スカリーくんと監督生のなんでもない一日【完結】
監督生さん、素敵な貴方のお名前は?
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【スカリーくんと監督生が追いかけっこしているだけ】
重厚な木の扉が軋む音を立てて開き、日差しを背負った生徒たちが次々と教室へ入る。冷たく滑らかな石畳の床には、窓越しの太陽の光が幾何学模様を描き出し、その中で足音が反響する。スカリーとユウ、そしてグリムは中央の作業台に腰を下ろし、慣れた手つきで材料と器具を並べ始めた。
「今日は、影に一時的な命を与える魔法薬を調合してもらう。材料は配布済みだ。成功すれば影が動き出すだろう」と、クルーウェルの重厚な声が静まり返った教室を満たす。「一つ注意点がある——」と話し始めたその時、グリムが足元で尻尾を振り回し、うっかり器具に当たった。
「ガチャンッ!」
落ちたガラス瓶が床を転がり、他の道具を巻き込みながら散乱した。幸いにも瓶は割れなかったが、中に入っていた液体が少しだけ瓶の口から漏れ出し、甘酸っぱい刺激臭を周囲に漂わせる。
「あぁ~、ちょっと!グリム!」ユウは素早くしゃがみ込むが、グリムは前足を振り上げて叫ぶ。「オレ様悪くないんだゾ!机が狭いのが悪いんだ!」
「はいはい、親分は悪くないね。でも片づけようよ。さ、早く!」ユウがため息混じりに言い、手を動かす。石床のひんやりとした感触が指先を伝い、妙に現実感を伴っていた。
その様子に気づいたクルーウェルが教鞭をしならせ、「Bad Boy!聞いていたのか、仔犬ども!」と鋭く注意を飛ばす。
「はい、大丈夫です!」ユウが元気よく返事をすると、スカリーは小声でクスリと笑った。「ユウさんの機転の良さには感服いたします。」
片づけが終わると、スカリーが自信たっぷりに腕を組んで言った。「ユウさん、ここからは我輩にお任せを。」
「ほんとに?じゃあお願いしようかな。」ユウは薬瓶のラベルを確認しながら言った。
調合が始まると、鮮やかな青い液体がガラス瓶の中で小さく波打ち、下からの炎でほのかに温められていく。甘やかな花の香りが立ち上るが、その香りの中には妙に緊張感を伴う刺すような酸味も混ざっていた。
「スカリーくん、これで合ってるよね?」ユウは目の前でぷくぷくと泡立つ鍋を指差し、恐る恐る尋ねた。
「ええ、その通りでございます。我輩を信じてくださいますよね?」
スカリーは胸を張って微笑み、威厳を保つように言った。しかし、鍋の中で薬液が思ったより控えめに泡立っているのを見て、ふと眉をひそめた。
「あれ?何か足りない?」
小さくつぶやいたその声には、普段の彼らしからぬ焦りがかすかに滲んでいた。
ユウはその言葉を聞き逃さなかったが、スカリーが表情を取り繕うように「いえ、何でもございません。」と付け足すのを見て、あえて何も言わずにいた。彼のわずかに早口になった声と、普段の落ち着いた態度とのズレが、ユウの胸に小さな不安を残した。
「オレ様も手伝うんだゾ!」
グリムの小さな手には、鍋をかき回すための木の棒が握られており、その目には輝くようなやる気が宿っている。
「グリムさん、どうかお下がりくださいませ。この工程は極めて繊細で――」
スカリーが制止しようとした矢先、グリムは「任せろ!」と叫びながら、勢いよく鍋をかき回し始めた。
「グリム、手順を守らないと!」
ユウが慌てて声を上げるも、グリムは聞く耳を持たず、器用とは言い難い手つきで鍋をぐるぐると回し続けた。鍋の中の薬液は、その動きに合わせて形を変え、まるで生命を持ったかのようにぴちゃぴちゃと音を立てて跳ねた。
「グリムさん、もうそのあたりで......。」
スカリーが手を伸ばして棒を奪おうとするが、グリムは「オレ様の仕事に口出すな!」とさらに力を込める。鍋の中の薬液は見る間に色を変え、最初の淡い青から怪しい紫、そしてついにはどす黒い色合いに変化していった。
薬液の色が突然、不吉な赤に染まった。空気が一変し、冷たい風が吹き抜けたかと思うと、教室中に赤い霧が広がる。霧散した魔法薬は皮膚を突き刺すような冷たさを帯び、鋭い金属の匂いが鼻腔を刺激した。
「ハッピーハロウィーン!」薄もやの中から突然、スカリーの影が跳びはね、イヒヒ、ヒャハハと鋭く響く笑い声を教室中に轟かせた。その声はどこか空虚で耳にざらつき、不気味な興奮を含んでいた。
「あれは、我輩の影!?」
スカリーは驚きに目を見開きながら、影に手を伸ばした。しかし、その指先が影に触れると、黒い形は液体のようにするりと滑り抜けた。スカリーの驚愕と焦燥を余所に、影は彼のまわりをぐるぐると回り始める。
「ま、待てっ!」
スカリーが声を上げる間もなく、彼の影はふいに動きを変え、ユウの周りをゆっくりと回り始めた。その動きはどこか優雅で、気味が悪いほど丁寧だった。まるで劇場の幕開けを演じるかのように、影は一度静止すると、深くひざまずいた。
ユウの影を見上げるその姿は、まるで騎士が姫に忠誠を誓うようだった。そして次の瞬間、スカリーの影はその漆黒の手を伸ばし、うやうやしくユウの影に差し出した。
「影まで紳士的……!」ユウは思わず呟いた。スカリーの影はぐいっとユウの影を引き寄せた。影は一瞬驚いたように見えたが、すぐにスカリーの影の手を握り返し、軽やかに笑った。
「私も連れてって!」
ユウの影が言うと、二つの影は息を合わせたかのように、ひらりと宙に舞い上がり、窓をすり抜け外の光に向かって消えていった。
教室に残されたスカリーとユウは、互いに顔を見合わせ、呆然と立ち尽くしていた。彼らの間には冷たい風だけが通り抜け、散らかった机の上には失敗作の魔法薬がぽつんと取り残されている。その薬液は赤みを帯びた不安定な色合いのまま、小さな泡を弾けさせていた。
「お前たち、どうやら話を聞いていなかったようだな?」クルーウェルが教壇から静かに歩み寄り、低く響く声で言う。その声音は冷たい怒りをはらんでおり、二人の耳に重くのしかかった。「はじめに影を魔法針で縫い付けておくように言ったはずだ。それに……調合そのものが失敗している。」
「え~……っと。ごめんなさい。」ユウが俯きながら小さな声で謝る。
スカリーも頭を下げながら、「申し訳ございません。我輩の注意が足りませんでした……。」と、悔しそうに言葉を続けた。その口調にはいつもの自信は影を潜め、どこか己を戒めるような響きがあった。
「グリムの影はどうして動かないの?」
ユウが教室の隅を見ると、グリムの影はどっしりと座り込んでいた。影が両手で何かをつまみ、口に入れる仕草を繰り返しているのを見て、ユウは思わず深いため息をついた。
教鞭がピシッと鋭くしなり、その音に二人の背筋が凍る。緊張と混乱に包まれる教室の中で、ふとテーブルの下に転がっているものが目に入った。それは、実験の最初に散らばった際に落ちた魔法針と、倒れて転がった薬品瓶だった。
魔法針は淡く光を放ち、瓶の中には液体が揺らぎながら小さな虹色の反射を作り出している。その控えめな輝きは、騒動の静まり返った今になってようやく存在を主張していた。
*
学院の廊下はいつもと変わらず静まり返っていた。だが、その平穏を破るように、スカリーとユウが必死の形相で駆け抜けていく。二人の足音が冷たい石畳を叩き、その反響音が廊下全体に広がる。焦りと熱が混ざった呼吸が彼らの胸を上下させ、汗ばむ手が互いの距離を近づけるように感じられるほどだ。
「見て!」ユウが手を指し示す。そこには、不思議な黒い影が踊るように揺れながら壁を滑っていく様子があった。影の輪郭は不規則に波打ち、まるで意志を持った生き物のように動き回る。
「逃げ足の早い影でございますね!」スカリーは軽く息を整えながらも、ユウに続いて走る。その表情は冷静を装っているように見えたが、どこか焦燥の色が滲んでいた。
二人が追う影は、ただの影ではない。それぞれの心の中に秘めた「本音」や「隠れた一面」を具現化したものであり、調合の失敗により更に効果が高まった影たちは暴走状態にある。そして問題の影は、すでに他の生徒たちをざわつかせていた。
「スカリーくん、あっちに入った!」ユウが指差したのは、少し先にある別の廊下。影は次の瞬間、突如として姿を現し、壁に投影されたそのシルエットが不意に大声を上げた。
「ユウさんともっと話したいのに、いつも他のやつらに邪魔される!いっそみんなをジャック・オ・ランタンにしてしまえば、ユウさんと永遠に見つめ合えるのに!」
廊下にいた数人の生徒たちがその言葉を耳にして立ち止まり、驚いたように顔を見合わせた。どよめきが広がる中、スカリーはその場で硬直し、顔が真っ赤になる。
「な、な、! 我輩の心を勝手に暴露するとは……!」スカリーは目を覆いたい気持ちを必死で堪えながら影に向けて手を伸ばした。「やめろー!黙ってくれ!」
しかし影は意に介さず、さらに続けた。「ユウさん、貴方の笑顔は夜空に輝く満月よりも美しい!一日中眺めていたい……!」
「へぁーーー!?!?」スカリーは耳を塞ぎ、影を追い詰めようと足を踏み出す。しかし、影はひらひらと宙を舞い、また廊下の先へと逃げていく。
ユウは顔を真っ赤に染めながらもスカリーを見上げた。「スカリーくん……本当にそんなこと考えてるの……?」
「違います!そんなわけが――ええと……少しだけ……いや!」スカリーは慌てて目を逸らし、再び影を追いかけ始めた。
影を追ってたどり着いたのは、寮の談話室だった。陽が傾き、暖かな光が窓から差し込む部屋の中で、ユウの影が無邪気に動き回る。そして、いきなりテーブルの上に飛び乗ると、軽快な調子で歌い始めた。
「♪スカリーくんのふわふわの髪の毛が好き~~~♪
♪オレンジ色の不思議な瞳がとっても綺麗~~~♪
♪背が高くて、かっこいい~~~!♪
♪でも全部ひっくるめて、か~わ~い~い~~~!♪」
影の歌声が空間に響き渡るたびに、スカリーの動きは徐々に硬直していった。その瞳は、まるで耳を疑うかのように見開かれ、頬が赤く染まるのがはっきりと分かる。
「えっ……?本当でございますか、ユウさん?」スカリーは目をぱちぱちと瞬かせながら、影と実際のユウの間で視線をさまよわせる。彼の声には、隠しきれない喜びが滲んでいた。
「ぎゃー!違う違う!影が勝手に言ってるだけ!」ユウは顔を真っ赤にしながら、必死に影を追いかけようとする。
「わかりました。ユウさん、我輩は何も聞いておりません。ええ、聞いておりませんとも!」
「聞こえてるじゃん!顔が真っ赤だよ!」
二人の羞恥が談話室全体に満ちる中、影は最後にくるりと宙を舞うようにして壁の隅に消えていった。
静寂が戻った室内で、ユウはへたり込むように床に座り込んだ。「もう……こんなの悪夢だよ……。」肩を落としながら、うつむいたその顔には疲労と赤面が残っている。
スカリーもまた、その場に腰を下ろした。何度か深呼吸を繰り返しながら、小さく呟く。「……ユウさん、我輩、決してこのことを忘れないよう、心に刻む所存です。」
「忘れてよ!むしろ、絶対忘れて!」ユウは慌てて叫びながら、スカリーを睨むようにして口を尖らせた。その顔には、どこか安堵と照れが入り混じっていた。
*
黄昏の空は、赤と紫が混ざり合い、絹のように滑らかな夕焼けを描き出していた。談話室の窓際から外へ踊り出した二つの影は、まるで風に乗った葉のように軽やかで、自由そのものだった。スカリーとユウの影が庭の小道を駆け抜けるたび、周囲の草花が揺れ、彼らの存在にささやくような甘い香りが漂った。
その様子を追いかけながら、ユウは思わず微笑んでいた。けれども同時に、影があまりに楽しげであることに一抹の寂しさも覚えていた。「まるで別の生き物みたいだね。こんなに自由に動けるなんて、羨ましいくらい」と口にしながら、その声には小さな笑いが含まれていた。
「影は我輩たちの姿を映し出すものに過ぎないはずでございますが……今はまるで、彼らにも心があるかのように感じられますね」とスカリーは、少し感傷的な眼差しを夕闇に向けながら答えた。その声は低く穏やかで、まるで冷えた秋風が頬を撫でるように心地よく響いた。
影たちは、二人が追いつけないほど素早く庭の中心へ滑り込むと、何か示し合わせたように動きを変えた。夕陽に照らされた芝生の上で、二つの影は手を取り合い、軽やかなワルツを踊り始めたのだ。スカリーとユウはその場に立ち尽くし、しばし見入った。足元で舞う落ち葉のざわめきも耳に入らず、風が運ぶ秋の土の匂いさえも忘れるほどだった。
影の動きは徐々に遅くなり、夕闇が深まるにつれて輪郭がぼやけていく。「あ、影が消えちゃうよ!」とユウは慌てて叫んだ。ユウは手を伸ばし、消えゆく影を掴もうとしたが、空を切るばかりだった。
だが、消えゆくその瞬間、スカリーとユウの影は最後のひとときを惜しむように、互いにそっと近づいていった。そして、お互いの姿が完全に消え去る直前、影同士は名残惜しそうに静かにキスを交わした。二人の足元に戻ってくる影を見届けながら、ユウは息を呑んだ。
しゅるりと動きを止めた影たちが足元に収まった後、しばしの静寂が訪れる。庭を包む風の音だけが、二人の間の静けさを埋めていた。ユウは頬を赤らめながら視線を逸らし、ややぎこちなくスカリーの方を向いた。
「……影が戻ったみたいだね。」ユウは努めて明るい声で言ったが、その頬の赤みは隠しきれなかった。
「……どうやら魔法薬の効果が切れたようでございますね。捕まえようと必死だった我輩たちにしては、なんともあっけない幕引きです。」
ユウはふと彼を振り返り、軽く息を吐きながら笑った。「あの影たち、最後まで楽しそうだったね。さ、戻らなきゃ。『影を捕まえました』ってクルーウェル先生に報告しなきゃいけないし、グリムも居残りで待ってる。」
スカリーは、ユウが差し出した手を一瞬見つめ、そして柔らかくその手を包み込むように握りしめた。その温もりに気づいたのか、彼の指先がわずかに震えた。「……では、戻りましょうか」と、静かに促す声は、どこか影たちの残像に引きずられているようだった。
二人は無言のまま歩き出したが、それぞれの胸の内では、影たちの最後の姿が繰り返し浮かんでは消えていた。
(影たち……もしかして、キスしてたよね?)
その光景を思い返すたびに、ユウの胸は少しだけ早鐘を打つようだった。でも、それを口にする勇気はどうしても出てこない。
(いや、でもスカリーくんはきっと気づいてたはず……どう思ってたんだろう? なんだか変に意識しちゃうな……)
無言の時間が続くほど、言葉にしないほうが良いと自分に言い聞かせた。
歩きながら、二人の間に漂う静けさは不思議と心地よかった。庭の冷えた夜気が頬をかすめるたび、どちらからともなく無言で足を揃え、その間隔が微妙に縮まっていくようだった。互いの気持ちを察しているのに言葉にできない、そんな心の距離感が、却って彼らを静かに結びつけているようでもあった。
重厚な木の扉が軋む音を立てて開き、日差しを背負った生徒たちが次々と教室へ入る。冷たく滑らかな石畳の床には、窓越しの太陽の光が幾何学模様を描き出し、その中で足音が反響する。スカリーとユウ、そしてグリムは中央の作業台に腰を下ろし、慣れた手つきで材料と器具を並べ始めた。
「今日は、影に一時的な命を与える魔法薬を調合してもらう。材料は配布済みだ。成功すれば影が動き出すだろう」と、クルーウェルの重厚な声が静まり返った教室を満たす。「一つ注意点がある——」と話し始めたその時、グリムが足元で尻尾を振り回し、うっかり器具に当たった。
「ガチャンッ!」
落ちたガラス瓶が床を転がり、他の道具を巻き込みながら散乱した。幸いにも瓶は割れなかったが、中に入っていた液体が少しだけ瓶の口から漏れ出し、甘酸っぱい刺激臭を周囲に漂わせる。
「あぁ~、ちょっと!グリム!」ユウは素早くしゃがみ込むが、グリムは前足を振り上げて叫ぶ。「オレ様悪くないんだゾ!机が狭いのが悪いんだ!」
「はいはい、親分は悪くないね。でも片づけようよ。さ、早く!」ユウがため息混じりに言い、手を動かす。石床のひんやりとした感触が指先を伝い、妙に現実感を伴っていた。
その様子に気づいたクルーウェルが教鞭をしならせ、「Bad Boy!聞いていたのか、仔犬ども!」と鋭く注意を飛ばす。
「はい、大丈夫です!」ユウが元気よく返事をすると、スカリーは小声でクスリと笑った。「ユウさんの機転の良さには感服いたします。」
片づけが終わると、スカリーが自信たっぷりに腕を組んで言った。「ユウさん、ここからは我輩にお任せを。」
「ほんとに?じゃあお願いしようかな。」ユウは薬瓶のラベルを確認しながら言った。
調合が始まると、鮮やかな青い液体がガラス瓶の中で小さく波打ち、下からの炎でほのかに温められていく。甘やかな花の香りが立ち上るが、その香りの中には妙に緊張感を伴う刺すような酸味も混ざっていた。
「スカリーくん、これで合ってるよね?」ユウは目の前でぷくぷくと泡立つ鍋を指差し、恐る恐る尋ねた。
「ええ、その通りでございます。我輩を信じてくださいますよね?」
スカリーは胸を張って微笑み、威厳を保つように言った。しかし、鍋の中で薬液が思ったより控えめに泡立っているのを見て、ふと眉をひそめた。
「あれ?何か足りない?」
小さくつぶやいたその声には、普段の彼らしからぬ焦りがかすかに滲んでいた。
ユウはその言葉を聞き逃さなかったが、スカリーが表情を取り繕うように「いえ、何でもございません。」と付け足すのを見て、あえて何も言わずにいた。彼のわずかに早口になった声と、普段の落ち着いた態度とのズレが、ユウの胸に小さな不安を残した。
「オレ様も手伝うんだゾ!」
グリムの小さな手には、鍋をかき回すための木の棒が握られており、その目には輝くようなやる気が宿っている。
「グリムさん、どうかお下がりくださいませ。この工程は極めて繊細で――」
スカリーが制止しようとした矢先、グリムは「任せろ!」と叫びながら、勢いよく鍋をかき回し始めた。
「グリム、手順を守らないと!」
ユウが慌てて声を上げるも、グリムは聞く耳を持たず、器用とは言い難い手つきで鍋をぐるぐると回し続けた。鍋の中の薬液は、その動きに合わせて形を変え、まるで生命を持ったかのようにぴちゃぴちゃと音を立てて跳ねた。
「グリムさん、もうそのあたりで......。」
スカリーが手を伸ばして棒を奪おうとするが、グリムは「オレ様の仕事に口出すな!」とさらに力を込める。鍋の中の薬液は見る間に色を変え、最初の淡い青から怪しい紫、そしてついにはどす黒い色合いに変化していった。
薬液の色が突然、不吉な赤に染まった。空気が一変し、冷たい風が吹き抜けたかと思うと、教室中に赤い霧が広がる。霧散した魔法薬は皮膚を突き刺すような冷たさを帯び、鋭い金属の匂いが鼻腔を刺激した。
「ハッピーハロウィーン!」薄もやの中から突然、スカリーの影が跳びはね、イヒヒ、ヒャハハと鋭く響く笑い声を教室中に轟かせた。その声はどこか空虚で耳にざらつき、不気味な興奮を含んでいた。
「あれは、我輩の影!?」
スカリーは驚きに目を見開きながら、影に手を伸ばした。しかし、その指先が影に触れると、黒い形は液体のようにするりと滑り抜けた。スカリーの驚愕と焦燥を余所に、影は彼のまわりをぐるぐると回り始める。
「ま、待てっ!」
スカリーが声を上げる間もなく、彼の影はふいに動きを変え、ユウの周りをゆっくりと回り始めた。その動きはどこか優雅で、気味が悪いほど丁寧だった。まるで劇場の幕開けを演じるかのように、影は一度静止すると、深くひざまずいた。
ユウの影を見上げるその姿は、まるで騎士が姫に忠誠を誓うようだった。そして次の瞬間、スカリーの影はその漆黒の手を伸ばし、うやうやしくユウの影に差し出した。
「影まで紳士的……!」ユウは思わず呟いた。スカリーの影はぐいっとユウの影を引き寄せた。影は一瞬驚いたように見えたが、すぐにスカリーの影の手を握り返し、軽やかに笑った。
「私も連れてって!」
ユウの影が言うと、二つの影は息を合わせたかのように、ひらりと宙に舞い上がり、窓をすり抜け外の光に向かって消えていった。
教室に残されたスカリーとユウは、互いに顔を見合わせ、呆然と立ち尽くしていた。彼らの間には冷たい風だけが通り抜け、散らかった机の上には失敗作の魔法薬がぽつんと取り残されている。その薬液は赤みを帯びた不安定な色合いのまま、小さな泡を弾けさせていた。
「お前たち、どうやら話を聞いていなかったようだな?」クルーウェルが教壇から静かに歩み寄り、低く響く声で言う。その声音は冷たい怒りをはらんでおり、二人の耳に重くのしかかった。「はじめに影を魔法針で縫い付けておくように言ったはずだ。それに……調合そのものが失敗している。」
「え~……っと。ごめんなさい。」ユウが俯きながら小さな声で謝る。
スカリーも頭を下げながら、「申し訳ございません。我輩の注意が足りませんでした……。」と、悔しそうに言葉を続けた。その口調にはいつもの自信は影を潜め、どこか己を戒めるような響きがあった。
「グリムの影はどうして動かないの?」
ユウが教室の隅を見ると、グリムの影はどっしりと座り込んでいた。影が両手で何かをつまみ、口に入れる仕草を繰り返しているのを見て、ユウは思わず深いため息をついた。
教鞭がピシッと鋭くしなり、その音に二人の背筋が凍る。緊張と混乱に包まれる教室の中で、ふとテーブルの下に転がっているものが目に入った。それは、実験の最初に散らばった際に落ちた魔法針と、倒れて転がった薬品瓶だった。
魔法針は淡く光を放ち、瓶の中には液体が揺らぎながら小さな虹色の反射を作り出している。その控えめな輝きは、騒動の静まり返った今になってようやく存在を主張していた。
*
学院の廊下はいつもと変わらず静まり返っていた。だが、その平穏を破るように、スカリーとユウが必死の形相で駆け抜けていく。二人の足音が冷たい石畳を叩き、その反響音が廊下全体に広がる。焦りと熱が混ざった呼吸が彼らの胸を上下させ、汗ばむ手が互いの距離を近づけるように感じられるほどだ。
「見て!」ユウが手を指し示す。そこには、不思議な黒い影が踊るように揺れながら壁を滑っていく様子があった。影の輪郭は不規則に波打ち、まるで意志を持った生き物のように動き回る。
「逃げ足の早い影でございますね!」スカリーは軽く息を整えながらも、ユウに続いて走る。その表情は冷静を装っているように見えたが、どこか焦燥の色が滲んでいた。
二人が追う影は、ただの影ではない。それぞれの心の中に秘めた「本音」や「隠れた一面」を具現化したものであり、調合の失敗により更に効果が高まった影たちは暴走状態にある。そして問題の影は、すでに他の生徒たちをざわつかせていた。
「スカリーくん、あっちに入った!」ユウが指差したのは、少し先にある別の廊下。影は次の瞬間、突如として姿を現し、壁に投影されたそのシルエットが不意に大声を上げた。
「ユウさんともっと話したいのに、いつも他のやつらに邪魔される!いっそみんなをジャック・オ・ランタンにしてしまえば、ユウさんと永遠に見つめ合えるのに!」
廊下にいた数人の生徒たちがその言葉を耳にして立ち止まり、驚いたように顔を見合わせた。どよめきが広がる中、スカリーはその場で硬直し、顔が真っ赤になる。
「な、な、! 我輩の心を勝手に暴露するとは……!」スカリーは目を覆いたい気持ちを必死で堪えながら影に向けて手を伸ばした。「やめろー!黙ってくれ!」
しかし影は意に介さず、さらに続けた。「ユウさん、貴方の笑顔は夜空に輝く満月よりも美しい!一日中眺めていたい……!」
「へぁーーー!?!?」スカリーは耳を塞ぎ、影を追い詰めようと足を踏み出す。しかし、影はひらひらと宙を舞い、また廊下の先へと逃げていく。
ユウは顔を真っ赤に染めながらもスカリーを見上げた。「スカリーくん……本当にそんなこと考えてるの……?」
「違います!そんなわけが――ええと……少しだけ……いや!」スカリーは慌てて目を逸らし、再び影を追いかけ始めた。
影を追ってたどり着いたのは、寮の談話室だった。陽が傾き、暖かな光が窓から差し込む部屋の中で、ユウの影が無邪気に動き回る。そして、いきなりテーブルの上に飛び乗ると、軽快な調子で歌い始めた。
「♪スカリーくんのふわふわの髪の毛が好き~~~♪
♪オレンジ色の不思議な瞳がとっても綺麗~~~♪
♪背が高くて、かっこいい~~~!♪
♪でも全部ひっくるめて、か~わ~い~い~~~!♪」
影の歌声が空間に響き渡るたびに、スカリーの動きは徐々に硬直していった。その瞳は、まるで耳を疑うかのように見開かれ、頬が赤く染まるのがはっきりと分かる。
「えっ……?本当でございますか、ユウさん?」スカリーは目をぱちぱちと瞬かせながら、影と実際のユウの間で視線をさまよわせる。彼の声には、隠しきれない喜びが滲んでいた。
「ぎゃー!違う違う!影が勝手に言ってるだけ!」ユウは顔を真っ赤にしながら、必死に影を追いかけようとする。
「わかりました。ユウさん、我輩は何も聞いておりません。ええ、聞いておりませんとも!」
「聞こえてるじゃん!顔が真っ赤だよ!」
二人の羞恥が談話室全体に満ちる中、影は最後にくるりと宙を舞うようにして壁の隅に消えていった。
静寂が戻った室内で、ユウはへたり込むように床に座り込んだ。「もう……こんなの悪夢だよ……。」肩を落としながら、うつむいたその顔には疲労と赤面が残っている。
スカリーもまた、その場に腰を下ろした。何度か深呼吸を繰り返しながら、小さく呟く。「……ユウさん、我輩、決してこのことを忘れないよう、心に刻む所存です。」
「忘れてよ!むしろ、絶対忘れて!」ユウは慌てて叫びながら、スカリーを睨むようにして口を尖らせた。その顔には、どこか安堵と照れが入り混じっていた。
*
黄昏の空は、赤と紫が混ざり合い、絹のように滑らかな夕焼けを描き出していた。談話室の窓際から外へ踊り出した二つの影は、まるで風に乗った葉のように軽やかで、自由そのものだった。スカリーとユウの影が庭の小道を駆け抜けるたび、周囲の草花が揺れ、彼らの存在にささやくような甘い香りが漂った。
その様子を追いかけながら、ユウは思わず微笑んでいた。けれども同時に、影があまりに楽しげであることに一抹の寂しさも覚えていた。「まるで別の生き物みたいだね。こんなに自由に動けるなんて、羨ましいくらい」と口にしながら、その声には小さな笑いが含まれていた。
「影は我輩たちの姿を映し出すものに過ぎないはずでございますが……今はまるで、彼らにも心があるかのように感じられますね」とスカリーは、少し感傷的な眼差しを夕闇に向けながら答えた。その声は低く穏やかで、まるで冷えた秋風が頬を撫でるように心地よく響いた。
影たちは、二人が追いつけないほど素早く庭の中心へ滑り込むと、何か示し合わせたように動きを変えた。夕陽に照らされた芝生の上で、二つの影は手を取り合い、軽やかなワルツを踊り始めたのだ。スカリーとユウはその場に立ち尽くし、しばし見入った。足元で舞う落ち葉のざわめきも耳に入らず、風が運ぶ秋の土の匂いさえも忘れるほどだった。
影の動きは徐々に遅くなり、夕闇が深まるにつれて輪郭がぼやけていく。「あ、影が消えちゃうよ!」とユウは慌てて叫んだ。ユウは手を伸ばし、消えゆく影を掴もうとしたが、空を切るばかりだった。
だが、消えゆくその瞬間、スカリーとユウの影は最後のひとときを惜しむように、互いにそっと近づいていった。そして、お互いの姿が完全に消え去る直前、影同士は名残惜しそうに静かにキスを交わした。二人の足元に戻ってくる影を見届けながら、ユウは息を呑んだ。
しゅるりと動きを止めた影たちが足元に収まった後、しばしの静寂が訪れる。庭を包む風の音だけが、二人の間の静けさを埋めていた。ユウは頬を赤らめながら視線を逸らし、ややぎこちなくスカリーの方を向いた。
「……影が戻ったみたいだね。」ユウは努めて明るい声で言ったが、その頬の赤みは隠しきれなかった。
「……どうやら魔法薬の効果が切れたようでございますね。捕まえようと必死だった我輩たちにしては、なんともあっけない幕引きです。」
ユウはふと彼を振り返り、軽く息を吐きながら笑った。「あの影たち、最後まで楽しそうだったね。さ、戻らなきゃ。『影を捕まえました』ってクルーウェル先生に報告しなきゃいけないし、グリムも居残りで待ってる。」
スカリーは、ユウが差し出した手を一瞬見つめ、そして柔らかくその手を包み込むように握りしめた。その温もりに気づいたのか、彼の指先がわずかに震えた。「……では、戻りましょうか」と、静かに促す声は、どこか影たちの残像に引きずられているようだった。
二人は無言のまま歩き出したが、それぞれの胸の内では、影たちの最後の姿が繰り返し浮かんでは消えていた。
(影たち……もしかして、キスしてたよね?)
その光景を思い返すたびに、ユウの胸は少しだけ早鐘を打つようだった。でも、それを口にする勇気はどうしても出てこない。
(いや、でもスカリーくんはきっと気づいてたはず……どう思ってたんだろう? なんだか変に意識しちゃうな……)
無言の時間が続くほど、言葉にしないほうが良いと自分に言い聞かせた。
歩きながら、二人の間に漂う静けさは不思議と心地よかった。庭の冷えた夜気が頬をかすめるたび、どちらからともなく無言で足を揃え、その間隔が微妙に縮まっていくようだった。互いの気持ちを察しているのに言葉にできない、そんな心の距離感が、却って彼らを静かに結びつけているようでもあった。