【スカリーくんと監督生が迷子のゴーストと出会うだけ】

オンボロ寮の夜はいつも静寂に包まれている。古びた木造建築の壁が冷気を通し、冬の気配が隅々まで満ちていた。この夜も例外ではなく、風が窓を微かに揺らす音が唯一の動きだった。しかし、その静けさを破るような音が、廊下のどこかから聞こえてきた。

「スカリーくん、今の音、聞いた？」
ユウが耳を澄ましながら、手元の本を閉じる。スカリーは火を灯したランプをそっと持ち上げ、細めた瞳で廊下を見やった。
「ええ、確かに聞こえましたね。まるで子どもの泣き声のような…。我輩たち以外、ここに誰もいるはずがないのに。」

二人は互いに目を見交わし、慎重に音のする方へ進んだ。廊下の冷気が肌にまとわりつき、息を吐くと白くなった。音はますます近づいてくる。角を曲がったその瞬間、小さな影が視界に入った。

それは、子どもの姿をしたゴーストだった。淡い青白い光をまとったその姿は、どこか物悲しい表情を浮かべている。目が合うと、ゴーストは泣きそうな顔をしながら、ぽつりと言った。
「…迷子になっちゃった。」

ユウはすぐにしゃがみ込み、その目線に合わせて優しい声をかけた。「どうしたの？迷子になったの？お家はどこにあるの？」

しかし、スカリーはその様子を見て額に手を当て、深い溜息をついた。
「ユウさん、近づきすぎるのは危険です。子どもの姿をしているとはいえ、ゴーストはゴースト。人ならざる存在なのです。」
彼の声にはいつになく険があり、ユウは驚いて振り返った。「でも、この子は助けを求めているだけじゃない？」

スカリーは微かに眉をひそめ、ゴーストに向けてランタンを揺らした。炎が影を作り、ゴーストが一歩後ずさる。「無邪気な分、彼らの行動は予測不能です。時に人間の意図を誤解し、その純粋さが災厄を招くこともある。これを軽視してはいけません。」

ユウは立ち上がり、腕を組んでスカリーを睨んだ。「スカリーくん、そんな言い方はないんじゃない？だって、君だって迷子の子をほっとけないはずでしょ？」

「それは…もちろん我輩とて情を持たぬわけではありません。しかし、彼らの持つ特性を理解した上で慎重になる必要が…」

その言葉を遮るように、ゴーストの子どもがすすり泣き始めた。その音は意外にも大きく、冷たい空気に響いた。ユウは迷わずゴーストに歩み寄り、その肩にそっと手を置いた。驚くほど冷たいその肩に、ユウは息を呑む。

「大丈夫だよ。怖がらなくていいから。」

一方で、スカリーは苦い顔を浮かべ、少し距離を置いた位置に立っていた。その瞳には、どこか焦燥とも言えるような感情が浮かんでいる。彼の中には、ゴーストへの忌避感とユウを危険から守りたいという思いが複雑に絡み合っていた。

「…素敵な貴方、どうか無理はなさらないでください。我輩が後で、必ず適切な方法で送り届けますから。」

だが、ユウは静かに首を横に振った。「この子が安心する方法を、一緒に考えようよ。」

その言葉にスカリーは短く息をつき、腕を組んだまま少し考え込んだ。ユウの言葉には、確かに抗いがたい説得力があった。

*

オンボロ寮の談話室に小さな緊張が漂う中、ユウは肩越しにスカリーを一瞥した。その顔には微妙な苛立ちと困惑が混ざっている。「……スカリーくん、ちょっと落ち着いて。この子、こんなに怯えてるんだから、少し穏やかにしてよ。」そう言いながら、ユウはぴったりと腕にしがみつく子どものゴーストに目を向けた。その姿は薄白いもやのようで、触れるとひんやりとした感触が伝わる。だが、その目には純粋な不安と、どこか寂しげな輝きが宿っていた。

一方、スカリーは少し離れた位置に立ったまま、腕を組みながら深いため息をついた。「愛しい貴方、我輩の意図を誤解しないでください。そのゴーストが人間のように見えるからといって、無防備でいるわけにはいきません。我輩はただ、貴方を危険から守りたいだけなのです。」その声はいつもの冷静さを保っていたが、わずかに焦りを含んでいた。

「危険？」ユウは挑むような声で返した。「でも、今のところこの子、私たちに何もしようとしてないよ？ただ怖がってるだけ。私たちに頼ってるみたいじゃない？」

その言葉に、スカリーのオレンジ色の瞳が少し揺れた。彼の視線は一瞬、ユウの腕にしがみつくゴーストに向かい、それから再びユウの目を真剣に見つめた。「……それは、確かに一理あります。しかし……」彼は言葉を切り、眉をひそめた。「ゴーストという存在そのものが予測不可能なのです。我輩の知る限り、無邪気さは時として最も恐ろしい結果をもたらすのですよ。」

ユウは口を開きかけたが、言葉を飲み込むように小さく息を吸った。子どものゴーストはユウにしがみついたまま、無言でふるふると震えている。その震えがかすかに伝わるたび、ユウの心には言い知れない切なさが広がっていった。「……わかった。でも、スカリーくんがそんなに心配してるなら、誰か他の人に相談してみる。それでいいでしょ？」そう言ってユウは意を決したように立ち上がった。

「誰に相談するおつもりですか？」スカリーはすぐに尋ねた。

「エースとかデュースとか、誰か頼りになる人を探してくるよ。」ユウがそう答えると、スカリーは苦い表情を浮かべた。「……マブダチ、ですか。それも一案かもしれませんが……」しかし言葉の続きを言う前に、ゴーストの子どもがさらにしっかりとユウにしがみついた。

「え、どうしたの？」ユウは慌てて視線を下ろした。ゴーストの子どもは首を振りながら「行かないで……」とか細い声で訴えた。その声は、冬の風のように静かで、どこか哀愁を帯びていた。

二人が言い争う中、階上のグリムは深い眠りに落ちているのか、物音一つ立てず姿を見せない。普段なら寮内をふわふわと漂っているはずのゴーストのおじさんたちの姿も、今夜に限ってはどこにも見当たらなかった。

何かがおかしい。スカリーは一瞬、動きを止めた。そして、ゴーストの言葉を受けたユウの表情を見た。ユウの目には、深い同情と迷いが浮かんでいる。「スカリーくん……どうしよう、この子……すごく怯えてるよ」

「……もしくは、何かから逃げてきたのかもしれませんね。」スカリーの声は、どこか思案深い響きを帯びていた。「愛しい貴方、これ以上話し合っても平行線のようですね。ですが、ここに留まるなら、我輩にも協力させてください。」

ユウは少し驚いたように彼を見た。「本当に？」

スカリーは短く息を吐いて、柔らかく微笑んだ。「ええ、ここは我輩たち二人で過ごす場ですからね。ここを守るためにも、共に知恵を絞りましょう。」

その言葉に、ユウはふっと表情を和らげた。「ありがとう、スカリーくん。じゃあ、一緒にこの子の話を聞いてみよう。」

二人の間に漂っていた緊張は少しずつ解け、冷たい談話室に、小さな希望の光がともった。ゴーストの子どもは、二人の優しい声を聞きながら、かすかに微笑むように見えた。

*

瞬間、ユウの腕にしがみついていた子どものゴーストが、突然ピタリと動きを止めた。冷たい空気が部屋に満ち、さっきまでの怯えた表情は消え、口元に不気味な笑みが広がる。ユウが息を飲むと同時に、そのゴーストの小さな体がふわりと浮き上がり、濃い霧のように形を変え始めた。

「え……なに？」ユウは後ずさりしたが、ゴーストの手は空気よりも冷たく、指先が肩を掴んで離さない。「待って、離して……！」

「だから言ったのです！」スカリーが声を上げる。その目は鋭く、背筋を伸ばしたまま魔法を放つ準備を整えていた。「無邪気さが最も恐ろしいと！」

ゴーストの姿はどんどん歪んでいく。小さな子どものシルエットは崩れ、大きく伸びた影が部屋全体に広がった。嘲るような声が響き渡る。「遊ぼうよ……一緒に……ずっとずっと！」

ユウの心臓はドクンドクンと速く脈を打ち、冷たい汗が背中を伝う。「助けて、スカリーくん！」叫ぶ声はかすれ、床に足がついているのかさえわからない感覚が広がる。ゴーストの力に引っ張られるように、体がふわりと浮かびかけていた。

スカリーはすかさず前に出ると、ユウの腕を引き寄せた。その動きは鋭く、それでいてどこか優しさがあった。「我輩がユウさんを見捨てるわけがありません。」彼の声は低くも力強く、ユウの胸に響いた。

「スカリーくん、気をつけて！」ユウの声に応じるように、スカリーはマジカルペンを振り上げ、はっきりと呪文を唱えた。オレンジ色の魔法の光が部屋を照らし、空気が震える。その光がゴーストの影を貫くと、耳をつんざくような叫び声が響き渡った。

「我輩は、貴方に非難されようと構いません。ただ、ここで貴方を失うわけにはいかないのです！」スカリーの瞳は真剣そのもので、その言葉は迷いのないものだった。

光が部屋全体に満ち、ゴーストの体は急速に霧散していった。だが最後に、キャハキャハという子どもの笑い声が響き渡り、薄暗い夜の闇へと消えていった。その音はどこか満足げであり、また再び現れることを予感させるものでもあった。

部屋に静けさが戻ると、スカリーはそっとユウの手を離した。彼の表情はやや疲れた様子だったが、どこかほっとしたようにも見えた。「……愛しい貴方、大丈夫ですか？」

ユウは小さく頷いた。「ありがとう、スカリーくん。……本当にごめん。君の言うこと、ちゃんと聞いておけばよかった。」

その謝罪に、スカリーはやや驚いたように眉を上げ、それから柔らかく微笑んだ。「お詫びなど必要ありません。貴方を守れるならば、それだけで十分です。」

ユウは少しだけ頬を赤らめ、静かに「ありがとう」ともう一度呟いた。部屋の中は、魔法の光が消えた後もどこか暖かさを残しているように感じられた。

外では冷たい夜風が窓を揺らし、寮の中に少しばかりの隙間風を送り込んでいたが、二人の間には、先ほどまでとは異なる穏やかな空気が流れていた。

*

オンボロ寮の古びた床に座り込んだユウは、じっと自分の膝を見つめていた。先ほどの出来事が胸に重くのしかかり、心の奥で何かが引き裂かれるような感覚があった。

「スカリーくん、ごめん……。」ユウの声は小さく震えていた。「私、冷静じゃなかった。あの子が迷子だって聞いたとき、なんだか自分のことみたいに思えて……。」

スカリーは静かにユウを見下ろし、その場に片膝をついた。彼のオレンジ色の瞳が、柔らかい光を帯びて揺らめいている。

「迷子……。」彼はその言葉を繰り返しながら考え込むように視線を落とした。「愛しい貴方が、そのような気持ちを抱いていたとは、我輩は気づくことができなかった。申し訳ありません。」

ユウは首を振り、少し潤んだ目をスカリーに向けた。「違うよ、謝るのは私のほう。君は最初から正しかったのに、私が意地を張って聞かなかったから……。」

スカリーはユウの肩にそっと手を置き、その手に伝わる体温でユウを安心させるように語りかけた。「人は誰しも迷子になるものです。そして迷子になるたびに、少しずつ強くなれるのです。愛しい貴方もまた、その道のりを歩んでいる最中なのだと我輩は思います。」

ユウはその言葉に少しだけ微笑みを浮かべた。スカリーの言葉はいつも、不思議と胸の痛みを和らげる。

「……ありがとう、スカリーくん。」

「どういたしまして。我輩が貴方のそばにいる限り、迷子になっても必ず道を見つけられるよう、全力でお手伝いしますよ。」彼の声は穏やかで、しかしその奥には揺るぎない決意が感じられた。

窓の外では冷たい風が木々を揺らし、夜の静けさが戻ってきていた。二人の間にはもう言葉は必要なく、ただ暖かな空気が漂っていた。ユウが軽く息を吐き、スカリーの隣に寄り添うように座ると、オンボロ寮の古びた空間がほんの少しだけ居心地の良いものに感じられた。

真夜中のオンボロ寮での小さなゴースト騒ぎは、二人の間に新たな絆をもたらしたようだった。