おやすみ、グッドガール
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クラブの一件以来、フェイスは何の変哲もない日常を過ごしていた。適度に授業をさぼり、適度にナイトクラブで息抜きをする。すっかり戻っていた日常に再び変化が現れたのは一週間後だった。
いつものようにアカデミーから抜け出そうとしていた時、廊下でエリオスの制服を着た若い女性と話し込んでいる場面に遭遇した。こちらに背を向けていて分からないが職員だろうか。……どこかで、あの赤毛を目にした事があるような。そんなことを考えながら何食わぬ顔で横をすり抜けようとして――よりによって教師に見咎められた。
「――おい、フェイス!」
教師の声に反応して女性がこちらを振り返る。見覚えのある顔にどちらともなく「あ、」と声が出た。
「あの時の、フェイスだっけ」
「どーも」
教師は簡素な挨拶を交わす両者を意外に思ったのか、彼らを交互に見る。今期でニューミリオン・ドリームを掴んだと言われるルーキーとサボり・夜遊び常習者のアカデミー生では訝しみの視線を向けられるのも無理はない。
「なんだ?お前達知り合いだったのか?」
「偶然関わった事あるだけ。なんでアカデミーにいるの?」
「エイダは特別授業の講師として呼んだんだ。そういえばお前の姿は見えなかったな……」
「そうだっけ?アハ、忘れちゃった」
「サボりたかっただけだろう?後日提出のレポートは丸々点を落とす事になるが自業自得だ。参加していない以上、点は与えられんからな」
「はーい」
「まったく……その様子ではトライアウトどころか卒業も怪しいな」
その程度の脅しは全く心に響かない。卒業生からタメになるおハナシを聞くのも、それをレポートにまとめるのもフェイスにとっては価値を感じないのだから。
最低限の出席と成績は保っているので小言に付き合う義理もないだろう。そう判断してその場を離れようとした時、成り行きを見守っていたエイダが横槍を入れた。
「先生、レポートの件で融通利かせてあげられませんか?」
「はあ?」
「実は先日助けてもらって……。見返りもメリットもなかったのに親切にしてもらったんでお礼がしたいんです」
「お前らしい意見だが、しかしそれでは真面目に授業を受けた生徒に示しがつかん」
「――だったら、こういうのはどうですか?」
フェイスに聞こえない声量で何かを話し合う。今のうちに逃げてしまいたかったが、二人がしきりにこちらを見ながら話しているのでタイミングが見つからない。
「……まあ、いいか。フェイス、OGからヒーロー活動の話を聞いてレポートとして提出するように」
「……はぁ?」
「ルーキーから生の声を聞ける機会は滅多にない。これを機に自分を見直すのもいいだろう。期限は一週間もあれば十分か」
フェイスの意思など介在しないかのように話が進んでいき、モヤモヤとしたわだかまりを残して今日から課題レポートに取り組むよう仕向けられたのだった。
◇
流されるままに時間制で貸し出してもらった自習室へ直行することになったフェイスの癇癪めいた呟きが部屋に溢れる。言えば言うほど腹立たしさは収まるどころか膨らんでいくものだから、次第に呟きから喚きに近いものへ変化していく。
「サイアク。サイアク。サイアク……!」
「そんなに素行が悪かったんだね」
さらりと言われたセリフにフェイスのささくれだった心が刺激され、思わず目尻を釣り上げた。甘い美貌に険が混じる。ブレーキを失い、荒れ模様となっていた心情をそのままぶちまけた。
「いい事したつもりになってる?余計なお世話だってなんで分からないかな?これだからいい子ちゃんはムカつくんだよっ!」
「うん、そこはごめん。あの時助けてもらったからってしゃしゃり出ちゃった」
「…………」
「その分サポートするから。大丈夫、ルーキー研修で散々レポート書いてるんだ。上手く使っていいよ」
穏やかに語りかけるエイダを前にすると、ぶつけようとしていた言葉の数々は瞬く間に霧散していった。子供の癇癪を宥めるような対応にむっとするものを感じたものの、実際その通りなのだからどうしようもない。相手に大人の対応をされると感情のまま当たり散らした自分が子どもじみているようで情けなかった。
「落ち着いた?」
「まあ……その、…………もう少し待って」
「OK、気持ち切り替えられたら声かけて」
数分後、未熟さを内心で恥じながらレポートへ手をつけたフェイスはある事に気付いた。臨時講師をしたのならスピーチ用の原稿を用意していただろうに、と。
「ね、スピーチ用原稿見て書けばいいじゃん」
「その辺は向こうも見越してるよ。わざわざ機会設けたからにはそっくりそのままの内容じゃ通らないだろうね」
「はぁ?めんど……」
思わず机から上体を浮かそうとするフェイス。そんな反応も予測していたのか、エイダは席を立とうとした彼を推し留めた。
「今回の狙いとしてはレポートを通して入所後のキャリアイメージを明確化、そして今の生活態度を見直させる事にあると思うんだ。だからその辺を意識して構成していこう」
「ああ、さっき交渉してたのってそういうこと」
「ヒーローとは、人助けとは、ってお決まりの内容よりそっちの方が響くと思って」
自堕落な生徒に生活態度の改善を促すなら社会に出た後の話の方が効くと判断したのだろう。確かに、アカデミーに入学して以降散々聞かされた概念的なヒーロー像を語られるよりは建設的だろうが……。
いざ始めてみると、慣れていると言うだけあってエイダの話は要点を押さえていた。ルーキーの中から選ばれただけはあると言う事か、と思いながら要点をまとめていく。単位を取るために。留年しないために。そんな目先の動機で過ごす時間にどうしても価値を見いだせないまま手を動かしているとつい本音が零れた。
「こんなの何の役に立つんだか……」
言ってからまずいなと眉をひそめた。これでは志の低いアカデミー生ですと言っているようなものだ。教師やヒーローに聞き咎められてはますます面倒な事になる。この場にいるのは第12期を代表して特別講義を行ったルーキーなのだから、当然――。
「まあ、すぐに見えてくるわけないよね。アカデミー生なら尚更」
「――え?」
「例えばだけど、ヒーローになってもDJ続けるつもりなら両立の準備と考えたらどう?ルーティンを知っておけば自然と立ち回りが見えてくる。今から準備しておけばメンターからの干渉を減らせるんじゃない?」
「分かったような事言われるのは癪だけど一理ある、かな」
「へへ、でしょ?」
「本当に癪だけど」
ムッとしながらも手を動かす。どうにも上手い事丸め込まれている気がしてならない。今日のエイダはフェイスの性格を読んでさらに一枚上手を行くような感覚がある。
普段なら諭そうとしたり理屈でねじ伏せようとする相手よりさらに上を行ける自信があるのに、何故大人しく言う事を聞いているのか自分でもよく分からなかった。エイダの朗らかな気質がそうさせているのか。
――それはそれで絆されているようじゃない?と納得がいかない。面識があるとはいえ、エイダと直接話すのは二度目だ。それに元々フェイスは彼女に対して隔意を抱いていた。そう簡単に手懐けられると思われるのは癪に障る。けれど、また反抗すると幼稚な部分を晒してしまう気がして。
そんな事を考えているうちにその日はすっかり謝る機会を逃してしまった。
◇
エイダ・ハーヴェイとの接点は思いもよらぬ収穫をもたらした。口うるさい教師から逃れられるだけでなく、レポート作成に追われているおかげで彼女達からのしつこい追及も躱せる点だ。
現役ヒーローにトライアウト対策やヒーロー活動の相談に乗ってもらっていると言えば残念がっても退いてくれる。たまに「なんでOBじゃなくてOGなの」と聞き分けのない彼女もいたが、理解のない彼女とは別れてしまえば話が早かった。
期日前に進捗を見てもらうため設定した中間日、二人は前回と同じ自習室の椅子に対面で腰をかけていた。実のところレポートはほとんど完成させている。終わらせてみれば想像より悪くなかったな、と思い改めていると向かい側から「……ふはっ」と小さく吹き出す声が聞こえてきた。目を向けるとフェイスのレポートに目を通していたエイダの口角が笑いをこらえるように歪んでいた。
「なに?」
「だってっ、模範解答みたいなレポートだから……っ、絶対思ってないだろうなって……ぷ、くくっ」
「そういうのがいいんじゃないの?」
「いやあ、これはさすがにダメだよ。君がこんな殊勝な事書く性格に見えないもん。先生だって通したくても通せないよ」
エイダの語った内容に沿って書いたというのにこう笑われては気分も害される。
「……あっそ。じゃあアンタが書けばいいよね」
「ごめん、ごめん。ちゃんとコツ教えるから」
未だに尾を引く笑みを堪えながら手元のレポートに指を添える。他の女の子達のような華やかさはないものの爪は切りそろえられて清潔感のある手だった。
「実のところ、君のレポートはよくできてるんだよ。ただソツがなさすぎて嘘っぽい。だからここに君自身の考えや経験を少しだけ混ぜるの」
「そんなの混ぜたらろくな事にならないよ」
「だから君自身が書いたって分かるでしょ?」
「……なにそれ。そんなんでいいとかアンタが怒られても知らないからね?」
「大丈夫。騙されたと思ってやってみて」
言葉を交わすうちにフェイスの中にあったわだかまりが少しずつ解けていく。数えるほどしか対面していないのにも関わらず、今のようにレポートを進める合間のやり取りや雑談を通して、少しずつ自然体の自分が出てくしまう。プライベートな質問も、全てではないものの答えてしまうほどだ。
「なんでDJ始めたの?」
「息抜き。アカデミーは息が詰まるから」
「ふーん?」
「出来のいい身内と比べられるのにうんざりしただけ。よくある話でしょ」
セクターが違うとはいえ第12期メンターのブラッドを知らないはずがない。あまりにも触れてこないので意図的なものか探りを入れたくなったフェイスは己の顔を指した。
「ねえ、俺の顔見てピンとこない?」
「うーん……ごめん、芸能関係って昔から疎くて……」
「……芸能関係なんて一言も言ってないけど?」
「そうなんだ。クラブでもすごく人気あったし、イケメンだからてっきり芸能関係の身内がいるのかと思った」
首を傾げて誰だろうと考え込んでいるエイダに嘘をついている様子は無い。ブラッドとはセクターが違っても接する機会はあるだろうに。自分が思っているほどブラッドと似通っていないのか、単にエイダが人の顔を覚えるのが苦手なのか。ともかく、地雷を踏まれる可能性は減ったのだからいいとフェイスはその話題を切り上げ、再びレポートに向かった。
黙々と進めたおかげか、レポートの手直しは自習室の貸し切り時間に余裕を持って間に合った。あとはエイダがチェックして問題なければ提出の流れだ。拳を天へと突き上げて伸びをするフェイスを眺めながらエイダがおもむろに口を開いた。
「フェイスは自分の事不真面目って言うけど、本当に不真面目だったらここにいなかったんじゃない?」
「皮肉?俺が不真面目じゃなかったら大抵の生徒は真面目になるよ?」
「そうじゃなくて。アカデミーって普通のハイスクールより厳しいから本当にやる気なかったらあっという間に落ちていくでしょう?」
「適当にやり過ごしてるだけ。自分に才能がないのは嫌になるくらい分かってるし」
「それでも続けてるんだから偉いよ」
その言葉に引っかかりを感じたフェイスはレポートを受け取ろうとしたエイダの手に抵抗する。
「バカにしてる?」
「本当にそう思ってるんだって。自分が大した人間じゃないと思い知らされても踏み留まるのは大変だから。まあ、今は投げやりになってるけどさ」
エイダの語り口は重みを伴うものだった。華々しい活躍をしていたはずの裏にある苦悩を感じさせるような、影を纏う言葉が触れられたくなかったところにも沁みて、ほんのりと痛い。
「ズルズル居続けてるだけだよ。分かったような口利かれるのウザいんだけど」
「そうだね、今の言い方は失礼だった」
踏み込みすぎたと理解すれば過ちを認めてさらりと退く。そんなスマートな対応をされると、いたたまれなくなさで満たされたフェイスは折れざるをえない。レポートを手放し、言いすぎて気まずいと感じる内心を前髪を弄って誤魔化す。
「…………俺も前失礼な事言ったし今のでチャラにして」
「どれ?」
「いい子ちゃんはムカつくってやつ」
「ああ、気にしないでいいよ。そう感じる人がいるのも分かってる」
エイダはなんて事ないような口ぶりで答える。頬杖をつきながら視線をふい、と外すと長い赤毛が背中から肩口へさらりと流れた。本心なのか分からない穏やかな表情のままエイダは続ける。
「私を疎ましく思う人もいる一方で元気づけられた、救われたと言う人もいる。ままならないよね」
「そうだね」
「アンチはたまーに堪えるけどね!」
「そりゃそうでしょ。生きてる人間なんだから」
手直ししたレポートにエイダが目を通す間、手持ち無沙汰となっていたフェイスはスマートフォンに溜まっていた通知を片っ端から片付けていた。大半は遊びやクラブへの誘いで、気が向けば行ってもいいが急用ではないので無視する時もままある。フェイスの人間関係の大半は遊び仲間やファン、彼女で構成されていた。
メッセージアプリ内に残ってた元彼女の連絡先を整理していると、エイダの名前が目に入った。アルファベット順で先程消した彼女が上だったから繰り上がって表示されたのだろう。課題を見てもらう打ち合わせをするために連絡先を交換し、ルームまで作っていたのだ。先輩にアポを取って課題を診てもらうなんて熱心な学生のようだが、実際のところは正反対なので皮肉めいている。
もう用が済みそうなら消してもいいか、と指を伸ばすが、ヒーローとの繋がりを断つのも勿体ないのではないかという打算が首をもたげた時、エイダの「終わったよー」の声に遮られた。
「お疲れ」
「お疲れ様ー。これ提出すれば通ると思うよ」
そりゃどうも、と応えたフェイスは蜂蜜のような色合いの目が自分に向けられているのを感じる。見つめられるのには慣れているが、柔らかな色合いに改めて見つめられると不思議な心地だった。
「ねえ、フェイスってどんなヒーローになりたいの?」
「ドロップアウトも嫌だからしがみついてるだけのやつにそれ聞く?」
「それでもここにいるんだし、きっと原点みたいなものはあるんだろうなって。言いたくないならいいんだ。聞いてみたかっただけ」
「そういうエイダは?」
問い返された彼女は目を丸くした。質問を返されると思わなかったのか、それとも他に要因があったのか分からない。ほんの少しの沈黙の後に答えた声は微かに震えていた。
「私はねー……分かんなくなっちゃった」
そう言って力なく笑う。おそらく孤児院関係の件に端を発したスランプが原因なのだろう。心当たりはあるものの深入りを避けたフェイスに「聞かないでくれてありがとう。なんとなく察しつくかもだけど、多分それで合ってるよ」と続けた。黙っていたのだからわざわざ言わなくてもいいのにと思うが、そこはエイダの性分なのだろうか。
「聞いたのが不真面目なアカデミー生でよかったね」と言うと、微笑を作ろうとしてくしゃりと歪んだ笑顔で頷く。人々を元気づける明朗なルーキーの自暴自棄な姿は、夕日をバックにしているせいか感傷的に映った。迷子になって途方に暮れているようにも見える。
「色んな人に支えられて、応援されたからここにいるって分かってる。でも、目指してたものがあったはずなのに分からなくなっちゃった」
なんでだろうね、という呟きはどこか虚ろな響きだった。
「…………」
「じゃあ辞めちゃえば?って言わないんだ」
「俺もそう言われる方の、未練たらしくしがみついてる側の人間だからね」
「そっか。弱音聞いてくれてありがと」
帰ろっか、の声に促されて席を立つ。課題レポートを提出してしまえばこの奇妙な繋がりも終わりだ。自習室を訪れる事もなくなるだろう。
◇
久々に顔を出したクラブの帰り道、レポートを提出し、その場で目を通した教師から了承を得たというのにフェイスの気分は晴れていなかった。やり損ねたものがまだ残っているようでスッキリしない。おかげで気分もノリきれず、漫然とした思いを抱えながら半端な時間で切り上げて帰路についていた。原因は推測できる。エイダとの間にできた中途半端な繋がりと聞いてしまった弱音が頭の片隅に残っているからだ。
人気ルーキーから人間味溢れる悩みの一端が見えた時、フェイスは安心感を覚えた。ヒーローも完璧人間ばかりではないのだと分かって、同時にこのままだとエイダは疲弊しきって業界を去るのかもしれないと予感めいたものを感じていた。
真面目で他人を優先するいい子ちゃん だからこそ誰かに頼るのを迷惑と考えてしまう性格。ヒーローとしてのイメージを大事にした結果自分をないがしろにしていると気づきもしないし、自己本位になるなんてもってのほかだろう。
「このまま放っておけば潰れちゃうんだろうな」
ぽつりと呟く。フェイスとしてはルーキーの一人が引退しようとなんの感慨も湧かない。理由こそ様々だが、ルーキーが挫折して引退する事自体ありがちな話だ。
スマートフォンに指を滑らせてトークアプリから連絡先一覧を呼び出す。選択肢はいくつかある。当初の目的は果たしたからと連絡先を消し、他人になる選択。もうひとつは――。
だが、それは余計なお節介だろう。フェイスは面倒事を嫌い、他人との干渉を極力避けたい性格だ。性に合わない事するほど暇人でも奉仕精神にも溢れていない。
しばし熟考し、連絡先からトークルーム一覧へと移る。エイダとのルームはそのままに、ひとつ下のルームをタップすした。慣れ親しんだ悪友とのやりとりはじゃれあい混じって面倒事の後始末依頼が並んでいる。その度にきっちり払っているのだからいい客だろう。
メッセージではなく通話をタップすると3コールもしないうちに電話口から陽気な声が聞こえてきた。夜なのにと思う反面、夜だからこそ本業の励み時かと口の端に笑みを乗せた。
「ビリー?急ぎで依頼したい事があるんだけど」
依頼内容を伝えると、電話口から意外そうな声が聞こえてきた。それはそうだろう。自分ですらこんなの性に合わないと考えているのだから。
いつものようにアカデミーから抜け出そうとしていた時、廊下でエリオスの制服を着た若い女性と話し込んでいる場面に遭遇した。こちらに背を向けていて分からないが職員だろうか。……どこかで、あの赤毛を目にした事があるような。そんなことを考えながら何食わぬ顔で横をすり抜けようとして――よりによって教師に見咎められた。
「――おい、フェイス!」
教師の声に反応して女性がこちらを振り返る。見覚えのある顔にどちらともなく「あ、」と声が出た。
「あの時の、フェイスだっけ」
「どーも」
教師は簡素な挨拶を交わす両者を意外に思ったのか、彼らを交互に見る。今期でニューミリオン・ドリームを掴んだと言われるルーキーとサボり・夜遊び常習者のアカデミー生では訝しみの視線を向けられるのも無理はない。
「なんだ?お前達知り合いだったのか?」
「偶然関わった事あるだけ。なんでアカデミーにいるの?」
「エイダは特別授業の講師として呼んだんだ。そういえばお前の姿は見えなかったな……」
「そうだっけ?アハ、忘れちゃった」
「サボりたかっただけだろう?後日提出のレポートは丸々点を落とす事になるが自業自得だ。参加していない以上、点は与えられんからな」
「はーい」
「まったく……その様子ではトライアウトどころか卒業も怪しいな」
その程度の脅しは全く心に響かない。卒業生からタメになるおハナシを聞くのも、それをレポートにまとめるのもフェイスにとっては価値を感じないのだから。
最低限の出席と成績は保っているので小言に付き合う義理もないだろう。そう判断してその場を離れようとした時、成り行きを見守っていたエイダが横槍を入れた。
「先生、レポートの件で融通利かせてあげられませんか?」
「はあ?」
「実は先日助けてもらって……。見返りもメリットもなかったのに親切にしてもらったんでお礼がしたいんです」
「お前らしい意見だが、しかしそれでは真面目に授業を受けた生徒に示しがつかん」
「――だったら、こういうのはどうですか?」
フェイスに聞こえない声量で何かを話し合う。今のうちに逃げてしまいたかったが、二人がしきりにこちらを見ながら話しているのでタイミングが見つからない。
「……まあ、いいか。フェイス、OGからヒーロー活動の話を聞いてレポートとして提出するように」
「……はぁ?」
「ルーキーから生の声を聞ける機会は滅多にない。これを機に自分を見直すのもいいだろう。期限は一週間もあれば十分か」
フェイスの意思など介在しないかのように話が進んでいき、モヤモヤとしたわだかまりを残して今日から課題レポートに取り組むよう仕向けられたのだった。
◇
流されるままに時間制で貸し出してもらった自習室へ直行することになったフェイスの癇癪めいた呟きが部屋に溢れる。言えば言うほど腹立たしさは収まるどころか膨らんでいくものだから、次第に呟きから喚きに近いものへ変化していく。
「サイアク。サイアク。サイアク……!」
「そんなに素行が悪かったんだね」
さらりと言われたセリフにフェイスのささくれだった心が刺激され、思わず目尻を釣り上げた。甘い美貌に険が混じる。ブレーキを失い、荒れ模様となっていた心情をそのままぶちまけた。
「いい事したつもりになってる?余計なお世話だってなんで分からないかな?これだからいい子ちゃんはムカつくんだよっ!」
「うん、そこはごめん。あの時助けてもらったからってしゃしゃり出ちゃった」
「…………」
「その分サポートするから。大丈夫、ルーキー研修で散々レポート書いてるんだ。上手く使っていいよ」
穏やかに語りかけるエイダを前にすると、ぶつけようとしていた言葉の数々は瞬く間に霧散していった。子供の癇癪を宥めるような対応にむっとするものを感じたものの、実際その通りなのだからどうしようもない。相手に大人の対応をされると感情のまま当たり散らした自分が子どもじみているようで情けなかった。
「落ち着いた?」
「まあ……その、…………もう少し待って」
「OK、気持ち切り替えられたら声かけて」
数分後、未熟さを内心で恥じながらレポートへ手をつけたフェイスはある事に気付いた。臨時講師をしたのならスピーチ用の原稿を用意していただろうに、と。
「ね、スピーチ用原稿見て書けばいいじゃん」
「その辺は向こうも見越してるよ。わざわざ機会設けたからにはそっくりそのままの内容じゃ通らないだろうね」
「はぁ?めんど……」
思わず机から上体を浮かそうとするフェイス。そんな反応も予測していたのか、エイダは席を立とうとした彼を推し留めた。
「今回の狙いとしてはレポートを通して入所後のキャリアイメージを明確化、そして今の生活態度を見直させる事にあると思うんだ。だからその辺を意識して構成していこう」
「ああ、さっき交渉してたのってそういうこと」
「ヒーローとは、人助けとは、ってお決まりの内容よりそっちの方が響くと思って」
自堕落な生徒に生活態度の改善を促すなら社会に出た後の話の方が効くと判断したのだろう。確かに、アカデミーに入学して以降散々聞かされた概念的なヒーロー像を語られるよりは建設的だろうが……。
いざ始めてみると、慣れていると言うだけあってエイダの話は要点を押さえていた。ルーキーの中から選ばれただけはあると言う事か、と思いながら要点をまとめていく。単位を取るために。留年しないために。そんな目先の動機で過ごす時間にどうしても価値を見いだせないまま手を動かしているとつい本音が零れた。
「こんなの何の役に立つんだか……」
言ってからまずいなと眉をひそめた。これでは志の低いアカデミー生ですと言っているようなものだ。教師やヒーローに聞き咎められてはますます面倒な事になる。この場にいるのは第12期を代表して特別講義を行ったルーキーなのだから、当然――。
「まあ、すぐに見えてくるわけないよね。アカデミー生なら尚更」
「――え?」
「例えばだけど、ヒーローになってもDJ続けるつもりなら両立の準備と考えたらどう?ルーティンを知っておけば自然と立ち回りが見えてくる。今から準備しておけばメンターからの干渉を減らせるんじゃない?」
「分かったような事言われるのは癪だけど一理ある、かな」
「へへ、でしょ?」
「本当に癪だけど」
ムッとしながらも手を動かす。どうにも上手い事丸め込まれている気がしてならない。今日のエイダはフェイスの性格を読んでさらに一枚上手を行くような感覚がある。
普段なら諭そうとしたり理屈でねじ伏せようとする相手よりさらに上を行ける自信があるのに、何故大人しく言う事を聞いているのか自分でもよく分からなかった。エイダの朗らかな気質がそうさせているのか。
――それはそれで絆されているようじゃない?と納得がいかない。面識があるとはいえ、エイダと直接話すのは二度目だ。それに元々フェイスは彼女に対して隔意を抱いていた。そう簡単に手懐けられると思われるのは癪に障る。けれど、また反抗すると幼稚な部分を晒してしまう気がして。
そんな事を考えているうちにその日はすっかり謝る機会を逃してしまった。
◇
エイダ・ハーヴェイとの接点は思いもよらぬ収穫をもたらした。口うるさい教師から逃れられるだけでなく、レポート作成に追われているおかげで彼女達からのしつこい追及も躱せる点だ。
現役ヒーローにトライアウト対策やヒーロー活動の相談に乗ってもらっていると言えば残念がっても退いてくれる。たまに「なんでOBじゃなくてOGなの」と聞き分けのない彼女もいたが、理解のない彼女とは別れてしまえば話が早かった。
期日前に進捗を見てもらうため設定した中間日、二人は前回と同じ自習室の椅子に対面で腰をかけていた。実のところレポートはほとんど完成させている。終わらせてみれば想像より悪くなかったな、と思い改めていると向かい側から「……ふはっ」と小さく吹き出す声が聞こえてきた。目を向けるとフェイスのレポートに目を通していたエイダの口角が笑いをこらえるように歪んでいた。
「なに?」
「だってっ、模範解答みたいなレポートだから……っ、絶対思ってないだろうなって……ぷ、くくっ」
「そういうのがいいんじゃないの?」
「いやあ、これはさすがにダメだよ。君がこんな殊勝な事書く性格に見えないもん。先生だって通したくても通せないよ」
エイダの語った内容に沿って書いたというのにこう笑われては気分も害される。
「……あっそ。じゃあアンタが書けばいいよね」
「ごめん、ごめん。ちゃんとコツ教えるから」
未だに尾を引く笑みを堪えながら手元のレポートに指を添える。他の女の子達のような華やかさはないものの爪は切りそろえられて清潔感のある手だった。
「実のところ、君のレポートはよくできてるんだよ。ただソツがなさすぎて嘘っぽい。だからここに君自身の考えや経験を少しだけ混ぜるの」
「そんなの混ぜたらろくな事にならないよ」
「だから君自身が書いたって分かるでしょ?」
「……なにそれ。そんなんでいいとかアンタが怒られても知らないからね?」
「大丈夫。騙されたと思ってやってみて」
言葉を交わすうちにフェイスの中にあったわだかまりが少しずつ解けていく。数えるほどしか対面していないのにも関わらず、今のようにレポートを進める合間のやり取りや雑談を通して、少しずつ自然体の自分が出てくしまう。プライベートな質問も、全てではないものの答えてしまうほどだ。
「なんでDJ始めたの?」
「息抜き。アカデミーは息が詰まるから」
「ふーん?」
「出来のいい身内と比べられるのにうんざりしただけ。よくある話でしょ」
セクターが違うとはいえ第12期メンターのブラッドを知らないはずがない。あまりにも触れてこないので意図的なものか探りを入れたくなったフェイスは己の顔を指した。
「ねえ、俺の顔見てピンとこない?」
「うーん……ごめん、芸能関係って昔から疎くて……」
「……芸能関係なんて一言も言ってないけど?」
「そうなんだ。クラブでもすごく人気あったし、イケメンだからてっきり芸能関係の身内がいるのかと思った」
首を傾げて誰だろうと考え込んでいるエイダに嘘をついている様子は無い。ブラッドとはセクターが違っても接する機会はあるだろうに。自分が思っているほどブラッドと似通っていないのか、単にエイダが人の顔を覚えるのが苦手なのか。ともかく、地雷を踏まれる可能性は減ったのだからいいとフェイスはその話題を切り上げ、再びレポートに向かった。
黙々と進めたおかげか、レポートの手直しは自習室の貸し切り時間に余裕を持って間に合った。あとはエイダがチェックして問題なければ提出の流れだ。拳を天へと突き上げて伸びをするフェイスを眺めながらエイダがおもむろに口を開いた。
「フェイスは自分の事不真面目って言うけど、本当に不真面目だったらここにいなかったんじゃない?」
「皮肉?俺が不真面目じゃなかったら大抵の生徒は真面目になるよ?」
「そうじゃなくて。アカデミーって普通のハイスクールより厳しいから本当にやる気なかったらあっという間に落ちていくでしょう?」
「適当にやり過ごしてるだけ。自分に才能がないのは嫌になるくらい分かってるし」
「それでも続けてるんだから偉いよ」
その言葉に引っかかりを感じたフェイスはレポートを受け取ろうとしたエイダの手に抵抗する。
「バカにしてる?」
「本当にそう思ってるんだって。自分が大した人間じゃないと思い知らされても踏み留まるのは大変だから。まあ、今は投げやりになってるけどさ」
エイダの語り口は重みを伴うものだった。華々しい活躍をしていたはずの裏にある苦悩を感じさせるような、影を纏う言葉が触れられたくなかったところにも沁みて、ほんのりと痛い。
「ズルズル居続けてるだけだよ。分かったような口利かれるのウザいんだけど」
「そうだね、今の言い方は失礼だった」
踏み込みすぎたと理解すれば過ちを認めてさらりと退く。そんなスマートな対応をされると、いたたまれなくなさで満たされたフェイスは折れざるをえない。レポートを手放し、言いすぎて気まずいと感じる内心を前髪を弄って誤魔化す。
「…………俺も前失礼な事言ったし今のでチャラにして」
「どれ?」
「いい子ちゃんはムカつくってやつ」
「ああ、気にしないでいいよ。そう感じる人がいるのも分かってる」
エイダはなんて事ないような口ぶりで答える。頬杖をつきながら視線をふい、と外すと長い赤毛が背中から肩口へさらりと流れた。本心なのか分からない穏やかな表情のままエイダは続ける。
「私を疎ましく思う人もいる一方で元気づけられた、救われたと言う人もいる。ままならないよね」
「そうだね」
「アンチはたまーに堪えるけどね!」
「そりゃそうでしょ。生きてる人間なんだから」
手直ししたレポートにエイダが目を通す間、手持ち無沙汰となっていたフェイスはスマートフォンに溜まっていた通知を片っ端から片付けていた。大半は遊びやクラブへの誘いで、気が向けば行ってもいいが急用ではないので無視する時もままある。フェイスの人間関係の大半は遊び仲間やファン、彼女で構成されていた。
メッセージアプリ内に残ってた元彼女の連絡先を整理していると、エイダの名前が目に入った。アルファベット順で先程消した彼女が上だったから繰り上がって表示されたのだろう。課題を見てもらう打ち合わせをするために連絡先を交換し、ルームまで作っていたのだ。先輩にアポを取って課題を診てもらうなんて熱心な学生のようだが、実際のところは正反対なので皮肉めいている。
もう用が済みそうなら消してもいいか、と指を伸ばすが、ヒーローとの繋がりを断つのも勿体ないのではないかという打算が首をもたげた時、エイダの「終わったよー」の声に遮られた。
「お疲れ」
「お疲れ様ー。これ提出すれば通ると思うよ」
そりゃどうも、と応えたフェイスは蜂蜜のような色合いの目が自分に向けられているのを感じる。見つめられるのには慣れているが、柔らかな色合いに改めて見つめられると不思議な心地だった。
「ねえ、フェイスってどんなヒーローになりたいの?」
「ドロップアウトも嫌だからしがみついてるだけのやつにそれ聞く?」
「それでもここにいるんだし、きっと原点みたいなものはあるんだろうなって。言いたくないならいいんだ。聞いてみたかっただけ」
「そういうエイダは?」
問い返された彼女は目を丸くした。質問を返されると思わなかったのか、それとも他に要因があったのか分からない。ほんの少しの沈黙の後に答えた声は微かに震えていた。
「私はねー……分かんなくなっちゃった」
そう言って力なく笑う。おそらく孤児院関係の件に端を発したスランプが原因なのだろう。心当たりはあるものの深入りを避けたフェイスに「聞かないでくれてありがとう。なんとなく察しつくかもだけど、多分それで合ってるよ」と続けた。黙っていたのだからわざわざ言わなくてもいいのにと思うが、そこはエイダの性分なのだろうか。
「聞いたのが不真面目なアカデミー生でよかったね」と言うと、微笑を作ろうとしてくしゃりと歪んだ笑顔で頷く。人々を元気づける明朗なルーキーの自暴自棄な姿は、夕日をバックにしているせいか感傷的に映った。迷子になって途方に暮れているようにも見える。
「色んな人に支えられて、応援されたからここにいるって分かってる。でも、目指してたものがあったはずなのに分からなくなっちゃった」
なんでだろうね、という呟きはどこか虚ろな響きだった。
「…………」
「じゃあ辞めちゃえば?って言わないんだ」
「俺もそう言われる方の、未練たらしくしがみついてる側の人間だからね」
「そっか。弱音聞いてくれてありがと」
帰ろっか、の声に促されて席を立つ。課題レポートを提出してしまえばこの奇妙な繋がりも終わりだ。自習室を訪れる事もなくなるだろう。
◇
久々に顔を出したクラブの帰り道、レポートを提出し、その場で目を通した教師から了承を得たというのにフェイスの気分は晴れていなかった。やり損ねたものがまだ残っているようでスッキリしない。おかげで気分もノリきれず、漫然とした思いを抱えながら半端な時間で切り上げて帰路についていた。原因は推測できる。エイダとの間にできた中途半端な繋がりと聞いてしまった弱音が頭の片隅に残っているからだ。
人気ルーキーから人間味溢れる悩みの一端が見えた時、フェイスは安心感を覚えた。ヒーローも完璧人間ばかりではないのだと分かって、同時にこのままだとエイダは疲弊しきって業界を去るのかもしれないと予感めいたものを感じていた。
真面目で他人を優先する
「このまま放っておけば潰れちゃうんだろうな」
ぽつりと呟く。フェイスとしてはルーキーの一人が引退しようとなんの感慨も湧かない。理由こそ様々だが、ルーキーが挫折して引退する事自体ありがちな話だ。
スマートフォンに指を滑らせてトークアプリから連絡先一覧を呼び出す。選択肢はいくつかある。当初の目的は果たしたからと連絡先を消し、他人になる選択。もうひとつは――。
だが、それは余計なお節介だろう。フェイスは面倒事を嫌い、他人との干渉を極力避けたい性格だ。性に合わない事するほど暇人でも奉仕精神にも溢れていない。
しばし熟考し、連絡先からトークルーム一覧へと移る。エイダとのルームはそのままに、ひとつ下のルームをタップすした。慣れ親しんだ悪友とのやりとりはじゃれあい混じって面倒事の後始末依頼が並んでいる。その度にきっちり払っているのだからいい客だろう。
メッセージではなく通話をタップすると3コールもしないうちに電話口から陽気な声が聞こえてきた。夜なのにと思う反面、夜だからこそ本業の励み時かと口の端に笑みを乗せた。
「ビリー?急ぎで依頼したい事があるんだけど」
依頼内容を伝えると、電話口から意外そうな声が聞こえてきた。それはそうだろう。自分ですらこんなの性に合わないと考えているのだから。