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多忙なスケジュールから一時的に解放されたクレインは休憩室のベンチでぼんやりと虚空を眺めていた。壁に背を預け、だらりと脱力して何も考えない。休憩に入るまで雑然としたクレインの脳内と対照的に真っ白な天井と壁を眺めていると、フル回転状態だった頭が少しずつチルアウトしていくのが分かった。
現状のソレスタルビーイングは課題が山積みだ。マッチングテストの件だけでなく、資金的にも限られる中でGN-Xに大きく引き離された性能を埋める手立てを求められている。試験運用中の武装と試作機の調整。太陽炉不足を埋めるべく進められている大型貯蔵タンクの粒子消費率の改善案等。ここのところはプランを構築しては修正してを繰り返している有様で、少しくらい思考から解放しないと脳が休まらないのだ。
それだけでも頭が痛いのに、と傍らに置いていた端末を掴む。重苦しい気分を感じながら受信トレイに表示されている文面へ目を向ける。差出人は王留美。現状でも頭を悩ませていたクレインに、さらに厄介事を持ち込んできた相手の名には辟易していた。疲労で鉛のように鈍った脳がさらに重さを増した気がして、堪らず人工的な赤色の髪をかき混ぜるようにしながら呻いた。
「なーんで引き受けちまったかな、ほんと」
始まりは定期視察へ訪れた王留美に担当している試作機と搭載予定の武装を軽くプレゼンした事だろうか。クレインの技術力と理解の深さに感嘆した様子の彼女からプライベートな依頼として王商会の輸送艇リィアン建造を任された。そして引き渡しの際にクレインはリィアンの本来の用途を明かされ、そのパイロット――ネーナ・トリニティと引き合わされた。
「型落ちとなったスローネドライをより現在主流となっているスペックまで引き上げ、更に、現在試験機で運用している武装をスローネドライの追加武装として流用できないか検討してほしいの。彼らには内密で」
申し出から暗躍の匂いを嗅ぎ取ったクレインは「一介の整備士には荷が重すぎる」と躱し、リィアンの納品手続きだけを済ませてその場を去った。しかし、気品ある佇まいから野心と計算高さが滲むようになった王留美がそう簡単に引き下がるわけもない。これまで一切報告せずにいたネーナ・トリニティとの接点を明かした時点で自陣営へと引き込む算段があるのだろう。その後も機嫌伺いのようなメールが届くようになり、今に至るというわけだ。
別れ際の言葉が脳裏をよぎる。
――気長に待っているわ。彼らに報告しても構わない。けれど、できないはずよ?だって貴方は私と同類だもの。
――同類?
――ええ。狡猾で利己的。使える札を捨てるような愚は犯さないし、利にならないと判断すれば身内だって平気で切り捨てられる人間。そうでしょう?
こちらにつくのなら損はさせなくってよ。そう言い、王家の女当主は優雅な微笑でクレインを見送った。思い出すだけでも寒気のする、蠱惑的な毒花。
「ったく、おっかねえお嬢様だ」
王留美はクレインの技量だけでなく、打算的な一面とハングリー精神を見抜いていた。だからこそ開発責任者のイアンを通さず、表向きの理由まででっち上げてクレインとの接触を図ったのだろう。
どこまでも利己的に、狡猾に立ち回る。自分にも通じる生き方にクレインは同族嫌悪のような感情を覚えた。
しかし、いずれはチームプトレマイオスへの裏切りに繋がるかもしれない道を彼は断ち切れずにいる。ストリートチルドレンとして泥水を啜ってきた苦い過去が、王留美を利用して賢しく立ち回るべきだと囁いていた。
電子音に再び端末へと目をやると、届いていたのは養母からのメールだった。あちらの近況とこちらを案じる内容に加え、一枚の画像が添付されている。こちらの心を和ませる良妻賢母なリンダらしい気遣いに、自然と肩の力が抜ける。そして、己の中で一層迷いが深まるのを感じて舌打ちした。
引き取ってくれたヴァスティ家の人柄に感化されたのか、プトレマイオスクルー達からも影響を受けてしまったのか。加入時は一時的な腰掛けのつもりでいたクレインの方針には迷いが出始めていた。
育ての親であるイアンもクレインの本心を知った上で彼を引き取り、チームプトレマイオスが事実上壊滅した時は組織を離れるのを黙認しようともしていた。スメラギも艦を降りて久しく、ヴェーダを奪われた今は消息すら分からない。泥船どころかスペースデブリ寸前のソレスタルビーイングに残る理由はない。ティエリアを中心として残ったメンバーで再起を図っている最中だが、かつてより心許ないのは確かだ。若いメカニックが離反したところで皆受け入れるだろう。
――だが、それでも。
決断しようとする度にソレスタルビーイングで過ごした時間が浮かんでは消えていく。クルー達の顔を思い浮かべては迷いが生じ、踏ん切りがつかずにいた。
深い霧の中にいるような胸中で深いため息が漏れた時、ドアの開く音と共に視界の端でピンク色の何かが揺れた。続いて「あっ」と小さな声が溢れた。
「ごめん。もしかして一人になりたい感じだった?」
「いや、気にすんなって」
どーぞお構いなく、と手招くとフェルトがおずおずといった様子で休憩室に入ってきた。
ソレスタルビーイングの必要最低限な人材では整備士と戦況オペレーターは替えも利かず、連邦軍から潜伏している現状では休暇も取れないため基本的に交代制だ。加えて試作機と追加武装の開発・検証も請け負っているクレインが、同じく多忙にしているフェルトとゆったりと会話できる時間が被ったのは久々の事だった。
「お疲れさん。しんどくないか?」
「まだ大丈夫。検証テストの立ち会いとか細かな仕事は多いけど、なんとかやってるから」
「タフになったもんだ。でも休憩はきっちり取れよ。貴重なオペレーターなんだし、残業代もないんだ」
そう肩をすくめるクレインの冗談が伝わったのか、フェルトがくすくすと笑みを零す。
「本当に大丈夫。それに、みんなが頑張っている中で音を上げていられないよ」
疲れこそ見えるものの、虚勢を張っている様子はない。多くの喪失を抱えながら前を向く芯の強さが表れていた。柔らかくも真っ直ぐな意思を感じさせる横顔から思わず目をそらしてしまう。自然と打算に走ってしまうクレインには時々フェルトのひたむきさが眩しくて痛い。
眩しさから目を逸らすように別の話題を探す。そして、先ほど送られてきたリンダからのメールを思い出した。
「今日、リンダから写真が送られてきてさ、見てよ」
そう言って軽く端末を投げる。無重力下でゆるやかに流れていく端末を受け取ったフェルトから小さな感嘆の声が漏れた。画面には先ほど送られてきた画像――リンダと後方支援スタッフ、それから蕾を膨らませている小さな花が映っていた。
「最近あっちで育てているらしくてさ。花の便りにはまだ早いけど、頑張ってる現場にもお裾分けだって」
「すごい。なんだか見ているこっちまで元気がもらえそう」
「向こうの環境下ならどうにか蕾までいったようだけど、環境適応の問題でこっちに持ってくるのはまだ厳しいらしいな」
「そっか。でもすごいね。私達のサポートでリンダさん達も忙しいはずなのに」
「息抜きの一環だろうなぁ。機械いじりも好きだけどずーっと仕事してるようなもんだし」
おそらく部下から機械いじり以外で休息をと勧められたのだろう。機械いじりはヴァスティ家共通の趣味であり、のめり込みすぎるのもしばしばだ。それは養子となったクレインも例外ではない。最初こそ持ち前の器用さを活かすため、そして飯の種と思いながら取り組んでいたが、いつの間にか趣味や娯楽と言ってもいいほど染み付いてしまっていた。
ソレスタルビーイングに加入したばかりの頃、早朝のクルンテープで毎朝恒例のセットアップをしながら勉強会をしていた頃が懐かしい。専門知識ゼロで飛び込んだ工学系の世界でクレインは先達の技師達から技術を盗み、足りない知識はフェルトとの勉強会で補っていた。ハロ達に群がられながらタブレットと睨み合っているクレインにフェルトが父譲りの知識を教えていた光景が不意に蘇る。朝から夜まで慌ただしく苦労の絶えない日々だったが、今思えばあの時間も楽しかった。
「そういやウチ恒例のパーツ屋巡りもしばらく行ってないなー。いつもオレとイアンが荷物持ちと電車内の壁役するんだ。最近はイアンも歳食ったからもっぱらオレが壁だけど」
「楽しそうでいいな」
「なんならフェルトも今度来るか?マジで、誇張なくパーツ屋回るだけで一日終わるけど」
「普通の女の子よりは関心あるよ。忘れてるかもしれないけど、クレインにメカニック技術の基礎を教えたのは誰?」
「あーそっか。じゃあ遠慮せず誘えるな」
今追われている物事が片づけば少しは休暇の目処も立つだろうか。思案を巡らせていると、フェルトが口元を綻ばせていたのに気付いた。
「どうした?」
「ううん、頼もしいお兄さんできていて安心したの」
「ま、普段から世話になってるリンダと可愛い義妹のためだからな」
言葉を切ってからフェルトを改めて眺める。多忙で顔を合わせる機会もなかったからなのか、以前よりも明るく、柔らかい雰囲気を纏っている事に気付いた。
「フェルトも年頃の女子らしくなったよ」
「そ、そうかな」
「そうそう、四年前は洒落っ気なかったのに。誰かさんからいい影響受けたんだろ」
「少しは近づけていたらいいんだけど」
姉のような存在だった女性を思い浮かべたのか、どこか寂しそうな微笑がこぼれる。今でも胸が痛むが、今はクリスの分まで生きていく意思を固めているはずだ。
「むしろクリスよりしっかりしてるかもな?フェルトにはフェルトのいいところがあるんだし」
義妹にするように緩やかな癖のついた毛先へ手を伸ばした直後、年頃の女性の髪に気安く触れてはダメ!というクリスティナの言葉が蘇って手を引っ込めた。何時だったか忘れたが、彼女の髪に触れた時厳しく叱られた覚えがある。女性は好意を持つ相手以外から気安く髪を触られるのは嫌なものだ。君は弟のようなものだから大目に見るが、寛大な女性ばかりではないので軽い気持ちで触れてはいけない、と。
不思議そうな碧眼に見つめられ、いたたまれない手を自分の項に回した。義妹のミレイナはいいとしても、年頃の女性となったフェルトには気を使った方がいいのだろう。昔とは違う意味でなんだかやりづらい。
「あーあ、ミレイナもそのうちオシャレに目覚めるんだろうなー。ダサいとか言われたら傷つくし、オレも少しは気を付けるべきかな?」
「その時には協力するよ」
「おっ、じゃあ頼らせてもらうか」
「任せて。かっこいいお兄ちゃんにするね」
視線を交わして笑い合う。余裕を忘れそうになる時間が続いていたせいか、何気ない会話も心をほぐしていくようだった。
「よかった。最近元気なかった気がしていたから」
「そうかー?どっちかっていうとフェルトの方が元気なかっただろ」
皆の前では勤めて明るく振る舞っていたけれど、ソレスタルビーイングが全てのフェルトにとって、チームプトレマイオスが少しずつ瓦解していく有様は胸が締め付けられるようだっただろうに。
「気持ちの整理ならついたし、私はいいの。クレインは……ほら、最近王留美から個人的に仕事を受けて忙しくしていたでしょう?」
フェルトから思わぬ名前が出て、それまで和んでいた心が波立つのを感じた。クレインは気取られないよう、何気ない風を装ってみせる。
「ん?ああ、王商会の輸送艇な」
「輸送艇なら王商会内部でどうとでもできそうなのに、なんでクレインに頼んだんだろうって」
少し気になって、と繋ぐフェルトは王商会の一件に言いようのない引っ掛かりを覚えているようだった。彼女の疑問はもっともだろう。隠蔽などで使っていた『輸送艇』が使えなくなったとはいえ、そのパイロットも今はチームプトレマイオスに合流している。新たに輸送艇だけ用意しても乗り手がいないのだ。
そして、担当したクレインはというと元々手に職をつけるためメカニックを志した。加入したばかりの頃はさっさと技術を身につけて、旗色が悪くなったら出ていくと言っていた時期もある。そんな、ソレスタルビーイングが事実上崩壊した時に出て行ってもおかしくない相手だからこそ、王留美との個人的なビジネスに胸騒ぎを覚えているのだろうか。
「アレはなー、うん。そうだな……。今でも出資し続けてる貴重なエージェントだからビジネスとして請け負っただけ、って事で流してくれ。輸送艇を引き渡した時点で終わった話だ」
碧眼がじっとクレインを見つめる。利己的な打算を重ねて生きてきたクレインにはフェルトのまっすぐな視線には思わず言葉が詰まってしまう。
「…………あー、やっぱ誤魔化すには無理あるよな。でもこれ以上深入りしない方がいい話。下手をすると信用問題に関わる。だから勘弁してくれ。な?」
「…………」
別働隊トリニティの存在、太陽炉の技術流出、ヴェーダを失った末に起きたフォーリン・エンジェルス作戦の悲劇。これらの出来事を通してソレスタルビーイングという組織が一枚岩ではないというのは嫌というほど思い知らされたはずだ。だからこんな事を言われても、そう簡単に引き下がれやしないだろう。
しかし、フェルトは少しの沈黙ののちに眉を下げ、力なく笑ってみせた。不安を感じ取りながらも、追求しないと決めたような表情だった。
「分かった。信じているから」
「そう簡単に信じるなんて言うなよ。少なくとも相手選ばないと馬鹿を見るぞ」
「そうなんだろうね。だから正確には信じたいって気持ちの方が強いのかも」
「…………」
「クレインは昔から自分を悪く言うけど、周りをよく見て考えている人だって知っているから」
フェルトの想いはどちらかと言えば願いに近いのかもしれない。苦境を共にした仲間に不穏な影があったとしてもこれまで積み重ねてきたものを信じたい。そんな切実さが込められていた。
「それに、信じて待つのは慣れている方だと思うの。戦況オペレーターが戦場でできる事は限られているから」
「あんまり謙遜するなよ」
「謙遜じゃないよ。本当にそうだから。だからこそ、自分や誰かを信じたいって気持ちが強いのかも」
なんだかよく分からない事言っちゃったね。そう照れくさそうに笑うフェルトに対してクレインはどこかバツの悪そうな顔で沈黙した。眼前の女性は柔らかな雰囲気を備えながらも、折れぬ心を備えている。心に傷を負って涙を流した分だけしなやかに強くなったのだろう。その姿が春を待ち焦がれながら寒さや雪を耐え凌ぐ花のようで、だからこそ眩しく感じるのに目を逸らしきれない。
信じている、その言葉が霧に包まれているクレインにほんのりとした温もりを与えた。
