込められていた。
部屋を出る直前、スカリーはふと振り返り、ベッドで眠るユウを見つめた。白い髪が揺れ、彼の深い橙色の瞳が揺れる蝋燭の光を反射して一瞬だけ輝いた。
「……いつも笑顔でいてくださいませ。」
その願いを胸に秘め、スカリーは静かに部屋を後にした。
*
オンボロ寮は、今日もひときわ静かな朝を迎えていた。冷たい冬の空気が窓を通して部屋の中に忍び込む中、ユウはソファに腰を下ろし、グリムと軽い朝食を取っていた。古びた暖炉の弱い熱がユウの足元を暖め、かすかなパンの香りが空気を漂っている。
「オレ様、今日の授業、燃える気がするんだゾ!」
グリムが胸を張って大声を上げる。ユウはその言葉にくすっと笑い、熱々のパンをちぎりながら返した。
「そうだといいけど、くれぐれも他のモノを燃やさないでよね。」
だがその時、グリムの吹いた炎が思わぬ方向に火花を散らした。振り返る間もなく、小さな炎がユウの近くにあった布に燃え移る。「言ってるそばから!」ユウが慌てて立ち上がろうとした瞬間――。
「ばしゃっ!」
突如として、部屋の片隅から現れた水の入ったバケツが勢いよく倒れ、炎を瞬時に消し去った。その代償として、水は見事にユウをびしょ濡れにした。
「……なんでこうなるの!」
ユウは髪から滴り落ちる水を絞りながら叫ぶ。グリムは目を丸くし、後ずさった。
「えっ、オレ様のせいじゃねーんだゾ!?なんでバケツなんか……。」
そのやり取りを物陰から見守っていたスカリーは、困惑の表情を浮かべた。
(……まさか、護符の影響でしょうか……?)
彼は微かに眉を寄せ、周囲の状況を慎重に観察した。護符はユウを危険から守るために働いている――はずだ。しかし、その「守護」の意図が過剰に暴走し、裏目に出ている兆候が見え始めていた。
*
その日の夕方、朝の出来事の余韻を引きずりつつも、ユウはなんとか気を取り直して日課をこなしていた。少し外に出て新鮮な空気を吸おうと、オンボロ寮の扉を開けようとしたその時――。
「あれ? 開かない……。」
ユウはノブを回し、押したり引いたりしてみるが、扉はまるで動かない。眉をひそめ、もう一度力を込めてみるが、結果は同じだった。
「なんでこんなに固く閉まってるの?」
疑問の声を漏らすユウに、近くで尻尾を振っていたグリムが得意げに近づいてきた。
「オレ様が開けてやる! こんなの、ちょちょいのちょいだ!」
自信満々にそう宣言すると、グリムは勢いよくドアノブに飛びかかった。だが次の瞬間――。
「ふなっ!?」
彼は見えない力に弾かれ、床を転がりながらあえなく撃沈。尻尾を振りながら、転がった先で不満げに唸った。
「なんでだなんだゾ……こんなのおかしいだろ!」
「スカリーくん、これって何かおかしくない?」
ユウが戸惑いの表情でスカリーを見上げる。スカリーは静かに目を閉じ、一呼吸置いてから口を開いた。
「ご安心くださいませ、素敵な貴方。我輩が必ず解決いたします。」
その言葉は確信に満ちていたが、その内側には焦燥が渦巻いていた。スカリーの心は既に、状況の原因が護符にあると気づいている。
ユウはスカリーの言葉に僅かに安心したようで、小さく頷いた。しかし、その時ポケットに入れていたスマホを取り出し、画面を確認したユウの眉がひそまる。
「あれ……電源が入らない?」
スマホのボタンを何度押しても反応がなく、ユウは首をかしげる。昨日まで問題なく動いていたものが、突然使えなくなるのは明らかにおかしかった。
「こんなことまで……。どうして?」
ユウの小さな独り言に、スカリーは目を細めた。ユウを守るはずの護符が、ユウの生活にまで支障をきたしている。「何とかして解決しなければ――」
その決意がスカリーの胸をさらに強く燃え上がらせた。その時、不機嫌そうな声が背後から響く。
「オレ様、腹減ったんだゾ!」
グリムが尻尾をぴんと立てながら、大げさに鼻を鳴らして立ち上がった。
「こんな状況でも、お腹が減るのは止められないんだゾ! もういい、オレ様は部屋にこもってツナ缶を頂くからな!」
そう宣言すると、グリムはぷんぷんと怒った様子で足音を立てながら去っていった。その後ろ姿は、小さな体ながらどこか堂々としていて、彼なりの自己主張が感じられる。
ユウはその様子を呆れたように見送り、思わず笑いそうになるのを堪えた。
「……グリムは相変わらず元気だね。」
ユウの小さな声に、スカリーもふっと微笑みを浮かべた。その一瞬の安らぎが、張り詰めた空気を少しだけ和らげる。
だが、スカリーの表情はすぐに引き締まった。
「……ですが、この状況を放置するわけには参りません。我輩が必ず解決いたします。」
ユウはそんな彼の言葉に小さく頷き、そして少しだけ目を伏せた。
*
夜になると、寮の中でさらに奇妙な現象が起こり始めた。ユウが歩くたび、物が自動的に動いたり、風が吹くようにカーテンが揺れるなど、説明のつかない出来事が次々に起きた。ユウが階段を降りる際、急に手すりが揺れるのを見て、スカリーの表情はさらに険しくなった。
そして、さらなる異変が待っていた。スカリーがユウに静かに近づこうとしたその瞬間――。
「っ……!」
スカリーは突然、見えない力によって弾き飛ばされ、背中から床に叩きつけられた。
「スカリーくん!」
ユウは驚きの声を上げ、駆け寄ろうとしたが、スカリーが片手を上げて制止する。
「……大丈夫です。ただの……少々強引な拒絶反応ですので。」
彼の声はいつもの穏やかさを保っていたものの、その背筋は強張り、視線には焦燥感が浮かんでいた。
彼が再びユウに近づこうとすると、またもや見えない力がスカリーを押し返した。今度はより強い力で彼を壁際まで吹き飛ばし、スカリーは背中を大きく叩きつけられた。
「……っ!」
額には微かな汗が滲み、その表情はさらに険しくなっていく。ユウは顔を蒼白にして彼を見つめた。
「スカリーくーん!?全然大丈夫じゃなさそうなんだけど……!?……怪我してない?」
心配そうに尋ねるユウに、スカリーはうっすらと笑みを浮かべてみせたものの、その笑顔はどこかぎこちないものだった。
「いえ、心配には及びません。……少々、不意を突かれただけでございます。」
そう言いながらも、彼の声には僅かな緊張が混じり、微かな震えが感じられる。
「……必ず、解決してみせます。」
スカリーのその言葉は深い静寂の中で響いたが、ユウの胸には不安が残ったままだった。彼の顔には確かに微笑みが浮かんでいたが、その奥に隠された迷いや焦燥がユウにはわかる。彼が何か大きな重荷を背負っているのだと直感するが、それが何なのか、言葉にされないもどかしさがユウの中で膨らんでいた。「いったい何が起きてるの?」
*
ユウは彼をじっと見つめながら、少し踏み込んだ声で言葉を続ける。「ドアが開かなかったり、スカリーくんが壁に弾かれたり。絶対普通じゃないよね。」
スカリーはその言葉を受けて一瞬顔を伏せた。その仕草に、ユウの胸にはさらなる疑念と不安が広がる。ユウは一歩近づき、さらに問いかけた。
「スカリーくん、知ってることがあるなら教えてほしい。……私にも手伝わせて?一緒に解決しよう。」
その言葉に、スカリーは深く心を揺さぶられた。スカリーは静かに目を伏せ、一瞬の間を置いてから自らの失態を告白しようと意を決した。しかし――。
「……っ。」
声が出ない。喉が締め付けられるような感覚が彼を襲い、どんなに努力しても言葉が喉で詰まる。彼は唇を動かすが、一音たりとも発することができなかった。護符の元へと足を踏み出そうにも身体も動かず、見えない力に縛られているかのようだった。
スカリーの心は激しく波打っていた。護符の力が予想を超えて強まっていることに気づいた瞬間、胸がひやりと冷たくなる。「想定外です……!」彼の内なる声が焦りに満ちて響く。
ユウに触れることどころか、近づくことすら許されない見えない壁の存在が、彼を深く追い詰めていた。「なぜ……我輩が危険だと言うのですか!?」胸の奥が締め付けられるように苦しくなり、自己否定と不安が絡み合って渦を巻いていた。
そして、護符のことを話そうとするたび、喉が詰まるような感覚が彼をさらに追い詰めた。言葉が口に出る前に息苦しさが襲い、無理に声を出そうとすればするほど、その圧迫感は増していく。「これでは何も伝えられません……!」
スカリーは拳を軽く握りしめ、冷たい夜風にさらされるような心地で天井を見つめた。自分が最も大切にしたい人に、この状況を何とかして説明しなければならないという責任感と、無力感が彼の中で激しくぶつかり合っていた。「何とかしなければ……絶対に。」彼は深く息を吸い込んだが、その呼吸さえも震えを帯びていた。
ユウはその異様な様子に、驚きと困惑の表情を浮かべた。
「スカリーくん……? 何か言おうとしてるの?」
スカリーは微かに息を吐き、少し俯いた。護符の力で真実を話せないもどかしさに胸が締め付けられる。どうにかして伝えなければならないが、言葉にできない自分を情けなく感じていた。
ユウは少し考え込むようにしてから、ふっと顔を上げる。
「ねえ、ジェスチャーで教えてくれる? やってみようよ。」
その言葉に、スカリーの瞳が驚きに揺れた。次の瞬間、彼は大きく頷いた。
スカリーは両手を使い、何か小さなものを形作るような仕草をした。指先が繊細に動き、想像力をかき立てるようなジェスチャーだった。
「ん? 何か小さいもの……カボチャ?」
ユウは首をかしげながら考えたが、スカリーは静かに首を横に振る。
「あ、違うのね。えっと、木のマネ?それかな?」
ユウがさらに尋ねると、スカリーはゆっくりと頷いた。彼の表情には、少しの安堵が浮かんでいる。
続いて、スカリーは頭上を指し示した。その動きは正確で、まるでユウを誘導するかのようだった。
「上?……天井?上の部屋? スカリーくんの部屋?」
ユウの問いかけに、スカリーは再び首を横に振る。
「違うの? じゃあ……私の部屋?」
そう言った瞬間、スカリーは大きく頷き、喜びを表すかのように手を叩いた。
「私の部屋ね。わかった!」
ユウは少し笑みを浮かべたが、すぐに再び考え始めた。
その次のスカリーの動きは、顔の横に両手を揃えておやすみのポーズだった。
その仕草を見た瞬間、ユウは思わず吹き出した。
「あはは、かわいい……。じゃないね、ごめん、おやすみ?寝る、うん、ベッドかな?」
スカリーは満面の笑みを浮かべ、大きく頷いた。その喜びが伝わり、ユウも自然と微笑んだ。
次にスカリーは地面を覗き込むような仕草をし、床を指し示した。
「床の下……あっ!ベッドの下だね!」
ユウが勢いよく答えると、スカリーは拍手をするように手を合わせ、またもや大きく頷いた。
「わかったー! 私の部屋の、ベッドの下なんだ!そこに何かあるんだね!」
ユウの声が部屋に響き、二人の間に喜びが広がった。スカリーもほっとした表情を浮かべる。
しかしその瞬間、スカリーがユウに近づこうとした途端――彼の身体がばねのように弾かれ、後ろの壁に向かって吹き飛ばされた。
ユウが駆け寄ろうとするが、スカリーは片手を上げて制止した。壁にもたれながら、静かに立ち上がる。
「問題ありません、ユウさん……。」
彼は少し息を整えながら、穏やかな声で言った。その表情には微かな苦笑が浮かんでいる。
「スカリーくんごめーーーん!!!」
ユウは申し訳なさそうに顔を伏せたが、スカリーは首を振った。
「話せることと話せないことがございます。しかし、その正体は、既にユウさんに届きつつあります。」
彼は柔らかい口調で言いながら、手を差し出すように促した。
「さぁ、参りましょう。ユウさんの自室へ。そうです、我輩はユウさんの自室にいるグリムさんに用事があって参るのです!ええ、それ以外には何の目的もございません!断じてございません!」
スカリーは少し早口になりながらも、どこか焦った様子で言葉を続ける。その瞳には、何とか護符の存在を意識から遠ざけようとする努力が垣間見えた。
「……えっと、スカリーくん?」
ユウは慎重に言葉を選びながら問いかけた。「そんなに強調しなくても、別にグリムに用事があるのは普通のことじゃない?」
ユウは少し戸惑いながらも頷き、スカリーと共に廊下を歩き始めた。
*
扉を開けた瞬間、ユウとスカリーの視界に飛び込んできたのは、ベッドの上で丸くなって眠りこけるグリムだった。彼の周囲には無数のツナ缶が転がり、部屋にはわずかに魚の匂いが漂っていた。
「もう、グリム……ベッドで食べないで!またこんなに散らかして!」
ユウが小さく溜息をつきながら彼に歩み寄る。その声にも関わらず、グリムはピクリとも動かず、平和な寝息を立て続けている。
スカリーは一歩部屋に足を踏み入れると、グリムをじっと見つめた。しかし、部屋の中央を越えることはできないようで、彼は立ち止まったまま微動だにしない。
「ユウさん、どうやらこれ以上我輩が近づくことは難しいようです。」
彼の声は穏やかだが、その奥にはどこか悔しさが滲んでいる。
「そっか……。じゃあ、私が調べてみるね。」
ユウはベッドの下に膝をついて覗き込んだ。床に光を反射しているものが目に入り、小さな木片がそこに横たわっているのを見つける。ユウは慎重に手を伸ばし、それを掴もうとした。
その瞬間、木片から突如として放たれた防御魔法が、ユウの手に触れる。
「熱っ!」
ユウは反射的に手を引っ込め、その場で尻もちをつく。目には驚きと痛みが浮かび、ユウの手のひらは赤くなっていた。
「ユウさん!」
スカリーは足を一歩踏み出そうとしたが、またしても見えない壁に阻まれた。彼は力なくその場に立ち尽くしながら、苦悩の表情を浮かべた。
「……ソレが、アレの…コレ…でございます。」
ユウは手を見つめながら、小さく頷いた。
「うん、これが原因なんだね……。でも、これどうやって取り除けばいいの?」
スカリーは静かに目を閉じ、悔恨と焦燥を飲み込むように一息つく。
「我輩がもっと慎重に、そしてもっと簡素な方法を選んでいれば……ユウさんに痛い思いをさせずに済んだものを。」
ユウは彼の言葉に首を横に振り、微笑む。
「何か事情があるってことはわかってるよ。大丈夫。」
その言葉が、スカリーにとってどれだけ救いになったか。彼はその感謝を胸にしまい、次の策を考える。
「ユウさん、グリムさんを起こしていただけますか?」
唐突な提案に、ユウは驚いた顔をした。
「グリムを?どうして?」
スカリーは微笑みを浮かべながら、何かを企むような目をして答えた。
「今の状況を突破するには、彼の協力が必要でございます。」
ユウは少し困惑しつつも、ベッドの上で眠るグリムに近づく。
「グリムー、起きて!ツナ缶がなくなるよ!」
ユウの声に、グリムがゆっくりと目を開けた。
「……うるさいんだゾ……オレ様は眠いんだ……。」
彼はまだ夢の中にいるようなぼんやりした声で返事をし、再び寝返りを打った。
「ほら、グリム!」
ユウが少し強く揺さぶると、ようやく彼は不満げに目を開けた。
「なんだぁ……。」
スカリーは軽く咳払いをし、冷静な声で指示を出した。
「グリムさんをベッドの横へ。そうです、そこがちょうどいい位置です。」
ユウはグリムを抱きかかえようとするが、彼の体重に苦戦している。
「グリム、重いんだから……協力して!」
ユウが少し息を切らせながら言うと、グリムはむっとしたような表情を浮かべた。
「オレ様は軽いんだゾ!」
スカリーは二人を見守りながら、静かに微笑む。
「さて、ユウさん。これから3秒数えます。『0』のタイミングでグリムさんを素早く持ち上げてください。」
ユウは眉を上げながら聞き返した。
「え、何それ……?無理かも。」
スカリーは指をかざし、目を輝かせて言った。
「準備をお願いいたします。これから”ランタンに火を灯しますので”」
「3……2……1……」
スカリーのカウントが響き渡ると同時に、彼が低い声で唱えた。
「ランタンに火を灯せ。『
ユウとグリムが驚きの声を上げる間もなく、スカリーのユニーク魔法が放たれた。その瞬間、青白い光が部屋を満たし、グリムに一直線に向かっていく。
グリムは叫び声を上げながら飛びのき、ユウが慌てて彼を抱きかかえる。
魔法がグリムの背後の護符に命中すると、護符は一瞬輝きを放ち、次の瞬間にはゆっくりと姿を変えていった。その形がやがて整い、床にはジャック・オ・ランタンが転がっていた。
ユウはその変化を見て息を呑み、スカリーは満足げに頷いた。
*
「スカリーくん! これって、君が置いたの?」
ジャック・オ・ランタンと化した木片を手に、問い詰めるようなユウの声。スカリーは一瞬息を呑んだ。その瞳が迷いを映し出し、わずかに伏せられる。
「……はい。」
スカリーの声は低く、どこか震えていた。彼は少しの間を置き、深く息を吐きながら続けた。
「貴方を守るために……我輩が設置しました。しかし、こうなるとは思いもせず……本当に申し訳ありません。」
その言葉には、彼の深い後悔と自責の念が込められていた。普段の堂々とした佇まいは影を潜め、彼の肩は小さく落ち込んでいる。
「本来なら、我輩が全てを解決すべき問題でした。しかし……貴方を巻き込むことになり、申し訳ありません。」
彼の声は苦しげで、護符の影響で思うように動けなかった自分を責めているのが見て取れた。
ユウはその様子に一瞬だけ驚いた表情を見せたが、すぐにしっかりと頷いた。そして、ユウは優しく微笑みながら彼に言葉を返した。
「スカリーくんが私を守ろうとして……?ありがとう。」
その言葉に、スカリーの目がわずかに見開かれる。ユウの優しさが、言葉以上の暖かさとなって彼の胸に響いていた。
「……ユウさん。」
スカリーは深く頭を下げると、改めてユウの瞳をまっすぐに見つめた。
「我輩の愚かな行動が、貴方を危険にさらしました。それでも我輩を許してくださるのですか?」
ユウはそんな彼の問いに驚きつつも、小さく笑いながら彼の手をそっと取った。その指先からは、安心させるような優しい温かさが伝わる。
「許すも何も、スカリーくんは私のことを思ってやってくれたんだよね。それだけで十分だよ。」
その言葉に、スカリーは一瞬驚いたように瞳を揺らした。しかし、次第にその顔には穏やかな笑みが浮かび、彼の肩の力がふっと抜けた。
「……貴方の事を守りたいと強く願う余り、少々魔力を込めすぎてしまったようです。」
スカリーは少し照れたように苦笑しながら言った。
ジャック・オ・ランタンとなった護符を手に持ったスカリーは、慎重にそれを包み込んだ。その動作には、再び同じ過ちを繰り返さないという決意が込められている。
護符の浄化が完了すると、オンボロ寮の空気は穏やかなものに変わった。部屋に漂っていた緊張感は消え去り、心地よい静寂が戻ってきた。
ユウはそんな彼の姿を見守りながら、小さく微笑んだ。
「スカリーくん、改めてありがとうね。こうして問題が解決して、私もほっとしたよ。」
スカリーはユウの言葉に深く頷き、静かに答えた。
「ユウさんの温かい言葉が、我輩の心を救ってくださいました。これからも、我輩は貴方を傍でお守りいたします。」
その言葉は、彼の決意と感謝を込めたものだった。ユウは彼の言葉を胸に刻むようにしっかりと頷き、再び笑みを浮かべた。
*
冬の冷たい空気がカーテンの隙間から微かに入り込み、部屋の中をほんのりと冷やしていたが、スカリーの手当ての所作には暖かさがあった。
「痛みますか?」
スカリーがユウの手にそっと触れる。その指先は慎重そのもので、まるで壊れやすい陶器を扱うような繊細さだった。触れる感覚は冷たくも穏やかで、熱を帯びた火傷の部分に心地よく伝わる。
ユウはスカリーの動きをじっと見つめていた。その慎重な手つきに、ユウは安心感を覚えると同時に、彼の深い思いやりを感じ取っていた。塗り薬の清涼な香りが鼻先をかすめ、肌に触れる軟膏のひんやりとした感触が火傷の熱を和らげていく。
「もう大丈夫だよ、スカリーくん。手当てありがとう。」
ユウはそう言って小さく笑った。その笑顔には、彼の配慮への感謝と、申し訳なさを払拭したいという優しさが滲んでいた。
スカリーはユウの笑顔を一瞬だけ見つめ、わずかに表情を緩めたが、すぐに真剣な面持ちに戻った。
「感謝される資格など我輩にはございません……。むしろ、これほどまでに貴方に負担をかけたことを悔いております。」
彼の声は低く、胸の奥から湧き出る悔恨がそのまま言葉に表れている。ユウは、彼が自分を責めるたびに、その誠実さに胸が締めつけられるような思いをした。
「ねえ、スカリーくん。」
ユウはそっと彼の手を取り、包み込むように自分の手を重ねた。
「もう自分を責めないで。君が私のことを守ろうとしてくれたこと、ちゃんとわかってるから。」
スカリーは驚いたように目を瞬き、ユウの言葉を受け止めるように口を閉じた。そして再び、微かに口元を緩め、静かに頷いた。
「……そのように言っていただけるとは……感謝の念に堪えません。」
月明かりが窓辺から差し込み、彼の白い髪に柔らかな輝きを与える。その姿に、ユウは思わず目を奪われた。スカリーの深い瞳には、まだわずかな自責の念が残っていたが、それ以上にユウへの感謝と決意が光っていた。
「以後、呪術の扱いについては、さらに細心の注意を払います。……どうかご安心を。」
その言葉に、ユウは思わず吹き出しそうになる。彼の反省しているようでしていないような口調に、どこか愛嬌を感じずにはいられなかった。
「もう、スカリーくん!」
ユウは軽く肩をすくめながら笑顔を浮かべた。
「次は、何かする前にちゃんと相談してね?」
その声には、ユウらしい優しさと少しのからかいが混じっていた。スカリーはユウを見つめ、静かに頷く。その瞳には、これまでと変わらぬ決意と深い敬愛が宿っていた――ユウを守る力を、今度こそ正しい形で使うために。
「かしこまりました。我輩は、次こそ万全を期して行動する所存です。」
彼は少し誇らしげに胸を張り、穏やかな微笑みを浮かべる。その様子に、ユウはまた笑みを深めた。
その静かな時間を破るように、部屋の隅から不機嫌そうな声が響く。
「オイ、オレ様を忘れるんじゃねぇ!」
二人が振り返ると、グリムがこちらを睨んでいた。尻尾がゆっくりと揺れ、彼の不満を表している。
「オレ様だって巻き込まれたんだからな!お詫びに高級ツナ缶をよこせ!」
グリムのその言葉に、スカリーとユウは思わず顔を見合わせる。
「……グリムさん、それは交渉としておかしいのでは……?」
スカリーが少し戸惑いながらも真面目に返すと、ユウは笑いを堪えきれなくなった。
「スカリーくん、そこは流してあげていいんだよ!」
ユウは笑いながら肩をすくめ、グリムの方に向き直った。
「わかったよ、グリム。後でツナ缶をあげるから、スカリーくんを許してあげて、ね?」
「仕方ねぇなぁ~。」
グリムは不満そうに鼻を鳴らしたが、毛布に潜り直して再び丸くなった。
「スカリーくんが私を守ろうとしてくれたことは、すごく嬉しかったよ。でも、これからは一緒に考えようね。」
ユウは優しい笑顔で言葉を続けた。
「スカリーくんは一人で抱え込むタイプだから、これからは相談することを忘れないでね。」
その言葉にスカリーは微かに目を見開き、次第に柔らかな笑みを浮かべた。
「……心得ました。我輩の全てを、貴方と分かち合いましょう。」
二人の間には、月明かりとともに温かな信頼が漂っていた。事件は終わり、二人の間には新たな絆が生まれた。その絆は、どんな困難も共に乗り越えるための力となるだろう。
静かな夜の中、二人の笑い声が優しく響き、オンボロ寮の平和(?)な一夜は更けていくのだった。