【スカリーくんと監督生が箒に乗っているだけ】

グラウンドには笑い声と歓声が響き渡っていた。ある晴れた日の体力育成の授業、学生たちは箒を巧みに操り、青空を縦横無尽に飛び回っている。その光景はまるで色とりどりの鳥が自由に舞うようで、鮮やかな風景を描き出していた。

その一方で、ユウは地上にいた。魔力を持たないユウにとって、箒で飛ぶ練習は不可能だ。ユウは黙々とランニングや軽い筋力トレーニングに取り組み、授業に参加していた。頬には少し汗が滲み、額にまとわりつく髪を手で押し上げる仕草に疲労感が漂っていたが、それでもユウは笑顔を絶やさなかった。

ふとした合間に視線を空に向けると、そこにはグリムの小さな体が箒にまたがり、何とか空を飛ぼうともがいている姿があった。箒の先端がふらつき、グリムの尾がぱたぱたと激しく動く様子に、ユウは思わずくすりと笑う。空を舞うというよりも、宙ぶらりんで格闘している彼の様子は、いつもの強気な態度とはかけ離れていた。

「グリム、大丈夫かな……」
ユウはつぶやきながらも、その姿が妙に愛らしくて視線を離せないでいた。そして再び息を整えながら、ランニングに意識を戻すのだった。

「私も空を飛べたら、気持ちがいいだろうな……」
ぽつりと漏れたユウの独り言が、冷たい風に乗ってスカリーの耳に届いた。その瞬間、彼は足を止め、箒を持つ手を少しだけ緩めながら視線を向けた。

橙色の瞳に微かな光が宿り、スカリーはユウの横顔をじっと見つめる。風に揺れるユウの髪が光を受け、わずかに輝いていた。ふと顔を上げて空を見つめるユウのその姿に、スカリーの胸に静かな波紋が広がる。

授業が終わり、学生たちがグラウンドを後にする頃、ユウは片隅で一人静かに休んでいた。ランニングの疲労が足に重くのしかかり、冷たい風がユウの火照った頬を優しく撫でる。息を整えながら、時折視線を空へ向けては、小さくため息をついている。

その静かな時間を破ることなく、スカリーがゆっくりと歩み寄った。手にした箒を軽く持ち直し、穏やかな笑みを浮かべている。

「素敵な貴方。」
彼の声は柔らかく、冬の空気を包み込むような暖かさを帯びていた。ユウが顔を上げると、スカリーはさらに一歩近づき、少しだけ頭を傾けて言葉を続ける。
「もしよろしければ、我輩と一緒に空を飛んでみませんか？」

その言葉に、ユウは驚いたように目を瞬かせた。「えっ？」
驚きが隠せないユウの反応に、スカリーの笑顔がふっと深まる。その表情には、ユウの不安をそっと包み込む優しさが漂っていた。

「でも……箒の二人乗り飛行って、1年生には難しいって聞いたよ。」
ユウは少し困ったように笑いながら答えた。その声には、期待と不安の入り混じった感情が感じられる。

スカリーは箒の柄を軽く撫で、視線をユウに向けた。その深い橙色の瞳には、揺るぎない自信が宿っていた。
「ご安心くださいませ。我輩にとって飛行術は最も得意とする分野の一つでございます。貴方を決して危険に晒すことはいたしません。」

彼の穏やかな声と言葉に、ユウの胸にじんわりと温かい感情が広がった。ユウは少し考えるように視線を落としたが、スカリーの真摯な態度に心を動かされ、小さく頷く。
「……本当にいいの？」

スカリーはふっと微笑みを浮かべ、ユウの不安を包み込むように言葉を続けた。
「もちろんです。素敵な貴方と共に見る空は、きっと何倍も美しいものになるでしょう。」

その一言に、ユウの頬がかすかに赤らんだ。彼の自信と優しさに触れたようで、思わず小さな笑みを浮かべる。その柔らかな表情に、スカリーの瞳もわずかに緩んだ。

二人はしばらく静かな空気の中で視線を交わした。冷たい風が木々を揺らし、遠くには鳥の羽ばたく音が響いている。

「じゃあ、また夜に……準備しておくね。」
控えめながらも期待の込められたユウの言葉に、スカリーは深く頷いた。その動きは、ユウの不安をすべて受け止めるかのように静かで力強かった。

*

夜が深まり、オンボロ寮の庭には静寂が漂っていた。空は雲一つなく、満天の星が瞬き、優しい月光が世界を柔らかく包み込んでいる。冷たい冬の空気が頬を撫で、遠くからかすかに風が木々を揺らす音が聞こえてきた。

スカリーは一本の箒を手に、寮の庭の中央でユウを待っていた。彼の白い髪は月光を受けて銀色に輝き、深い橙色の瞳には静かな決意と期待が浮かんでいた。やがて、ユウがゆっくりと歩み寄ってくる。

スカリーは柔らかな微笑みを浮かべ、箒を軽く撫でるようにしながら答えた。
「どうぞご安心くださいませ。我輩が支えておりますので、決してお一人にはいたしません。」

その言葉に背中を押されるように、ユウは恐る恐る箒に跨る。細く冷たい風がユウの頬を撫で、空への緊張感をさらに高める。

「そうです、そのまま。」
スカリーはユウの背後に立ち、そっとユウの腰に手を回す。その手のひんやりとした感触が、なぜかユウの不安を和らげた。

「いきますよ。」
その囁きと共に、箒が地面を離れた。ふわりと浮き上がる感覚に、ユウは思わず目をぎゅっと閉じた。冷たい風が耳元をすり抜け、地上の音が遠ざかっていく。

「目を開けてください、素敵な貴方。」
スカリーの穏やかな声に促され、ユウは恐る恐る瞼を開いた。

その瞬間、ユウの目に広がったのは無数の星々が散りばめられた夜空だった。箒は静かに上昇を続け、やがてオンボロ寮の屋根を見下ろす高さに達した。ユウの口から、小さな息が漏れる。

「……本当に空を飛んでるんだ。」
その声には、驚きと感動がいっぱいに詰まっていた。

「いかがですか？」
スカリーが尋ねる声には、ユウの反応を待つ期待がこもっている。

「すごい……星がこんなに近いなんて。」
ユウは頬を上気させながら答えた。その目は星空を映し、歓喜に輝いていた。

やがて箒は一際高い場所で静かに止まり、二人の周囲を月と星々だけが見守る世界となった。足元にはオンボロ寮やナイトレイブンカレッジ、麓の町の明かりが小さく揺れ、冬の夜の空気が冷たくも清々しい感触で二人を包む。

「本当に眺めがいいね。」ユウの声はどこか夢見るようで、まるで星々に向かって話しかけているかのようだ。

スカリーはその横顔を見つめ、小さく笑みを浮かべる。「ええ、まさに星々の劇場といったところでしょう。」

夜空は満天の星で埋め尽くされていた。幾重にも重なる星の輝きが、漆黒のキャンバスに散りばめられた宝石のように煌めく。冷たい空気が肌に触れるたび、まるで星々が語りかけてくるような錯覚を覚えた。

「スカリーくん、星座に詳しいんだよね？」ユウが顔をスカリーに向ける。彼の瞳は星の光を受けてさらに輝いて見えた。

「少しだけですが。」スカリーは軽く肩をすくめると、空を指差した。「あれをご覧ください。北の空に輝くのは稲妻の剣座。かつて嵐の夜、勝利を象徴する剣を握った戦士がその姿を星々に刻まれたと伝えられています。どこか誇り高くも、決断を迫られるような厳粛さを感じますね。」

ユウはその指の先を追いながら、静かに息を漏らした。「綺麗……だけど、なんだか胸が締め付けられる気がする。」

スカリーは一瞬口を閉ざし、夜風が二人の間を通り抜けた。「そう感じられるのは、貴方がその星々に心を寄せている証拠でしょう。我輩が思うに、切なさもまた星空を楽しむ要素の一つなのです。」

ユウはその言葉に小さく笑い、「スカリーくんらしいね」と呟いた。二人はしばらく沈黙の中、空を見上げた。夜空に描かれる星の川は、まるで二人の間に流れる静かな時間を映し出しているようだった。

やがて、ユウがふと口を開いた。「ねえ、もっと教えて。あの辺りの星も、何か物語があるの？」

スカリーはゆっくりと頷き、今度は南の空を指差した。「あちらに見えるのは運命の秤座。秤の形をした星座で、古代から正義と悪のバランスを司る象徴とされています。試練のときにこの星座が輝くと言われ、選択に迷った人々を導いたそうです。」

語るスカリーの声は穏やかで、どこか懐かしさを帯びていた。ユウはスカリーの横顔を見つめ、そこに漂う儚げな空気に気づく。しかし、問いただすことはせず、その場の静けさを壊さないように言葉を飲み込んだ。

夜が更け、冷たい風が二人の頬をかすめる。スカリーがそっとユウの肩を覆うように身を寄せた。
「寒くはありませんか、素敵な貴方。」彼の声は低く、それでいて温かかった。

ユウは首を振り、微笑みながら答えた。「ううん、大丈夫だよ。でも、ありがとう。」

星空の下、二人は言葉少なにその静寂を共有した。遠い過去と未知の未来を抱えた二人だからこそ、何でもない今この瞬間が、特別でかけがえのないものに感じられたのだ。

スカリーは静かに息をつき、低く落ち着いた声で言った。
「貴方をここへ連れて来られて、本当に良かった。」
その低く柔らかな声には、彼がユウをどれだけ大切に思っているかが滲み出ていた。

ユウはその言葉に頬を赤らめながら、彼に視線を向ける。「ありがとう、スカリーくん。」
ユウのその笑顔は、スカリーにとって頭上に広がる無限の星空よりも美しいものであり、彼の胸に静かな感動を呼び起こした。

「我輩にとって、貴方がこの景色を楽しんでくださることが、何よりの喜びでございます。」
スカリーは静かに言葉を紡ぎながら、ユウの手をそっと取った。

その動きには迷いがなく、彼はそのままユウの手の甲へ唇を寄せた。冷たい空気の中で、彼の指先がユウの温かな手に触れると、その温もりを惜しむようにわずかに力を込めて握り締めた。柔らかな唇が手の甲に触れた瞬間、冷え切った空気さえも一瞬和らぐような温もりが伝わる。

「……スカリーくん。」
ユウは驚きと照れが混ざった声を漏らした。その視線は彼の動きに引き寄せられ、ふと自分の手の甲に触れたスカリーの唇の感触を思い出していた。その行為に込められた真摯な優しさを悟ると、頬に薄い赤みが差し、小さく微笑む。その微笑みは穏やかで、どこか照れ隠しのようでもあった。

スカリーの胸には、静かに満たされていく満足感が広がる。彼の瞳には、ユウへの深い想いと共に、この瞬間を大切にしたいという決意が宿っていた。

二人の間には言葉が必要ないほどの静けさが流れた。月光が優しく二人を照らし、夜空の星々は遠くからその場面を静かに見守っている。冷たい冬の風がささやくように吹き抜け、木々の葉がわずかに揺れる音が、夜の静寂をより引き立てていた。

その一夜は、確かに二人にとって忘れられない特別な思い出となった。ユウとスカリーの心に深く刻まれ、まるで星の瞬きがその絆を祝福するかのようだった。そして、空の旅が終わり現実に戻る時が訪れても、二人の間に芽生えた温かな想いと絆は、夜空の下でさらに深まっていた。